ビートたけし、若い頃のまとめ!昔はお笑いを目指していなかった? エンタメ

ビートたけし、若い頃のまとめ!昔はお笑いを目指していなかった?

ツービートとして、お笑いブームを牽引したビートたけしさん。今では、お笑いはもとより、俳優、映画監督、作家など多岐に渡る才能をいかんなく発揮していますが、若い頃のビートたけしさんは、どんな青年だったのでしょうか。お笑いビッグ3に登りつめた軌跡を追っていきます。

ビートたけし、若い頃は勉強ばかりさせられていた!

ビートたけしさんは、東京足立区の下町に生まれました。ビートたけしさんのお母様、北野さきさんはとても教育熱心な方だったそうで、勉強勉強の日々だったそうです。そして、これからは高度経済成長期だから、理工系へ行けと言われ、明治大学の工学部へ進学したたけしさんは、ここから道をそれはじめます。

大学2年生の時、ビートたけしさんは大学へ行くのが億劫になり、自宅から大学に向かう間の新宿で途中下車するようになります。そこで、当時ジャズ喫茶に通うようになり、そこでボーイのアルバイトを始めました。大学には入学以来、20日程しか通わなかったそうです。

ビートたけし、若い頃に親から勘当される

ビートたけしさんは、大学を辞めると母さきさんに伝えると、泣いて怒って「2度と帰ってくるな」と勘当されてしまったそうです。それもそのはず、母さきさんは昼夜問わず必死に働き、息子たちを大学卒業させて、立派なサラリーマンにさせるつもりでしたから、相当悲しかったそうです。

しかし、母さきさんは、実はビートたけしさんを家から追い出しても、大学が除籍になるまでの6年間、授業料を払い続けたそうです。そればかりか、1人暮らしをするビートたけしさんのアパートの大家さんに、「武が家賃払わんようになったら、私に請求して下さい」と言っていたそうです。いいお母さんですね。

ビートたけし、若い頃はモテなかった?

ビートたけしさんは、若い頃は全然モテなかったとおっしゃられています。アルバイト先で出会った女性と7年間お付き合いをされましたが、会っては2人でお茶を飲んで帰るみたいな感じがずっと続き、男女の仲になるのも相当な勇気がいったそうです。なかなかウブなところもあったんですね。

ビートたけし、お笑いを始めるきっかけ

ビートたけしさんは、浅草フランス座でエレベーター番のアルバイトを始めます。このエレベーター番はコメディアン志望だと決まっていたらしく、ビートたけしさんの師匠である深見千三郎さんから「タップダンスでも練習してろ」と言われ、嫌々タップダンスのレッスンをやったりしていたそうです。

そして、ある日舞台でおかま役をやっていた方が休んでしまって、ビートたけしさんに白羽の矢が立ちます。1回目の出番では「お前面白くねーな、下手だな」と師匠に言われてしまいますが、2回目の出番でハイヒールで女優さんの足を踏んだりしたら、大爆笑になったそうです。

休憩時間などに松竹の演芸場に見学に行くと、大して面白くもない漫才しているのに、立派に車なんか乗れてるのかと思い、自分もお笑いをやろうと決め、ビートきよしさんとコンビを組み活動を始めました。途中からビートたけしさんがネタを書くようになり、ツービートは爆発的な人気を誇っていきます。

ビートたけし、ツービート結成お笑いブームを牽引する

1980年代に起こったお笑いブームで、ビートたけしその中心にいました。ビートたけしさんが出る番組はことごとくヒットしていきます。そこで、あの伝説のお笑い番組、「オレたちひょうきん族」か始まり、ビートたけしさんや、明石家さんまさんなどが出演し、爆発的な人気を誇りました。

ビートたけし、お笑いブームにのり、タケちゃんマン登場!

その「オレたちひょうきん族」の中でも人気だったのが、ビートたけしさん扮するタケちゃんマンです。これがきっかけでビートたけしさんは1人で人気を集めることになり、ビートきよしさんは少しひいた存在になってしまいました。でも、いまだにツービートは解散していません。

ビートたけし、お笑いブームにのり、コマネチ登場!

当時、ロシアの体操選手ナディア・コマネチさんの衣装を見て、ハイレグ部分を手で表現した「コマネチ」というギャグが、ビートたけしさんの代名詞となるくらい、大ヒットしました。さらには歌も出したりして、アイドル並みの人気を誇っていました。

ビートたけし、昔の伝説①フライデー襲撃事件の真相

ビートたけしさんは、様々な番組をヒットさせ、不動の人気を確立していましたが、1986年ある問題を起こします。そう、あのフライデー襲撃事件です。当時ビートたけしさんが付き合っていた女子大生に対し、フライデーの行き過ぎた取材のせいでケガを負わされてしまったそうです。

それに激怒したビートたけしさんは、たけし軍団11名を動員し、フライデーを創刊している講談社の編集部に殴り込みに入ったのです。これにより、ビートたけしさんは懲役6ヶ月、執行猶予2年の判決を受けてしまい、芸能活動を8ヶ月間休止する事態になりました。

ビートたけし、昔の伝説②バイク事故

復帰したビートたけしさんは、またまた人気者に戻り活躍していきます。しかし、1996年今度は単独のバイク事故を起こしてしまいます。女性のところへ向かっていた時だと言われていますが、酒気帯び運転での事故でした。右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨という重症でした。

このニュースが駆け巡った時は、ビートたけしさんはもうダメなんじゃないかと思われていましたが、見事、強運を発揮して生還しました。普通なら助かる確率は非常に少ない状態であったそうです。顔に後遺症が残ってしまったものの、生死をさまよったとは思えないほど、今でも活躍をされています。

ビートたけし、昔と変わらず今もお笑いを追求し続ける

ビートたけしさんは、昔と変わらず今でもあえてライブをやっています。お笑いに対する情熱は消えておらず、タップダンスの練習をしたり、ピアノを習ったりしているそうです。テレビでもかぶりものをして、池に飛び込んだりして、まだまだ現役という感じですね。

ビートたけし、今でもあがり症がなおらない

ビートたけしさんは肝が据わっているように見えますが、意外と緊張に弱くあがり症なんだそうです。お客さんが5人しかいなくてもソワソワして、ウケなかったらどうしようと不安になってしまうそうです。50年以上もやっているのに、意外ですよね。テレビで見ている限りでは、そんな感じは微塵にも感じませんが。

ビートたけしさんは、少し耳も遠くなってしまったそうで、爆笑問題さんのライブに出たときは30分以上落語をやったそうですが、耳が遠くなったせいで、お客さんの反応が分からず、落語のまくら(演目に入る前の導入部分)をウケルまで17分もやってしまったそうです。

舞台を降りてから、スタッフさんからは大爆笑でしたねと言われたらしく、ほっと胸をなでおろしたんだとか。ビートたけしさんともあろう方が、慢心せずひたむきにお笑いをやっているとは、素晴らしいですね。まだまだ衰えるところを知らないですね。

ビートたけし物語のまとめ

いかがでしたでしょうか。数々の伝説を残してきたビートたけしさんですが、まだまだ伝説を残していきそうです。芥川賞をとるため、小説「アナログ」も発表し、事務所からも独立しました。御年、71歳!27時間テレビの総合司会も決まりましたし、これからのさらなる活躍を期待いたします。