角松敏生の妻はスチュワーデス!?子供はいるの?若い頃から現在まで

デビューしてから30年間音楽家として活動している角松敏生さん。近年はアーティストへプロデュースなどをしたり、ライブMCやテレビ番組などにも登場しています。そんな音楽界で有名な角松さんですが、奥様やお子さんはいるのかを今回調べました。

角松敏生は結婚している?妻や子供は?part1

角松さんの奥様やお子さん、そして過去の女性などを調べてみると、角松さんは現在結婚されていますが、前の奥様や、愛人がいた事などの情報を手に入れれました。現在の奥様との結婚会報時には、角松さん本人による長文が載っていましたが、奥様の本名や職種、結婚披露宴の写真などは載ってなく、安全を考えて公表していないみたいです。

角松敏生は結婚している?妻や子供は?part2

角松さんは過去のライブで子供ができた事を報告しているのでお子さんがいる事は間違いなさそうです。ですが、現在の奥様と同様、写真や本名など詳しい情報までは調べる事ができませんでした。これは、小さい頃から芸能人の子供とレッテルを貼られたり、子供の人生を想っての事だと思います。

角松敏生の前妻そして愛人との馴れ初め

角松さんにはが現在の奥様や子供の情報を明かさないもう一つの理由としては、現在は削除されていますが、前の奥様をブログや結婚前に一緒に写っていた写真などもアップしていたため、ネットで簡単に個人情報が拡散してしまい、誰に恨み嫉みをかうかわからないので、公表を控えているのだと思います。

しかも角松さんは昔の曲で、すでに離婚した奥様や愛人の名前を入れていたそうです。特に1989年9月6日にリリースした「Reasons for thousand lovers」では、前奥様と愛人の名前が入っていたり、一緒に同棲していた街の事を歌っていたりしています。

角松さんが付き合っていた愛人、前奥様もスチュワーデスだったそうです。角松さんはスチュワーデスがお好きだったようで、その繋がりから交際に発展したようです。また、1985年8月12日のJAL123便墜落事故が起きた時には、角松さんがその乗客の皆さんと、乗務員に捧げた一組の歌の一つで「RAMP IN」などを作ったそうです。

角松敏生のプロフィール

  • 名前:角松敏生(カドマツ トシキ)
  • 性別:男性
  • 生年月日:1960年8月12日(57歳)
  • 血液型:A型
  • 身長169センチ
  • 出身:東京都渋谷区
  • 職業:歌手、作詞・作曲家
  • ジャンル:ファンク、フュージョン、ロック等

角松敏生の若い頃〜子供からデビューまで〜

角松さんは東京都渋谷区に生まれました。幼少時代からピアノ教室などに通っていましたが、あまり乗る気では無かったそうです。そして10歳の時にギターを始め、8歳年上の兄に教えてもらいながら練習をしていました。ですが途中から兄に教えてもらえなくなり、ギター関連の雑誌や演奏方法の記事を参考にしながら独学で練習していたそうです。

1970年代の角松さんが中学から高校生の時代にジャズを基調にロックやラテン音楽、電子音楽などを融合させた”フュージョン”という音楽のジャンルに出会い、それらに心を寄せました。その影響を受けたバンドを作って音楽活動を始めました。この頃から角松さんはボーカルとギターをしていたそうです。

その後大学に進学した角松さんは、在学中に作成したデモテープがきっかけで1981年にシングル「YOKOHAMA Twilight Time」アルバム「SEA BREEZE」でデビューしました。当時は所属会社の意向で1980年代頃に流行し、都会的なイメージを出した「シティポップ」というジャンルを採り、活動し始めました。

角松敏生の若い頃〜デビューからの道のり〜

1作目からアマチュア時代から尊敬していたミュージシャンをバックに作成し、続く2作目はアメリカ”ロス”にいる一流ミュージシャンをバックに日本の一流スタジオ・ミュージシャンをバックに、華やかに作成しました。こうしてみると一見、豪華絢爛にデビューしていきなりスターへの階段を駆け上っているようになると思えます。

ですが、問題があり、この2作品は角松さんがすべて作詞作曲をしていたものの、初めての経験でスタジオ作業がどういうものか勉強しながら作成していたため、編曲やプロデュース権を与えてもらえず、角松さん自身は思うような音楽を作ることが出来ませんでした。

角松敏生の若い頃〜移籍〜

角松さん自身が思い描いている方向も違い、しかもこの2作品で一流ミュージシャンを起用したり、大きな売り出しを行なったのに、それに見合ったヒットが出来ず終わり、成功を収める事も出来ませんでした。

そして、話題性に乗ったセールス促進で活動の幅を広げたかった所属事務所側と、バンドを組んで地方のライブハウスなどでライブ活動をしたい角松さんの活動方針の違いもあって、所属事務所を移籍することになりました。

角松敏生の若い頃〜プロデュース活動〜

所属事務所を移籍した角松さんですが、才能を評価しているレコード会社も多く、作品制作の支援が入って行きました。その後は初の編曲、プロデュースをした3作目「ON THE CITY SHORE」をリリースし、CMソングにも採用され、アーティストとしての軌道に乗りはじめました。

また、デビュー当初の所属事務所から移籍する前にシンガーソングライターの杏里さんのラジオ番組に出演した際に二人は意気投合したことによって、角松さんは自身の歌手活動をしながら楽曲提供やサウンド・プロデュースもおこない連続ヒットを記録してプロデュース活動、そして音楽シーンでなくてはならない人物の一人となりました。

角松敏生のプロデューサーのこだわり

現在も音楽プロデューサーをしている角松さんですが、タレントのふかわりょうさんが司会をしている番組で、自身のプロデューサーの仕事に言及され「これまでに俺と寝ないとプロデュースしないぞ」と迫った事があるかと聞かれていました。これは本当に存在するのかわからないですがよく噂で聞く話題ですね。角松さんはどう答えたのでしょうか。

角松氏は「費用対効果としてあり得ないね。リスクが高過ぎるというか」と語るとスタジオは再び笑いが起き「プロデュースって凄い大変なんだよ!」と声を荒らげ訴えた。すると、ふかわは「事務所の大人が女性を連れてきて、ちょっとこの人どうかよろしくお願いします、みたいなことってあるんですか?」と枕営業の存在について質問すると、角松氏は「変な意味じゃなくて、なんとかしてくれませんか、っていうのはありますよね」と、純粋にプロデュースを依頼するための売り込みがあることを明かした。「ただ、やっぱりなんとかできないものはできないって言いますけどね」と、プロデューサーとしての判断や対応をしていることを語った。 (引用:livedoornews)

と、素晴らしい回答です。現在も様々なミュージシャンへのプロデュースや音楽提供を行なっています。これから角松さんのスタイルが入った”フュージョン”などのカッコよく大人な音楽が日本で流行って欲しいです。

角松敏生のまとめ

いかがだったでしょうか。現在も角松さんは精力的に音楽活動を行なっていて、テレビやラジオ番組に出演したり、様々なアーティストと対談をしたり、若いミュージシャンのプロデュースを行なったりしています。なのでこれからも音楽シーンを引っ張って行ってもらいたいです。

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