
橋下徹は現在何の仕事をしているの?また政界に戻る?嫁や7人の子供についても調査!
元大阪市長橋下徹さんは、大阪改革に取り組みましたが、現在では政界から引退を決めました。奥さんとは学生時代から同棲して結婚しており、子供もいます。今回は、橋下徹さんの現在の家庭環境・奥さんと子供たちについても迫っていきます。
目次
[表示]橋下徹は現在何の仕事をしているの?嫁や子供は?
元大阪市長の橋下徹さんが引退してから5年経ちますが、現在は何をしているのでしょうか?橋下徹さんの議員時代から現在の仕事について見ていきます。
優秀なタレント議員だった橋下徹!現在の仕事とは?
かねてから念願だった政治家になるため、2008年大阪府知事選に立候補した橋下徹さんは、圧倒的大差で当選を果たして政治家デビューを飾りました。
毎日の会見で次々と独自の発言でマスコミをにぎわせ、2010年大阪維新の会代表、2012年日本維新の会代表になります。
橋下徹さんはいわゆる人気だけのタレント議員ではなく、弁の立つ行政のリーダーとして大阪府知事時代には財政再建に取り組み、議員の給与カットを含めた数々の改革を断行し効果を挙げました。
2011年からは大阪都構想に取り組み始め、2015年からは国政政党であるおおさか維新の会を結党するなど国政進出が期待されましたが、同年12月18日をもって当時務めていた大阪市長職の任期を満了。
それと同時に政界引退を表明し、おおさか維新の会(現在の大阪維新の会)の代表からも退いています。
橋下徹は現在は弁護士の仕事に力をいれている
2015年におおさか維新の会の代表を辞任した後も、同党の法律政策顧問を務めていた橋下徹さん。しかし、その職も2017年に辞しており、現在は弁護士として活動を主に行っています。
全国を飛び回って講演会をしているそうで、「全国の方に自分の話しを聞いてもらいたい」と語っているそうです。
また政界進出前に在籍していた芸能事務所・タイタンへも2015年に大阪市長を勤め上げた後に復帰しています。
2020年7月24日放送の『人生最高レストラン』に出演した際、現在の仕事は何なのか?という質問を受けた際も、橋下徹さんは自身の本職は弁護士だと明言していました。
現在は自身が表立って弁護士として活動する機会は減ったものの、自分の事務所にいる弁護士たちの相談に乗る、指示を出すといった活動をしているとのことです。
現在はコメンテーターとしても活躍
歯に衣着せぬ発言が政治家時代から人気だった橋下徹さんですが、現在はコメンテーターとしても活躍しています。
特にコロナ禍でのはっきりとした物言いが受けてか、2020年5月に週刊女性が行った「好きなコメンテーターランキング」では2位以下に大差をつけて1位に輝きました。
しかし同時に、PCR検査をする必要はないと明言した後で自身が微熱を出したために慌ててPCR検査を受けて大騒ぎをする等、言動がブレていて信用ができないと批判する意見も多く寄せられています。
『NewsBAR橋下』のメインMCも務めている
また橋下徹さんは2017年10月かららABEMA
現在の番組名は『NewsBAR橋下』に変更されていますが、ゲストに安倍総理や東国原英夫さんなどを招いて討論を繰り広げており、ネット配信ながらも人気番組となっています。
橋下徹は政界にはもう戻らない?
2015年に引退した直後から、大阪都構想の実現のために橋下徹さんは再度政界に戻ってくるのではないか?と予想されていました。
しかし橋下徹さんは、政界にいたときに相当なストレスを抱えていたそうで、「政界はもう勘弁です」と語っています。
全身じんましんだらけになったことも。無意識でかいたら血だらけになった。家に帰っても筋肉が硬直して動けない。一国の総理となったらどれだけ負担がかかるか
(引用:中日スポーツ)
事実、引退から5年が経った2020年現在も政治家時代に受けたストレスを上のように語っており、復帰は考えていないことを明かしています。
橋下徹はやはり政治家に復帰する?現在の大阪維新の会との関係
政治家には戻らないと宣言している橋下徹さんですが、2020年11月に行われた大阪都構想の住民投票の結果、維新の会が打ち出した都構想に「NO」が突きつけられたことで、風向きが変わったと囁かれています。
現在の橋下徹さんと大阪維新の会の関係や、大阪都構想とは一体何なのか、なぜ大阪市民達は都構想に否定的なのか等を見ていきましょう。
2020年11月に大阪都構想の住民投票が行われ否決に
2020年11月1日、5年ぶりとなる大阪都構想の住民投票が行われ、反対多数により都構想はまたしても否決されることとなりました。
大阪都構想と言えば橋下徹さんが5年前に政界を引退した原因にもなった法案であり、「住民投票の結果、反対が賛成を上回った場合には辞任する」との宣言どおりに、政界を去っています。
しかしその後もコメンテーターとしてTVに出演する際などに大阪都構想について語ることも多く見られたため、引退後も橋下徹さんにとって大阪都構想は悲願であったことが窺えます。
橋下徹肝いりの大阪都構想とは?デメリットが多い?
大阪都構想と聞くと、こと大阪府民以外からすると「大阪府がなくなって大阪都になるの?」と勘違いしてしまいがちですが、この法案が可決されると大阪市が廃止されて4つの特別区に分かれることとなります。
大阪都構想を推進する大阪維新の会は、現在大阪府と大阪市が同じような権限を持っているため二重に行われているサービスなどを一本化し、無駄を省くことが都構想の目的だとしています。
一方で大阪2区を選挙区とする自民党衆議院議員の左藤章さんは、大阪都構想の持つ危険性やデメリットについて以下のような点を挙げていました。
- 大阪府の管轄下に置かれるため、政令市である大阪市に比べて自治権限が低下する
- 地方交付税などの財源がなくなり、自主財源、総額財源ともに大幅に減る
- 特別区の設置、移行のためのコストがかかる
- 財源が減ったことで公共サービスも低下する
- ある程度の住民サービスを維持するため、公共料金の値上げが予想される
- 市長のような権限が区長にはないため、緊急時の対応が遅れる可能性がある
- 一度特別区になってしまった後は、もう大阪市には戻せない
維新の会の戦略で橋下徹は住民投票時に表に出なかった?
2020年の住民投票の際、大阪維新の会の中心となって大阪都構想の必要性を訴えたのは松井市長と吉村府知事の2人でした。
この2人では求心力が今一つであったために反対票が増えたのでは?なぜ橋下徹さんが前面に出なかったのか?といった声もあがりましたが、橋下徹さんが表立った活動をしなかったのは戦略だったといいます。
2015年の大阪都構想の住民投票時、政治に無関心な層にも名を知られた橋下徹さんがアピールをしたことで、低関心層が法案に興味を持って反対票が増えたと維新の会は分析したとされます。
同じ轍を踏まないために橋下徹さんを表に出さず、なるべく静かに住民投票の日を迎えることで大阪維新の会は賛成票を集めようとしたのです。
そのため2020年11月の投票前には橋下徹さんがメディアで大阪都構想について語ることが極端に減り、都構想についての発言はTwitter内にとどまったのでは?と指摘されています。
現在の維新の会と橋下徹の関係は?
橋下徹さんは2016年、2017年、2018年の3年間、大阪維新の会から毎年216万円の講演料を受け取っていることを公表しています。
この金額は大阪維新の会が支払う講演料としては破格で、他の講演者に支払っている料金は30万円程度だといいます。
政治資金の問題に詳しい神戸学院大学の上脇博之教授が言う。
「日本維新の会は税金である政党交付金を受け取っています。17年にはその本部からも橋下氏に講演料が出ているので、橋下氏側は事実上税金の還流を受けているに等しい」
(引用:デイリー新潮)
上のような指摘も受けていますが、橋下徹さん側は依頼主を問わずに講演料は一律216万円としていると反論。
しかしながら多額の金銭の授受が行われていることから、3度目の大阪都構想の住民投票が行われ、その時に橋下徹さんが政界復帰をするのでは?とも囁かれました。
橋下徹の政界復帰も3回目の大阪都構想の住民投票もない?
11月1日に「Mr.サンデー」に出演した際には、大阪市民は将来への不安が大きいために変化を許容できないのだと投票結果を分析し、3回目の投票はないと断言していました。
3回目の住民投票が行わる可能性についても「もうないと思いますよ」とキッパリ。自身の政界復帰を振られても「それはない」と否定した。
(引用:東スポ)
しかし、橋下徹さんは11月19日に自身のTwitterアカウントで、大阪都構想の住民投票直前に毎日新聞の偏向報道があったために否決されたと訴え、3度めの投票を示唆するツイートをしています。
このことから政界に一切の未練がない、大阪都構想実現も諦めたというわけではないのでは?とも指摘されています。
橋下徹の生い立ち
弁護士として活動していることから親も弁護士だったのでは?政治家だったのでは?と思われがちな橋下徹さんですが、経済的にはあまり恵まれない幼少期を過ごしていました。
ここでは、橋下徹さんの生い立ちについて見ていきましょう。
貧しかった幼少期
橋下徹さんは、渋谷区幡ヶ谷の6号通り商店街近くのアパートで幼少期を過ごしました。物心ついたころには両親は離婚しており、母子家庭の長男として、4歳年下の妹と3人で暮らしていたそうです。
橋下徹さんが小学校2年生の時、暴力団員の父親が自殺。母親が苦労して家計を支え、小学校5年生の時、大阪吹田市に引っ越して1年後に大阪市東淀川区に移りました。
大阪に引っ越した後は、府営住宅から公立学校に通っていたとのことです。関西には家賃に対しても同和減免制度がありましたが、橋下徹さんの母は減免措置を誘われても受けませんでした。
学生時代はラグビーをしていた
中学時代には母親が再婚し、橋下徹さんもラグビーを始めました。ラグビーを始めたきっかけは、一番悪そうな部に入った方が安全だと考えたからだといいます。
高校受験シーズンを迎える時期には橋下徹さんは仲間と放課後勉強会を開き、友人に勉強を教えていたそうです。
その時仲間はどの高校を受けるかと考えていましたが、橋下徹さんは進路について希望の高校ではなく、政治家になりたいという将来まで見据えていたといいます。
大阪府立北野高等学校に進学
高校は淀川区にある大阪府立北野高等学校へと進学。ちなみに同校の卒業生には手塚治虫さんがいます。
高校からは別世界でした。橋下徹さんはラグビー高校日本代表候補にも選出され、『全国高等学校クイズ選手権』にも出場するなど文武両道ぶりを発揮しいていきます。
早稲田大学政治経済学部へと進学・弁護士へ
大学は1年浪人して、早稲田大学政治経済学部に入りました。ラグビー部を見学しましたが、大学ではラグビー部には入っていないそうです。
法学部在籍ではなかった橋下徹さんが法律に興味を持ったきっかけは、大学時代にビジネスに手を出して不渡手形を出してしまい、訴訟を起こしたことだったといいます。
その後、法学館憲法研究所の所長であり弁護士の伊藤真氏の授業を受け、大学を卒業した年に司法試験に合格を果たしました。
新米弁護士時代の橋下徹
当時在籍していた法律事務所の上司の方によると、新米弁護士であった頃の橋下徹さんは、純粋な弁護活動より金儲けに主眼を置いていたといいます。
ある時、弁護士会から紹介された依頼人から多額の着手金を取り、弁護士会の副会長から注意されても、何が悪いんですか?と食って掛かったこともあったのだそうです。
橋下徹が出自をめぐって週刊朝日を提訴
2012年10月26日発売の『週刊朝日』で、父親が大阪府の被差別部落出身だと書かれた橋下徹さん。これを受けて橋下徹さんは自分を陥れるだけではなく、被差別部落出身の人々を蔑む内容だと怒りを顕にしました。
橋下徹さんの出自をめぐっては2011年11月3日発売の『週刊文春』でも被差別部落出身と書かれており、両社を相手取って訴訟を起こしました。
最終的には解決金の支払いを受けて和解していますが、これらの報道を受けて大阪市の職員が橋下徹さんの戸籍を不正に閲覧しようとするなどの問題も起こりました。
橋下徹と嫁との馴れ初め
橋下徹さんはTVに出演をした時には既に結婚をしており、現在も自身の家庭のことを話のネタにすることが多く見られます。
では橋下徹さんと嫁の馴れ初めとは、どのようなものだったのでしょうか?
高校時代から現在の嫁と交際していた!
早稲田大学に進学するため橋下徹さんは上京するわけですが、高校の同級生で当時付き合っていた現在の奥さんは神戸の大学に籍がありながら、一緒に上京して同棲を始めます。
勘当されてもかまわないと駆け落ち同然で、同棲をスタートしたそうです。
橋下徹の嫁は美人?画像はある?
橋下徹さんのお嫁さんは『典子さん』というそうで、上の画像の通り美人と評判の女性です。
この妻・典子さんについては、橋下徹さんが2012年に不貞行為によって会見を行った際に、「ヒステリックなところがある」「ものすごいペナルティが家で待っている」と語っています。
さらに彼女は、大阪市議選の街頭演説にダメ出ししたこともあるのだそう。不貞行為を報じられ本人も認めるほどの騒動があった後も婚姻生活を続けていることからも、相当肝の座った女性であることが窺えます。
橋下徹の子供は7人もいる!
橋下徹さんには、なんと子供が7人もいるのです。橋下徹自身は子育てを奥さんに任せっきりで、奥さんがさぞ大変だったと思われます。
橋下徹さんは、堀ちえみさんや笑点の山田隆夫さんに負けないように頑張ったと言っていました。
2020年に新型コロナの定額給付金が発表された際、橋下徹さんは「うちは90万円貰うことになるよ?まずくない?」と語っていました。
- 第1子・長女 1997年生まれ
- 第2子・長男 1999年生まれ
- 第3子・次女 2001年生まれ
- 第4子・次男 2003年生まれ
- 第5子・三男 2005年生まれ
- 第6子・三女 2006年生まれ
- 第7子・四女 2007年生まれ
第1子から第5子までは2歳差。第5子から第7子までは1歳差です。長女は2020年で23歳になり、末っ子の四女は2020年で13歳になります。
橋下徹のプロフィール
- 生年月日:1969年6月29日
- 出身:東京都渋谷区生まれ
- 育ち:大阪育ち
- 学歴:早稲田大学政治経済学部卒業
- 職歴第52代大阪府知事、第19代大阪市長
- 職業:弁護士、政治家
2007年に政界への進出を発表し、2008年から2011年まで大阪府知事を務めた橋下徹さん。その後は2015年12月18日まで大阪市市長に就任し、公務員制度改革などに取り組みました。
現在は政界からは引退をしていますが、コメンテーターとして情報番組に出演した際などに「政治家の立場として〜」と前置きをすることがあるため、政界に未練があるのでは?との見方もあります。