カンニング竹山の相方・病気で亡くなった中島忠幸への愛情が泣ける…!!

現在キレキャラでおなじみのカンニング竹山さん。若い方はご存知ないかもしれませんが、カンニング竹山さんは依以前コンビとして活躍していたのです。相方は中島忠幸さん。白血病で亡くなってしましました。しかし、この竹山さんの中島さんへの愛情がすごくて泣けるのです!!

病気で亡くなった相方・中島忠幸とカンニング竹山!!

カンニング竹山さんは小学校の同級生だった、中島さんとお笑いコンビ「カンニング」を結成して、1992年にデビューします。しかししばらくは鳴かず飛ばず。事務所も当時は頻繁に移籍していました。そんな時、2003年『めちゃ×2イケてるッ!』の「笑わず嫌い王決定戦」に出演。

これが大きな反響を呼び、ついにカンニングはブレイクを果たしていきます。すぐ怒鳴り散らす“キレキャラ”の竹山さんに、中島さんが穏やかにツッコミを入れるスタイルが人気を集めました。稀に竹山さんが暴走しすぎた時など、竹山さん以上の勢いでキレて黙らせていたのも懐かしいです。

カンニング竹山のプロフィール

  • 生年月日 1971年4月2日
  • 年齢   46歳
  • 出身   福岡県
  • 高校   福岡県立早良高校
  • 本名   竹山隆範(たけやま たかのり)

カンニング竹山さんが注目され始めた当初はキレ芸なんて言われて、しょっちゅうテレビの前でブチぎられていました。それは、それで面白かったのですが、最近ではそんな芸風もどこへいったらやら…??今ではいじられ芸人としての方が印象に残っています。

特にロンハーなんかでの有吉弘行さんとザキヤマさんからのいじられキャラは半端ないですよね。そんなカンニング竹山さんは今現在、サンミュージックに所属されているのですが、元々は福岡で吉本興業に所属されていたのをご存知でしょうか?それが1990年の事なので、

芸歴で言うと27年という事になります。芸歴27年と言われてもパッとしないかもしれませんが、同期には博多華丸・大吉さんがおられます。他には、ナイナイ、宮川大輔さん、松村邦洋さんなんかも芸歴27年芸歴だけで言うともうすぐベテランの域に入りそうな感じでしょうか?

カンニング竹山の相方・中島忠幸さんを襲った病気白血病!!

竹山さんの相方・中島さんに異変が起こったのは、2004年12月の初旬でした。ロケバスで移動中に立ち上がれなくなったため、「これはおかしい」と思い病院へ連れて行ったところ「急性リンパ性白血病」と判明したのです。中島さんはただちに、同月9日から入院生活を開始。

この時から、カンニング竹山さんはピン芸人として活動をスタートすることになります。ちなみに、中島さんの病名が公表されたのは2005年1月で、大晦日のTV番組の『最強のネタ芸人ベスト13』放送時点では、「中島さんは体調不良」としか伝えられていませんでした。

カンニング竹山・相方の中島忠幸とは小学校からの親友!!

先述したこの大晦日のステージ。冒頭で竹山さんはこうも言っています。「中島馬鹿か!!馬鹿かお前は!!せっかくお前こうやって大晦日の紅白の裏とかで大トリやぞ!!それなのに体調不良で倒れたって馬鹿かお前は!」カンニングはこの時点で苦節13年目の苦労人コンビでした。

売れない時代が長く続き、その間に所属事務所を何度かクビになっています。カンニングは借金を重ねた末に、借金取りが家まで押しかけてきたこともあったそうです。それでも小学校時代からの友人同士、辛いときも支え合い、とうとう全国放送の番組でトリを任せられるまでになったのです。

カンニング竹山の相方・病気に負けた中島忠幸の無念!!

そんな、まさにこれからという時期に、長期離脱を強いられてしまった相方の無念を思うと、竹山さんはやりきれない気持ちでいっぱいになり「馬鹿か!」と連発したくなったのでしょう。ピン芸人となった竹山さんは、中島さんの復帰を信じ、より一層仕事に精進していきます。

カンニング竹山の相方・中島忠幸の無念!!②

中島さんも復帰を目指して治療に専念。臍帯血移植を行い1度は再発したものの、再度実施された臍帯血移植により、経過は良好となっていました。リハビリを重ねながら、具体的な復帰に向けての話し合いも進めていたといいます。なお、中島さんの闘病中も、竹山さんは、

どんな時も「2人でカンニング」だとして、ギャラを折半し続けたそうです。竹山さんは、「小学校からの同級生で、芸能界に入ってツライ時もお互いに助け合ってきたから。中島は家族であり、戦友、夫婦みたいなもの。“折半してあげている”と思ったことはなかった」と言っていました。

なんとも、竹山さんの粋な振る舞いですよね。しかしそんな中で、カンニング中島さんは2006年11月、肺炎を併発して危篤状態になってしまいます。その後の必死の看病もむなしく、2006年の12月20日に35歳という若さで、還らぬ人となってしまうのでした。

カンニング竹山の相方中島忠幸への愛!!

竹山さんは中島さんの入院後、可能な限り病室に顔を出して励ましていたといいます。「一生懸命闘って、それでダメだったんで…本人的には納得していると、そう信じたい…」逝去の翌日放送されたラジオ番組で竹山さんは無念さを滲ませながら、自分に言い聞かせるように言っていました。

もちろん、いつまでも感傷に浸っているわけにもいきません。生きている者の責務として前を向く必要があるわけで、竹山さんは次のような決意表明をします。「これからの自分にできるのは、一生懸命働くことだけ」どういう意味かというと、中島さんという一人の芸人が、

この世にいたことを世間の人に忘れさせぬよう、自分はメディアへ出続けるべきだというのです。島田紳助さんからアドバイスを受け、そう決めたといいます。この竹山さんの決心がいかに強いものだったかは、いまだ「カンニング」の屋号を背負い続けている事実が示していますね。

カンニング竹山の中島忠幸の葬式での言葉は?!

どんなに忙しくなっても、絶対に中島さんの見舞いに行き、中島さんを励まし続けた竹山さん。当時、竹山さんは結婚間近の彼女がいましたが、中島さんが闘病中だからと控えたといいます。中島さんが亡くなるまでの2年間、竹山さんは弱音を吐かずに、中島さんの復帰を信じて、

1人で舞台に立ち続けました。そんな強い絆に結ばれていた二人。中島さんの葬儀には、竹山さんが葬儀の前日にラジオで呼びかけて、3000人ものファンが来てくれたといいます。そしてこの時、相方・親友へ送った竹山さんの弔辞が泣けるのです。 あれからもう12年の月日が流れましたが、

色あせることなく、今見ても本当に泣けてきてしまいます。竹山さんは遺影を見つめ、故郷の博多弁で弔辞を送りました。「おい良かったな!みんなお前、みんな見に来てよるよ、お前 なんかさ、マスコミとかも、すごいぞ、なんか昔全然こんなんじゃなかったのに、凄いことになっとる!」

カンニング竹山の中島忠幸の葬式での言葉は?!②

「おまえに、昔お前に辞めようって話したときに、でもなんかこう芸能界の前に爪跡だけ残して辞めようって話しして・・・爪跡どころじゃなくなっとるよ!何か色々なあ、俺とお前の何か感動秘話みたいになっていっぱい流されよるけども、俺はお前がもう何て言いよるかもうわかるわ。」

『気持ち悪いなあ』ってお前、笑いよると思うんよ。俺もそう思っとるよ。俺はお前となあ、二人でコンビ組んで、ずっとね、こうやって漫才とかやれて、お笑い芸人になって、やれたことが本当に幸せやった。ありがとう。もういつそっちに往くか、もうわからんけども、

俺がまたそっちに往ったらまたやろうや。いいかお前な、待っとけ!・・・ありがとう、じゃあな!・・・いつもとおんなじように別れるぞ、じゃあな!」これが竹山さんの最期の言葉でした。ファンに心配かけまいと、涙をこらえ肩を震わせながら声を張り、中島さんを送り出した竹山さん。

カンニング竹山と相方中島忠幸のまとめ

とても切なくて、胸にグッと突き刺さってくるような素晴らしい弔辞ですね。 今読んでいても、熱いものがこみ上げていますね・・・。カンニングの中島さんも、こんなに素敵な相方がいて幸せでしたね。心からご冥福をお祈りいたします。今後の竹山さんも応援しています。