俳優・風見しんごさんの長女・長男が亡くなっていた!?死因等の詳細を紹介します!! エンタメ

俳優・風見しんごさんの長女・長男が亡くなっていた!?死因等の詳細を紹介します!!

様々な映画やドラマに出演し活躍している俳優・風見しんごさん!!そんな風見しんごさんは結婚してお子さんが生まれていることは知られていますが、長女・長男が亡くなられていることが分かったのです。そこで今回は風見しんごさんの長女・長男の死因などの詳細を紹介します!!

死因は何?風見しんご子供、長女・長男が亡くなっていた!?

ドラマ『GTO』や『ウルトラマンコスモス』等の様々な作品に出演している俳優・風見しんごさん!!そんな風見しんごさんの長女・長男が亡くなられているという衝撃的な事実が分かったのです。。。

そこで今回は、風見しんごさんの長女・長男の死因や経緯などに関しての情報にスポットを当てて、いくつかに分けて紹介していこうと思います。その前に、風見しんごさんのプロフィールをのぞいてみましょう!!

長女・長男を亡くしてしまった風見しんごのプロフィール!!

名前:風見しんご 本名:大下義博(おおした よしひろ)生年月日:1962年10月10日(55歳)最終学歴:成蹊大学工学部(中退)出身地:広島県広島市西区己斐 身長:169cm 血液型:A型 職業:俳優・タレント・歌手 事務所:株式会社マスタープラン 妻:荒井晶子(女優)です!!

風見しんごの長女が交通事故で亡くなっていた!?

様々なドラマや映画などで活躍されている俳優・風見しんごさん!!そんな風見しんごさんは1994年に女優・荒井晶子さんと結婚し、それから約2年後の1996年未明には『第一子』である長女・えみるさんが誕生。

そして2003年未明には『第二子』である次女・ふみねさんが誕生し、4人家族で順風満帆な生活を送っていました。とこが・・・2007年1月17日に、当時10歳だった長女・えみるさんが交通事故に遭い亡くなってしまうという悲報が流れ、世間や芸能界は悲しみに包まれました。

風見しんごの長女が事故死。事件の経緯と死因は?その①

次に、交通事故で亡くなられた長女・えみるさんの事件の経緯と死因についてお話しします。風見しんごさんの長女・えみるさんは、事件当日の2007年1月17日午前8時8分ごろに東京都世田谷区中町4丁目の「都立園芸高校」の裏交差点で、右折しようとしたトラックにはねられました。

長女・えみるさんはその後、目の前で目撃していた風見しんごさんによってすぐに救急車で病院に搬送されましたが「頭蓋骨骨折」が死因となり、死亡したそうです。当時の長女・えみるさんは青信号の横断歩道をしっかり渡っていたそうです。

風見しんごの長女が事故死。事件の経緯と死因は?その②

長女・えみるさんの死後、風見しんごさんの関係者は『ダンサー志望だった長女・えみるさんは、風見しんごさんの自慢の娘で目の前で娘の死を目の当たりにしてしまった子煩悩な風見しんごさんはショックで泣き崩れています。』と話していたそうです。

警視庁玉川署は、業務上過失傷害の現行犯で、トラックを運転していた埼玉県所沢市の会社員(当時22歳)を逮捕しました。その後、加害者の男性は2007年6月6日に東京刑地方裁判所で禁固2年(求刑禁固3年)の実刑判決を言い渡しました。

風見しんごの長女が事故死。事件の経緯と死因は?その③

前述の判決理由について裁判官は『歩行者として安全な箇所であるべき横断歩道で発生した事故で、僅かな注意を行えば避けることが出来た。10歳という短い人生を終えてしまった女の子の無念さと、遺族の悲嘆は想像に難くない。』

『女の子がこれから何年の人生があったと思うか。反省しているのは理解できますが、社会人としての責任を取る必要がある。』と話していたそうです。可愛がっていた愛娘の死は、自分も同じ立場であれば生きる気力が無くなると思います・・・。

風見しんごさんが長女・えみるさんの葬儀で・・・

その後、2007年1月20日に長女・えみるさんの葬儀・告別式が都内の公益社用賀会館で営ました。やつれ切っていた風見しんごさんは気丈に弔問客に応対しましたが、別れ際にはえみるさんの遺体を抱きながら号泣していたそうです。。。

その光景を目の当たりにした風見しんごさんの師匠・萩本欽一さんも「俺もつらい・・・。」と言葉を詰まらせていました。『笑顔が満ちるように』。えみるさんの名前の意味をかみしめながら棺の蓋が閉じられ、風見しんごさんが床に崩れ落ちると会場からはおえつが漏れていました。

風見しんごの喪主あいさつ。

葬儀・告別式の喪主あいさつでは、風見しんごさんが『トラックの下から出た時は血だらけでぐったりしていました。それでも病院に着いたときにもう一度心臓を動かしてくれました。本当に強い子でした。』

『アクセルを踏むとき道を渡るとき、ちょっとでもいいからえみるの事を思い出してやってください。』と風見しんごさんは声を振り絞るように話していたそうです。えみるさんの親友である女の子は「同じ中学校にも行きたかった。みんなの笑顔が満ちるように見守っていてください。一生忘れません。ずっとずっと親友で居てね。」と話していました。

その後

葬儀後、歌手『SEAMO』さんの「マタアイマショウ」が流れる中少し小さな棺は親らの手によって運び出され、風見しんごさんは位牌を手に唇をかみしめながら周囲に深々と一礼。最後まで溢れ出る悲しみと闘っていたそうです。

長女・えみるさんを失った風見しんごさんのその後。

2007年1月17日に長女・えみるさんを失ってしました俳優・風見しんごさん。その後2016年に長女・えみるさんが生きていれば20歳になる事から、風見しんごさんは『さくらのとんねる』という本の出版を決意したそうです。

当時、自身の出版記念イベントに出演した風見しんごさんは『えみるのことは毎日毎日、思い出します。でも、えみるが私たち家族を強くしてくれました。』と気丈に語りました。ですが、その後は次女・ふみねさんについては『この春で中学生ですが、心配で近所のコンビニにも一人で外出させられない。』と胸の内を明かしていました。

風見しんごに新しい子供?長男が死産していた!?

2007年1月17日に長女・えみるさんを失ってしまった俳優・風見しんごさん。。。悲しみに暮れる中で、約1年後に妻・荒井晶子さんが妊娠をしていたそうなのです!!ですが妊娠5ヶ月の時に胎児に染色体の異常が見つかり、「ダウン症」を患っていることが判明。

その後の風見しんごさんと妻・荒井晶子さんは出産を決意していたものの、妊娠8ヶ月の時に妻・荒井晶子さんが胎児の動きに異変を感じ病院を訪れたところ『赤ちゃんのお腹に腹水が溜まっている』と診断されたそうです。その二日後には心臓が止まっていることを知らされました。

当時を振り返った風見しんごさんは・・・

この当時の事を振り返った風見しんごさんは、『妻が「どうしても生みたい」というので、自然分娩で陣痛誘発剤を使いました。産声を上げないのは分っていたのですが・・』と遠くを見つめたそうです。

息子を「こころ」と呼んでいた風見しんごさんは『えみるが亡くなってから、前を向くように家族の背中を押してくれたのは長男の「こころ」だと思っています。』と感謝の気持ちの言葉をささげていたそうです。

最後に

最後までご覧頂きありがとうございました!!いかがだったでしょうか?楽しく読まれて頂けたでしょうか!?あくまでも全てが真実ではなく、噂もありますので全てが事実ではりません!その辺りはご了承ください!!

風見しんごさんの今後について、今後に関して、新しい情報が入りましたら是非ともまた記事を追加していこうと思います!!またその時は読まれていただければ幸いです!!本当に最後まで読んで頂き、ありがとうございました!!