名俳優!西郷輝彦の超美人元妻と再婚妻とその美人な娘に迫るっ!!! エンタメ

名俳優!西郷輝彦の超美人元妻と再婚妻とその美人な娘に迫るっ!!!

元祖御三家の一人であった俳優であり、歌手である西郷輝彦さん。御年71歳となりますが、デビューした当時は熱狂的なファンも多く1960年代を代表する大スターでありました。その西郷輝彦さんの長い人生を共にした元妻、再婚相手、その子ども達に迫っていきます!

1960年代を代表するスターだった西郷輝彦さん!娘は?妻は?

当時の西郷輝彦さんは、身長172cmと当時としては高身長の方で甘いマスクと素敵な歌声で女性ファンが失神してしまうほどイケメンだったそうです。西郷輝彦さんがデビューした1964年は丁度、東京オリンピックが開催された年でもあり、戦後の日本が高度経済成長として栄え始めた時期でもありました。

当時の西郷輝彦さんは超絶イケメンだった!!!

元祖御三家(他二人は橋幸夫さん、舟木一夫さん)の一人である西郷輝彦さんですが、当時は相当な人気ぶりだったようです。歌手業だけにとどまらず、多くの映画の主演も務めていたようです。人気のバロメーターである「ブロマイド写真」の売上枚数も以上な売上だったようで、西郷輝彦人形まで登場していたほどでした。

西郷輝彦さんの結婚相手は誰???

現在ではオープンに公表していますが、西郷輝彦さんは実は再婚履歴があり、腹違いのお子様もいらっしゃるようです。しかしどちらの子ども達にも平等に愛を注いでいる責任感の強い優しいお父様でもあります。そんな西郷輝彦さんの結婚履歴を見ていきましょう。

西郷輝彦さんの一人目の妻とは???

西郷輝彦さんは1972年、女優の辺見マリさんと軽井沢で電撃結婚されました。西郷輝彦さん、辺見マリさんお二人共、当時は超人気絶頂期での結婚だったので、世間では衝撃が走りました。おまけに、人気絶頂だった辺見マリさんが結婚を期に芸能界を引退したのですからファンの方達は絶叫したに違いありません。

西郷輝彦さんの息子、イケメン実業家として大活躍!!!

西郷輝彦さんの長男である辺見鑑考さんは18歳からタレントのマネージメントをするツワモノ!その傍らではミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家など、芸能関係でご活躍されています。現在では辺見プロモーションの社長業もして実業家として大活躍です!

西郷輝彦さんの美人な娘とは???

西郷輝彦さんの長女である辺見えみりは、知らない人はいない程、超売れっ子タレントですね。ファッションモデルとしても人気があります。おしゃれな自宅やファッションなどプライベートを発信しているおしゃれなインスタグラムは女性達からとても人気があります!

娘の辺見えみりさん、父親が他の人だと勘違いしていた???

西郷輝彦さんの愛娘さんは女優でモデル、毒舌タレントとしてバラエティーでも人気のある「辺見えみり」さんなのです!辺見えみりさんが幼少の頃に離婚した事からお父さんが誰なのかを、母である辺見マリさんにお父さんの事を聞き「名前の最初が”西”のつく人」と聞き、ずっと西城秀樹さんが自分の父親だと思っていたそうです。

西郷輝彦さん、一度目は離婚!!!

当時の西郷輝彦さんはお仕事が超多忙だったそうです。自宅に帰宅するのが週1ペースだったようです。家庭に関する全ての事が辺見マリさんが抱える事になっていたのでしょう。留守がちだった事が離婚の発端で1981年に「性格の不一致」で離婚に至りました。

西郷輝彦さんの二人目の再婚妻とは???

1990年に一般の女性と再婚された西郷輝彦さん。お相手は西郷輝彦さんの事務所で働いていた女性です。年齢差19歳!そんな年齢の差も関係ないと恋に落ちてしまいました。現在の奥様は一般の方なので、全く表には出ないのですが、お二人の間にできた娘さんのインスタに「ママとルナちゃん」と愛猫で顔を隠した奥様の姿が投稿されていました。

再婚妻との間にできた娘も大活躍!!!

1990年に再婚された奥様との間に1996年、西郷輝彦さんにとっては次女にあたるお子様がいらっしゃいます。そのお子様とは「今川宇宙」さん!こちらもびっくりです。超美肌で美人です!現在は女優、イラストレーターなどをこなすアイドルとしてご活躍されています!

西郷輝彦さんのプロフィール

  • 本名 今川盛揮(いまがわ せいき)
  • 生年月日 1947年2月5日
  • 出身地 鹿児島県鹿児島市
  • 身長 176cm
  • 血液型 A型
  • 職業 俳優、歌手、作家(ペンネーム我修院建吾)

身体を動かすのが好きだったそうで、鹿児島県から東京へ上京するまでは、野球やテニスなどさまざまなスポーツをしていたそうです。芸術面でも幼少期から剣舞や絵画を習っていたり、お兄さんの影響でジャズを聴き、将来は音楽方面に進みたいと思っていたそうです。

西郷輝彦さんのデビューまでの長い道のり

芸能への夢を抱き、鹿児島商業高校を中退後、鹿児島からヒッチハイクで大阪まで行ったそうです。凄い!凄すぎます。それだけ意思の強さと実行力があったのですね。そしてアルバイトをしながら数々の有名ジャズ喫茶のオーディションを受けますが、ことごとく落選。

ついにチャンスを掴む!!!

ジャズ喫茶のオーディションにことごとく落選しましたが、その事は無意味ではなかったのです。オーディションの審査員の一人の目に留まり、口利きでバンドボーイになる事ができたようです。西郷輝彦さんの運がどんどん上がってきました。

西郷輝彦さん、ついにデビュー!!!

バンドボーイとして京都や名古屋でバンド活動していたところを「龍美プロ」という芸能事務所に誘われ、入社する事になったそうです。1962年にヒッチハイクで鹿児島から大阪へ移動し、わずか2年後の1964年にはクラウンレコードから「君だけを」という曲でデビューを果たしました!

西郷輝彦さんのデビューはイケメンすぎて衝撃だった!!!

  • 1964年 レコード「君だけを」でデビュー(60万枚のセールス)
  • 1964年 レコード「十七才のこの胸に」大ヒット
  • 1964年 第6回日本レコード大賞新人賞受賞

当時の西郷輝彦さんのキャッチフレーズは「太陽の王子」だったそうです。当時にしては高身長で彫の深い顔付き、イケメン王子そのものだったでしょう。1965年に鹿児島で行われた帰郷ショーで観客が入口に殺到しすぎて、観客13名が負傷、警官1名が死亡という事故まで起こってしまったようです。

デビューしてからの西郷輝彦さんの活躍

1964年の歌手デビューで成功している西郷輝彦さんですが、歌手以外にも日本レコード大賞新人賞を受賞した曲と同名の映画「十七才のこの胸に」にてスクリーンデビューも果たしています。華やかな裏では所属していた事務所が解散し、当時のマネージャー、クラウンレコード、太平洋テレビ等と共同出資会社の社長も兼業していたようです。

西郷輝彦さんの俳優以外での作品

西郷輝彦さんは歌手、俳優以外にも大活躍されています。さまざまなペンネームを使いわけ、当時人気があった「明星」という雑誌の連載小説などの執筆活動をされていたり、ご自身の曲である「傷だらけの天使」の作詞作曲を担当したりと、マルチに才能を開花されていました。

再婚後の西郷輝彦さんの現在 まとめ

2000年には御三家ツアーとし全国100か所制覇し、2009年には芸能生活45周年を迎え、朝昼と一日2回の記念コンサートを開催され、とてもパワフルな西郷輝彦さん。現在では病魔を抱えながらも前向きに、そして精力的にご活躍をされています!今後のご活躍にも期待大です!!