十朱幸代と熱愛報道された西城秀樹!破局した原因は何だったのか!?

かつてフライデー誌で西城秀樹さんとの熱愛が報道された十朱幸代さん。西城秀樹さんの方がかなり熱をあげていたようで、世間では結婚すると思われていましたが、いつの間にか破局していました。現在でも美しい十朱幸代さんとその恋の遍歴を見てみたいと思います。

西城秀樹さんの元カノだった、若い頃の十朱幸代さん!

十朱 幸代さんは、1942年11月23日生まれの75歳で女優として活躍しています。出身は東京都中央区日本橋で若い頃は奈良県で過ごしました!父は俳優の十朱久雄さんで、1980年に出演した映画「震える舌」と1985年に出演した映画「花いちもんめ」でブルーリボン主演女優賞を受賞しています。本名は小倉幸子(おぐら ゆきこ)。

幼少のころから子役として活躍し、本格的な女優デビューは、ドラマの1958年のドラマ『バス通り裏』。銀幕の映画デビューは1959年の映画『情熱鳥』。1980年に出演した映画「震える舌」と1985年に出演した映画「花いちもんめ」でブルーリボン主演女優賞を受賞していて、2014年の秋には、旭日小綬章受章を受賞されました。

若い頃フライデーで西城秀樹さんとの熱意報道された十朱幸代さん

若い頃の十朱幸代さんと西城秀樹さんの熱愛が報道され始めたのは、89年9月に写真週刊誌「フライデー」がスッパ抜いたことで大ニュースとなりました。今では珍しくありませんが、当時は年齢がひと回り以上違うと、それだけでも大騒ぎだったようです。そんな時代の懐かしい出来事です。

89年1月の昭和天皇崩御の朝、天皇陛下崩御のニュースを差し置いてスポーツ紙の1面を飾ったのは、小柳ルミ子と大澄賢也の13歳の年齢差〝電撃入籍〟。これは余りのタイミングの悪さで話題となったが、その「ルミ子・賢也」の電撃結婚の話題も冷めやらぬ頃に発覚したのが十朱(当時46歳)と西城さん(当時34歳)の熱愛でした。

 

若い頃の十朱幸代さんと西城秀樹さんの馴れ初めは?

十朱幸代さんと西城秀樹さんの交際のキッカケは、NHK総合テレビのドラマ「夜の長い叫び」(89年)での共演だったそうです。NHKのドラマ初出演で緊張していた西城さんを大先輩の十朱が何かと面倒を見たのだそうです。

十朱幸代さんと西城秀樹さんのこのドラマでの役柄、はCM会社の部長のキャリアウーマンを十朱が演じ、その部長に憧れを抱く部下が西城さんの役どころだったそうです。つまり、ドラマの役柄が、そのまま現実になってしまった格好だったようですね。

若い頃、結婚が噂されていた十朱幸代さんと西城秀樹さんの熱愛

当初は「13歳もの年の差が大きなハンディ」と言われた十朱幸代さんと西城秀樹さんの交際ですが、親密の度合いは深まるばかりで、90年3月には米ロサンゼルスに10日間の極秘旅行したことまで発覚、芸能関係者には「これで結婚は決定的」とまで言われていました。

最初の頃は西城さんより「十朱の方が熱心だった」そうだが、次第に西城さんの方が燃え上がったといいます。神戸のオリエンタル劇場で行われた西城さんの舞台「坂本竜馬」を観に十朱は何度も足を運んだそうです。しかも、2人が神戸の新オリエンタルホテルで朝、珈琲を飲んでいるところまで目撃されていました。

うまっくいっていた?破局の噂がない十朱幸代さんと西城秀樹さん

十朱幸代さんと西城秀樹さんの交際の熱愛報道では、十朱幸代さんは「悩みがあっても彼には素直に打ち明けられる」と言い、西城秀樹さんも「真面目に付き合っています」と、大人の関係を認めていた。さらに、十朱さんは「フィーリングが合うんですよ。話していても楽しい」とノロケていたみたいです。

いずれにしても、13歳も年下の西城さんを燃え上がらせた十朱は〝魔性の女〟と呼ばれるように。西城さん自身も周囲に「結婚したい」と漏らしていたといい「結婚、秒読み」なんていう情報まで駆け巡っていた。ちなみに、西城秀樹さんはかなり魅力的な外見にもかかわらず、熱愛報道されたのは十朱幸代さんだけで、とてもまじめな性格のようです。

若い頃の十朱幸代さんと西城秀樹さんが破局したのはなぜ?

とても仲の良い熱愛報道がされていた十朱幸代さんと西城秀樹さんの交際。破局の理由は、お互いの家族の反対があったようです。西城秀樹さんの母親にとっては、十朱幸代さんが12歳年上ということがネックになっていたようです。十朱幸代さんが子供を産む事が出来ない年齢であることで反対していたようです。

もう一つの理由は、家柄を重んじる十朱幸代さんの親族が反対されたといいます。実は、十朱幸代さんの家系は、御目見得以下の幕臣だったそうです。幕臣とは江戸時代において徳川家の臣下のうち、1万石未満の禄を与えられた旗本および御家人と呼ばれる身分の者のことを指すそうです。

現在は死去された、十朱幸代さんと交際していた西城秀樹さん

西城秀樹さんの本名は木本龍雄(きもとたつお)で、韓国名は、李龍雄です。父親が韓国人で、実家はパチンコ店を経営していたそうです。いつの間にか十朱幸代さんと破局していた2001年には18歳年下の一般女性と結婚し、2002年6月3日に長女、2003年9月1日に長男、2004年には次男が誕生しています。

2003年に6月21日に公演先の韓国で脳梗塞を発症、軽度の言語障害の後遺症が残り闘病の末復帰。2011年には脳梗塞が再発して入院。右半身麻痺と微細な言語障害の後遺症が残りながらもリハビリに励んでいましたが、闘病もむなしく、2018年5月16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院でお亡くなりになられました。

十朱幸代さん以外には熱愛報道の少ない西城秀樹さん

真面目なせいかうだったような西城秀樹さんは、意外にも熱愛報道の少ない方でした。十朱幸代さんといつの間にか破局していた西城秀樹さん。1995年か96年くらいのころに、女子大生モデルの長谷川理恵さんとの熱愛報道が流れました。西城の人気はまだ衰えず独身だったことから、2人の結婚が注目された。

西城秀樹さんご本人は、「長谷川とかいうモデルと(の熱愛を)書かれたけど、全く関係ない」と憤慨していたそうです。その後、西城秀樹さんは一般人女性とお付き合いし、ご結婚されています。木本美紀さん(旧姓:槙原美紀さん)で、19歳年下の元会社員の方だったそうです。

恋多き女?現在も美しい十朱幸代さんの熱愛と破局の噂

こんくら元日生放送スペシャルでは、「17歳から32歳までこの業界で付き合ってた人がいた」と暴露した相手は、歌手で俳優の小坂一也さん。まず1971年に、十朱幸代さんは長い間交際していた小坂一也さんと結婚したという噂が流れたそうですが、実際には籍を入れてはいないようなので事実婚ということだそうです。

1986年には、俳優の竹脇無我さんと、熱愛報道があります。そして、あの伝説の俳優、高倉健さんからもプロポーズをされていました。十朱幸代さんにエルメスのバッグをプレゼント、あるいはそば店でひそかに食事をするシーンが目撃されたこともあったそうです。最近では、38歳年下の要潤さんとの熱愛が噂となっていました。

現在も美しい、恋多き女十朱幸代さん

十朱幸代さんは現在も女優として活動されています。テレビ出演は確かに減っていますが。ドラマや映画よりも、舞台中心の女優活動にシフトしているようです。十朱幸代さんは毎年のように複数の舞台をこなしており、2012年頃から一人芝居の公演もしています。

結婚や事実婚の噂は若い頃からあったようですが、十朱幸代さんは現在、独身のようです。子供はひとりもいないようです。多くの女優さんが顔の劣化がささやかれている中で、いつまでもお美しい十朱幸代さん。女優歴が50年を超えてなお現役で活躍されている素晴らしい女優さんです。