坂本九の死因は飛行機事故!悲惨な日航機墜落事故で遺体は見つかったのか? エンタメ

坂本九の死因は飛行機事故!悲惨な日航機墜落事故で遺体は見つかったのか?

現在でも伝説の歌手と言われている坂本九さん。最近の若い方は歌は知っていても、その坂本九さんについての詳細を知らない方が多いのではないでしょうか?昭和を代表する歌手である坂本さんは悲運な運命を辿っていました。悲しい過去となってしまった坂本さんの死についてご紹介!

坂本九の死因は飛行機事故だった!

数々のヒット曲を排出した伝説のシンガー坂本九さん。43歳という若さで惜しくもこの世を去りました。坂本さんの死因は1985年に起きた悲運な飛行機事故でした。飛行機事故があったと聞くと普通でも驚きますが、日本国民誰もが知る人気歌手の悲報には多くの人が涙したそうです。今回は坂本さんの悲しい死と飛行機事故についてご説明します。

飛行機事故で亡くなった坂本九ってどんな人?

  • 1941年12月10日生まれ(1985年8月12日死没)
  • 神奈川県川崎市出身
  • 活動期間1958年~1985年

坂本さんが生まれた日は第二次世界大戦のマレー沖海戦が起こった日です。戦争中は母親の実家である茨城県に疎開していました。高校生の頃にはエルヴィス・プレスリーに憧れていたという坂本さん。周りをアッと言わせるほど、プレスリーのモノマネが上手だったそうです。

坂本九はバンド活動から始まった!

1958年には井上ひろしと共にザ・ドリフターズに加入して、ボーカル兼ギターを努めます。しかし、芸能界の厳しさを痛感した坂本さんは、一旦学業に専念するとの理由で芸能活動を休止します。その後周りの説得もあって、復帰しますが、当時の坂本さんはワイルドなロックン・ロールスタイルだったとの事。今では想像もつきませんよね!

坂本九のヒット曲

  • 上を向いて歩こう
  • 見上げてごらん夜の星を
  • 明日があるさ
  • 心の瞳
  • 涙くんさよなら
  • 若者たち
  • 幸せなら手をたたこう

坂本さんは上を向いて歩こうの他にも数々のヒット曲を生み出しています。これらはほんの1部ですが、なんとなく歌えるという方が多いのではないでしょうか?曲名を見てピンとこなくても、どこかで聞いたことのある曲が絶対にあります。それだけ日本人の時代と共に親しまれている歌手なんです。

1960年から一気にブレイク!世界的歌手に

1960年に現在の東芝レコードに移籍した坂本さんは、一気にブレイク!移籍後初のシングル「悲しき六十才」では10万枚を売り上げました。日本人なら誰もが知っているであろう「上を向いて歩こう」はこの翌年の1961年に発売され、2年後には「SUKIYAKI」というタイトルでbillboardランキング1位を獲得しています。

みなさんお気づきでしょうか?日本人アーティストで現在までbillboard1位を獲得しているのは、過去にも今にも坂本さんただ1人なんです。さらに現在のようにインターネットが普及していない時代に、世界中に曲が知れ渡るという事がどれだけすごい事か…これが坂本さんが伝説の歌手と言われる大きな理由でもあります。

坂本九の死因【日航機墜落事故】の詳細

悲惨な事故が起きたのは、1985年8月12日のことでした。東京羽田発大阪行きのボーイング47SR-46が迷走飛行に陥ったのち、群馬県多野郡上野村の高天原山へ墜落したのです。乗員乗客合わせて524人中、520名が死亡した悲惨な事故となってしまいました。

日航機墜落事故の原因とは?

墜落した原因はボーイング社の不適切な修理が原因だとされています。後部圧力隔壁の破損によって、垂直尾翼と補助動力装置が破損。その結果、油圧操縦システムも全て喪失、操舵が不可能になってしまったそうです。乗客の中には死を覚悟し、遺書を書き残していた人も多くいたようです。墜落までの状況は想像を絶する恐怖だったことでしょう。

坂本九の死因、飛行機事故にあってしまった経緯

坂本さんはこの飛行機に選挙の応援に駆けつけるために乗っていたそうです。実はもともと別の飛行機に乗る予定だったのですが、その飛行機が満席だったため急遽予定を変更して、事故のあった飛行機に乗り合わせたとの事。関係者は「もし、飛行機が満席でなければ…」考えても仕方がないことですが、そう思わずにはいられなかったでしょう。

日航機墜落事故で遺体は発見された?

坂本さんの家族は別の飛行機に乗っていると思っていたので、坂本さんが乗っている事が判明して名前が報道されるまで、事故のことを知らなかったようです。その後の調査で坂本さんの遺体も無事発見されましたが、やはり悲惨な状態だったそうです。なんでも胴体しか残っていない状態だったんだとか…家族の悲しみは計り知れないですね。

悲惨な飛行機事故で坂本九の遺体確認がなぜできたのか?

胴体しか残っていないような悲惨な状況で、なぜ坂本九さんの遺体だとはっきり判別できたのでしょうか?それには坂本さんが身に着けていたペンダントに理由がありました。坂本さんは戦争中の疎開先にある笠間稲荷神社を終生信仰していたと言われています。実際に坂本さんが結婚式を挙げたのもこの神社なんです。

笠間稲荷神社の神様が戦争中に自分を救ってくれたと信じており、神社のペンダントを大変大事に持っていたとの事なんですが、事故当時このペンダントを付けていたこともあって、坂本さんの遺体であると身元を特定する決め手になったとの事です。命を救ってくれるだけでなく、家族の元に導いてくれたのかもしれません。

日航機墜落事故から遺体発見まで生存を望む声

坂本さんが事故にあった翌日の8月13日には、本人が出演する事前録画のバラエティ番組「なるほどザワールド」の200回記念が放送される予定でした。放送日当日、まだ坂本さんの安否は確認できていない状況だったので、放送はそのまま行われ最後に「無事をお祈り致します」というコメントが流されたとの事です。

遺体確認を家族が行ったのは事故から99時間後の8月16日。坂本さんは安全姿勢を取ったままの状態で発見されたとのことで、即死とみられています。当時収録済で放送が決まっていた番組は、追悼のテロップと共に予定通り放送され、出演者、スタッフを含め、日本中が涙しました。

坂本九の家族の想い

事故から30年以上経った今でも、坂本さんの奥さんである柏木由紀子さんは再婚をしていないとの事。柏木さんが出演したトーク番組では2人の新婚旅行の映像なども公開されました。それを見たあと、柏木さんは30年生きてこれたのも坂本さんが見守ってくれたおかげである。感謝しかないと語っていました。

坂本さんと柏木さんの間には2人の娘さんがいます。なんとお2人とも芸能活動をされているようです。長女は大島花子さん、現在歌手として活動されています。次女の舞坂ゆき子さんは宝塚歌劇団出身で女優、歌手をされているそうです。

さらに2人は結婚もしていて幸せな生活を送っているとの事。坂本さんの告別式でテレビに何度も出てきた子供たち。まだ小さな子供だった2人が素敵な女性になっているのはファンにとっても嬉しいことですね。坂本家が幸せに暮らしていけるよう、きっと坂本さんも天国で見守っていることでしょう。

坂本九の歌は後世まで歌い継がれる

現在でも坂本さんの歌は数々の大物アーティストにカバーされたり、CMで使われたり廃れることなく親しまれています。不運な死を遂げてしまった坂本さんですが、生前の姿や歌声は多くの人の心の中で生き続けていることは間違いまりません。平成ももうすぐ終わりますが、昭和、平成、次の時代まで歌い継がれることは間違いないでしょう!