坂本九さんの死は飛行機による事故死!遺体は?遺書は?画像は見れるの? エンタメ

坂本九さんの死は飛行機による事故死!遺体は?遺書は?画像は見れるの?

2015年8月15日に日本空港123便墜落事故で、坂本九さんの没後30周年の追悼番組がBSにて放送されました。また坂本九の奥さんが徹子の部屋に出演したとしてニュースになりました。坂本九は飛行機事故で遺体も大変な状況になったということです。

悲惨な死に方をした芸能人!遺体は?坂本九さんの飛行機事故

世界的に有名な歌手である坂本九さん。坂本九さんが亡くなられたのは1985年の8月11日に起こった日本空港123便墜落事故でした。坂本九さんはまだ若く43歳でした。日本空港123便墜落事故が起こったのは11日でしたが、坂本九さんの遺体が発見されたのは14日になってからでした。

坂本九さんが亡くなられた事故は日本航空123便墜落事故

坂本九さんが亡くなられたのは、日本空港123便墜落事故の時。事故が発生した日は夏休みの時期であり、「お盆の入り(1985年8月12日)」の前日であったため、当日の日本航空や全日本空輸、東亜国内航空の各便には出張帰りのビジネスマンのほか、帰省客や観光客が多く搭乗していたそうです。

最終便が満席で乗れない客が発生することを防ぐ理由もあり、最終便1本前である当便は、ほぼ満席の状態だ。このため、仕事を終えて帰宅しようとした全日空の社員も自社便が利用できず、数名が当便に搭乗していたと記録されています。この飛行機事故では4名の生存者があったことで有名です。

坂本九さんが死亡した日本空港123便墜落事故の経緯と画像

日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46が、 ボーイング社の不適切な修理が原因とされる後部圧力隔壁の破損によって、垂直尾翼と補助動力装置が破損し油圧操縦システムも全喪失しました。

その結果迷走飛行へ陥った末に群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落し、乗員乗客合わせて524名中、520名が死亡した、単独機で史上最悪の航空事故で、史上最悪の墜落事故のことです。客室後部の座席に座っていた女性4名は奇跡的に生還できましたが、その他の者は即死もしくはそれに近い状況で、坂本九さんも亡くなられたひとりです。

偶然この飛行機に乗っていた坂本九さん

坂本九さんはこの日、大阪府にある友人(坂本の元マネージャー)の選挙応援として翌13日に行われる事務所開きに駆けつける途中、日本航空123便墜落事故に遭遇し死去されたのでした。43歳だったそうです。坂本九さんは本来、国内移動には日本航空 (JAL) ではなく必ず全日空 (ANA) を使っていたのだそうです、

しかし、当日は全日空便が満席で、飛行機やホテルなどを手配した招待側の側近はチケットを確保できず、仕方なく確保したのが日本航空123便であったのでした。事故の数日前、「全日空が満席で日航しか取れませんでした」という立候補者の側近からの謝りの電話が入っていたそうで、当日は日本航空の飛行機に偶然乗ることになったようです。

飛行機事故にあった坂本九さんの遺書は?遺体は?画像は?

飛行機事故の後坂本九さんの奥様が遺体の確認をしたという事ですが、その時の遺体の坂本九の遺体の状況というの悲惨だったという事だそうです。実際のところ日本航空123便墜落事故での坂本九さんの遺体の状況はどうだったかとうと、もう事故が凄まじく損壊レベルではなく坂本九さんの確認は歯が一致したことで確認されました。

坂本さんは、ボストンバッグを機内に持ち込んでおり、墜落現場で発見・回収され、その中に録音機能付きのウォークマンが入っていたため、家族は遺言が残っていないかと期待したそうですが、「We are the world」が入っていただけで、遺言らしきものは何も録音されていなかったそうです。遺体の画像はもちろん残されていません。

坂本九さんの乗っていた日本空港123便、他の乗客の方の遺書

日本空港123便墜落事故には、搭乗していた乗員・乗客は524名。その中には遺書やメモを残しておられた方もおられました。 日本空港123便の落ちた後には、死を覚悟して家族宛に書かれた遺書や、不時着に備えて機内アナウンス原稿を書いたメモが残されていました。

乗客の方々は死を覚悟し、残していく家族あてへの遺書を書いておられます。また、東京都目黒区。アシスタントパーサーの一人は、不時着を想定して書いた緊急アナウンス用のメモを、ころどころ英文をまじえて残しておられます。これらは現在、羽田空港内の日本航空安全啓発センターで展示されています。

遺体の確認も容易ではなかった坂本九さんの事故

事故翌日の8月13日には、事前収録の坂本さん本人が出演する、フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』200回記念が放送されました。この時点では安否不明の状態であったため敢えて放送され、番組の最後ではブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントが寄せられました。

墜落から99時間後の16日になって、坂本九さんの遺体が家族らによって確認されました。遺体が発見されたのは14日頃だそうです。遺体は損傷が激しかったのですが、普段から身に着けていた笠間稲荷のペンダントが胸に突き刺さっていた事と首の太さが確認の決め手となったそうです。坂本九さんの死は即死状態であったといいます。

遺書も残せなかった坂本九さんの突然の死と遺体

坂本九さんの遺体は、墜落現場では両手で足首を掴み頭を膝の中に入れる「安全姿勢」をとった状態で発見されており、即死状態を示していたようです。奥様が遺体の確認をされましたが、確かに坂本九さんの遺体であると確定するためには、歯の一致をしなければいけなかったとのこと。悲しいことですが、それほど悲惨な遺体であったようです。

1985年8月17日放送のTBS『キッチンパトロール』では、遺体が確認された翌日であったため、番組冒頭に坂本の死去を伝え哀悼の意を示すテロップ、収録日を示すテロップが番組の前半と後半に表示されつつ、元気な姿が放送されました。

また、同じく遺体が確認されてから最初の放送となった8月21日放送のフジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE」では、森進一が当初予定していたオリジナル曲「うさぎ」の歌唱を急遽取り止めて坂本へ哀悼の意をこめて坂本の持ち歌である「見上げてごらん夜の星を」を涙ながらに熱唱し、涙を誘いました。

今も残る、坂本九さんが亡くなった飛行機事故の悲惨な画像

上は飛行機が落ちた場所が通行止めになっている画像。色々諸説あるみたいですが、墜落から一晩放置されてたとか直後は生存者がかなりいたとか。ここら辺の東電の私設トンネルも立ち入り禁止。日本航空123便が墜落したのが11日でしたが、坂本九さんのいた愛が発見されたのは14日。当分は通行止めになっていたと思います。

上の画像はおそらく日本航空123便が墜落した現場だと思います。慰霊碑などが残っています。坂本九さんをはじめ、日本航空123便墜落事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。度の方も突然の事故死で、無念な思いで亡くなられたと思われます。

世界的な歌手だった、飛行機事故で亡くなった坂本九さん

坂本九さんは高校在学中からバンドボーイを経て、ソロ歌手に転向して、世界的な歌手になりました。『上を向いて歩こう』や『見上げてごらん夜の星を』、『明日があるさ』など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達しました。

「上を向いて歩こう」は1964年に米国内でのレコード累計販売枚数が100万枚を超えたため坂本は日本人初の「ゴールドディスク」を受賞されました。時々ですが、今でも坂本九さんの歌っている「上を向いて歩こう」はアメリカのレストランなどでかかっています。若くして亡くなるにはあまりにも惜しい才能のある歌手であったと思います。