八千草薫昭和の名女優の死去?略奪婚と言われる理由や年齢、本当の性格まで

昭和の名女優八千草薫さん。宝塚歌劇団の出身で、可憐な容姿とおっとりとした立ち居振る舞いでお茶の間を癒し、人気を博してきました。良き妻良き母の良妻賢母の役などを演じ、ドラマや映画などにも多く出演しています。そんな名女優八千草薫さんについてまとめてみました。

八千草薫さんの性格は?どんな人なのか?

おっとりとした佇まいが良妻賢母のイメージにぴったりな八千草薫さん。宝塚歌劇団に入団し数々の舞台で活躍されたのち、テレビドラマや映画などにも多く出演されています。そんな八千草薫さんは、大阪府大阪市天王寺のご出身なのだとか。1936年(昭和11年)の1月6日の冬生まれです。

そして身長は154cmとなっていますから当時の日本女性の中では平均的な身長だったのではないでしょうか。また血液型はO型となっており、外見同様おおらかで穏やかな性格なことが伺えます。本名は旧姓で松田瞳といい、幼いころはヒトミちゃんなどといった愛称で呼ばれていたと言います。

八千草薫さんが死去のニュース?

ネットで八千草薫さんと検索すると死去のニュースや噂話などが出てきます。現在は85歳も過ぎている高齢ですから何かがあって亡くなられてしまってもおかしくはない年齢と言えば年齢なので、実際に亡くなられてしまっているのかが、気になるところです。

八千草薫さん死去の噂が流れる理由はドラマ?

八千草薫さんが死去したと噂話が流れるには大きな理由があります。実は八千草薫さんが出演した「やすらぎの郷」というBS朝日テレビのドラマで演じた九条節子という女性の役が、脳にがんが出来てしまっており余命一か月といわれている役どころなのです。

こういった八千草薫さんが演じている役どころの影響で、検索するとキーワード欄に「八千草薫さん死去」や「八千草薫死去いつ」などといった検索ワードが出てしまうというわけです。ドラマの話の続きが気になった多く人が、ネットで検索する際にそのようなワードで検索していると言えます。

八千草薫さん体が弱かった幼少期の性格

長年舞台や芸能界で活躍されている八千草薫さんですから、さぞかしお体もバイタリティーのある強さをお持ちなのかと思いきや、幼少期はとても体が弱く、週に1~2回は学校を休まれるほどに虚弱体質だったと言います。静養のため3か月休学していたこともあったのだそう。

そんな体が弱く苦労をされてきた八千草薫さん。小学生の頃おばあさんが購入されていた宝塚歌劇団の専門誌に載る春日野八千代さんの記事を見てこんなにも美しい人がいるものかと大変感銘を受けたと話されています。戦争が終わったばかりの暗い時代、キラキラと華やかなものに憧れ抱いていた少女だったのです。

八千草薫さんが宝塚歌劇団を目指した理由

小学生の時に見た宝塚歌劇団の春日野八千代さんに大変感銘を受けた八千草薫さん。宝塚へのあこがれをずっと胸に秘め、高校時代に見た新聞広告で、宝塚歌劇団音楽学校の生徒募集の記事を見つけたと言います。すぐに受験を申込み、晴れて一発で合格し音楽学校の生徒になったのです。

八千草薫さんが活躍した宝塚歌劇団時代

宝塚歌劇団時代は、おっとりとした美貌から清純派の娘役で活躍されていたといました。源氏物語の初演で紫の上の少女時代の役どころ、若紫を演じ、その可憐な姿で大ブレイクを果たしたと言われています。ブレイクを果たした後も多くの娘役を演じ、宝塚の一時代を築いたと言われるほどの活躍ぶりでした。

八千草薫さんは超がつくほどの美人だった

宝塚歌劇団時代に大ブレイクを果たし活躍された八千草薫さんは、超がつくほどの美人だったと今もなお言い伝えられています。宝塚歌劇団時代から多く残る八千草薫さんのスナップ写真はどれをみても大変美しく、実際に若い頃からご本人を目の前に見てきている方々などは、さらにその美しさを感じたとことでしょう。

八千草薫さんの旦那は谷口千吉監督

八千草薫さんの旦那さんといえば、映画界では名の知れた谷口千吉監督。谷口千吉監督は、コメディ作品やアクション作品などユニークな作品が得意で、巨匠黒沢監督と並び、芸術の黒沢、娯楽の谷口と呼ばれるほどの名監督です。八千草薫さんと谷口監督は1957年(昭和32年)にご結婚されました。

このとき、八千草薫さんは26歳。谷口監督は45歳で、年の差なんと19歳という年齢差のご夫婦として世間にも大変驚かれたと言います。八千草薫さんが1956年に出演した映画「乱菊物語」のお仕事で知り合い、年の差を乗り越えて晴れてゴールインとなったわけです。

八千草薫さんの結婚は略奪婚と言われる理由

そんな運命的ともいえる出会いをして結婚された八千草薫さん。世間を大きく騒がせたのは二人が有名人だからだけではなさそうなのです。なぜお二人の結婚がこんなにも世間を騒がせたのかというと、実はこの結婚が略奪婚だったという噂が大きく広まったからでした。

当時谷口監督は、実は3度目の結婚だったのです。八千草薫さんと結婚する前谷口監督は、女優の若山セツ子さんとご結婚されていました。ですが八千草薫さんと結婚する前の年に離婚。ちょうど谷口監督と八千草薫さんがお仕事で出会った年でもあるため、八千草薫さんの略奪婚ではないかという噂が広まったのです。

八千草薫さん周囲の反対を押しきり結婚

八千草薫さんが谷口監督と結婚をするとき、周囲からは反対の声が強かったといいます。特に猛反対をされたのは八千草薫さんのお母さんだったと言われています。26歳で初婚のまだ若い八千草さんに対し、結婚が3度目となる19歳も年の離れた谷口監督が相手とあってとても心配をされたのですね。

ですが、そんな周囲の反対を押し切り谷口監督と八千草薫さんは晴れてゴールインとなりました。また谷口監督は八千草薫さんをとても大事にし、心配された結婚後の生活も、順風満帆なものでした。誰もがうらやむおしどり夫婦として、二人は仲睦まじい姿を垣間見せてくれたと言います。

谷口監督は、65歳で自動車免許を取得し、85歳になるまで八千草薫さんを送り迎えさなっていたといいます。奥様を支え助ける谷口監督の行動に八千草薫さんへの愛が感じられるエピソードです。お二人の間にお子さんはいませんでいたが、長い間二人だけの時間がもてたことはとても幸せなことだったのではないでしょうか。

八千草薫さんの外見からは想像つかない意外な性格

そんな順風満帆な人生を送り、幸せを手にした八千草薫さんですが、中にはおっとりとした外見からは想像もつかない性格を垣間見せたという噂もあります。谷口監督と結婚する際の略奪婚だったということに関して、前奥さんの若山セツ子さんへ何度も電話をし追い詰めたという噂が広まったからでした。

実際のところ、真相はご本人達しかしらず、何の根拠もないお話しですが、谷口監督と結婚したいあまりの暴挙かとささやかれてしまったために、噂が噂を呼び、八千草薫の性格に問題があるとまで言われてしまったようなのです。あくまでも噂話であり、事実がどうであったのかは藪の中というわけです。

八千草薫さん谷口監督の死去後も活躍

谷口監督が2007年の結婚50年目に亡くなるまで、夫婦仲睦まじい姿を見せてくれた八千草薫さん。旦那さんの死去後も、めげることなく、ご自分の生活を前向きに生きてこられ、現在の年になるまでも多くの作品に意欲的に出演されてきました。今後もお体に気を付け素晴らしいお芝居を見せていただけることを期待しています。