天童よしみさんは結婚して旦那いる?出身地や年齢も気になる!検証してみました!

「珍島物語」といえば演歌歌手の天童よしみさんです。 あの体から出てくる歌声は日本人のみんなを癒してくれます。今回はそんな天童よしみさんが独身なのか結婚して旦那がいるのかを検証してみます。また本名や身長体重にも迫ります。それでは。

天童よしみさんとは?出身地、年齢は?

天童よしみさんは1954年和歌山県生まれ、4歳のから大阪八尾市で育ちました。父親が歌好きだったため、7歳のときから数多くののど自慢大会に出場し、ほとんどの大会で優勝するなど、幼い時から才能を発揮しました。名前:天童よしみ(てんどう よしみ)

よしみさんプロフィール

  • 本名:吉田芳美(よしだよしみ)
  • 出身:和歌山県田辺市
  • 生年月日:1954年9月26日(年齢63歳)
  • 学歴:大阪緑涼高等学校卒業
  • デビュー年:1970年
  • 所属事務所:天童事務所

天童よしみさんデビューは?

デビュー話がまとまった当時の天道さんは、高校1年生でした。そして、「吉田よしみ」の名で1970年9月に、アニメ「いなかっぺ大将」の主題歌「大ちゃん数え唄/いなかっぺ大将」にて、歌手デビューを果たしました。歌手デビューにあたり、母娘2人で上京しヒット曲に恵まれない日々が続きました。

天童さん低迷

1972年には、オーディション番組「全日本歌謡選手権」で10週連続勝ち抜き、グランドチャンピオンとなった天童さんですが、歌が上手ければ売れるわけでもないのがプロの世界です。歌が売れないことでレコード会社から見限られ、仕事もどんどん減っていく天童さんに対して、父・吉田義行さんは、大阪に戻っての再起を提案します。

仕事がなく、行き詰まっていた20歳の頃、「大阪に帰ってこい」と言ったのは父親でした。「大阪に仕事なんかない」と強く反発するよしみさんを「時期を待て。充電せえ」と帰ってくるよう説得しました。「親の愛を感じなくなると人は心の底から歌えない。すさんだ歌を歌うよしみを見たくない。」と訴えたそうです。

天童さん「負けたまま大阪に帰りたくない」

「負けたまま大阪に帰りたくない」と思った天童よしみさんは、義行さんの提案に反発したもの、「良い歌を唄うために今は休め」という義行さんの言葉に説得されて、大阪に戻ることを決意しました。

フジテレビの「日清ちびっこのどじまん」出場したところ、プロデューサーの目にとまり、日本コロンビアに紹介されます。そして1970年9月10日、本名の「吉田よしみ」でアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌「大ちゃん数え歌/いなかっぺ大将」のシングルをリリースしました。

天童よしみさんプロデビューはいつ?

1972年には読売テレビ「全日本歌謡選手権」で10週連続勝ち抜き、7代目グランドチャンピオンに輝きました。同番組の審査員の作詞「風が吹く」で、、天童よしみとしてポニーキャニオンからプロデビューしました。

芸名の由来は?出身地?

芸名の「天童」は「天から授かった童」の意味で、竹中労という人が名付け親です。その後、10年に渡り低迷を続けましたが、日本全国を300か所を巡業する地道な営業をしたそうです。そして努力が実を結び、有線から次第に「道頓堀人情」という曲の人気が出て、ヒット作になりました。

そして、1993年にNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、1996年発売の「珍島物語」は130万枚の大ヒットを記録しました。「道頓堀劇場」は1か月に300件の営業をしたそうです。天童よしみさんの歌手としての才能は当時から素晴らしいものでした。

天童よしみさん紅白歌合戦の出場回数は?

その後も多数のシングル、アルバムをリリースしました。また、1997年の「珍島物語」から2016年「あんたの花道」まで20年連続、累計21回の紅白歌合戦出場を誇り、活躍しています。天童よしみさんの身長は147cmで小柄ですが、美空ひばりさんと同じ身長だそうで細身です。

天童よしみさんの結婚歴、年齢、旦那の出身地は?馴れ初めは?

天童よしみさんで気になるのは結婚歴ではないでしょうか?結婚歴はなく独身だそうです。年齢は62歳だそうです。でも、天童さんは綺麗な方なので今後結婚の可能性がないとは言い切れないそうです。

結婚しなかった理由は?年齢?出身地?

結婚しなかった理由は、作詞作曲は本職の先生たちにお願いする演歌の世界では、歌手や事務所の稼ぎとなるのは、公演や営業となります。そのため、売れっ子女性歌手ほどスケジュールがタイトになりがちなため、独身や離婚経験者が少なくないのが、演歌の世界の現実だからです。

天童よしみさんは韓国人!?

天童よしみさんといえば、ネット上では在日韓国人説があるようですね。天童よしみさんは日本の伝統工芸品である「こけし」に似ている人物です。そのため、顔は日本人顔ですが、ネット上では在日韓国人説が流れ続けている状況となっています。

天童さんがネット上で在日韓国人説が流れているもう一つの理由は、天童さんが1996年にリリースしたシングル「珍島物語(ちんどものがたり)」が関係しています。抽象的な歌詞内容でもあるため、「朝鮮半島統一を願った歌詞の歌ではないか?」いう曲となってしまいました。そのため、韓国人説が流れました。これはデマであるようです。

天童さんの父親について

天童よしみさんの父親は、「吉田義行」さん。天童よしみさんの本名である「芳美」は、出生した時に住んでいた「芳養」から1文字取って父親が名付けたそうです。和歌山県でバス会社につとめていましたが、大阪でタクシー会社に勤務するため、天童よしみさんが4歳の時に引っ越しました。

義行さんご自身、歌やサックス演奏が趣味で、天童よしみさんも父親の影響で歌が好きになりました。天童よしみさんがデビューし東京に行ったときには、「戻ってくるな」という言葉も掛けたそうですが、毎日電話して励まされていました。そして天童よしみさんが20歳で仕事に行き詰まっていた頃、大阪に帰ってくるように説得したのも父親です。

天童さん再出発!

その後天童よしみさんが再出発し、紅白歌合戦に出場したときには、義行さんも駆けつけたそうです。しかし、人気が不動のものとなっていた2008年、義行さんは大腸がんのため78歳でこの世を去られまました。

天童よしみさんの母親について

天童よしみさんの母親「吉田筆子」さんは、天童よしみさんが10代で東京に行った時に、一緒に東京へ行き生活していたそうです。しかし、仕事がなく、大阪に帰ることになりました。そのときには、父親が大阪からトラックに乗って駆けつけ、3人で一緒に夜中に大阪に帰宅しました。

その時母親は、天童よしみさんの寂しそうな顔を見て、絶対に東京に戻ることを誓ったと言います。再出発には、10年かかりましたが、その間にも娘の才能を信じ、必死に支えて来られたそうです。母親とは二人三脚で40年以上歩みつづけ、父親の深い愛情に支えられながら現在の天童よしみさんがあります。

結婚はしておらず母と2人暮らし!

天童よしみさんは現在、大阪府八尾市に5階建ての事務所兼自宅を建てて、母・吉田筆子さんと2人で暮らしています。ちなみに、建設当時は時価5億円の豪邸として、マスコミから騒がれました。父である吉田義行さんは、2008年に大腸がんで亡くなっています

最後に

典型的な「ドラえもん体型」なため、生活習慣病なども心配されている天童よしみさんですが、2017年も全国津々浦々を回りコンサートを開くなど、60代になっても衰えを知らぬ歌手活動をされています。