
バスケの神様マイケルジョーダンがプロ野球選手に!?3回も引退!?その理由は!
バスケットボールの神様と言われているマイケルジョーダン。バスケットボール選手を引退後、プロ野球選手になっていたことがあります。その理由とバスケットボール選手を3回も引退した理由を調べました。マイケルジョーダンの名言と一緒にご覧ください。
目次
[表示]マイケルジョーダンはバスケ選手を引退後プロ野球選手になった?
バスケットボールの神様マイケルジョーダンを知らない人は、あまりいないと思います。ですが引退後、プロ野球選手になっていた事を知らない人は多いのではないでしょうか。そんなマイケルジョーダンの野球選手時代を紹介していきます。
マイケルジョーダンのプロフィール
- 名前 Michael Jeffrey Jordan(マイケル・ジェフリー・ジョーダン)
- 生年月日 1963年2月17日
- 出身地 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
- 身長 198センチ
- 体重 99キロ
- 足のサイズ 31.0センチ
- 愛称 エアー、MJ
- 趣味 ゴルフ
- 出身校 ノースカロライナ大学
マイケルジョーダンがプロ野球選手になった理由!①
マイケルジョーダンはバスケット選手を引退後にプロ野球選手になっています。その理由が、何個かあるみたいです。まず、父親が殺害された事です。それの悲しみを紛らわせる為、優勝の後に父親との約束を果たす為です。
マイケルジョーダンがプロ野球選手になった理由!②
次に、バスケットボール選手の時に所属していたシカゴ・ブルズで三連覇をしました。その為、証明する事が無くなった、バスケットボールに対する意欲が無くなった、能力の衰えによる引退が嫌だという事が言われています。
マイケルジョーダンがプロ野球選手だった頃の成績!
さて、マイケルジョーダンがプロ野球選手だった時の成績はどうだったのでしょう。所属していたチームは、シカゴ・ホワイトソックス傘下AA級のバーミンガム・バロンズです。守備は外野でライトを主に守っていました。
最初の頃は直球にも苦労をしていましたが、日々の努力のおかげで直球、変化球共に対応できるようになり、ホームランも打てるようになりました。野球での成績ですが、127試合で打率2割0分2厘、本塁打5本、打点51打点、30盗塁といった成績です。
マイケルジョーダンがプロ野球選手を辞引退した理由は?
マイケルジョーダンがプロ野球選手を引退した理由ですが、メジャーリーグでストライキが起きました。一向に状況に進展がなかった為、球団は選手にオープン戦に出場命令を出しまた。出場しない選手は、施設を利用を拒否されました。
マイケルジョーダンは球団の社長に、この処置は適用しないと言われていたが、球団関係者が約束を無しにしようとした為、マイケルジョーダンとの関係が悪化しました。この件があり、マイケルジョーダンは嫌気がさし引退居たと言われています。
マイケルジョーダンがバスケット選手を引退!①
マイケルジョーダンが3回引退したと書きましたが、一回目はプロ野球選手になった理由と同じです。二回目はシカゴ・ブルズに復帰した時です。バスケットボール選手として復帰したマイケルジョーダンは体型を取り戻すため、トレーニングを重ねました。
練習とトレーニングを積み重ね感覚を取り戻したマイケルジョーダンは数々のプレーで観客を魅了し好成績を上げ、シカゴ・ブルズを優勝に導きました。この優勝をしたシーズン(1997-98)で2回目の引退をしています。
マイケルジョーダンがバスケット選手を引退!②
3回目の引退は、低迷を続けていたワシントン・ウィザーズの為に現役復帰をしました。そのきっかけは、NHLのマリオ・ルミュー選手に触発されたからだと言われています。復帰後は年齢を重ねていた為、技術も衰えていました。
怪我にも悩ませられながらも活躍を続けていました。しかし、復帰した時の目標であったワシントン・ウィザーズをプレーオフに進出させるという目標を達成できませんでした。2002-03シーズンを終えた後に3回目の引退をしています。
マイケルジョーダンの名言・格言集①
- 10本連続でシュートを外しても僕はためらわない。次の1本が成功すれば、それは100本連続で成功する最初の1本目かもしれないだろう。
- 無理だなんて絶対に口にするな。限界は恐怖と同じで幻に過ぎない。
- 一瞬でも基本を忘れたら、根本から崩れ去ってしまう。スポーツにおける正しい技術、会社における倫理、心構えといった基本を忘れたら、試合に勝てないし、会社や学校で成績を残すことは出来ない。
- わかりやすい格言を紹介しておこう。何事を成すにも、正しい方法と間違った方法がある。例えば、間違った方法でシュート練習をしたら、間違ったシュートの名人になるだけだ。
- 気持ち半分でやることなんて出来ない。結果も半分になってしまうから。
- 失敗することは耐えれるが、挑戦しないでいる事は耐えれない。
- 私は、9000回シュートを外し、300試合に負けた。決勝シュートを何回も任されたが26回も外した。人生で何度も失敗した。だから、私は成功した。
- 僕は、このチームのスーパースターじゃない。誰かを陰に追いやりたい訳でもない。チームメイトに溶け込みたいだけ。
マイケルジョーダンの名言・格言集②
- 新しい事にぶつかっても、基本を身に付けていたので、全てを理解する事が出来た。
- 成功は、追いかけるものではない。それに向かって、たゆまぬ努力を重ねるもの。そうすれば、成功は思いがけない時にやってくる。それを、分かっていない人が多い。
- 愛とは、全ての試合を最後の試合だと思ってプレイする事。
- 一度心に決めた事は、それについて振り返る事はしない。
- 成功を学ぶ為には、まず失敗を学ぶ事だ。
- 仕事をこなすから報酬が貰える。人生にショートカットはない。
- 試合に負けた事はない。ただ、時間が足りなくなっただけ。
- 誰もが才能を持っている。でも、能力を得るには努力が必要だ。
- 挑戦する事を恐れるな。自分が挑戦しない事を恐れろ。
- 自分に期待する事で、初めて物事は可能になる。
- バスケットボールを心から愛した奴がいた。ただ、それだけでいい。
マイケルジョーダンの活躍!
数々の名言・格言を残したマイケルジョーダン ですが、プレイでも色々と残しています。シーズン得点王、シーズン得点王連続記録、合計得点リーグ1位、最年長記録1試合40得点(40歳以上では唯一)、史上初のトリプル・ダブルを達成、MVP受賞、最優秀守備選手などの数多くの記録、賞を取るといった成績を残しています。
マイケルジョーダンのエピソード
1990年のオーランドマジックの試合前にユニフォームを盗まれたことがあります。その1試合だけ空いていた12番のユニフォームを着て出場しました。残念ながら試合には負けました。ですが、49得点を決めると活躍をしました。
マイケルジョーダンの象徴とも言えるスラムダンクを外した事もあります。それは、2002年のオールスターゲームで外しました。マイケルジョーダンがダンクを外す前にクリス・ウェバーがダンクを外しています。外すならこうやるんだっていうお手本だったのでしょう(笑)
最後に
ここまで読んで頂き有難うございました。長々と書き読みにく所も多々あったと思います。少しずつ改善しながら、分かりやすく読みやすくしていきます。今後、新しい情報が入りしだい、記事を更新、新しく書いていこうと思いますの。今後とも宜しくお願いします。