イチローのマリナーズ「会長付特別補佐」就任は事実上の引退? エンタメ

イチローのマリナーズ「会長付特別補佐」就任は事実上の引退?

「イチロー」といえば実に有名なメジャーリーグの日本人野球選手だと思いますが、そんなイチローが2018年5月にマリナーズ「会長付特別補佐」就任、今季の残り試合出場もしないと報じられました。これは事実上の引退を示唆しているのでしょうか?

イチロー、マリナーズ「会長付特別補佐」就任は事実上の引退?

野球から縁遠い人が耳にしても、「イチロー」といえばその存在を多くの人が知っているほど有名なシアトル・マリナーズ(米・大リーグ)の選手だと思います。そんなイチローが’18年5月、マリナーズの「会長付特別補佐」就任を報じられ、7月6日にはニューヨークタイムズ紙が紙面で特集記事を掲載しました。

インターネット上でもその異例の就任報道にはさまざまな憶測が飛び交い、「これは事実上の引退なのでは?」と疑問視する声も数多く見受けられます。果たして実際のところはどうなのでしょうか?

イチローのプロフィール

イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日)は、
愛知県西春日井郡豊山町出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。
現在はシアトル・マリナーズ会長付特別補佐。血液型はB型。(引用:wikipedia)

プロ野球選手の平均引退年齢は30歳前後である近年、イチローは現在44歳。日本でプロ野球選手として1992年の1軍戦初出場から数えて25年以上が経過し、現役年数も平均10年と言われるところを大きく上回っています。

イチローの就任したマリナーズ「会長付特別補佐」とは?

そもそも「会長付特別補佐」とは何なのでしょうか?正式な肩書きは「Special Assistant to the Chairman」だそうですが、実は大リーグで偉大なOB選手などにこういった肩書きを贈ることは珍しくないようで元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜(以下)も「GM付特別アドバイザー」の肩書きを持っています。

特別補佐、特別アドバイザーはどちらも助言をすることに変わりないですが、アドバイザーは外部からの助言、補佐は内部からの助言になるようで、イチローはより近い位置からのサポートを行うようです。また、中でも「会長付」や「CEO付」はその助言者としての地位も高く、マリナーズからイチローへの敬意を示しているのではないでしょうか。

イチロー自身が語る将来設計や引退への考え方とは?

イチローはスポーツ写真誌「ナンバー」の2015年5月7日号で、メジャー2年目に『50歳でも発展途上と言いたい』と語っていたが、現在の心境はどうかと質問され、次のように答えています。

「可能性という言葉を使うならば、あります。現時点での僕、野球が無かったら、死んでもいい。50歳で突然、世の中から消えられたら理想的だと思っています」「僕は選手以外ではプロ野球の世界で生きていくつもりはないし、日本だろうとアメリカだろうと、選手以上の情熱を注げることなんて見つかるとは思えない」

さらに、「引退の日が来るまでは思いっきり野球がしたい」としていますが、会長付特別補佐への就任が、イチローにとって情熱を注げるもの足りえるのか、またはイチローは「任意引退リスト」に登録されていないことで、他球団からのオファーを受けられるため、50歳までは球団を選ばず、あくまで選手としてやっていきたい意向なのか、注目です。

イチローのこれまでの野球人生<プロ入り前>

そんなイチローですが、これまでの野球人生はどのようなものだったのでしょうか。イチローは高校時代から地元では有名な選手であり、名門愛工大名電野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得、2年時に夏の甲子園、3年時に春の甲子園と甲子園にも出場していますが、いずれも初戦敗退に終わっています。

しかし、高校3年生の地方大会での打率が7割以上を記録していた程の打者で、3年間の通算成績は536打数269安打/打率.501/本塁打19本/二塁打74本/三塁打28本/盗塁131。また高校時代は投手でしたが、交通事故による怪我で投手から野手へ転向を余儀なくされます。

イチローのこれまでの野球人生<オリックス時代>

イチローは中日ドラゴンズへの入団を希望していましたが’91年に4位指名を受け、オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)へ入団します。翌年7月の福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)戦で1軍初出場を果たすも打率1割台と不振のため’93年6月に2軍行き、この間に代名詞「振り子打法」が誕生します。

’94年4月7日、監督の仰木彬がイチローのセンスを見抜き1軍に抜擢後は活躍をしますが、’95年の阪神淡路大震災での被災や、’95年~’99年4月までスランプと語るなど、活躍の裏で様々な葛藤が窺えます。そして最終的に日本球界で飛躍したイチローは’00年10月12日、メジャー挑戦を表明します。

イチローのこれまでの野球人生<マリナーズ時代>

’00年11月10日にポスティングシステムによる独占交渉権をシアトル・マリナーズが獲得。19日に3年契約で合意し、28日に渡米すると30日に3年総額1400万ドルで正式契約を結び、イチローは日本人野手初のメジャーリーガーとなります。

’01年4月2日のオークランド・アスレチックス戦に先発出場。第4打席にメジャー初安打を放つなど2安打1得点で勝利に貢献する好スタートを切り、その後もイチローは当初の批判を退ける結果を次々と残しますが、’11年に「年齢による力の衰え」と不振を報じられると’12年にトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍する事となります。

イチローのこれまでの野球人生<ヤンキース、マーリンズ時代>

移籍発表の会見では自ら志願したことを明かし、慣れ親しんだ背番号51はイチロー自身も憧れのバーニー・ウィリアムスの番号ということで固辞、背番号は31となりました。そしてその後’07年にマリナーズと結んだ契約が終了しプロ後初めてFAとなったオフに、改めてヤンキースと1300万ドルで2年契約を結ぶ事が発表されます。

しかしそのヤンキースとの2年契約が満了となる’14年、これまで以前の活躍ぶりから徐々に成績が下降している事もあってか、ヤンキースとの契約更新はなくイチローは再びオフにFAとなります。

その翌年にあたる’15年1月27日、イチローはマイアミ・マーリンズと、年俸200万ドル+出来高の1年契約を結ぶことが発表されます。ヤンキースでは固辞し背番号31としていたところ、この契約で背番号51が改めてイチローに与えられました。

またマーリンズでイチローは「アジア人初、史上30人目のMLB通算3000安打達成」など輝かしい記録を打ち立てるも’17年11月3日、’18年における契約オプションが行使されず、イチローはマーリンズを退団することが発表されます。

イチローのこれまでの野球人生<’18年代>

’18年2月時点で所属が決まらず日本で自主トレーニングをしており、イチローとって初めてキャンプイン時に球団が決まっていない状態となっていました。しかし3月5日、マリナーズとの契約合意間近が判明、7日には正式に1年契約を結んだと発表され、その年俸は75万ドル、出来高で年俸200万ドルまで増額されると伝えられています。

その後3月14日のジャイアンツ戦では右ふくらはぎ張りのため試合途中で退いたり、3月24日のマイナーリーグ練習試合で頭部に死球を受け負傷退場となるなど不安を抱えていたものの、実に5年ぶりの開幕スタメンとなります。

そんな中で5月3日、マリナーズと会長付特別補佐の契約を結び、選手としては今季の残り試合は出場しないことが発表されました。この契約締結により半永久的にマリナーズと関わる事にはなりますが、マリナーズの選手として今季の残り試合には出場しないため、事実上の引退か?と囁かれるに至っているのです。

会長付特別補佐になったイチローの引退を含む今後とは?

マリナーズの選手として今季の残り試合には出場しないイチローは今後、どのような活動を行っていくのでしょうか?上の写真のように、試合に出場しない意向であることを逆手にとり、変装してマリナーズベンチに忍び込むことが報道されているなど、どのような活動をしても人々の注目が集まることは間違いありません。

付録1:イチローの打ち立てた偉大な記録!日本編

正力松太郎賞:3回 (1994年 – 1995年、2004年)
パ・リーグMVP:3回 (1994年 – 1996年)
ベストナイン:7回 (外野手部門:1994年 – 2000年)
ゴールデングラブ賞:7回 (外野手部門:1994年 – 2000年)
IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:4回 (1994年 – 1997年)
コミッショナー特別表彰 (1994年)
パ・リーグ特別表彰:6回 (1994年 – 1995年、1997年 – 2000年)
セ・リーグ特別表彰:1回 (1994年)

パ・リーグ月間MVP:10回 (1994年6月、1994年8月、1995年6月、1996年8月、1997年6月、1998年6月、1998年7月、1999年5月、1999年7月、2000年7月)
日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1996年)
ジュニアオールスターゲームMVP:1回 (1992年)
オールスターゲーム新人賞(1994年)
オールスターゲーム優秀選手:7回 (1995年第1戦、1996年第1戦・第3戦、1997年第2戦、1999年第1戦、2000年第2戦・第3戦)
パ・リーグオールスター東西対抗MVP:1回 (1995年)
日米野球 シリーズ殊勲選手:1回 (1998年)
花のパ・リーグ大賞:3回 (1994年 – 1995年、1998年)
センチュリーベストナイン(外野手)

(引用:wikipedia)

付録2:イチローの打ち立てた偉大な記録!MLB編

新人王(2001年)
ア・リーグMVP:1回(2001年)
シルバースラッガー賞:3回(外野手部門:2001年、2007年、2009年)
ゴールドグラブ賞:10回(外野手部門:2001年 – 2010年)

ア・リーグ月間新人MVP:4回(2001年4月・5月・8月・9月)
ア・リーグ月間MVP:1回(2004年8月)
週間MVP(英語版):5回(2004年8月2日 – 8月8日、2006年5月29日 – 6月4日、2010年9月20日 – 9月26日、2012年9月17日 – 9月23日、2016年8月1日 – 8月7日)
オールスターMVP:1回(2007年)
シアトル・マリナーズ球団MVP:5回(2001年、2004年、2007年、2009年 – 2010年)
コミッショナー特別表彰(2005年4月22日)
DHLホームタウン・ヒーローズノミネート(2006年)
ハート&ハッスル賞(2008年)
ジェフ・コーナイン賞(2016年)
プレイヤーズ・チョイス・アワード
アメリカンリーグ最優秀新人(2001年)
アメリカンリーグ最優秀選手:1回(2004年)
フィールディング・バイブル・アワード:3回(2006年、2009年 – 2010年)

(引用:wikipedia)

最後に

ここまでイチローという選手について「引退」を含む野球人生という方向から見てきましたが、いかがでしたでしょうか?様々な考え方があると思いますが、1ファンでもある私が思うのは、野球のプレーでもそうでなくても、イチローは我々を楽しませてくれる存在であり続けてほしいと願うばかりです。