鉄人・衣笠祥雄死去・・・ハーフなの?父親や家族は?調べてみた! スポーツ

鉄人・衣笠祥雄死去・・・ハーフなの?父親や家族は?調べてみた!

プロ野球界で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄さんが亡くなりました。衣笠さんといえば現役時代の伝説的な強靭さと解説時代の柔らかい物腰が印象に残っています。そんな衣笠祥雄さんですが、実はハーフだったようです。父親はどんな人なのか?家族はどんな人なのか?調べてみました。

鉄人・衣笠祥雄はハーフだった?

父親はアメリカ人?

衣笠祥雄さんについて調べてみると、やはりハーフでした。父親は当時進駐軍として日本に来ていたアメリカ人の軍人で、母親は日本人でした。父が軍人だったこともあってか、若い頃の衣笠さんはよく米軍基地に飲みに行っていたようです。

鉄人・衣笠祥雄はどことのハーフ?

アフリカ系アメリカ人だった!

父親がアメリカ人ということですが、アメリカ人の中でもアフリカ系アメリカ人、つまり黒人だったようです。衣笠さんの濃い顔立ちや肌の色などからもそれは分かりますね。抜群の身体能力は父親ゆずりのものだったのかもしれません。

ハーフだった鉄人・衣笠祥雄!父親はどんな人?

衣笠祥雄さんの父親は前述のとおり在日米軍の黒人兵士でした。米軍兵であれば野球に関する技術もあったろうと思います。衣笠祥雄さんが野球を覚えたのは、この父親の影響といえるかもしれません。

ハーフだった鉄人・衣笠祥雄!家族はどんな人?

息子は芸能人だった!?

衣笠祥雄さんには息子さんが一人いました。なんとこの息子さんがかつて芸能人だったというから驚きです!息子である衣笠友章さんは俳優をしていました。調べてみるとかなりの人気ドラマにも出演していたようです。

息子が出ていたのはあの人気ドラマ!?

その人気ドラマとは「ショムニ」です!江角マキ子さん主演で人気を博したドラマのスペシャル版に衣笠友章さんは出演されています。といっても脇役でしたので記憶に残っていることはないかもしれません。しかし友章さんはそれ以外にもいくつかのドラマに出演するなどして俳優としてしっかり働いていたようです。

息子さんの現在

そんな衣笠友章さんですが、現在は俳優を辞めています。ではなにをされているかというと、サラリーマンをされているようです。加賀電子株式会社の広報部に2009年から勤めているということが分かりました。実直に働いているんですね。

ハーフだった鉄人・衣笠祥雄の妻はどんな人?

夢だった「綺麗な妻」!

衣笠祥雄さんは若い頃、「野球選手になったら、でかい家を買って綺麗な女と結婚する」という夢を持っていたそうです。なかなか豪快な夢ですね。しかしその夢はしっかりと叶ったようです。有言実行ですね。

衣笠祥雄の妻はどんな人?

衣笠さんの妻は一般女性で、名前は正子さんといいます。出会いのきっかけは高校時代、正子さんが衣笠さんにファンレターを送ったことだったそうです。数年の交際を経て二人は結婚します。衣笠さんの「国民栄誉賞」授賞式などで公の場に出ていますが、やはり美人な方のようです。

衣笠祥雄さんは魚が嫌いで野菜も食べず、肉しか食べない大の偏食家でした。そのため正子さんは京都の料理店に弟子入りして、夫のための料理を学んだそうです。衣笠祥雄さんも生前、人生でもっとも影響を受けたのは妻だといっているようにとても強く、献身的な奥様だったようです。

鉄人・衣笠祥雄が逝去・・・

突然の訃報

2018年4月23日、突然の訃報が世間を驚かせました。鉄人・衣笠祥雄さんが71歳で亡くなったという報せでした。野球関係者は一様に悲しみと驚きの声をあげ、広島市民を中心とした一般の方々も驚きを隠せないようでした。テレビやラジオでは衣笠さんの特集が組まれるなど、その死を悼みました。

衣笠祥雄さんはTBSの解説員を務めていて、なんと死の四日前までテレビの解説者として出演していました。その出演の際、あまりに声が出ていないことから、一部野球ファンなどからは「大丈夫か?」と心配の声もあがっていましたが、その矢先の訃報でした。

鉄人・衣笠祥雄はなぜ「鉄人」と呼ばれるのか?

鉄人の呼び名は背番号から来ていた!?

衣笠祥雄さんといえばその連続試合出場記録で有名で、鉄人という呼び名はそこから来ているのだと思っていました。しかし調べてみるとそもそもの鉄人というあだ名の発端は、背番号から来ていたようです。

衣笠祥雄さんは入団当初から背番号28番を背負っていました。当時世間では「鉄人28号」というアニメが有名だったので、「鉄人」というあだ名はそこから来ていたそうです。衣笠さんはそのあだ名に負けず劣らず頑丈な体とパワーで凄い記録を打ち立て、文字通り鉄人となるわけですから、「名は体を表す」という言葉通りですね。

衣笠祥雄の現役時代エピソード!①

連続試合出場記録

衣笠祥雄さんはなんといっても連続試合出場記録の日本記録保持者です。その当時は世界記録でもありましたが、のちにメジャーリーグのリプケン選手に抜かれて、現在は世界で二番目の記録です。17年間休みなく出場を続けての記録ですから、現在日本では抜かれることはないんじゃないかという不滅の記録です。

「キヌガサ」の名はメジャーリーグファンにもよく知られた名前です。リプケン選手の世界記録達成の日には球場に衣笠さんが招待されました。リプケン選手とはその後、仲の良い友達になったそうです。

豪快なスイング!

衣笠祥雄さんは連続出場記録が取り上げられることが多いですが、そもそも打者として非常に優れた選手です。日本人離れしたパワーが持ち味で、四番の山本浩二選手とのコンビは強力でした。二人で同じ試合でホームランを打った数では、あの王・長島に次ぐ日本二位の記録も持っています。

そんな豪快さの裏で、三振の数もかなり多い選手でした。三振を減らせば打率ももう少しよくなっていたとは思いますが、衣笠さんはとにかくフルスイングをやめることはありませんでした。そこには「衣笠祥雄」というプライドがあったのだろうと思います。

衣笠祥雄の現役時代エピソード!②

遊びまくっていた時代があった!

衣笠祥雄は誰よりも練習する真面目な選手というイメージもありますが、若い頃はむしろ逆で、夜な夜な岩国基地の飲み屋まで行き、米軍兵士たちと飲み歩くなどしていたそうです。しかし当時米軍はベトナム戦争の最中でした。

ある日いつものように米兵の友人と飲んでいると、その友人が「明日ベトナムに行くんだ」と告げました。衣笠さんはこの言葉に大きなショックを受けます。米軍兵士が明日の命も分からない状況で働いているのに対して好きな野球をやりながら遊びまわっている自分を恥じたのです。その日から衣笠さんは真剣に野球に打ち込むようになったといいます。

関根潤三との猛特訓!

関根潤三は1970年打撃コーチとして広島に来ると、衣笠をリーグを代表する打者にするため指導を始めました。二人の特訓は非常に過酷なもので、他の選手が夜遊びに行っているようなときにも屋上でマンツーマンで素振りをさせるなどしていました。

あまりの過酷さに衣笠さんもついにある夜、関根コーチを無視して飲みに出かけてしまいました。夜中の三時ごろもういいだろうと宿舎に帰ってくると玄関で待っていたのは関根コーチでした。関根コーチは怒りもせずに「さぁやるぞ」とバットを渡し、観念した衣笠さんは泣きながらバットを振ったそうです。

衣笠祥雄は解説者としても凄かった!

TBSの解説者として

現役引退後、衣笠祥雄さんは東京放送(TBS)の解説員として1988年から働き始めます。非常に温和な語り口と選手を貶さない優しさにあふれた解説でした。広島カープだけでなく、他球団の選手のこともよく調べていて、期待の若手選手のことなどを嬉しそうに解説される姿が印象的でした。

鉄人・衣笠祥雄の人柄

死球でも怒らない

バッターにとって体に当てられる死球は受けたくないものです。しかし衣笠祥雄さんは死球をもらっても怒ることなく、むしろ謝る投手を「いいよいいよ」と制して一塁へ向かう姿が印象的でした。現役生活の中で数多くの死球を浴びながら連続出場記録を作った衣笠さんの鉄人ぶりがそこからもうかがえます。

相手投手のために「出る」

あるとき巨人の西本聖投手から死球を受けた衣笠選手は左の肩甲骨を骨折する重傷を負ってしまいました。連続出場記録も途切れるかと思われましたが、衣笠さんは翌日の試合に代打として登場。フルスイングで三球三振をしました。

試合後には「一球目はファンのために、二球目は自分のために、三球目は西本くんのために振りました」とコメントしました。死球で骨折を負わせてしまった西本投手が傷つかないよう元気に出場する姿を見せたかったという心意気には本当に感心するしかありません。

鉄人・衣笠祥雄プロフィール

衣笠祥雄さんは1947年1月18日京都府生まれです。進駐軍の兵士であった父と日本人の母の間に生まれます。中学時代には柔道部に入りたかったが柔道部がなく、仕方なしに野球部に入ったそうです。1964年の平安高校3年時、春と夏の甲子園に捕手として出場し、いずれもベスト8の成績を残しました。

1965年、広島カープに入団すると打撃力を活かすため捕手から一塁手に転向しました。1968年からレギュラーに定着し、背番号28番から「鉄人」の愛称で親しまれました。野球選手として小柄ながら、頑丈さも飛びぬけていて、負傷しても休まず出場する根性の持ち主でもありました。

国民栄誉賞

プロ野球記録となる2215試合連続出場記録を達成したのちに、衣笠祥雄さんは国民栄誉賞を受賞します。この記録を打ち立てた際のコメントとして「いつか誰かにこの記録を破ってほしい。この記録の偉大さが本当にわかるのはその人だけだろうから」という名言も残しています。

鉄人・衣笠祥雄は永遠に

いかがでしたでしょうか。衣笠祥雄さんは昭和のプロ野球の偉人の一人ですが、若い方にはきっと何がすごいのか知られていなかっただろうと思いますので、この記事を読んで少しでもそのすごさが伝われば良いと思います。衣笠選手の記録、そしてリプケン選手の世界記録をいつか日本人選手が塗り替えてくれる日を待ち望みたいと思います!