津川雅彦の娘・真由子の誘拐事件!!動機や名前は何!?犯人の現在は?! 俳優

津川雅彦の娘・真由子の誘拐事件!!動機や名前は何!?犯人の現在は?!

津川雅彦さんと朝丘雪路さんの一人娘の真由子ちゃんが誘拐され、身代金を要求される事件が1974年に起こりました。深夜に自宅から連れ去られた5か月の愛娘、真由子ちゃん。犯人は時代の盲点をついた完全犯罪を目論んでいました。犯人の動機とは、何だったのでしょうか?

津川雅彦の娘(真由子)の誘拐事件と現在!!

それは今から42年前の1974年、昭和49年のことでした。当時の大卒初任給は、平均78,700円で、巷ではフィンガー5の「恋のダイヤル6700」が大流行していました。津川雅彦さんは、前年の1973年に朝丘雪路さんと結婚をして、東京・世田谷の

高級住宅地の邸宅で、人がうらやむ裕福な生活を始めていました。津川雅彦さんは、日本映画の父と呼ばれる牧野省三を祖父に、父親は俳優の沢村国太郎、母親は女優のマキノ智子、兄も俳優の長門裕之と、役者の家系に生まれた津川雅彦さん。

津川雅彦の娘(真由子)の誘拐事件!!②

銀幕スターの道を駆け上がり、数々の映画に出演する人気俳優でした。妻の朝丘雪路さんの父親は日本画家の伊東深水、母親は料亭「勝田」女将のお嬢様育ちの朝丘さんは、宝塚歌劇団を経て、バラエティ番組に進出し、そのユニークなキャラで大人気でした。

そんな忙しい2人の生活を支えるために、自宅では住み込みのお手伝いさんが数人働いていました。そして、1974年3月18日、2人の間に待望の長女となる子供が誕生しました。眉毛が濃いから真由子と名付けられた娘に恵まれ、家族は幸せの絶頂にいました。

津川雅彦の娘・誘拐事件の犯人の目的は?!

しかし、その5か月後の8月に、とてつもない悲劇が起こってしまいます。昭和49年8月15日、午前0時、いつも夜中まで起きていることが多い津川さんでしたが、その日に限って0時には眠り込んでしまっていました。愛娘の真由子ちゃんの世話は、

看護師が住み込みで行っており、その日も数時間置きにミルクを飲ませ、寝かしつけていました。昭和49年8月15日、午前2時、津川家に男が忍び込み、真由子ちゃんを誘拐していきました。「旦那様?」男の後ろ姿を、うろ覚えで眺めていた看護師は、

津川さんが真由子ちゃんを連れて行ったのだと思い込んでいました。30分後、胸騒ぎで目を覚ました看護師、真由子ちゃんがいなくなっていることに気づき、津川さんが真由子ちゃんを連れ出したのか確認しに行きました。しかし、赤ちゃんは津川さんの寝室にいませんでした。

津川雅彦の娘・誘拐事件の犯人の目的は?!②

そして、家中のどこを探しても真由子ちゃんの姿はなく、津川さんを始め全員がパニックになりました。そして、津川さんは、戸締りしたはずの玄関のドアの鍵が開いていることに気づきます。近くの交番に真由子ちゃんが誘拐されたことを話し、

津川さんは、裸足のまま、夏だったため上半身には何も着ない状態のままで、自分がどんな格好かも気づかず探し回り、警察に連絡しました。そしてすぐに、警視庁と世田谷署の合同捜査チームが結成され、犯人との闘いがはじまりました。

津川雅彦の娘・誘拐事件の犯人は身代金要求?

昭和49年8月15日午前4時、津川家の電話が鳴り響きました。普段通りお手伝いさんが電話にでると、犯人からの電話だったため、警察が津川雅彦さんのふりをして電話に出ました。犯人:「子供を預かっている。」津川さんになりすました警察:今、どこにいるんですか?

犯人:「そんなこといいんだ。こっちも命がけなんだから。無事だよ。子供はすぐそばにいる。警察に知らせたか?」津川さんになりすました警察:いやそんなことはしません。とにかく子供を返してください。犯人:「知らせたら二度と子供に会えないと思え。」

津川さんになりすました警察:一体どうすればいいんですか?犯人:銀行に振り込むことは出来るか?じゃあ、今から言う口座にふりこんでくれ。といい、口座番号を言ってきた犯人。津川さんになりすました警察:いくら振り込めばいいんですか?

津川雅彦・娘の誘拐事件の犯人は高額の身代金を要求!!

犯人:「500万円。明日の昼12時まで時間をやる。それまでに用意しろ。」そういって電話は切れました。犯人との電話は約6分の長さでしたが、犯行から2時間後の午前4時と、予想以上に犯人からの身代金要求の連絡が早かったため、

逆探知の準備が出来ず、手がかりは何もつかめませんでした。犯人は身代金の受け渡しに銀行の振り込みを要求してきたのでした。当時の昭和49年には、銀行口座は偽名で簡単に作ることができました。今のように身分確認をして銀行口座を作るのではなく、

誰の名前でも自分で勝手に名前を作って口座を作ることが出来たのでした。つまり、犯人が伝えてきた住所も名前も本物のはずがありませんでした。さらに、第一勧業銀行がキャッシュディスペンサーのサービスを開始したのは事件の前年の昭和48年でした。

津川雅彦・娘の誘拐事件の犯人は高額の身代金を要求!!②

当時は、キャッシュディスペンサーを利用して、全国のATMから現金を下した時に、どこのATMであるかを瞬時に特定するシステムはまだありませんでした。第一勧銀の口座から引き下ろせるキャッシュディスペンサーの設置場所は、全国の支店303か所の

自動支払機120台で、利用者は既に100万人を超えていました。最新のシステムを悪用すれば、犯人は身代金をいつどこでおろすかわからないのでした。手がかりも見つからなければ、逮捕のチャンスも見当たりませんでした。犯人は計計画していたのですね。

津川雅彦の娘・誘拐事件の犯人の事件前の不可解な行動!?

昭和49年8月15日早朝、警察は第一勧業銀行のシステム管理センターを訪れていました。犯人が現金を引き下ろしたら瞬時に、どこのATMであるかが判明できるオンラインシステムのプログラム変更を打診しますが、この日の昼までに行うのは時間的に不可能でした。

しかし、犯人についてあることが判明しました。犯人が伝えて来たナカムラジュンイチの口座を照合すると、不可解な行動が見えたのでした。事件のおよそ1ヶ月前、犯人と思われる人物は、第一勧業銀行の新宿支店で口座を作り、この時、

現金1万5千円を口座に預け、キャッシュカードを手にしていました。しかし犯人はすぐに別の支店のキャッシュディスペンサーで現金を引き出していました。まずは足立区の千住で5千円、その後、西新橋で5千円、八王子に移動して3千円。

津川雅彦の娘・誘拐事件の犯人の計画は?

次は池袋で1千円と現金を数回に分けて引き出し続けていました。「どこのキャッシュディスペンサーでも20秒で現金を引き出せる。」犯人は引き出すのに要する時間をテストしていたのではないか、と警察は推理しました。ところが、

犯人が引き出した金額は預けた1万5千円中、合計1万4千円で、1千円だけ口座に残していました。これが後に事件を大きく左右することになりました。警察は、顔も年齢も居場所もわからない犯人逮捕のために、全国の警察官500人を動員して、

第一勧業銀行の全てのキャッシュディスペンサーに警察官を配備しました。その時点で手がかりになるのは、名前の書かれたキャッシュカードだけでした。ディスペンサーで現金が引き出されるたびに、刑事が顧客を包囲して犯人を捜すという方法しかありませんでした。

津川雅彦の娘の誘拐事件の犯人現在ではありえない犯行の手口!

津川雅彦さんは、早速、身代金を振り込みましたが、その後、犯人から連絡はありませんでした。津川雅彦さんは、次に犯人から電話がかかってきた時のためにと、逆探知をするために電話を引き伸ばす問答集を警察から渡されました。

津川雅彦さんは、普段、セリフを覚えるよりも必死になって覚え、全てを暗記したんだそうです。一方、極度の緊張により朝丘さんは何度も吐き続けていました。目の前で真由子ちゃんを連れ去られた看護師は警察から共犯を疑われていました。

津川雅彦の娘の誘拐事件の犯人現在ではありえない犯行の手口!②

犯人の侵入経路が風呂場だと判明すると、最後に風呂に入ったお手伝いさんが鍵を閉め忘れたことが判明し、彼女も共犯を疑われました。昨日まで信じ合い助け合ってきた仲間が、お互いを疑い会う事態となってしまいました。身代金の要求があったのは、

8月15日の午前4時で、犯人の言う明日の昼12時というのが、その日15日の昼12時のことなのか、翌日の16日の昼12時なのかが分からないままでした。約束と思われるその日15日の昼12時が近付いていました。ところが、身代金要求から9時間後の午後1時になっても、

犯人からは何の動きもありませんでした。この時、犯人の言っていた明日の昼12時が、今日ではなく翌日16日の12時であることが判明したのでした。1日時間に猶予が出来たことで、犯人がどこでお金を下したかが瞬時にわかるシステムの変更ができるのではないかと。

津川雅彦の娘の誘拐事件の犯人現在ではありえない犯行の手口!③

警察から再び依頼を受けた銀行は、明日の朝までに完成させるべく動き始めました。第一勧銀のキャッシュディスペンサーサービスが始まったのは僅か1年前のことで、システムの変更は異例中の異例でした。しかも僅か1日で行うことなど不可能に近いことでしたが、

幼い子の命がかかっているとシステム部が総動員で動いてくれたのでした。この時、日本の報道も大きく変わりました。朝刊には、どの新聞にも誘拐報道は書かれていませんでした。芸能界のトップスターの娘の誘拐という世紀の大スクープをどこも報じなかったのです。

実は、遡ること10年前、1963年にも子供の誘拐事件がありました。通称吉展ちゃん事件。台東区で、公園に行き、行方不明になった4歳の男の子が誘拐され、後に遺体となって発見された事件です。吉展ちゃん事件のときは、すぐにマスコミ各社が報道していたのでした。

津川雅彦の娘の誘拐事件の犯人現在ではありえない犯行の手口!④

その後、日本で初めて報道協定というものが結ばれましたが、警察とマスコミは吉展ちゃんが遺体で発見されたことで、大きな後悔があったと言います。津川雅彦さんの娘の誘拐事件の時は、子供の命を最優先させるため報道協定によりどの社も報道を自粛したのでした。

身代金の受け渡しまで時間が延びたとはいえ、時間が伸びれば伸びるほど、命を失うリスクは高くなってしまいます。かつて起きた誘拐事件では人質が無事に戻ってきたケースは多くはありませんでした。娘の真由子ちゃんさえ戻ってくればどうでもいいという朝丘雪路さん。

娘の誘拐事件の親の覚悟!朝丘雪路は病気のように吐いていた!

一方、津川雅彦さんは、真由子ちゃんの命を最優先するあまり、警察の捜査が進んでいないのではないかと考えていました。津川さんは、もう真由子ちゃんは亡くなったものと覚悟しようと、親の覚悟とはそういうものだろうと考えたのでした。

そして、津川雅彦さんは警察にこう伝えたのでした。「娘の命は諦めました。ですから、犯人は必ず捕まえてください。こういう犯罪は、二度と起こさせてはいけないので、こういう犯罪は成立しないということを世の中に示してください」と警察に伝えました。

たった5ヶ月でしたが、津川さんは、娘の真由子ちゃんとの時間は幸せだったと思い出しました。娘の命を諦めることを覚悟したと言ったその自分の言葉に押し殺していたものが溢れ出しました。この時、津川さんは初めて声を出して泣いたのでした。

津川雅彦の娘の誘拐事件の犯人確保!!

当時のキャッシュディスペンサーは現在のように液晶画面ではない為、現金を引き出さないと残高が分からない仕組みになっていました。そこで犯人はまず2000円を引き出したのでした。犯人は2000円引き出すことが出来たことで、身代金が振り込まれているのを確認し

(ここまでに20秒)、2度目に限度額に近い29万円を引き出したので、合計40秒を費やしていたのでした。この間に現場に駆け付けた刑事によって逮捕となったのでした。犯人は後にこう証言していました。「絶対につかまらないと思ったのに、

40秒しか経たないうちに捕まるとは・・・」犯人は当時23歳の男性でしたが、逮捕から数時間たっても真由子ちゃんについては口を割りませんでした。しかし、男の指紋から前科があることが判明し、住所が割り出されたのでした。警察は千葉県我孫子市の男の自宅に急行。

津川雅彦の娘の誘拐事件の犯人確保!!と現在は?

犯人の自宅アパートには、犯人の嫁と1ヶ月の子供がいました。そして、友達の子どもだから世話をしてくれと犯人に頼まれた真由子ちゃんがいました。誘拐から41時間後の8月16日午後7時15分、真由子ちゃんは無事に発見され保護されました。

犯人が犯行を企てたのは、嫁が出産後すぐのことで、後に犯人は生活費のために真由子ちゃんを誘拐したと自供したのでした。犯人は当初、佐川満男さん、伊東ゆかりさんの一人娘、宙美ちゃんを誘拐しようと思っていましたが、住所がわからなかったために、

津川さんの娘、真由子ちゃんに変更したのでした。犯人は、津川雅彦さんの家庭状況や、自宅の住所や間取りの知識を週刊誌などから予め得ていたのでした。その後の裁判で、犯人には懲役12年6か月の刑が確定しました。やっとここで捕まりました。

津川雅彦・娘の誘拐事件と犯人の現在のまとめ

今年の4月に妻の朝丘雪路さんが、アルツハイマーと戦い、82歳でこの世を去りました。津川さんと朝丘雪路さんの娘の真由子さんは現在も健康です。現在は津川さんも鼻にチューブをつけていたり、かなり高齢ですので、お体に気を付けていただきたいですね。