闘将・星野仙一のかっこいい壮絶野球人生!嫁や子供、死因まで迫ります! スポーツ

闘将・星野仙一のかっこいい壮絶野球人生!嫁や子供、死因まで迫ります!

誰もが知っている熱い男・星野仙一。闘将と呼ばれ、怒り狂っている姿を想像する人も多いのではないでしょうか?そんな星野さんの急な訃報に日本中がショックを受けました。今回は妻やお子さんのことから慕われた彼の姿を追っていきたいと思います。

闘将・星野仙一の嫁や子供〜死因まで彼の人生をたどる!

現在10代のあなた、星野仙一さんを知っていますか?「そういえばこの前亡くなった野球の監督やってた人だよね。」そんな感じの印象を持つ方もいると思います。しかし星野仙一さんはそんな一言で語れるような人ではないんです!すごいんです!怖いしかっこいいし、熱血だし優しいし・・『男の中の男』のような人なのです!

知らない人も知ってる人も、亡くなられてしまったからこそ思い出してほしい『星野仙一』の姿を、皆さんに今回お届けできたらと思います!まずは彼のプロフィールを簡単にご紹介していきます。最後には、あなたも彼のかっこよさに涙しているかもしれません!

星野仙一のプロフィール

  • 1947年1月22日生まれ(70歳没)
  • 岡山県出身
  • プロ野球選手(投手・右投右打)・球団監督・野球日本代表監督・コメンテーター
  • 妻・扶沙子

高校進学前から野球の実力が高く、当時あまり実力の高くなかった岡山県立倉敷商業高等学校野球部の監督に誘われ、入学を決めたそうです。はじめ、他の強豪校を志望していたようですが、口説き落とされ入部し、その後倉敷商業高等学校野球部はぐんぐん成績を伸ばしていったそうです!

プロ野球に入団したのは1968年でした。中日ドラゴンズにドラフト1位使命をされ入団。実は本人は阪神ファンだったため阪神を希望していましたが、自身の出身大学明治大学と阪神が仲が悪かったらしく、阪神ではプロになれない可能性があったそう。そのため、1位指名のドラゴンズに入団したという裏話があるようです!

星野仙一の嫁はどんな人?死因は?

星野さんといえば、鬼のような乱闘と選手に対しても容赦無く『鉄拳制裁』を下す姿ですよね!ですがそんな鬼のような星野さんにももちろん家族がいました!そんな星野さんを現役時代から支えていたのは妻の扶沙子さんです。彼女は1997年1月に先立っていますが、最後まで星野さんを支え続けました。

そして星野さんが中日ドラゴンズの監督を務めたころ、扶沙子さん自身中日ドラゴンズを愛してくれていたそうで、ドラゴンズだけでなく球団の地元名古屋までも大事にしてくれていたそうです!監督の奥さんまでも球団とその地元を愛してくれるなんて、とても幸せなことですね!ちなみに、そんな素敵な奥さんのエピソードは他にもあるんです!

マスコミにも好対応!星野仙一の嫁がすごい!

実は星野さんの妻・扶沙子さん、普通なら嫌ってしまうマスコミに対してもすごい神対応をしていたそうです!旦那さんに対してだけでなく、貴社の方にまで夜食を振舞ってくれていたようです。なんというか神対応すぎますよね!試合中厳しくて怖い監督でも、こういった奥さんからのフォローがあるからこそ成り立っていたのかもしれませんね。

記者を大事にする星野さんだったが、彼らからも扶沙子さんは人気があった。
「試合が終わった夜遅くに監督の家に取材に行くと奥さまがカレーやチャーハンなどを夜食にふるまってくださった。本当に夫に尽くしている感じでしたね。(引用:週刊女性PRIME)

星野仙一・最愛の嫁を亡くす!死因は白血病

1997年、最愛の妻を無くした星野監督。妻扶沙子さんは、白血病でなくなりました。白血病は血液のがんで、血液細胞が出来上がる間にがん化したことで起こる病気です。現在であればある程度治療方がある病気ですが、この時代はまだ完治は難しい病気でした。

数々の浮名も流した星野さんだが、現役時代から支えてくれた妻の扶沙子さんを’97年1月に白血病で亡くしている。葬儀では誰はばかることなく涙を流した。「普段は“もっと優しくしたら?”と思うくらい亭主関白でしたけど、かけがえのない人だったんでしょう。奥さまが言ったことには必ず耳を傾けるし、そのときは“うるさい、黙っとれ”って一蹴しても、ずっと心の中で奥さまの言葉がこだましている感じで、結局聞いちゃうんです。“あいつに反対されたからやめよう”と決断を翻すこともありました」(星野家に近しい人)(引用:週刊女性PRIME)

扶沙子さんが亡くなって1夜・・闘将・星野仙一と呼ばれた彼が初めて人前で涙を流しました。どんなに厳しい星野さんでも、かけがえのない奥さんの死はとてもショックなことでした。実はその後「星野仙一物語~亡き妻に贈る言葉」というドラマも放送され、星野さんの愛妻家具合は世間全体に知られることになったのでした!

星野仙一に子供はいたの?

娘さんがお二人いらっしゃるそうです!一般人の方なのであまりたくさんの情報はありませんが、お二人ともお医者さんと結婚したそうです。星野の性が亡くなってしまうのは耐え難いと、婿養子として迎え入れたという話もありますが、事実はわからず終いです。

しかしお孫さんもいらっしゃるようで、以前出演した『徹子の部屋』でデレデレっぷりをご自身で話していたそうです!怖いイメージの強い星野さんのデレデレした姿、想像しただけで可愛いですよね!ちょっと見てみたいです♡

闘将・星野仙一の嫁と主に歩んだ野球人生!

ではここから、妻・扶沙子さんに支えられながらも歩んだ野球人生についてご紹介していきたいと思います!奥さんが亡くなってからも、とにかく前を見て野球と向き合うかっこいい星野監督の姿は、誰もが憧れ感動する姿だと思います。みなさんも一緒に、はちゃめちゃに見えてすごい星野監督の姿をのぞいて見ましょう☆

星野仙一の、恐怖をも感じた中日ドラゴンズ監督時代!

星野監督といえば乱闘!そして選手にも暴力を与えてしまうような闘将ですよね。愛があるから許されるのかもしれませんが、多分2018年現在で同じことをやったら訴えられてしまうでしょうね。ここではそんな闘将・星野仙一の熱い?というか怖い部分を紹介します!

選手を怒鳴りまくりプレッシャーをかけ、星野曰く「俺のプレッシャーに負けるような奴が、ここぞの時に踏ん張れるか、そんな奴は要らねぇ」と述べている。
ナゴヤドームでの対横浜ベイスターズ戦で、立浪和義が自身への投球をストライクと判定されたことへの不満から球審を務めていた橘高淳を両手で突いて退場処分となり、立浪の退場が宣告された直後に星野は橘高に体でぶつかっていったため暴行を働いたとして退場処分を受けた。(引用:ウィキペディア)

突如訪れた死・星野仙一この世を去る・・死因はなに?

突如球界に、いや・・日本全土に衝撃が走りました。『闘将・星野仙一が死去した』このニュースは、野球ファンでなくても衝撃的だったと思います。実は筆者の私は愛知県出身のアラサーで、『闘将・星野監督』についてはもちろん知っていました。ただ、野球にはあまり興味がないのです。しかし星野さんの訃報を聞いた時なぜか涙が出ました。

プロ野球中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の3球団で監督を務めた星野仙一さんが4日死去した。70歳だった。6日、楽天球団が発表した。膵臓(すいぞう)がんを患い、昨年末から病状が悪化していたという。(引用:日本経済新聞)

星野さんがとても厳しくて、怖くて熱い男・・ということはよく知っていましたが星野さんが亡くなったと知った瞬間、私と同じようにファンでなくても涙した方は多かったんじゃないでしょうか?きっと星野さんはお父さんのような、怖いけど愛の深い素晴らしい人だったんだと思います。

星野仙一の死因はすい臓がん

膵臓には様々な消化酵素などを生産する機能があるそうです。そういった要素を再生する中で、膵臓細胞生ががん化してしまうというのが、すい臓がんだそうです。移転することも多く症状が出にくいため、ガンの中でも気づかないうちに取り返しのつかない状態になっていることが多い病気の一つだそうです。

星野仙一、追悼試合で起きた奇跡・・そしてファンの思い

星野さんが亡くなってついて追悼試合が開催されました。野球ファンや、今まで星野さんが監督を務めた球団のファンの方ならおそらく見逃さなかったと思いますが、この試合で奇跡のような出来事が起こりました。

「オープン戦、阪神2-2中日」(10日、甲子園球場)02年、03年に阪神を率いた星野仙一さんの追悼試合として行われ、九回にマテオがつかまって引き分けに終わった。ただ、初回に1点、四回に1点を阪神が挙げたことから、スコアボード上に起きた偶然がネット上で話題となっている。(引用:デイリースポーツ)

初回は鳥谷が四球で出塁し、俊介が犠打で送って二塁へ。福留は見逃し三振に倒れたものの、4番のロサリオが左前に運んで1点を先制した。四回は高山に適時二塁打が出て1点を追加した。すると阪神のスコアボードには「1001」と数字が並び「センイチ」に。ツイッター上では「スコアボードに『1001』を刻み込むファインプレー」や、「なにげに1001(仙一)でよしとしよ」とする投稿が見受けられた。(引用:デイリースポーツ)

これです『1001』。星野”仙一”これは奇跡なのか、示し合わせたのか・・それはわかりませんがやはり『奇跡』だと信じたいものですよね!彼の人生の集大成をここで見れたのではないでしょうか?厳しくも優しく、熱くて怖くて尊敬してしまう。そんな監督だったのだと改めて感じますね!

永久欠番『77』

ドラゴンズの監督就任後、監督を務める時は背番号『77』番を背負っていた星野さん。最後に監督を務めた楽天ゴールデンイーグルスでは77番を永久欠番に認定したそうです!追悼試合でも参加選手が背番号77番を背負い試合をしました。この試合から『永久欠番』がどんなにすごいものなのか。認識した人もたくさんいたのではないでしょうか?

最後まで活躍し続けた星野仙一

時に熱血ドラマのような厳しさを見せ優しさを見せてくれた星野仙一さん。彼は野球ファン出なくともさりげなく、私たちを支えてくれる存在になるでしょう。野球興味がない私でもこんなにも『愛』を持った人を私は知りません。もちろん時代にあった愛情表現は必要ですが、彼のように一心に『愛』を届けられる人になりたいなと思ってしまします。

この星野さんの言葉が永遠に誰かの胸に届くようになったらいいなと思いつつ、今後の野球界に、もしくはあなたの近くに『星野さんのような人が現れたらいいな』と願いたいと思います!星野さんのことを初めて知ったあなた!もっと詳しく『闘将・星野』について調べて見てはいかがでしょうか!?