父がコーチ!?日本人初の快挙を成し遂げた大坂なおみの原動力は父なのか!? スポーツ

父がコーチ!?日本人初の快挙を成し遂げた大坂なおみの原動力は父なのか!?

大坂なおみさんは大阪市出身のプロテニスプレーヤーで2018年には、シングルで日本人初となるプレミアマンダトリー大会での優勝をし、そして日本人初のWTAアワード年間最優秀新人賞も獲得するなど目覚ましい活躍をしています。本記事ではそんな大坂なおみさんを紹介します。

大坂なおみの父レオナルド・フランソワはなにをしている人?

大坂なおみさんの父はレオナルド・フランソワさんというかたですが、一体どのような方なのでしょうか。大坂なおみさんの父は1994年から2000年ごろまで日本に住んでおり、その間は英会話の講師をやっていました。その頃に出会ったのがなおみさんの母である環さんです。

結婚後は大阪市西区の九条駅あたりに住んでおり、英会話の講師をしながら娘たちへテニスの指導をしていましたが、大坂なおみさんが4歳の時に家族4人でアメリカのフロリダに移住しました。そのため大坂なおみさんは日本語が片言でしか喋ることができないわけです。

大坂なおみや父母の国籍は?

大坂なおみさんの父レオナルド・フランソワさんはアメリカ国籍で、母の環さんは日本になります。したがってなおみさんは日本とアメリカのハーフになり、生まれが大阪市西区なので日本籍とアメリカ籍の2重国籍とでしたが、18歳の時に日本国籍を選びました。

大坂なおみはなぜ二重国籍?

まず日本において二重国籍は認められていないが、自分の意思と関係なく国籍が与えられた場合に限り、大人になるまでは二重国籍となります。国籍は国によって解釈が異なり、日本では「血統主義」の考えより、親のどちらかが日本人であれば、居住場所に関係なく日本国籍が与えられます。

しかし、アメリカは「出生地主義」を取っておりアメリカで生まれるとアメリカ国籍になるはずなのですが、大坂なおみさんは日本で生まれたのでこれにあてはまりません。出生地主義を取るアメリカでは、アメリカ国外で生まれた場合条件を満たすことでアメリカ国籍を取得できるのだそうです。

大坂なおみの父の出身地は?

レオナルドさんの出身地はハイチ・ジャクメルで、ハイチはカリブ海に浮かぶ国です。ハイチの公用語はハイチ語とフランス語で、ハイチ語での国名はレピブリク・ダイチ、フランス語ではレピュブリク・ダイティと言います。ハイチは現地の言葉で「山ばかりの土地」という意味です。

大坂なおみの父の現在の職業は?

レオナルドさんの職業は、日本にいたころは英会話の講師でしたが近年のアメリカでの報道によると映画を作る仕事をしているようです。2006年から2012年の間にはレオナルドさんが監督やプロデューサーの映画がいくつかありました。

現在のコーチは?

大坂なおみさんのコーチは以前まではずっと父レオナルドさんでしたが、2017年末からサーシャ・バイン氏に代わっております。サーシャ・バイン氏は現在33歳のセルビア系ドイツ人で、選手時代には特に大きな成績を残すことはできませんでし。引退後はコーチ業に専念しています。

そのコーチ業がサーシャコーチには合っていたのかもしれません。おおくの選手を優勝に導いてきました。セリーナ・ウィリアムズ選手やビクトリア・アザレンカ選手・キャロライン・ウォズニアッキ選手などトップクラスのヒッティングパートナーを務めていました。

現コーチサーシャ・バインの経歴は?

1984年に生まれたサーシャ・バインはテニス界では「ビッグ・サーシャ」とも呼ばれています。選手としてはジュニア年代から活躍をしていましたが、15歳の時、お父さんが交通事故で亡くなったこともあり選手としては開花せず、シングルスの世界ランキングは10000位台のままで現役生活を終えました。

2007年にミュンヘンにいたサーシャ・バインは、そこで練習していたセリーナ・ウィリアムズの当時のヒッティングパートナーに呼ばれ、そのまま彼女のチームに加わりました。セリーナと数々のタイトルを手にした彼は、その後もヒッティングパートナーとして多くの名選手の活躍を支えることとなります。

現コーチサーシャ・バインの指導方法

サーシャ・バインの指導方法の特徴は、なによりも試合以外でも、とにかく選手に寄り添い信頼できるパートナーとしてサポートすることです。セリーナとの関係では、食事管理や施設予約、ボディーガードの役割までこなし、セリーナから家族とまで言われるほどの信頼を得ていました。

大坂なおみ選手の場合もただ厳しいだけでなく、楽しませる工夫を忘れないことで、ミスをした際に落ち込みぎみだった大坂なおみ選手もポジティブに物事を考えられるようになったようです。若い選手の指導で大切なのは辛抱強く、導いてあげることだとサーシャ・バイン氏は語っています。

7歳で父に勝利!?大坂なおみの経歴は?

大坂さおみさんは3歳から姉と一緒に父の指導のもとテニスを始めることになります。ここで気になるのが、父親はテニスの経験があるのがですが、なんと父はテニスプレーヤーではないばかりかテニスに関しては全くの素人だというのです。

父親からするとバスケットボールやアメリカンフットボールを経験していたのでスポーツには精通しており、娘たちにはバスケットボールをやらせたかったようですが、個人競技に考えが向きテニスを始めることにしたそうです。

コーチは素人の父?

大阪市内に住んでいた時は、練習場と言えば近所にあった靭公園にあるテニスコートで、姉とともに練習をしており、父は有名テニスプレーヤーのレッスン教材を見ながら指導を行っていたというのです。しかし、その後家庭の事情で一家でアメリカに移住することとなります。

アメリカでの練習について語られることはなかったためどのような練習をしたのかは不明ですが、過去にインタビューを受けた際に幼少期はずっと父親や姉とテニスをしていたと言っていたようなので、移住後も父親のレッスンは続いていたと考えられます。

アメリカ移住後のITFデビューまでの大坂なおみは?

アメリカに移住後にはニューヨーク州ロングアイランドのエルモントに6年住んでおり、ナショナル・テニス・センターなどで毎日6時間という長時間練習をしていました。そして中学生になる時にフロリダ州ボカラトンに移住し14歳になりプロツアー出場資格が与えられるようになるとITFサーキットでデビューしました。

デビュー後はツアー下部大会を渡り歩いた!?

デビュー後大坂なおみは厳しい環境に身を置くためツアー下部大会に出場をしておりました。2013年のITFさっきとエルパソではサナズ・マランドに敗れ準優勝となり、同年9月の東レパン・パシフィック・オープン予選に出場し、初戦でシルビア・ソレルエスピサノに敗れるも吉川コーチがすごい才能だと日本テニス協会に報告をしました。

2014年にはフロリダ州のハロルド・ソロモン学院に所属し、学年飛び級で高校を卒業したそうです。7月にはバンク・オブ・ウェスト・クラシックで初めて予選を突破し本選出場も果たしました。最速193km/hのサーブで2011全米オープン女王のサマンサ・ストーサーから勝利を勝ち取る大番狂わせを演じました。

2016年のグランドスラムでは大躍進!

2016年全豪オープンでは予選を見事突破しグランドスラム初出場を果たしました。4大大会初出場で3回戦進出は52年ぶりの快挙でした。3月のマイアミ・オープンでは予選を突破し本選出場を果たし、元世界ランキング5位のサラ・エラニを破り3回戦進出をし、大会後のランキングで95位となりトップ100入りを果たしました。

9月の東レパン・パシフィック・オープンではワイルドカードで出場し、WTAツアーで自身初の決勝進出を果たし、決勝は元世界ランキング1位のキャロライン・ウォズニアッキに敗れ準優勝となりました。大介護のランキングで47位となりトップ50入りを果たし、これらが評価されWTAツアー最優秀新人賞を受賞しました。

2018年プレミアマンダトリー大会優勝!

2018年3月のプレミア・マンダトリートーナメントのインディアンウェルズ・マスターズで1回戦、元世界1位マリア・シャラポアに勝利し、準々決勝で世界ランク5位のカロリナ・プリスコバに勝利し、準決勝では現世界ランク1位のシモナ・ハレプに勝利、そして決勝でダリア・カサキナに勝利でWTAツアー初優勝を果たしました。

シングルスでのプレミア・マンダトリー大会優勝は日本人初の快挙となり、WTAランキングも44位から22位としました。クリス・エバートはコーチが変わったことで大坂なおみさんの動きが明らかに違うと語り、コーチが変わったことが初優勝へのきっかけになったと語っています。

大坂なおみのプレースタイル

豪快なグラウンドストロークを持ち味とし、ウィナーを両サイドから打てることも強みです。パワフルなフォアハンドが武器だが脚を踏ん張り、一度の強打で形成を逆転することができるバックハンドは対戦相手からすると非常に脅威になります。

強力なサーブも持ち味で、サマンサ・ストーサーとの対戦の時もその強力なサーブで大番狂わせを演じました。最速サービス記録は歴代10位の201km/h(125マイル)を計測し、パワーだけでなく様々なスピンサーブを駆使し、緩急をつけることもできます。

大坂なおみと大坂まりそしてコーチである父

今では世界でもトップランクの選手になった大坂なおみ選手ですが、昔は姉である大坂まり選手の方が強くずっとなおみ選手は負け続けていたそうです。コーチであった父には7歳の時に勝ったようですが、姉のまり選手に勝ったのは15歳の時だったと言っていました。

大坂なおみ選手はずっと負けていた際に、勝つにはどうすれば良いかを考えながら常にプレーをし、色々なことを試し続けたことが現在に至るまでの急成長に繋がったと言われています。常に自分よりレベルの高い選手と戦うことで自分の成長の糧としていたのではないでしょうか。

大坂なおみはこれから更なる高みへ

常に勝つことを考えチャレンジ精神を忘れずテニスに臨み続けたことで様々な快挙を達成し続けてきた大坂なおみ選手ですが、まだまだ若くさらに成長をすると期待されています。これから大坂なおみ選手がどこまで上り詰めていくのかを見守りたいと思います。