マッスル北村の死因は餓死?睡眠時間や食事は?子供や伝説・名言についてもエンタメ

マッスル北村の死因は餓死?睡眠時間や食事は?子供や伝説・名言についても

再び注目を集めている伝説のボディビルダー・マッスル北村氏。睡眠時間を削りストイックに取り組んできた食事やトレーニング、餓死とも言われている死因や名言について解析します。マッスル北村氏に子供はいるのでしょうか?気になるステロイド疑惑についても調べてみました。

目次

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マッスル北村について知りたい

なかやまきんに君や武井壮氏など、さまざまな筋肉タレントが活躍をしていますが、そのパイオニアと言えばマッスル北村氏ではないでしょうか。彼は20年以上も前に過酷な減量により命を落としました。

マッスル北村ってどんな人?

39歳という若さで命を落としてしまったマッスル北村氏。日本人離れした太く大きい筋肉は、世界中のボディビルダーを驚かせました。まずは彼のプロフィールや伝説について紹介していきます。

マッスル北村のプロフィール

マッスル北村氏は学生時代のエピソードや、ストイックな食事管理、トレーニングにより数々のタイトルを獲得しています。そのストイックな面、周りに対する心の広さから「伝説のボディビルダー」と呼ばれました。

  • 活動名:マッスル北村
  • 本名:北村克己
  • 生年月日:1960年10月6日
  • 没年月日:2000年8月3日
  • 享年:39歳
  • 出身地:東京都練馬区
  • 最終学歴:東京都医科歯科大学医学部中退

おとなしい男の子だった

マッスル北村氏が筋肉トレーニングに目覚めたのが、小学6年生のときでした。それまではとても大人しく、趣味は手芸だったそうです。手芸のスキルは高かったようで、同級生の破れたズボンを直していたとか。

東京大学に入学するも

文武両道というのがマッスル北村氏のモットーでした。頭脳明晰で2浪の末、東京大学理科2類に入学します。しかし、そこでボディビルにであったことで学校にあまり通わず、中退してしまいました。

再び大学に入学

東大を中退したあと、やはり人の役に立ちたいという気持ちから東京歯科大医学部に入学します。しかしここでもボディビルに対しての熱意は冷めず、結局中退することとなりました。

父親は激怒

高学歴と呼ばれる大学に進学するも、全く通わずにトレーニングに励むマッスル北村氏に対して、父親は激怒します。ダンベルシャフトで彼の頭部を殴り、マッスル北村氏は網膜剥離という大怪我をすることとなりました。

さらにボディビルに集中

両親に反対されつつも、自身の目標に向けて突き進むマッスル北村氏。それが伝説のボディビルダーと呼ばれる所以のひとつでしょう。学校を中退したことで、よりストイックに減量に励むこととなります。

ボディビルダーやタレントとして活動

ボディビルダーとしてだけではなく、バラエティ番組、CMなどに出演するタレントとしても活動をしていました。当時大人気の「平成教育委員会」や「さんまのナンでもダービー」に出演しています。

お茶の間に受け入れられた

マッスル北村氏がお茶の間に受け入れられるのに、時間はかかりませんでした。見た目からは想像できない丁寧で品のある口調はウケも良く、人気タレントの仲間入りをします。

伝説のボディビルダーと言われる

彼の常人離れしたストイックさや、仕上がった筋肉、周りへの接し方などを見て伝説のボディビルダーと呼ばれるようになりました。文学的な人でもあったため、多くの名言を残しているのも伝説と呼ばれる理由でしょう。

大学時代から始めたボディビル

学生時代からスポーツ万能だったマッスル北村氏は、ボクサーや競輪選手を目指していた時期もあったそうです。しかし大学時代の出逢いをきっかけに、ボディビル1本に絞り本格的にトレーニングを始めます。

始まりは大学時代に出場した選手権

東京大学に入学したときに、東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部に所属していた先輩に勧められて、選手権に出場しました。出場していた他選手との体格の違いを痛感し悔しい記憶しかなかったそうです。

マッスル北村の伝説とは?

振り返ってみると、マッスル北村氏の伝説はボディビルに出会う前から始まっています。彼を象徴するエピソードや獲得したタイトルなどについてまとめてみました。

16時間も自転車をこぎ続けた

伝説として語られているのが、中学2年生の頃のエピソードです。自宅と河口湖の往復を自転車でしていたところ、16時間経過したあたりで気を失ったとか。このとき、300kmのサイクリングに挑戦していました。

アジア選手権でのタイトル獲得

1985年にライトヘビー級のタイトルを獲得しています。後にWABBA世界選手権3位、WABBA太平洋世界選手権総合優勝など、数々の記録を残しています。しかしある疑惑により、失格になった大会もあります。

ストイックな減量で望んだ大会

タイトルを獲得したアジア選手権は4日前に急遽、招待されたものだったそうです。直前に大会があったこともあり体重を増やしすぎてしまったため賭けでストイックな減量にチャレンジし成功させることができました。

15時間のジョギング

マッスル北村氏は減量のために、120kmを15時間走り続けるストイックトレーニングに挑戦します。倒れることなく完走し、見事に14kgの減量に成功。足の爪が剥がれて靴の中は血まみれの状態だったそうです。

ステロイド疑惑は本当?

タイトルを獲得した翌年、1986年の大会の尿検査でステロイド剤の検出が言い渡されました。この際に検査で認められたのが「ナンドロロン・デカノエイト」というステロイド剤でした。

沈黙を貫いたマッスル北村

このステロイド剤の使用については、沈黙を貫いていたマッスル北村氏。当時、彼は「思い出したくない封印したい過去」として、一切語ることはしませんでした。

ステロイド疑惑は捏造だった?!

親しくしているジムの会長が、ステロイド疑惑をきっかけに嫌がらせを受けているという話を聞き、マッスル北村氏は激怒。めったに怒らない彼が、我慢できずに封印していた過去について話しました。

尿をすり替えられていた

マッスル北村氏はある女性ビルダーと尿をすり替えられていたと話します。その女性ビルダーは当時ドーピングコントロール委員長の不倫相手だったそうです。再検査や検査結果の開示なども拒否されたとか。

14年後に真実を知る

尿をすりかえたのは、女性ビルダーに好意を寄せていたマッスル北村氏の先輩でした。14年後に当時について質問したところ、尿のすり替えを認める返事をしたそうです。

ファンは安堵

ステロイド疑惑が出た当初は、裏切られた気持ちになったファンも少なくなかったようです。しかし真実が明かされたことにより、ステロイド疑惑は捏造だったと解明され安堵した声も多く挙がっています。

マッスル北村は亡くなった?死因は?

目標や夢を達成するために全力で取り組み続けたマッスル北村氏でしたが、両親にボディビルを認めてもらうという目標は叶えられなかったようです。わずか39年で命を落としてしまった理由は何だったのでしょうか?

2000年に39歳で亡くなる

2000年7月に群馬県で開催されたイベントに参加したわずか4日後、8月3日にマッスル北村氏は命を落としました。「限界に挑戦したい」と語りましたが、まさか本当に限界を迎えるとは思っていなかったでしょう。

死因は餓死?

マッスル北村氏の死因は簡単に言うと餓死です。このときは、世界選手権に向けてトレーニングを続けていた時期でした。いつもとおり、極限のトレーニングを続け餓死状態になってしまったのでしょう。

2000年5月から減量

マッスル北村氏は2000年5月から減量をスタートしていました。その仕上がりはパーソナルトレーナーを務めていた渡辺実氏も「次元が違った」と評価するほど、過去最高のものだったそうです。

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