河津左衛子は役所広司の妻!馴れ初めや若い頃の写真・息子・娘についても エンタメ

河津左衛子は役所広司の妻!馴れ初めや若い頃の写真・息子・娘についても

役所広司の妻は河津左衛子であり、女優として活動していた時期もありました。2人の馴れ初めや若い頃の写真が気になるという人も多いでしょう。今回は河津左衛子について息子である橋本一郎や娘が小松菜奈である噂、役所広司の身長、女優引退後の活動も含めて詳しく紹介します。

目次

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河津左衛子はどんな人?

役所広司は知らない人がいないほど有名なベテラン俳優ですが、その妻である河津左衛子も女優のお仕事をしていました。役所広司の妻として名前は聞いたことがあるという人も多いでしょう。

ここでは、河津左衛子がどのような人なのか基本プロフィールを紹介します。

基本プロフィール

河津左衛子は1951年10月10日生まれで、現在69歳です。河津左衛子は芸名であり、本名は橋本さえ子という名前です。

桐朋学園を卒業しており、その後女優として映画に出演しました。今ほどメディアが発達していない時代だったため、ほとんど出演作の記録や写真は残っていません。

1988年に公開された映画「西遊記」では、観世音菩薩を演じています。

役所広司の妻

河津左衛子は結婚してからテレビ出演しなくなったため、今では名前を知っている人も少なくなってきました。それでも彼女の存在が忘れられていないのは、俳優の役所広司の妻だからです。

俳優と女優が結婚することも少なくありませんが、一般人とは異なり夫婦セットで報道されるので役所広司が有名になると自然と河津左衛子の名前もよく聞かれるようになりました。

役所広司の身長や本名

役所広司は1956年1月1日生まれの65歳です。長崎県諫早市出身で、無名塾を経て現在はワイ・ケイ事務所に所属しています。

本名は橋本広司ですが、無名塾に入った際に役所勤めであったことから役所広司という芸名が与えられました。アカデミー賞受賞やハリウッド作品に出演するなど実力派俳優として知られています。

身長は178cmであり、すらっとした体型を今でも保っています。

河津左衛子と役所広司の馴れ初めについて

結婚してから40年が経とうとしている役所広司と河津左衛子ですが、馴れ初めが気になる人も多いでしょう。2人はどのように知り合い、いつ結婚したのでしょうか。

ここでは2人の共演や馴れ初めについて紹介します。

無名塾で知り合う

役所広司と河津左衛子が知り合ったのは、無名塾でした。当時の無名塾は劇団の東大と言われるほど難関であり、倍率は200倍だったと言われています。

無名塾は学費無料で3年間仲代達矢から直接指導を受けられると人気の劇団でした。河津左衛子は劇団員公募前に既に無名塾に所属していました。

役所広司は1978年に2期生として入団し、まだ人数も少なかったことから日常的に顔を合わせていたのでしょう。ただし、無名塾は恋愛禁止のルールがありました。

1982年結婚

1978年に出会ってから4年後の1982年に2人は結婚しました。おそらく無名塾所属中に恋愛関係に発展していますが、恋愛禁止のルールがあるので交際時期は明かされていません。

芸能人2人の結婚でしたが、大々的に結婚会見を開いたり結婚式を執り行ったりすることはありませんでした。周りへの影響を考えて家族で結婚式をした可能性もあります。

1983年CMで共演

河津左衛子は結婚後、家庭に入ることを選んだため夫婦での共演作品はほとんどありません。現在でも記録が残っているものに、1983年の「ハウス ザ・カリー」のCMがあります。

このCMは結婚した翌年に放送されたもので、これ以降河津左衛子がメディアに出ることはほとんどなくなりました。しかし役所広司夫妻は今でもラブラブのようです。

河津左衛子が所属していた無名塾とは

河津左衛子と役所広司の馴れ初めにも登場した無名塾は、様々な有名俳優や女優を生み出している劇団です。ここでは、無名塾がどのような劇団なのかを紹介します。

1975年誕生の稽古場

無名塾は、1975年3月に仲代達矢の自宅稽古場に集う若手俳優の間で発足しました。1977年から公募をスタートし、オーディションに合格すると入団できるようになりました。

養成コースは3年間で、1年目で人格的修練とプロ俳優になる適性があるのかをチェックします。実力がある者だけが2年目に進め、アルバイトは禁止とされています。

1993年には文芸演出部が発足し、仲代達矢の妻である宮崎恭子に師事しました。しかし1997年に宮崎恭子が癌で亡くなり、文芸演出部も無くなっています。

所属していたおもな俳優

無名塾は3年間の養成コースですが、卒業後に芸能事務所に所属した後も無名塾に籍を置き続ける人も多くいます。無名塾出身の俳優は実力派として長年活躍する人が多いです。

所属していた主な俳優としては、2012年公開の映画「わが母の記」で主演を演じた赤間麻理子やドラマ「半沢直樹」でブレイクした滝藤賢一などがいます。

真木よう子も無名塾に所属していましたが、仲代達矢の勘違いによって怒られたことに納得いかずそのまま退団してしまいました。

河津左衛子は美人!若い頃の写真はある?

河津左衛子はメディアへの出演も少ないため、若い頃の写真はほとんど残っていません。現在も名前は出るものの出演することはないですが、若い頃の写真を見る限りとても美人です。

特に、役所広司と一緒に写っている写真は多くありません。

河津左衛子と役所広司には息子がいる

1982年に結婚した2人の間には息子が誕生しています。娘もいるとの噂がありますが、果たしてこの噂は本当なのでしょうか。

ここでは、河津左衛子と役所広司の子供について紹介します。

息子は橋本一郎

河津左衛子と役所広司の息子は、1985年10月17日生まれで俳優として活動している橋本一郎です。2007年に「俺は、君のためにこそ死ににいく」でデビューしました。

身長は170cmと父親ほどは大きくありません。役所広司とは苗字が異なることから親子であるとはあまり知られておらず、驚く人も少なくありません。

親の七光りで有名となる芸能人も多いですが、橋本一郎の場合は役所広司の名前を借りることなく自身で俳優の道を切り開いています。

娘が小松菜奈はデマ

2014年公開の映画「渇き。」で女優の小松菜奈と役所広司は親子役を演じました。元刑事の父親が失踪中の娘の消息を追うと、娘の恐ろしい素顔を知るというストーリーです。

作中の演技がとても自然であり、本物の親子に見えたことから役所広司の娘は小松菜奈だと勘違いする人もいました。しかし役所広司夫妻に娘はいません。

河津左衛子は女優引退後何をしている?

河津左衛子は結婚後に芸能活動を引退し、そこからメディアに出ることはほとんどなくなりました。女優引退後に何をしているのか、家庭に入ったのか疑問に思う人も多いです。

ここでは河津左衛子の女優引退後の仕事について紹介します。

個人事務所の社長

結婚した翌年の1983年に役所広司夫妻は個人事務所を設立しました。社長は河津左衛子が務めており、スケジュール管理も彼女がしています。

事務所名義で4階建てのビルと自宅を所有しており、土地と建物だけでも17億円以上の資産になると言われています。きっちり管理されているため、経営も上手くいっているようです。

仕事に厳しい

ベテラン俳優の役所広司ですが、仕事のこととなると妻の河津左衛子を恐れているようです。仕事に厳しい性格で、常に妻の評価を気にする一面もあります。

妥協は許されないため、どんな作品でも全力で向き合っています。俳優として長年活躍できている背景には、河津左衛子の存在が欠かせなかったでしょう。

河津左衛子は役所広司を陰で支えていた

今回は、役所広司の妻として知られる河津左衛子について詳しく紹介しました。結婚後は女優を引退し、個人事務所の社長をしながら夫を支えています。

今でも役所広司がベテラン俳優として活躍できている背景には、河津左衛子のサポートがありました。恐妻家と言われることもありますが、今でも夫婦仲は良いです。

これからも二人三脚で俳優生活を続けていくでしょう。