不思議な魅力・大御所美輪明宏の昔はかなりの美少年だった?!

みなさんご存知、美輪明宏さんは今年で84歳です。若い人には、ジブリ映画の「もののけ姫」「ハウルの動く城」のイメージが強いかもしれないですね。今回は、美輪明宏さんの若い頃のこと、三島由紀夫との関係や、美輪さんの霊感などについて調べてみたいと思います。

↓↓↓↓↓他の方はこちらの記事も読んでいます↓↓↓↓↓

美輪明宏の待ち受け画像の効果!!運気や恋愛運が上がるは本当?!

大御所・美輪明宏の昔はハーフ顔の美少年!?

これは若いころの美輪明宏さんです。まるで少女漫画から飛び出してきたような美少年ですよね。当時、「神武(じんむ)以来の美少年」と呼ばれていたそうです。そんな美輪明宏さん、その美貌で10代から“ボーイフレンド”には不自由しなかったといいます。

中学時代には既に彼氏は“とっかえひっかえ”で、20代前半には『今、つきあってるのは20〜30人』と雑誌のインタビューで豪語していたほどモテモテぶりでした。ホリの深い顔立ちから「ハーフなの?」と思われがちですが、ご両親はれっきとした日本人です。

大御所美輪明宏のプロフィール

  • 【本名】丸山 明宏
  • 【出生名】幼名 臣吾
  • 【生年月日】1935年5月15日
  • 【出身地】長崎県長崎市
  • 【学歴】 国立音楽大学附属高校中退
  • 【職業】シンガーソングライター、俳優、演出家、タレント
  • 【所属事務所】オフィスミワ

美輪明宏は1935年5月15日生まれの84歳です。長崎県長崎市で生まれた美輪明宏さんの本名は、丸山明宏と言います。幼名は臣吾という名前だったようです。美輪明宏さんは若い頃から芸能界入り、1971年ごろまで、丸山明宏の名前で活動していたようです。

大御所美輪明宏の昔・生い立ちや経歴!!

美輪明宏さんの生い立ちは、5人兄弟の次男として長崎市で生まれました。美輪明宏さんの実家は長崎市内の『丸山遊郭』と呼ばれる、遊女や芸者が集まる遊郭の街でした。そして、実家はそこで『世界』という名前のカフェを経営していたようです。

美輪明宏さんの生い立ちには、そういった特殊な街並みの中での生活は重要なキーポイントだったかもしれません。美輪さんがまだ幼い年齢のころに、第二次世界大戦が始まったことから、敵国の文化であるカフェの営業の継続は難しいと考えて、カフェは閉店したようです。

そんな生い立ちの美輪さんの若い頃の姿がこちら!日本人とは思えないほど、キリッとして中性的なフェロモンのある姿ですよね。いまの独特な雰囲気は、すでに若い頃から持っていたのです。しかし、美輪さんがここまでくるのには、辛い生い立ちがの経験があったのです。

大御所美輪明宏の昔!!つらい過去とは?

美輪明宏さんの生い立ちには、戦争が大きく関わっています。第二次世界大戦が始まり、長崎に原爆が落とされたとき、美輪明宏さんも爆心地から約4キロの地点に居たそうです。このとき10歳だった美輪明宏さんは、原爆投下から6日経った終戦の日に、

祖父母を1人で探しにいって、その惨状を目の当たりにしたのです。そもそも、美輪明宏さん自身も爆心地から4キロ離れていたとはいえ、あの爆発の光を見ており、近隣の建物も爆風で飛ばされていた状態だったのです。原爆の影響により、

カフェから金融業に転職していた父は、貸し付けたお金がまったく返ってこなくなり、困窮に陥ります。このころの年齢の美輪明宏さんは、父の後妻が他界し、その後の妻も失踪し、幼い異母兄弟たちと貧しい生活を送る日々が続いていました。

NEXT 大御所美輪明宏の昔・歌手デビュー!!