日本三大悪女は誰?悪女と呼ばれる理由をエピソードでご紹介! エンタメ

日本三大悪女は誰?悪女と呼ばれる理由をエピソードでご紹介!

世界三大美女があるように、日本三大悪女もあります。有名なのは日野富子・北条政子・淀殿の3人であり、他にも藤原薬子など有名な人物が名を連ねています。今回は現代の日本三大悪女が誰なのかを含め、悪女と言われるようになった理由やエピソードを紹介します。

目次

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日本三大悪女の三人は一体誰?

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どの時代でも悪い人はいますが、中には歴史に残り何百年と語り継がれるようなエピソードを持っている人もいます。世界三大美女など何かと3人選ばれることが多いですが、悪女も「日本三大悪女」が選ばれています。

今回は、日本三大悪女が誰なのかを紹介し、なぜここまで有名になったのかという理由やエピソードを紹介します。

日本三大悪女①日野富子

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日本三大悪女1人目は、「日野富子」です。歴史の教科書などではあまり見かけないため、「そんなに有名な名前ではないのに、本当に歴史に残るような悪女なの?」と思う人もいるかもしれません。

では、日野富子のプロフィールや日本三大悪女に数えられる理由を見ていきましょう。

日野富子のプロフィール

日野富子の誕生日は詳しくわかっていませんが、1440年に京都で生まれたと言われています。1496年に57歳で亡くなっています。

日野家は足利家と縁戚関係にあったことから、日野富子も16歳で足利義政の正室となりました。京都にある華開院に日野富子の墓があると伝えられています。

悪女エピソード

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日野富子は若くして正室となり、足利義政が政権を握った際には政治にも大きく関わりました。側室が正室に嫉妬して殺してしまうなどのエピソードはよくありますが、正室である日野富子は何をしたのでしょうか。

ここでは、日野富子の悪女エピソードを紹介します。

乳母や側室を追放

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1455年に足利義政の正室となり、1459年には第一子を出産しました。しかしその日のうちに亡くなってしまい、悲しみに暮れていました。

亡くなったのは誰のせいでもありませんでしたが、日野富子はこれを義政の乳母である今参局の呪いだと責めたのです。そして彼女は琵琶湖沖島に流刑となり、その途中で自刃しました。

他にも、義政の側室であった4人の女性も追放しています。

応仁の乱を起こした

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1467年からおよそ11年間にわたって行われた「応仁の乱」も、きっかけは日野富子にあるという説が有力です。第一子を亡くした後、2人産みましたがどちらも女児で跡継ぎが生まれませんでした。

そして義弟の義視を跡継ぎ候補として京都に呼び戻した矢先、男児を授かりました。義視が邪魔になり、日野家と対立したのです。これに様々な問題が絡み合い、応仁の乱へと発展しました。

この時日野富子は細川勝元が総大将の東軍についていましたが、どちらの軍の大名にも金銭の貸付を行うなどしてお金儲けをしていました。

地位を利用し、私腹を肥やした

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日野富子の庶民からの評判は悪く、「守銭奴」と呼ばれることが多かったようです。戦乱の世で庶民たちが貧しさに苦しむ中、彼女は巨万の富を築いていました。

亡くなった際の遺産は70億円にも達していたとされ、夫である義政が東山山室を造営していた時は金銭援助をしなかったようです。そのため、「天下の悪妻」と呼ばれることもありました。

日本三大悪女②北条政子

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日本三大悪女の2人目は、歴史の教科書にもよく登場する「北条政子」です。北条政子は源頼朝の妻として有名であり、周りの反対を押し切って結婚したエピソードも知られています。

恋愛ドラマにできそうなほどロマンチックなエピソードですが、なぜ北条政子が日本三大悪女の1人に選ばれたのでしょうか。

北条政子のプロフィール

北条政子は1157年、伊豆国の豪族とされる北条時政のところに長女として誕生しました。この時、時政は平治の乱で伊豆に流されていた源頼朝の監視役を務めていました。

しかし時政が在京中、北条政子と源頼朝は恋仲へと発展してしまいました。時政から大反対を受けましたが、長女が誕生する頃には2人の結婚を受け入れていたようです。

1255年に病気のため亡くなりました。お墓は鎌倉の寿福寺にあると伝えられています。

悪女エピソード

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政略結婚がほとんどだった時代には珍しく、北条政子と源頼朝は恋愛結婚をしました。北条政子は気の強い妻であると知られていましたが、なぜ悪女と言われるようになったのでしょうか。

ここでは、北条政子の悪女エピソードを紹介します。

嫉妬のあまり、屋敷を破壊

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当時は正室の他にも子孫を多く残すために側室を持つことは当然でした。しかし源頼朝のことを深く愛していた北条政子は、一夫多妻ですら嫉妬の対象になっていたのです。

2人目を妊娠中に頼朝が「亀の前」という女性を寵愛しているという噂を耳にしました。これに北条政子は激しく怒り、亀の前が住んでいた伏見広綱の屋敷を打ち壊したのです。

頼朝はこれに怒って打ち壊しを実行した牧宗親のマゲを切り落とし、今度は北条政子が広綱を流刑にしました。本来は側室に嫉妬すべきではないと言われているため、悪女という評判がついたようです。

子供を殺して政権を取った?

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北条政子は長男の頼家を幽閉し、その翌年に頼家は暗殺されました。そして三男の実朝が3代将軍となりましたが、1219年に頼家の息子の公卿に殺されてしまいます。

口封じのために公卿も殺され、すでに娘は亡くなっていたため、これで源頼朝の血は絶たれました。こうして北条氏が実質的な指導者となり、100年以上続く執権政治へと移行しました。

この2件の暗殺事件が北条政子の指示によるものかは分かりませんが、あまりに都合が良いため、息子たちの命と引き換えに北条家を選んだ悪女と言われています。

日本三大悪女③淀殿

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最後の日本三大悪女に数えられる人物は「淀殿」です。淀殿のプロフィールを見るとともに、なぜ日本三大悪女と言われるようになったのか、エピソードも見ていきましょう。

淀殿のプロフィール

淀殿は1569年頃に浅井長政の娘として生まれました。母親は織田信長の妹であり、信長は叔父にあたります。本名の「浅井茶々」もよく知られています。

父と叔父が対立してしまったことで、父は1573年に自刃、母と三姉妹は落城となりました。1582年には信長も本能寺の変で自刃し、母は柴田勝家と再婚しました。

幸せは長く続かず、勝家は豊臣秀吉と対立して母とともに自害してしまいます。三姉妹は政略結婚のために別々の将軍と結婚することとなり、淀殿は父を殺した秀吉の妻となったのです。

悪女エピソード

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日本三大悪女3人目の淀殿は、どのようなエピソードから悪女と言われるようになったのでしょうか。ここでは、日本三大悪女に数えられるようになった理由を見てみましょう。

豊臣家を滅亡させた?

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淀殿は徳川家康との対立によって、豊臣家を滅亡させたと言われることが多く、これが日本三大悪女に数えられる理由のひとつになっているようです。

徳川家康は淀殿の子供である豊臣秀頼に二条城への上洛を求めていました。これに対して淀殿は断固拒否し、「無理強いするなら秀頼を殺して私も死ぬ」と毅然とした態度をとっていました。

両軍の意図解釈の齟齬が原因で1614年に大坂の陣が起こり、淀殿や秀頼は自害を余儀なくされました。これによって豊臣家は滅亡してしまったのです。

不義の噂

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豊臣秀吉は他の将軍と同様、なるべく多くの子孫を残そうと闘いの間を縫って子作りに励んでいました。多くの側室を抱えながらも、一向に子宝に恵まれることはありませんでした。

淀殿が豊臣秀吉からとても愛されていた、他の人とは愛され方が違ったと言われたのは、豊臣秀吉との間に2人の子供が誕生したためです。

しかしこれまで子供ができなかった秀吉に急に子供ができるのはおかしいと感じた人も多くいました。他の男性との間にできた子供だったのではないかという噂もあり、不義の女というレッテルを貼られていました。

日本三大悪女以外に悪女として有名な人物

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日本三大悪女には入っていないものの、彼女たちと競うくらい悪女と呼ばれている女性は他にもいます。ここでは、2人の悪女を紹介します。

藤原薬子

藤原薬子は平安時代初期を生きた女性で、薬子の長女が平城上皇の妻となりました。しかし、平城上皇と不倫の関係に発展してしまうのです。

これに桓武天皇は激怒し薬子を宮中から追い出しますが、桓武天皇が亡くなると再び戻ります。夫が邪魔になったため、太宰府の長官として九州へと単身赴任の状態にさせました。

自身の地位を上げるため、平城上皇を再び天皇に就かせようと奮起します。作戦は失敗に終わり、平城上皇は出家し、薬子は薬で自害しました。

春日局

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徳川家光の乳母であり、大奥を築いたことでも知られる「春日局」も悪女として知られています。三条西家の養女であり学識経験に富んでいるため、教育係として家康から乳母に任命されました。

家光は男色好みとして知られていましたが、春日局は家光に子孫を作らせるため大奥を築いて側室を教育し、家光が興味を示すような女性に育て上げました。

悪女と言われているのはイメージであり、家康にも臆さず物言いしていたことや権力を持っていたことから多くの人に恐れられていたためでしょう。

現代の日本三大悪女といえば?理由は?

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昔は現代と事情が異なり、政治のやり方や結婚制度など違いが多いため単に誰が悪女であるかは分かりません。現代においては、お金への執着が強い人や嫉妬深い人が悪女とされることが多いです。

では、現代で日本三大悪女をつけるとしたら、どのような人物が挙げられるのでしょうか。ここでは、理由とともに3人の女性を紹介します。

紗栄子

紗栄子は1986年11月16日生まれの宮崎県出身です。モデルとして活躍した後、2007年に野球選手のダルビッシュ有と結婚しました。

2人の男の子を出産した後、2011年から別居となり翌年には離婚が成立しました。この時、月に100万円もの養育費をダルビッシュ有に請求したという記事も出ました。

これによって法外な養育費を取っているとバッシングを受けましたが、記事は事実ではないようです。養育費は受け取っているものの、一切手をつけていないことを明かしました。

高岡由美子

女優の高岡早紀の妹である高岡由美子は、鹿島アントラーズに在籍していたJリーガーの本田泰人と2000年に結婚しました。その後、第一子を出産し、2009年に離婚しています。

夫婦揃ってバラエティ番組に出演した際、浪費癖がひどいことが取り上げられて鬼嫁と言われました。本田泰人の会社から横領したり、借金を重ねたりしたようです。

その後、別の男性と結婚して第二子が誕生しましたが、こちらも離婚しています。

重元直美

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大阪パフォーマンスドールのメンバーとして活動していた重岡直美は、2003年に次長課長の河本準一と結婚しています。子供も2人生まれ、幸せな結婚生活を送っているように見られました。

しかし2012年に河本の母親の生活保護不正受給問題が発覚し、世間からは強いバッシングを受けました。河本が母親に送金する際には、「うちで稼いだお金をなんで送らないかんの?」と激怒したようです。

義母への送金さえも嫌がったことから、稼いでいても周りを助けようとはしない悪女として取り上げられてしまいました。

日本三大悪女はたくましかった

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今回は日本三大悪女と呼ばれる3人の女性と、現代の日本三大悪女と噂される人物を紹介しました。今回取り上げた女性はどなたも気が強く、たくましい方ばかりです。

実際に悪事を働いた人もいますが、ほとんどは皆が恐れているような権力者であり、実際に悪女であったかは分かりません。これから、どのような女性が現代の日本三大悪女と言われるのか楽しみにしておきましょう。