ステーキ畠と福知山線事故の関係は?名前の由来や現在についても エンタメ

ステーキ畠と福知山線事故の関係は?名前の由来や現在についても

ステーキ畠は福知山線事故の関係者であり、衝突されたマンションの住民でした。高額なステーキや寿司の料金をJR側に要求したことが名前の由来となっており、テレビのインタビューでも何度も登場しています。今回はステーキ畠について、現在の情報も含めて紹介します。

目次

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ステーキ畠とはいったい誰?

Free-Photos / Pixabay

ステーキ畠は福知山線事故の被害者の一人であり、高額なステーキや寿司の食事代をJRに要求したことで「ステーキ畠」と呼ばれるようになりました。その他にも理不尽な要求が多かったようです。

事故から15年が経ってステーキ畠のことをいまだに覚えている人はいますが、その事故すら記憶にないという人もいるでしょう。今回は福知山線事故の概要を紹介するとともに、ステーキ畠について紹介します。

ステーキ畠は福知山線事故の関係者

ステーキ畠は2005年に起きた福知山線事故の関係者の1人です。この事故では100名以上が亡くなり、交通機関の事故の歴史に残る惨事となりました。

まずは福知山線事故について、ステーキ畠がどのような人物なのかを含めて紹介します。

福知山線事故について

2005年4月25日、福知山線の塚口駅ー尼崎駅間で起こりました。カーブで7両編成の電車が5両脱線、うち4両は完全に線路から逸脱していました。

先頭2両が線路脇のマンションに追突し大破、3・4両目は反対側の下り車線に逸脱していました。接近中の電車もありましたが、目撃者が踏切非常ボタンを押していたため二次被害は起こりませんでした。

1両目はマンションの駐車場に激突しており、事故に巻き込まれた車も多くありました。ガソリン漏れの引火を恐れて電動カッターを使用できず、救助作業は困難を極めました。

ステーキ畠は脱線した列車が衝突したマンションの住民

ステーキ畠の本名は畠利明で、脱線した列車が衝突した線路脇のマンション「エフュージョン尼崎」の住民でした。事故当時、3階に住んでおり事故のある3分前に駐車していたようです。

見た目も普通の人であり、受け答えもしっかりしていたためインタビューに登場することも多くありました。最初はただの被害者として見られていましたが、次第に「ステーキ畠」と呼ばれるようになりました。

駐車してからすぐにその場を離れたため電車の衝突に巻き込まれることはなく、大きな怪我も負っていないことが不幸中の幸いでした。

白い車の持ち主でもある

JOERG-DESIGN / Pixabay

ステーキ畠が事故当時に駐車場に停めていたのは白いワゴン車です。事故当初、国土交通省からは電車とワゴン車との衝突による脱線事故と発表されていました。

地上にある駐車場にはステーキ畠の車しか駐車されておらず、後部が押しつぶされ屋根部分は左部分が持ち上がっていました。

ステーキ畠の証言と車の壊れ方から推理できる状況に食い違いがあり、捜査は撹乱しました。事故当時、第三者によって白い車が運転されていた可能性もささやかれていました。

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