暴力団関係者との交友で引退した島田紳助の芸能界復帰はあるのか!? お笑い

暴力団関係者との交友で引退した島田紳助の芸能界復帰はあるのか!?

2011年の引退後、公の場に一切でることもなく、週刊誌などで動向がキャッチされる島田紳助。いまだに動向が気になる存在であることの裏返しでもある。それは何故か? 当時の政界からも一目置かれた島田紳助の今と復帰があるのか可能性を探ってみました。

島田紳助と暴力団との関係? 記者会見に至る経緯とは?

2011年8月23日19時頃、吉本興業よりマスコミ各社にファックスにて「島田紳助に関する緊急記者会見開催」が通知され、同日22時より記者会見が開催される。引退事由として「暴力団関係者との交際が発覚して、けじめを付けるために自らの意思で引退する」説明がされる。

島田紳助と暴力団関係者との交際発覚の経緯

島田紳助と暴力団関係者の交際が始まった時期は不明である。しかし、関係者と交友した写真が明らかになっており、交友した回数も多数あったこと、発覚した経緯が暴力団関係者の間で交わされたメールであり、その事実を警察から吉本興業にもたらされ本人に確認、事実を認める。交友相手は山口組極心連合会長及び相談役とわかっています。

島田紳助の引退後の動向とは?

2011年の引退後、芸能界やマスメディアの露出は一切なく、マスコミの動向取材で沖縄などの本人所有の別荘などで過ごしている。公の場に出てきたのは2014年8月に亡くなった同級生の葬儀、同年8月26日に」大阪・なんばHatchで開催されたRYOEIの5周年記念コンサートにサプライズ登場したのみとなっています。

マスコミなどのインタビューには?

8ヶ月の沈黙を破る形でインタビューが掲載され、紳助は「僕は芸能界に未練はない」「沖縄での隠棲生活は『精神的にギリギリの苦しさ』やった」などと振り返り、最後に「これからは世界を旅したい。人間生きてるだけで幸せだと思う」と語ると同時に芸能界復帰や政治家転身を否定した。
(引用:週刊文春)

芸能界に入るまで島田紳助とは?

1956年3月24日生れ、本名:長谷川公彦、京都市南区出身、元タレント・司会者・作詞家、お笑いコンビ紳助・竜介、温厚な家庭環境と教育熱心な親の元で育つも馴染めず素行不良を繰り返し、補導経験が多数あり少年院も経験している。また、当時のヤクザの関係者に憧れていたことを認めていた。

この素行不良の状態を父親は「話をすれば解決する」と述べ、息子に一度も激怒せず擁護した。島田紳助は父のことを「鳩みたいに真面目で温厚な性格」と語っていたが、その父親も引退会見の年、2011年10月20日に亡くなっている。

芸能界入りした後の島田紳助とは?

1976年島田紳助・松本竜介がコンビを結成、松本竜介は同期である明石家さんまの紹介である。1977年7月15日の京都花月の中席でデビュー、第8回NHK上方漫才コンテストの予選を通過、決勝戦まで進み優秀敢闘賞を受賞した。芸風はリーゼントヘアとつなぎ作業服で落ちこぼれの気持ちを代弁する「ツッパリ漫才」であった。

芸能界での島田紳助の活躍とは?

1980年代に入り漫才ブームが到来、1980年4月1日、フジテレビの火曜ワイドスペシャル枠で『THE MANZAI』第1回目から出演し、1981年5月16日、フジテレビ系列で特番として『オレたちひょうきん族』が放送開始から出演するなの人気絶頂を迎える。しかし本人曰く「直球勝負しかなく限界を迎えた」のも事実だった。

島田紳助の転機があった!

漫才ブームの終焉時期である1985年5月16日コンビを解散、その前後で島田紳助として冠番組を持っていましたが、大きな転機になったのは「サンデープロジェクト」の司会を受けたことではないでしょうか。通称「サンプロ」は政治・経済などを議題に政治家・専門家が討論をする番組で1989年4月~2014年3月まで務めました。

島田紳助とサンデープロジェクト

当時、お笑い芸人が政治・経済の討論番組に出ること自体、ほぼ皆無であったが、島田紳助が選ばれ出演、好評を得たことで後に続く「お笑い芸人が出演や司会をする」流れを作った画期的な番組と言えます。島田紳助自身も「サンプロで勉強になったし、勉強した」と述べていて、のちに噂された政界入りもこの番組があったと言えます。

島田紳助の政界での交友関係とは?

サンプロでは政治家や経済界などから出演していたこともあり、面識のある方々は多かったと思われ島田紳助の司会番組から政治家への転身した元大阪市長橋本徹や参議院議員丸山和也などがいる。それ以外には本人も明言を避けたこともあり明らかになっていません。しかし、橋本徹の成功例を基に出馬を要請がったと推測されます。

島田紳助と元大阪市長橋下徹の関係

橋下徹は島田紳助が司会をしていた「行列ができる法律相談所」に2003年4月から出演し、面識を持っていたこと。本人も「紳助さんの番組がなければ知事になれなかった」「非常に残念であり、(引退会見を見て)つらかった」「バラエティーの世界で、宝であるのは間違いない」と述べている通りである。

丸山和也も「行列のできる法律相談所」から政界入りしたこともあり、サンプロによって政治に詳しい島田の助言はある程度二人に影響を与えたものと思われ、当時、政界から話があった要因にもなっている。

島田紳助がなぜ政界入りを噂されるのか?

これまで述べてきた通り、政治家出演番組で取り仕切ってきたことで政治に明るいこと、また、芸能界から政治家転身した人物がいたことや応援演説に一定の支持があったことから政界への誘いは多かったものと思われます。しかし、それは引退前までの話であり、引退後は政界などからそのような話は上がってきていません。

島田紳助が持っていた主な冠番組・出演番組とは?

今も続く番組は、テレ東京「開運!なんでも鑑定団」、日本テレビ「行列のできる法律相談所」「人生が変わる1分間の深イイ話」、引退前後に出演していた番組としては「クイズ!ヘキサゴンII」「紳助社長のプロデュース大作戦!」「クイズ!紳助くん」などがあり、島田紳助が出演していた番組から多数のタレントが有名になっています。

一定の視聴率を取れていたこともあり、島田紳助の冠番組も多く、また、司会をしていた番組、特に「クイズ!ヘキサゴンII」では里田まい、つるの剛士、木下優樹菜、スザンヌ、野久保直樹や上地雄輔などがその後活躍している通りでした。

島田紳助が起こした事件

2004年10月25日、朝日放送社内にて勝谷誠彦の女性マネージャーを別室に連れ込み拳や物で殴る、髪を掴んで壁に打ちつける、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、全治1週間の頸椎捻挫を負わせた。

傷害事件の経緯

『クイズ!紳助くん』収録前、勝谷誠彦の女性マネージャー(当時40歳)が、紳助の尊敬する会社の社長や先輩芸能人を呼捨てにして話すのを聞き、さらにその女性が会社に入って当時既に5年目と知り、説教目的でその女性を別室に連れ込む。しかし、反省の様子が全くないと勝手に腹を立て、暴行を加えた事件。

傷害事件の発覚

被害女性は大阪府警大淀警察署に診断書を提出し、10月28日付で傷害容疑で告訴した。紳助は警察に訴えられたと知ると、同日に吉本興業の東京支社で記者会見を開き、暴行傷害の容疑を認め、テレビカメラの前で「100対0で僕が悪いです」「被害者が芸能界を辞めろと言うならすぐに辞めます」と言って涙を流して反省している様子を見せた。

事件の刑事処分

大阪府警大淀署は11月4日、紳助を「加害者」として傷害罪の疑いで書類送検、検察が略式起訴を請求し、大阪簡易裁判所において、「罰金30万円」の略式命令が下され、正式裁判の請求がなされることがなかったため有罪が確定した。

島田紳助の暴行事件の影響、謹慎処分と復帰

島田紳助は、当初の11月4日までの芸能活動自粛期間の無期限延期を表明し、11月8日の読売テレビ・日本テレビ『キスだけじゃイヤッ!』を最後にテレビから一時期姿を消した。被害者からは「芸能界を辞めて」と引退を要求されていた。

謹慎開始の11月4日から2ヶ月程経過した後、2005年1月2日『行列のできる法律相談所』内の生放送にて復帰の挨拶と事件についての謝罪を改めて行って復帰した。この復帰には被害者は「早すぎる」「芸能界引退」を訴えるなど影響が後まで残った。

島田紳助の芸能界での交友とは?

芸歴が長かったこともあり親しい友人は多く、著名な方々では同期の明石家さんまや和田アキ子、笑福亭鶴瓶、上岡龍太郎、坂田利夫、やしきたかじん、ビートたけし、間寛平、B&B(島田洋七・島田洋八)、タモリ、大橋巨泉、所ジョージなどであり、特に明石家さんまや上岡龍太郎は共に関西出身として公私ともに親しかった。

芸能界復帰を促した人たちとは?

暴力団関係者との交友が発覚した後、芸能界の反応は様々であり、上岡龍太郎やビートたけしのように厳しい指摘もあったが、番組で共演して出世のきっかけとなった面々、大橋巨泉などは復帰はを希望しないまでも才能を惜しむコメントを発表していました。

島田紳助が復帰するための条件は?

島田紳助が芸能界に復帰できるための条件はあるのでしょうか? 暴力団関係者との交友は犯罪ではないがモラルの問題という意見が多かった。しかし、暴力団抗争事件で亡くなった方々や警察・公安関係者からも復帰には懸念が出ることは当然と言わざるを得ません。

そのため、復帰の条件には市民・視聴者などが「問題なし」との意見が多数が必要となるでしょう。ただし、引退が2011年と7年以上を経ており、「過去の人」という印象も増えている中での復帰は容易ではないでしょう。

島田紳助が芸能界の復帰はあるのか?

島田紳助自身は今の現状をどう思っているのでしょうか? 端的に言えば社会の空気は「反社会勢力と関わりがあった人」という印象が残っていることも、暴力団関係者との関わりに厳しい時代であることも、頭のいい人なので感じているはずです。

もし島田紳助が復帰するなら自叙伝発売か?

復帰という捉え方を変えて表の世界に出ない形での方法があるのでは? その一つとして今までの人生や考えを「自叙伝」などで発売する方法があります。仮に発売した時にインタビューや会見をしなければあり得るのでは?どうでしょうか。