オードリーヘップバーンの死因は?晩年や子供・孫についても エンタメ

オードリーヘップバーンの死因は?晩年や子供・孫についても

「銀幕の妖精」として現在も世界中の人々から愛されているオードリーヘップバーン。晩年はユニセフ活動に尽力し、癌が死因で命を引き取りました。オードリーヘップバーンが2度の結婚により授かった子供に残した名言や、彼女の美貌を受け継ぐ孫について紹介します。

目次

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オードリーヘップバーンの死因について知りたい

オードリーヘップバーンはアメリカ合衆国で活躍していた世界的に有名な、イギリス人女優です。晩年はユニセフ親善大使として活動していましたが、ある病により命を落とします。彼女の死因、生涯について紹介します。

オードリーヘップバーンはどんな人?

「銀幕の妖精」として世界中から注目されていたオードリーヘップバーン。現在もその美しさは幅広い世代で語り継がれています。亡くなってから20年以上も経っているが、今なお多くの人の心に残っている女優です。

オードリーヘップバーンのプロフィール

父親の血を受け継いだオードリーヘップバーンは、英語・オランダ語・フランス語・スペイン語・イタリア語を話すバイリンガルとなりました。彼女の人生の土台を築いた家族構成からみていきましょう。

  • 本名:オードリー・キャスリーン・ヘプバーン
  • 生年月日:1929年5月4日
  • 没年月日:1993年1月20日
  • 出生地:ベルギー・ブリュッセル
  • 国籍:イギリス
  • 身長:170cm

生後すぐに生命の危機が

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生後すぐ、オードリーヘップバーンは百日咳に羅漢します。一時心臓が停止したが、母親の心臓マッサージにより命をとりとめました。この時に命を落としていたら、銀幕でのあの美しい姿は見ることができませんでした。

オードリーヘップバーンの両親は?

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オードリーヘップバーンの母親はオランダの貴族出身。父親はさまざまな説がありますが、定職についたことが無かったようです。しかし13ヶ国語を話せる実力の持ち主だったと言われています。

9歳の時に両親が離婚

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オードリーヘップバーンが9歳の時、1939年6月に両親は離婚します。オードリーは母親に引き取られ、母子生活が始まりました。1度は看護師を目指しますが、19歳ごろから女優業を始めるようになります。

大人になってからは父親の支援も

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家族を捨てる形で家を出たオードリーヘップバーンの父親。元夫であるメル・ファーラーの協力により、赤十字社の活動を通して1960年代に再会します。後に父親が亡くなるまで、経済的な援助を続けていたそうです。

バレリーナとして経験をつみ銀幕女優へ

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ブリュッセル、ベエルギー、イングランドなど各地で過ごしたことがあるオードリーヘップバーン。1948年にはバレエを学ぶために、単身でロンドンに渡ります。ここで舞台経験をつみながら、映画出演を果たします。

絶世の美女と言われた女優

ローマの休日で主演を努めた彼女の存在感は、かなりのものでした。美貌と気品を兼ね備えながら、チャーミングな部分を覗かせる彼女の姿に「絶世の美女」として話題になったのは言うまでもありません。

世界に認められた美しさ

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アメリカ合衆国に拠点をおき活動していたオードリー。ハリウッド全盛期を支えた女優としても評価されています。アメリカンフィルムインスティチュートでは「最も偉大な女優50選」の3位になっているほどです。

数々の賞をもらう女優に

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ローマの休日では英国アカデミー最優秀主演英国女優賞、ゴールデングローブ主演女優賞を獲得します。後にアカデミー賞、エミー賞、トニー賞を授かりますが、これらを全て受賞している女優は数少ないです。

ローマの休日やティファニーで朝食を、が代表作

数々の作品に出演しているオードリーヘップバーン。「ローマの休日」や「ティファニーで朝食を」が代表作です。他にも「麗しのサブリナ」の主演も努めていて、ファッションアイコンとしても注目されています。

ヘビースモーカーだった?

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意外かもしれませんが、オードリーヘップバーンはチェーンスモーカーだったとか。「ローマの休日」や「ティファニーで朝食を」などでは、タバコを吸うシーンも取り入れられています。ケントを愛煙していたようです。

1993年63歳で死去した

1989年にユニセフ親善大使に任命され、晩年は女優業よりもユニセフ活動に勢力を注いでいました。しかし1993年1月20日に、63歳という若さでスイスの自宅にて息を引き取ってしまいました。

オードリーヘップバーンの死因は?

63歳という若さで亡くなってしまったオードリーヘップバーン。死因は1992年に発覚した癌でした。ユニセフ活動に力を注ぐ彼女の姿は、着飾ったりメイクをしたりせずとも、美しく輝いていました。

1992年に腹痛を訴えて検査をする

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ユニセフ活動を終えて、スイスに戻る最中に腹痛を訴えたオードリーヘップバーン。あまりの痛みに精密検査を受けることとなり、悪性腫瘍が発覚しました。発覚した時には、虫垂や小腸に転移していたようです。

悪性腫瘍が発覚

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オードリーヘップバーンの死因は悪性腫瘍と言われています。正確な病名は「腹膜偽粘液腫」。100万人に1人の割合で発症する、とても珍しい病気でした。発見した時には手の施しようが無かったのかもしれません。

スイスで癌のため死去した

癌発覚後に手術を試みましたが、その時には全身に転移していて手遅れの状態でした。病に勝てず、スイスの実家にて息を引き取ってしまいました。

オードリーヘップバーンの晩年は?

死因である癌により命を奪われたオードリーヘップバーン。彼女の訃報に世界中の多くの人々が涙を流すこととなったのは言うまでもありません。女優業から退いた彼女は、晩年どのように過ごしていたのでしょうか?

ユニセフ親善大使をしていた

70年代以降は女優業と共に、ユニセフ活動を始めます。1989~1992年はユニセフ親善大使として各国で支援を続けていたようです。死因となる癌が発見されたのも、ユニセフ活動からスイスに帰国した時でした。

スイスの自宅に移っていた

死因となった癌の治療中はロサンゼルスにて、過ごしていました。しかし余命わずかと知った家族は、オードリーヘップバーンの最期をスイスの自宅で過ごさせようと計画します。それはとても危険な賭けでした。

命がけのフライト

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医師からはスイスへのフライトを強く反対されます。気圧によりオードリーヘップバーンが腹膜炎を起こし、命を落とす可能性があるからです。医師と看護師が付き添い、なんとかスイスへの帰国を実現できました。

スイスに着き目を輝かせるオードリーヘップバーン

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スイスに到着したオードリーヘップバーンの目の輝き具合に、家族達は自分たちは間違っていなかったと確信します。彼女は家族や友人と穏やかな時間を過ごしました。1993年1月20日19時に息を引き取りました。

オードリーヘップバーンはスパイだった?

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オードリーヘップバーンに関する噂で浮上しているのが、スパイ疑惑です。これはあながち嘘ではありません。しかもそのスパイ疑惑を持たれたのは、オードリーヘップバーンが10代前半の頃の話でした。

反ドイツの抵抗軍の連絡係だった

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オードリーヘップバーンの幼少期は、第二次世界大戦真っ只中でした。その時に住んでいたアルンヘムは、ナチスドイツ軍に攻められている場所。彼女は反ドイツ抵抗軍の連絡係のようなことを請け負っていたようです。

常に地下で過ごしていた

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命を守るために、約5年ほど地下で隠れるように生活していた時期もあったようです。食料困難に陥り、餓死との戦いでもありました。彼女の芯の強さは、ここで養われたのかもしれません。

栄養失調に苦しんでいた時期も

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あまりにも食料が無かったため、チューリップの球根で餓えをしのいでいたこともあったそうです。そんな彼女たちを助けたのが、連合国救済復興機関(前ユニセフ)から支援された食料と医薬品でした。

オードリーヘップバーンは結婚していた?子供は?

オードリーヘップバーンと言えば、ユニセフ活動や女優業がクローズアップされがちです。今度は彼女の私生活について見ていきましょう。何度か流産経験もあり辛い時期を過ごしていたこともあるようです。

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