八村塁はハーフ?父親がアフリカ人で兄弟もバスケをしている! エンタメ

八村塁はハーフ?父親がアフリカ人で兄弟もバスケをしている!

八村塁さんはハーフの方で、両親は中学1年生のころに離婚し、弟と妹がいる様です。運動神経抜群で身長も高く、幼い頃は野球、中学からバスケを始め、高校ではウィンターカップ3連覇、そしてアメリカの名門ゴンザガ大学で大活躍。そんな八村塁さんの生い立ちを紹介します。

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八村塁はハーフ?身長2メートル超え?!

八村塁さんはハーフの方であり、バスケットボール選手です。日本人史上初めて、「アメリカプロバスケットリーグNBA」においてドラフト一巡目の9位で指名されました。

現在様々なスポーツ界の中でも、八村塁さんの活躍が一番大きな話題となっています。さらに八村塁さんは、指名したワシントン・ウィザーズに入団し、一年目の年俸は4億円超えと話題になっています。

八村塁のプロフィール

八村塁さんは1998年2月8日に富山県富山市で生まれました。現在の身長は203㎝あり、他の同世代の平均身長を遥かに超えています。体重は106㎏と体格もかなり良いです。

八村塁さんのポジションはパワーフォワードとスモールフォワードのポジションを担当しているようです。このポジションは主にゴール下での守備や得点の役割を担っていて、パワフルなプレーが求められます。

八村塁はアフリカのハーフ!両親や兄弟について

八村塁さんの家族は両親と、弟と妹が3人いて、八村塁さんを含めて4人兄弟のようです。しかも、八村塁さんの兄弟は、弟も妹もそろってバスケットボールを行っているようです。

八村塁さんの父親と母親は国籍が違うので、八村塁さんと兄妹はハーフの方ということになります。そんな弟の「八村阿蓮」さんと妹の「八村安美菜」さんは長男である八村塁さんの背中を日々追っています。

父親がベナン人、母親は外国語講師の日本人

八村塁さんの両親は国際結婚だったようですが、八村塁さんが中学1年生のころに両親が離婚しました。父親の名前はザカリ・ジャビルさんといい、国籍はアフリカのベナン共和国出身です。

父親のザカリさんは日本が昔から大好きで来日しました。職業は居酒屋の経営を富山県で行っているようですが、情報がなかったので、現在も居酒屋を経営しているかは分からないようです。

母親の名前は麻紀子さんといい、富山県出身の日本人です。職業は英会話スクールの講師を務めていて、小学校の外国語講師として勤務していました。

弟はバスケをしている八村阿蓮

八村阿蓮さんは1999年12月20日生まれの21歳になります。身長も高く198㎝もあるようです。中学校は最初に地元の富山市立奥田中学校に通っていましたが、東京の世田谷区立梅丘中学校に転校しました。

高校は兄である八村塁さんの背中を追いかけ、仙台にある明成高等学校に進学したようです。高校時代にはエースとして活躍して、ウィンターカップ優勝の立役者だったようです。

八村阿蓮さんは東海大学体育学部の競技スポーツ学科に進学し、「大学で日本一になること」「日本代表で塁と一緒にプレーしたい」という夢を追い、日々練習に励んでいます。

妹もバスケをしている八村安美菜

八村安美菜さんは生年月日は公表されていませんが、2019年6月の時点では高校3年生なので、2002年か2003年生まれです。八村安美菜さんも二人の兄に似て体格に恵まれていて、身長は174㎝もあります。

小学校のころは、陸上競技に取り組んでいましたが、中学、高校に進むと二人の兄の背中を追ってバスケットボールを始めたようです。

出身中学は兄の八村阿蓮さんと同じ、世田谷区立梅丘中学校に進んでおり、高校はバスケットボール強豪校の明星学園高等学校に進学しています。

八村塁はハーフだから運動神経抜群?野球をしていた?

八村塁さんはハーフの方ということもあり小さいころから、身体が大きかったのではないかと予測されています。野球に取り組んでいたので、メジャーリーグで大活躍していた「イチロー選手」に憧れていたようです。

小さい頃は野球と陸上をしていた

幼少時は「陸上の短距離」と「野球」を同時に取り組んでいて、特に野球では投手と捕手を兼任してチームの要だったようです。さらに陸上でも活躍していて、100メートル走で全国大会に出場しました。

幼少時代に八村塁さんは、他のメンバーと比べて、強肩だったのであまりにも球が速く、チームメイトでは、捕球が難しかったようです。

さらに、八村塁さんが、小学6年生の夏ごろに成長痛で股関節を痛めてしまったようです。このことがきっかけで、中学でも野球を続けるか迷ったようです。

中学時代にバスケ部顧問に目をつけられバスケの世界に

八村塁さんは地元にある奥田中学に入学し、中学でも、八村塁さんはの評判は高かったようです。そんな八村塁さんをバスケットボール部に誘った人が、恩師と言われる「坂本穣治」コーチです。

八村塁さんはまだ所属する部活を決めていない状態だったので、バスケ部入学が決まっていた八村塁さんの同級生に「バスケット練習を見学するよう」頼み込んだようです。

最初の頃、八村塁さんも興味がなく断ったようですが、クラスメートから2週間ほど毎日勧誘され、熱意に負けて見学に行くことになります。その15歳の年齢の時から八村塁さんのバスケット人生はスタートしました。

高校時代はインターハイ優勝

八村塁さんは誰よりも早く練習に来て、謙虚な姿勢で人一倍バスケに取り組んでいたようです。そこから、NBA入りの夢を叶えるために宮城県の明成高校に進学し、1年目や、2年目の全国大会では優勝しています。

さらに、活躍したベスト5の選手にも選ばれており、2015年夏の第68回インターハイ決勝戦では、八村塁さんが34得点、19リバウンドを記録し優勝を果たしました。

大学はゴンザガ!さらに成長する

大学は渡米し、バスケ名門大学と言われるゴンザガ大学に進学しました。八村塁さんはハーフの方ですが、英語は話すことが出来なかったため、入学当初は、言葉の違いと日本との文化の違いに戸惑ったようです。

ゴンザガ大学は八村塁さんに、バスケットボールを続けるための、ベストな環境を提供していたようです。ゴンザガ大学に入学して八村塁さんはさらに実力を高め大きく成長したようです。

八村塁の活躍は日本の子供の希望に!

八村塁さんは数々のアメリカの取材で「僕は、日本のハーフの子供たちのためにプレーしたい」と発言しています。八村塁さん自身がハーフの方なので、同じようなハーフの子供たちのロールモデルになると宣言しました。

八村塁さんは明成高校に所属していた時の取材で、「ハーフで苦労したことはありますか」と繊細な問題を聞かれた時も、「ハーフで苦労したことはない」と断言していたようです。

八村塁さんは「ハーフであることに引け目を感じている全国の子供たち」に考え方を変えてほしく、実際に自分のプレー、言葉、自分が通ってきた道を見てハーフであることに自信を持ってほしいと語っていました。

八村塁がNBAに戻ってきた!体を鍛え調子も抜群!

2020年3月11日にルディ・ゴベアさんが新型コロナウイルスに感染していることが判明し、NBAシーズンが突然中断されました。八村塁さんは「まったくクレイジーな状況だった」と振り返っています。

この、目の前の目標がなくなり、モチベーションが下がる中、八村塁さんは今シーズンだけではなく長い目で見て、いい選手になる事を目指しモチベーションを上げていたようです。

そのトレーニングの成果もあり、体重は4.5㎏増加し、体つきも大きくなったと言われるようになったようです。

八村塁はハーフ!肉体的にも才能にも恵まれている!

八村塁さんはハーフの方ということもあり、体格にも恵まれていますが、そのことに満足せずに素直に学び、なおかつ謙虚な姿勢でバスケットボールに人一倍向き合った結果が現在の実績となっています。

八村塁さんは「日本のハーフの子供たちの為にプレーしたい」と取材で何度も語っています。このコロナウイルスの中でもモチベーションを切らさずに、常に上を目指す強い心を持っている事が一番の才能のようです。