出川哲朗の実家は老舗の海苔屋!豪華家系と苦労エピソードも紹介 エンタメ

出川哲朗の実家は老舗の海苔屋!豪華家系と苦労エピソードも紹介

リアクション芸人として大人気の出川哲朗さん。意外かもしれませんが実家がお金持ち、老舗の海苔屋のお坊ちゃまで家系も豪華なことをご存知ですか?出川哲朗さんの祖母や父親、母親、兄弟といった親族についてや、生い立ちについてまとめていきます。

目次

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出川哲朗の実家はお金持ち!?実はお坊ちゃまだった?

いじられキャラとしてバラエティ番組に引っ張りだこの出川哲朗さんですが、実は実家が老舗の海苔屋で、幼少期はまごうことなきお坊ちゃまだったといいます。

出川哲朗さんの実家の海苔屋の名称や場所について紹介していきます。

出川哲朗の実家は老舗の海苔屋・蔦金

出川哲朗さんの実家は、横浜市神奈川区にある「蔦金(つたきん)」という海苔問屋です。

蔦金が株式会社として現在の営業形態になったのは1949年のことですが、蔦金商店として海苔を卸し始めたのはなんと120年も前のことなのだとか。出川哲朗さんは老舗の海苔問屋のお坊ちゃまだったのです。

出川哲朗は実家の海苔屋・蔦金の取締役だったことも

実は出川哲朗さんは実家の蔦金の取締役を務めていたこともありました。

芸能界で出川哲朗さんが仕事ができるようになるまで生活を援助する目的で取締役に名前を入れてもらっていたとのことで、現在は蔦金のHPに役員として出川哲朗さんの名前はありません。

蔦金の海苔の味は?芸能界の大御所も大絶賛

蔦金の海苔はレストランや結婚式場、料亭などに卸されており、その味には定評があります。

実際にタモリさんや故・梅宮辰夫さんなどの料理には一家言ある大御所たちからも「本当に美味い」とのお墨付きをもらっています。

蔦金の商品に出川哲朗の写真が使われることも

蔦金の取締役ではなくなった出川哲朗さんですが、現在もお店のイベントに登場したり、商品に写真が使われたりと実家の稼業には貢献しています。

上の画像の「元気のりのり」という商品はお土産としても人気の商品で、タイトーからこの商品を模した付箋が発売されたこともあるほどです。

現在は出川哲朗の兄が蔦金の社長を務める

現在、出川哲朗さんの実家はお兄さんの雄一郎さんが跡を継いでいます。

お兄さんは『モヤモヤさまぁ~ず』などのTVに出演したこともあり、兄弟の笑顔がそっくりすぎる、お兄さんも絶対良い人だ、と話題になりました。

出川哲朗の家系も凄かった!

実家のお金持ちぶりもさることながら、出川哲朗さんは家系も超豪華で、家系図には社会科の教科書に載っているような大きな会社の社長も見られます。

ここでは出川哲朗さんの豪華な血縁者について紹介していきます。

出川哲朗の母方の曽祖父は元衆議院議員

まず出川哲朗さんの母親方の曽祖父は、元衆議院議員の三鬼鑑太郎氏(みきかんたろう)です。三鬼鑑太郎氏は岩手軽便鉄道の社長も務めた人物で、岩手軽便鉄道は現在のJR東日本釜石線にあたります。

岩手軽便鉄道は、宮沢賢治氏の代表作『銀河鉄道の夜』のモデルにもなったとされる鉄道です。

ちなみに家系図では出川哲朗さんの母方の祖父は「石井」という姓になっていますが、これは婿養子となったためです。

出川哲朗の母方の祖父の兄弟は八幡製鉄所の初代社長

出川哲朗さんの母方の祖父の兄、つまり大伯父には日本製鐵の社長、八幡製鐵の初代社長を務めた三鬼隆氏です。

三鬼隆氏は1952年に起きたもく星号墜落事故で亡くなっていますが、長男の三鬼彰氏が跡を継いで新日本製鐡の会長に就任しました。三鬼彰氏は日本経営者団体連合会の会長も務めた経済界の重鎮です。

母親の親戚には大女優・原節子!?

さらに出川哲朗さんの母方の祖父の弟の妻・石井緑園氏の妹は女優の原節子さんだと言われています。

出川哲朗さんが原節子さんの遠縁ということははっきりとは明かされていないのですが、原節子さんに3人の姉がいて、原節子さんと三鬼隆さんの写真が残されていることから、親戚の可能性は高いとされます。

出川哲朗の父方の曽祖父の代で蔦金が創業

出川哲朗さんの父親方については、明治27年に曽祖父の代で海苔問屋を興して以降、祖父、父親、そしてち出川さんの兄と代々稼業を守り続けています。

実は出川哲朗さんも高校時までは兄とともに実家を継ぐ予定だったのだそうです。

お金持ちなのに苦労人・出川哲朗の生い立ち

幼少期はお金持ちのうちのお坊ちゃまとして不自由のない暮らしをしていたという出川哲朗さんですが、高校時代に蔦金に経営が悪化し、そこから芸人になる道がひらけていったそうです。

出川哲朗さんの意外な苦労人エピソードと、生い立ちを見ていきましょう。

3人兄弟の末っ子として誕生した出川哲朗

1964年に、神奈川県横浜市の老舗の海苔問屋・蔦金の第3子として誕生した出川哲朗さん。兄弟には現在蔦金の社長を務める兄の雄一郎さんと、姉が1人います。

幼稚園はベンツで送迎されていた?

幼少期の出川哲朗さんの実家には、何人ものお手伝いさんがいて家事は全てお手伝いさんが行っていたといいます。

さらに幼稚園にはベンツで送り迎えされていたといいますが、通っていたのは俗に言うお受験で入る有名幼稚園ではなく、近所にあるごくごく普通の幼稚園だったとのことです。

小学生時代は大人しい子だった

そのような育ちをすれば、生意気な性格に育っても不自然ではありませんが、小学生時代の出川哲朗さんは生来の性格の良さ故か大人しくて引っ込み思案な性格だったそうです。

モノマネが好きで松田優作さんや、ブルース・リーなど当時のスターの真似を良くしていたといいます。しかし、小学生時には芸能人になりたいとは思っていなかったそうで、レーサーになるのが夢でした。

高校時代は野球部に・キレたナイフになる

小学校卒業後、出川哲朗さんは学区内の公立中学に進み、高校は横浜市内にある私立高の武相高校に進学しました。高校では野球部に所属したものの、万年補欠で、1試合も出場できなかったそうです。

しかし、野球部で培った上下関係と礼儀は芸能界に入っても役に立ったと出川哲朗さんは語っています。さらに高校時はヤンキーに憧れて形だけ真似ていたそうで、当時の写真が上の画像です。

この頃の自身を「キレたナイフ」と出川哲朗さんは評していますが、確かに服装はヤンキーを真似ているものの、眼鏡や顔つきからそこはかとない偽物感が漂っています。

高校卒業前に蔦金が倒産寸前になる

お坊ちゃま育ちだった出川哲朗さんに転機が訪れたのが、高校卒業前です。この頃、父親が小豆相場に手を出して失敗し、蔦金の経営が傾いてしまったのでした。

実家の経営が危うくなってしまったことで、出川哲朗さんは大学進学を断念。自分の将来についてじっくり考え直すことになったのです。

専門学校に進学・ウッチャンナンチャンと知り合う

高校を卒業した出川哲朗さんは、横浜放送映画専門学校(現在の日本映画大学)に通い始めます。

しかし高校卒業後すぐに専門学校に進学したわけではなく、滋賀県の月心寺という尼寺で料理修行をする、自衛隊入隊を志すなど、すぐに実家を助けられるよう最初は手に職をつけようと試みたのだそうです。

しかし料理修行をするうちに、本当は映画に関わりたいという目標が見えたのだといいます。そして進学した専門学校で、ウッチャンナンチャンの2人の出会うこととなるのです。

働きながら専門学校に通う

専門学校に通うと言っても、お金があったわけではないために出川哲朗さんは働いて学費を稼ぎながら学生を続けていました。

専門学校時代は周囲より少し年上だったこともあってリーダー的な存在で、ウッチャンナンチャンの2人とは特によく遊んでいたそうです。

卒業後は俳優を目指すも売れず

若い頃の出川哲朗さんはお笑い芸人になりたかったわけではなく、俳優を目指していました。しかし在学中に青年座の入団試験を受けたものの不合格となるなど、売れない時期が続きました。

映画のオーディションも受けたのですが、落ちてしまうことのほうが多く、『男はつらいよ』に少しだけ出演したことがあった程度でした。

ウッチャンナンチャンの番組でブレイク

しかし、専門学校を出たウッチャンナンチャンがお笑い芸人としてブレイクし、自分たちの番組に出川哲朗さんを呼ぶようになると仕事は急増したのです。

もちろん出川哲朗さんのもとに舞い込んできた仕事は全てバラエティ番組やコント番組のものでしたが、当時はまずお笑いで名前を売ってから役者に転身しようと考えたいたといいます。

しかし、気がついたらリアクション芸人として不動の座を築き上げていたため、そのまま俳優にはならずに現在の仕事を続けているそうです。

出川哲朗の父親と母親はどんな人?

出川哲朗さんの親族に著名人が多いことは紹介しましたが、父親と母親はどのような人だったのでしょうか?ここでは、先代の蔦金の社長でもある出川哲朗さんの父親と、母親について紹介していきます。

2012年『ファミリーヒストリー』で出川家が取り上げられる

2012年10月放送の『ファミリーヒストリー』で、出川哲朗さんの家族が取り上げられました。

『ファミリーヒストリー』は1人の著名人にスポットを当て、その人物の歴史や家族、家族の絆を探っていく番組で、これまで志村けんさんや太田光さんらが取り上げられています。

祖父の死後・交友関係が派手になった父親

番組内では、祖父の代で戦争が起こり蔦金商店が空襲で消失してしまったこと、そしてなんとか店を再開して経営が持ち直した頃に父親の結核に罹ったことを紹介していました。

結核に罹った父親の誠一郎さんは療養所の仲間を連れて遊び歩くようになり、28歳で蔦金の社長になってからはクラブの経営などのサイドビジネスに次々と手を出していったといいます。

父親に代わって出川哲朗の母親が店を切り盛りしていた

サイドビジネスや散財することに夢中になっていた父親は、蔦金の経営を他人に任せるようになっていきました。そのため、実際にお店に出て働いていたのは出川哲朗さんの母親だったといいます。

出川哲朗さんは働く母親と、めったに帰ってこない父親を見て育ち、父親のことを親戚程度にしか感じていなかったそうです。

蔦金の倒産危機が原因で父親が行方不明に

そして上でも触れたように出川哲朗さんが高校を卒業する前、父親の誠一郎さんが小豆相場で多額の借金を作ってしまい、蔦金は倒産の危機に追い込まれました。

この時、誠一郎さんは出川哲朗さんの祖母、そして母らとの蔦金の社長を辞任することを約束して融資を受けたといいます。

銀行の融資で蔦金の倒産は免れましたが、この後誠一郎さんは家を出て行方不明になってしまったのだそうです。

58歳の時に出川哲朗の父親・誠一郎氏が他界

姿を消した数年後に誠一郎さんは実家に戻ってきますが、この時には糖尿病を患っていたといいます。

周囲の人々は「さんざん迷惑を掛けて、病気になったら頼るのか!」と怒りを隠さなかったそうですが、出川哲朗さんの母親である泰子さんは誠一郎さんを受け入れ、看病をしました。

そしてその5年後、誠一郎さんは58歳という若さで他界。家族からすれば身勝手な父親でしたが、葬儀には1000人もの人が駆けつけ、慕われていたことを窺わせました。

2011年・76歳で出川哲朗の母親の泰子さんも他界

2011年には、出川哲朗さんの母親の泰子さんも76歳で他界。苦労をし続けた母親の死を受けて出川さんは「もっともっと孝行したかった」と語っていました。

2015年には出川哲朗の祖母の普美子さんも他界

2015年には幼少期から出川哲朗さんを可愛がってくれたという、祖母の普美子さんも亡くなりました。御年103歳、大往生でした。

普美子さんは孫思いの素敵な方で、出川哲朗さんが「抱かれたくない男」に選ばれた際には、TVで心境を尋ねられて「そんな女の人は、こっちだってお断りですよ」と憤慨する姿が印象的でした。

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