田中邦衛の現在!年齢や自宅は?死亡説も浮上?若い頃や北の国からのエピソードも! エンタメ

田中邦衛の現在!年齢や自宅は?死亡説も浮上?若い頃や北の国からのエピソードも!

田中邦衛は2020年現在、年齢は88歳で自宅で暮らしているかが不明です。現在の画像や死亡説のデマの真相を追跡しました。若い頃の活躍や北の国からの秘話などもお届けします。ワンピースの黄猿のモデルは田中邦衛との噂も調査しました。

目次

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田中邦衛の年齢は現在88歳!今どこでどうしている?

昭和を代表する演技派とも言える、大俳優の田中邦衛は2020年の誕生日が来て年齢は88歳になります。今現在はどこで何をしているのか、その消息が知りたい方も多いと思われます。

すでに自宅で暮らしている、老人ホームに再び入ったなど、情報は不確定なものが多いです。年齢的に、現役の役者で居続けることは困難と思われますが、可能な限り追跡しました。

田中邦衛は2015年老人ホームにリハビリ入居!?現在自宅かは不明?

田中邦衛は年齢にして82歳前後の頃、老人ホーム施設へ入居していたことが週刊誌の記事で判明しました。現在約5年が経過し、現在自宅に居るのかどうか確証のある情報がありません。

高熱を出して入院したことがきっかけ?歩行困難で車椅子生活に

田中邦衛は高熱のため、入院を余儀なくされたことをきっかけに衰弱したようです。歩行困難のため、車椅子生活になってしまったことが、施設リハビリの理由のようです。

田中邦衛は2013年に仕事のオファーを断った!?その理由とは!?

後述する地井武男のお別れの会参列の翌年、2013年には田中邦衛は仕事のオファーを断ったそうです。その理由は「長台詞が入らない」という、役者にとっては大きなダメージでした。

田中邦衛は認知症!?家にこもって外出をしないようになった!?

2017年時点では、田中邦衛は老人ホーム施設から出て、一旦は自宅へ帰ったことが伝わりました。しかし近隣の住民の証言などから、自宅2階の自室にこもり、外出しなくなったようです。

また、田中邦衛のそうした様子を見た住民の証言で、認知症を患ったのではないかとの推測も出ています。年齢が年齢なだけに、仮にそうであっても仕方のない部分ではあるでしょう。

田中邦衛から引退宣言は出ていない!?生涯役者人生と語る妻!

田中邦衛は現在に至るまで、正式な引退宣言をしていません。その点については、田中邦衛の妻への電話取材の際に明確な回答が示されています。

フジテレビの情報番組『ノンストップ!』では妻が電話取材に応え「体力的に厳しいと思います」と述べ、田中が休業状態であることを明かす一方で「演技をする夢は夫婦2人でずっと持って生活しています。引退も何も、田中邦衛の人生そのものが役者ですから」と、田中の心情を思い「引退」との明言は避けている。

(引用:Wikipedia)

2019年現在では、再度施設に戻ったとの噂もありましたが、妻は取材を断ったそうです。夫のプライドや役者魂のことを思えばこその、心遣いだろうかと思われます。

田中邦衛の現在の画像はある!?

では田中邦衛の現在の画像は存在するのでしょうか。この点に関しては、ここ数年の間に撮影された画像は見つかりませんでした。比較的近い時期の画像を集めましたので紹介します。

上の画像は、逝去した地井武男への弔辞を読む姿です。それについてを、次の項で詳しく述べていきます。

田中邦衛が最も最近公の場に出たのは2012年地井武男のお別れの会

田中邦衛が「公の場」に登場したのは、2012年が最も最近となります。それは俳優で親友でもあった、地井武男が逝去し、お別れの会の発起人に名を連ねた際の映像からのものでした。

この時田中邦衛は、北の国からの息子役、吉岡秀隆に抱きかかえられるような介助での姿でした。

映画では「最後の忠臣蔵」出演の2010年以来表舞台から遠ざかる

田中邦衛が出演した、最も最近の映画は「最後の忠臣蔵」となりました。赤穂藩家臣の役どころで、その存在感はそこに居るだけでも抜群のものでした。

2017年?田中邦衛は自宅からラフな服装で登場!?

そして週刊誌がとらえた田中邦衛の、普段着の様子は2017年のものと伝わります。しかし週刊女性プライムの記事だとすると、この写真撮影の時期は2015年の姿かもしれません。

明確な時期の特定が困難な画像ですが、前後の事象から考えますと2015年が濃厚とも思われます。いずれにせよ、2020年6月時点で、田中邦衛は生きていると伝えて良いと思われます。

田中邦衛「死亡説」は一体どこから流れた?

では田中邦衛の「死亡説」とは、どういった経緯で流れたのでしょうか。急に姿を見なくなると、有名人に死亡説は付き物とも言われますが、田中邦衛の件に関しての観測は次のようになります。

ドラマ「北の国から」のプロデューサーの葬儀に参列しなかったため!?

北の国からのプロデューサーでもあり、フジテレビの取締役だった中村敏夫の葬儀に田中邦衛は参列していません。告別式には、北の国から出演者の面々が参列したにも関わらずです。

脚本家の倉本聰も駆けつける中、主役の田中邦衛だけ居ないとなると目立ちます。このことから健康不安説が飛び交い、もしや、の声があがったのではないかという見解もあります。

近況が数年はっきりせず情報錯綜!?妻が断固と「主人は生きています」

上記の他にも、田中邦衛の近況に関する情報が乏しく、情報が錯綜した点はあるでしょう。ネットニュースの見出しが、紛らわしい書き方をしたからという説もありました。

そして2019年、にわかに田中邦衛死亡説が流れ、各メディアは大混乱したと言われています。事態の収拾は、田中邦衛の妻が日も暮れる19時過ぎに対応してくれたからといいます。

「『主人は生きてますけど』と全否定し、ガセが確定しました」

(引用:覚醒ナックルズ)

田中邦衛の若い頃の画像は!?俳優座時代の同期生が凄い面子!?

田中邦衛の若い頃の画像は今でも残っているでしょうか。田中邦衛と言えば、俳優座の出身であることが知られていますが、当時の活躍ぶりを振り返ってみましょう。

俳優座試験に2度落選!?3度目の試験では「あなた、またいらしたの?」

田中邦衛は短大卒業後の若い頃に、故郷の岐阜で代用教員を務めていました。短大時代にはすでに役者へ憧れ、俳優座の試験に2度トライし、2度とも落ちています。

夢は捨てきれず、1955年田中邦衛は俳優座試験に3度目の挑戦をし、見事合格しました。この時の試験官、女優・東山千栄子に「あなた、またいらしたの?」と言われた逸話があります。

第7期生には井川比佐志や山本學など錚々たる面々が!

晴れて俳優座第7期生となった田中邦衛の同期生は、錚々たるメンバーでした。井川比佐志、山本學、露口茂、藤岡重慶ら、のちの名バイプレイヤーとして名を成す面々が揃っていました。

特に井川比佐志とは若い頃、互いに意識し合うライバルであり、良き仲間でした。後年、俳優座から安部公房スタジオを経て、フリーへと羽ばたく時期も同じでした。

映画では若大将シリーズや仁義なき戦いシリーズで大活躍!

加山雄三主演の若大将シリーズでは、ライバル役・青大将として重要な役どころを任されています。若大将を何とか出抜こうとする、悪戦苦闘の演技がコミカルでたちまち人気となりました。

また強面のキャラもよくハマり、仁義なき戦いでは槙原組組長を演じ、ズル賢い凄みを見せました。田中邦衛は悪役もコミカルもシリアスも全てこなす、名バイプレイヤーとなっていきます。

テレビでは「若者たち」の長男役で青春群像を演じ大好評!

1966年放送開始のドラマ・若者たちでは貧しい5人兄弟の長男として主演しています。回を重ねるごとに視聴率は上昇し続け、第3回ギャラクシー賞を受賞するに至りました。

文壇の鬼才・安部公房に早くから才能を見出され舞台俳優としても活躍!

田中邦衛が俳優座の新人で無名だった頃、芥川賞作家の安部公房はいち早くその才能を見出します。俳優座での戯曲「幽霊はここにいる」の主役に、安部は田中邦衛を大抜擢しました。

表題通り正体不明の貧相な男を、田中邦衛は抜群のセンスで演じ切りました。岸田演劇賞の栄誉に輝き、後年1973年に安部公房スタジオ発足メンバーへとなるきっかけになりました。

田中邦衛のライフワーク!代表作「北の国から」は21年のロングラン!

田中邦衛の代表作といえば「北の国から」が断トツであり。国民的人気を誇ります。通常の帯ドラマとしても好評でしたが、後期は単発形式の制作となり21年ものロングランでした。

まさに田中邦衛のライフワークそのものであり、配役の黒板五郎は田中邦衛でなければ成立しなかったでしょう。

スタートから配役チェンジなし!?純と蛍の成長の記録!

「北の国から」は1981年に倉本聰の脚本で始まった作品です。この時主役の配役には「情けない父親像」が求められ、田中邦衛はこれまでの演技を捨て去ることが求められたそうです。

当初これに田中邦衛は反発したのですが、制作スタッフたちの情熱に応えるべく、北海道ロケに1年を費やします。ここで演技を超えた自然体を魅せることに成功したのだと言われます。

さらにこのドラマの真骨頂は、息子の純と娘の蛍の配役はもちろん、全ての配役を変えていないところにあります。「北の国から」は、幼かった2人の成長の記録でもあるのです。

文化文明に逆行する究極のエコ!?田中邦衛演じる黒板五郎のブレない人生!

父親の黒板五郎の生き様は、人里離れた大自然の中で、自活して生きることにフォーカスされます。住む家も廃屋を自力で立て直し、水車を設置し、大自然の恵みだけで暮らすのです。

第1話のエピソードは秀逸で、息子の純から「電気のない暮らしって何?」と迫られます。しかし微動だにせず、父は「夜になったら寝るんです」と、全く取り合いません。

当初反発する子供達でしたが、やがてそんな父親に畏敬の念を感じ始めます。物語中の逸話の数々は究極のエコ生活であり、便利さを追求する文化と逆行する、まぶしさがありました。

北の国からの名場面から厳選3選!あまりにも有名なセリフは独り歩き!?

田中邦衛のライフワーク「北の国から」は、その人気と独特の演技からパロディにもずいぶん取り上げられました。田中邦衛演じる、黒板五郎のモノマネをする芸人も数限りなくいます。

名場面が多すぎる「北の国から」ですが、ここでは厳選を重ね、3つの場面を見てみたいと思います。

①泥の着いた1万円札が2枚封筒に!ファン投票ぶっちぎり1位の名場面!

「北の国から」名場面集、という表題だけで番組が成立する程ですが、その中で常に上位のシーンがこれです。「北の国から\’87初恋」で、純が東京まで乗せてもらうトラックを巡るシーンです。

故郷の富良野で蛍と父に見送られ、トラックは発車します。この時父五郎から、運転手の古尾谷雅人にお金の入った封筒が手渡されたのです。

「土のついた1万円札というところが、五郎が苦労して手に入れたことを想像させて、泣けた」
「観た当時は純と同じ子ども側の視点だったけど、今見ると感慨深い。親というものは、こんなにも自分を犠牲にして子どもの為に生きてくれるものなのかと」
「お金のありがたみを感じたから。1万円が物凄く重く感じた良いシーンだった」

(引用:ランキングー)

2枚の1万円札には泥がついており、「これは受け取れない、宝にしろ」と純に突っ返す男気が圧巻でした。「北の国から」のエピソード中、「最も泣ける」と言われるシーンでした。

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