死刑執行は近い?麻原彰晃こと松本智津夫の現在と子供の動向 エンタメ

死刑執行は近い?麻原彰晃こと松本智津夫の現在と子供の動向

オウム真理教が引き起こした松本サリン事件、地下鉄サリン事件などから20年以上が経過しており、リアルタイムでこの事件を知らない人々も多くなっております。今回はこれらテロ事件を引き起こしたオウム真理教の教祖である麻原彰晃こと松本智津夫についてまとめていきます。

麻原彰晃の現在①死刑囚として収監

麻原彰晃こと松本智津夫は、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など教団が関与した種々の事件で東京地裁において起訴されました。2004年2月一連の事件を首謀したとして松本智津夫に死刑判決が言い渡されました。

弁護側は東京高裁に控訴しますが、控訴趣意書の未提出を理由に2006年3月棄却されます。その後、弁護側は最高裁に特別抗告を行いますが、同年9月に棄却、その結果、麻原彰晃の死刑が確定しました。麻原彰晃は現在東京拘置所に死刑囚として収監されています。

麻原彰晃の現在②精神状態

麻原彰晃の精神状態については、一審のころより取沙汰されておりました。弁護団は、訴訟能力はない、つまり、罪には問えないとの主張をしますが、検察側は詐病であると主張しました。最高裁判所では訴訟能力の有無などが争われましたが、訴訟能力はあると判断されたのでしょう、前述のとおり特別控訴は棄却されました。

逮捕から20年以上、死刑確定から10年以上がすでに経過しております。麻原彰晃の三女・松本麗華によれば、拘禁反応による昏迷状態にあると精神科医に診断されましたが、治療も受けられないとされます。

麻原彰晃の現在③教団との関係

オウム真理教の後継団体

オウム真理教は1996年1月宗教法人としての法人格を喪失、その後も活動を続けましたが、2000年3月オウム真理教は破産します。しかし、オウム真理教のスポークスマンであった上祐史浩が2000年2月にアレフを立ち上げ、教義、信者などを引き継ぎます。

その後、アレフはAlephに改称、また、内部抗争により上祐史浩が独立して2007年5月ひかりの輪を立ち上げます。さらに2015年ごろ金沢市でAlephの中心的人物であった女性が内部抗争により独立したとされます。

公安調査庁による観察処分

ひかりの輪は、麻原彰晃の影響下にないと主張、東京地裁は2017年9月その主張を認め観察処分を取り消しました。しかし、この判決を不服として同年10月東京高裁に控訴する意向が明らかとなりました。また、2018年1月公安審査委員会はAlephなど3団体の観察処分更新を決定しました。

麻原彰晃の影響

Alephの規模は2000人弱とされます。2018年3月札幌市白石区にある同教団施設に立ち入り検査を行った際、麻原彰晃の写真が飾られ、また、危険な思想を含んだ教義を広める本、映像などが見つかったとされます。

2015年ごろ独立した組織(名称不詳)の規模は30名程度とされます。この団体は、麻原彰晃への絶対的帰依を強調する活動方針を鮮明にしているとして、公安庁は警戒感を強めている模様です。

麻原彰晃こと松本智津夫の生い立ち

麻原彰晃こと松本智津夫は1955年3月2日熊本県八代市において畳職人家庭の四男として生まれます。先天性の緑内障のため左目はほとんど見えませんでしたが、右目の視力は1.0程度はあった模様です。1961年4月に一旦は通常の小学校に入学しますが、視覚障害を理由に盲学校への転校を余儀なくされます。

以降、1975年3月に卒業するまで寄宿舎暮らしで、両親が訪ねてくることはなかったそうです。盲学校の中で、目が見える自分を特別視した感があり、目の見えない他の同級生などを暴力で支配したとされます。金への執着も相当だったようで、同級生への恐喝を行っていたとの証言が残っています。

麻原彰晃とオウム真理教

オウム真理教前

盲学校卒業後は、東京大学進学を目指しますが、結果を残せませんでした。長兄の漢方薬店の助手を務めたりもしていたそうです。1978年1月受験予備校で知り合った石井知子と結婚、千葉県舟橋市に新居を構え、鍼灸院を開設します。同年9月舟橋市内で移転して、診察室兼漢方薬局を開業します。

鍼灸師として活動する中、無常感を抱いた模様で、徐々に宗教に傾倒していきました。1983年仙道、ヨガ、東洋医学などを統合した学習塾・鳳凰慶林館を開設、これが後のオウム真理教の母体となります。なお、このころより麻原彰晃と名乗り始めたとされます。

オウム真理教

1984年2月学習塾・鳳凰慶林館をヨガ道場・オウムの会に変更、税制上の優遇措置から1986年4月宗教団体・オウム神仙の会と組織を変更します。1987年7月オウム真理教に改称、自著、オカルト雑誌への広告記事を利用して布教活動を本格化させます。ダライ・ラマ14世など著名人の名声をも利用しました。

1988年9月在家信者死亡事件が発生、宗教法人格の取得に弊害が出るため、麻原彰晃の主導によりこれを隠蔽します。従来より殺人肯定の教えを説いていましたが、この事件を契機としてそれが鮮明となります。衆議院議員選挙での惨敗もあり、暴力主義に拍車がかかり、冒頭の事件などにつながっていきます。

麻原彰晃と妻との子供は6人

麻原彰晃とその妻・松本知子との間には四女二男が生まれています。松本知子は1958年8月17日生まれで、先述のとおり受験予備校で麻原彰晃と知り合いました。彼女の方は大学に進学していましたが、中退して麻原彰晃と結婚しました。

姉妹

長女は1978年生まれで、2000年ごろの万引報道で名前は美和と判明しています。次女は1981年生まれ、名前については明らかではありませんが、松本宇未という仮名が用いられています。

三女は1983年4月生まれで、ニュース番組に実名で登場しており、本名が明らかとなっています。松本麗華という名前です。四女は1989年生まれです。次女同様、名前は明らかではありませんが、ペンネームとして松本聡香が使われています。

兄弟

長男は1992年生まれで、次男は1994年生まれです。二人とも名前については分かりませんが、教団から皇子の称号を与えられたと言います。また、1996年6月には教団の教祖となります。麻原彰晃不在時において教団の中心となるべく期待された模様です。

麻原彰晃と愛人との子供

麻原彰晃は妻・松本知子以外にも愛人がいたとされ、愛人との間に6名から9名程度の子供が生まれたとされます。なお、麻原彰晃の愛人は100名以上いた模様で、15歳から25歳までの若い女性が中心だったとされます。

麻原彰晃妻の現在

服役

今日において松本明香里と改名しております。薬剤師リンチ殺人事件の殺害決定会議に参加したとして1995年逮捕・起訴されます(ただし、本人は冤罪を主張)。上告審で懲役6年の判決を受け、和歌山刑務所において服役、2002年10月に出所しました。

服役後

出所後、教団との関係を断っていたと見られていましたが、2006年7月アーレフ信者の容疑に関わる家宅捜査報道をきっかけとして、2002年12月より松本家に「松本知子作絵画の使用料」を名目として継続的に資金提供してきたことが明らかとなりました。

今日においてもAlephから資金提供を受けているか否かについて分かりません。また、2012年ごろ次女と三女らと関東地方で暮らしていたとされますが、今日の状況について判然としません。

麻原彰晃子供の現在①あまり情報のない3人

長女・松本美和の現在については情報がなく分かりません。ただし、真偽のほどは分かりませんが、名前を変えているという情報があります。次男の近況についても長女同様あまり分かっておりません。

長男の近況についても分かりませんが、2014年10月Alephに対し、名誉棄損による損害賠償請求、ならびに写真と名前の無断使用禁止を求め、東京地裁に提訴しております。また、麻原彰晃の後継者のように報道されたとして名誉棄損でテレビ東京を提訴しましたが、2018年3月敗訴しております。

麻原彰晃子供の現在②次女・松本宇未(仮名)

次女・松本宇未(仮名)は、ブログ及びツイッターで定期的に情報を発信しております。ブログ「木の葉が沈み石がうく」のプロフィールには、「あきらめ悪く、社会に埋没して生きるという野望をいまだに捨てきれずにいる。」とあります。2018年5月16日付のブログ記事タイトルは「お父さん(松本智津夫)に会いたい」というものです。

麻原彰晃子供の現在③三女・松本麗華

三女・松本麗華は文筆家・カウンセラーとして活動しており、ブログサイトもあります。サイト名は「お父さん分かりますか?」です。2015年3月講談社より『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチェリーの手記』を出版しました。

なお、彼女のブログには麻原彰晃が1989年秋ごろには視力をすべて失ったとあります。また、次女とともに麻原彰晃との面会申請のため東京拘置所に赴いたときの記事があり(2018年1月26日付)、次女との交流が窺われます。

麻原彰晃子供現在④四女・松本聡香(仮名)

四女・松本聡香(仮名)は一時期江川紹子の庇護下にありました。2010年4月徳間書店から『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』を刊行しております。この本に関し、二女のブログには肉親の情にあふれた四女・松本聡香への思いが綴られております(2015年5月3日付)。

一方で、2017年10月に両親からの相続排除を申請、横浜家裁に受理された件に関しては、辛辣な言葉を並べています(2017年11月23日付~2017年11月29日付)。会って話をした、とか、電話で話したという記載がないので、交流自体はないと思われます。

麻原彰晃の死刑執行は近いのか?

2018年1月オウムに関連する刑事裁判は終結しました。一連の事件に関わった死刑囚13人のうち7人が東京拘置所から仙台など拘置施設に移送され、同一事件における死刑執行は基本的に同日に行われることが多い模様で、この移送が死刑執行の準備段階に入ったのではないかと言われております。

麻原彰晃死刑執行に立ちはだかる壁

しかし、他の死刑囚はともかくとして、麻原彰晃の死刑執行は難しいのではないでしょうか。先ず、麻原彰晃自身が昏迷状態にある点が挙げられます。オムツをつけているにもかかわらず、排泄物まみれになっているという話が聞かれます。このような状況にあっては自らの罪を認めて、それを認識させることは不可能ではないでしょうか。

また、麻原彰晃信奉者による報復テロ発生の危険性も指摘されております。さらには、キリスト教におけるイエス・キリストのように殉教者として麻原彰晃の神格化に利用される懸念もあります。一方で、死刑を伸ばせば伸ばすほど麻原彰晃の不死性が増すとの上祐史浩のコメントもあり、二進も三進も行かない状況かも知れません。

まとめ

麻原彰晃の死刑執行が近々なされるか否かについて分かりませんが、執行されるにせよ、されないにせよ、いずれにしても困難は付きまとうと思われます。今後の動向を注意深く見守りたいと思います。