上岡龍太郎の今現在!意外な引退の理由とは?探偵ナイトスクープ時代も! エンタメ

上岡龍太郎の今現在!意外な引退の理由とは?探偵ナイトスクープ時代も!

若い頃は探偵ナイトスクープなどの名言で大人気だった上岡龍太郎氏。芸能界引退後も度々姿が撮られていますが、今は表舞台に立つことはほぼありません。上岡龍太郎氏の自宅での暮らしぶりや息子の死亡説、甥のミキとの関係について現在の画像をまじえて詳しくお伝えしていきます。

目次

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上岡龍太郎のプロフィール

上岡龍太郎氏は1942年3月20日生まれ、京都府京都市出身です。若い頃はロカビリーバンドに加入し、1960年、横山パンチとして「漫画トリオ」の一員となります。

トリオ解散後、68年より上岡龍太郎名義に変更し、関西のテレビ番組を中心に司会者として活躍。87年に「パペポTV」がスタートすると、笑福亭鶴瓶とともに全国区で大ブレイク。

2000年、人気絶頂のタイミングで芸能界引退を公表。現在まで第一線に復帰することはなく、司会者としての功績は現在もなお語り継がれています。

上岡龍太郎の現在の暮らしぶりは?自宅で悠々自適?

芸能界引退から20年が経過している上岡龍太郎氏。現在まで復帰はしておらず、自宅やゴルフ場で趣味に興じ、まさに悠々自適の暮らしを送っているようです。

上岡龍太郎氏の現在の画像はある?

上岡龍太郎氏の今の画像はこちらです。今年で77歳とのことですが、現在もゴルフ三昧ということですし、きっとお元気に暮らしているのでしょう。

今の自宅は大阪府内?

京都出身の上岡龍太郎氏ですが、今の自宅は大阪府内にあると言われています。

もちろん、大スターですから自宅も大豪邸で、趣味のゴルフも自宅でたっぷり楽しめるそうです。

上岡龍太郎の今を知る大物芸能人

表舞台からはほぼ完全に姿を消した上岡龍太郎氏ですが、今もプライベートでは後輩芸人たちと交流しているようです。

漫才師のオール巨人はプライベートのゴルフで数回上岡氏と偶然遭遇し、挨拶したことを自身のブログで明かしています。

ゴルフ場での上岡氏は現役時代と変わらず溌溂としており、周囲を軽妙なジョークで笑わせていたようです。

上岡氏の現在の貯金額にあの人もビックリ?

昭和を代表する名司会者として一時代を築いた上岡氏。当然、貯金も破格の金額だとのことです。上岡氏とプライベートでも交流のある西川のりお氏はその桁違いの貯金額に仰天したそうです。

具体的な額は明かされませんが、軽く10億は下らないとのこと。さすがは超人気司会者ですね!

甥はミキ?上岡龍太郎の現在の家族情報

甥っ子が人気漫才コンビのミキ、ということでも話題になっている上岡龍太郎氏。上岡氏の現在の家族情報について見ていきましょう。

息子には死亡説もあった

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上岡龍太郎氏には聖太郎氏という息子がいるのですが、この息子にはかつて死亡説が流れた時期がありました。

そして、息子の死亡こそが上岡龍太郎氏の引退の理由にもなっているのでは、と言われていたのですがそれは根拠のない憶測であり、そもそも息子の聖太郎氏は死亡していません。

聖太郎氏は現在も健在であり、死亡説が完全なるガセネタであったことがわかります。

甥っ子は漫才コンビのミキ

ここにきて、上岡龍太郎氏の名前が取り沙汰される機会が増えてきました。兄弟コンビとして大ブレイク中のミキは上岡龍太郎氏の甥っ子であり、遠い血縁関係にあります。

亜生の顔だちはどことなく上岡氏に似ているような気がしますし、亜生の飄々としたボケや昴生のするどいツッコミからは上岡龍太郎氏のお笑いDNAを感じさせます。

ちなみに、当人たちも子どもの頃から「上岡龍太郎さんが叔父さんだよ」と聞かされていただけで、現在まで実際の交流はないようです。

若い頃から天才だった?上岡龍太郎の芸人時代から引退まで

若い頃から軽妙洒脱な芸風で人気だった上岡龍太郎氏。上岡氏の芸人時代から司会業転身、芸能界引退後の現在までを見ていきましょう。

若い頃は漫才トリオだった上岡龍太郎

都府生まれの上岡龍太郎氏は子どもの頃から芸事に関心があり、20代は「漫画トリオ」の一員として活躍していました。ちなみに、その当時の名前は横山パンチです。

漫画トリオは横山ノック、横山フック、横山パンチの3人組で、時事ネタを絡めた風刺漫画を漫才形式で紹介していく、という芸で一世を風靡していました。

当時は横山ノックのほうが圧倒的に人気があり、芸人としても大先輩であるため、若い頃の上岡氏は横山ノックから漫才の基礎を教わり、芸人として成長していった、と後に語っています。

関西では爆発的な人気となる

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漫画トリオ時代からスマートなツッコミで人気だった上岡龍太郎氏。68年にトリオが解散すると司会業に転身し、関西エリアでは夢想状態と言えるほどの人気と地位を確立します。

ただ、若い頃の上岡氏は強烈な東京嫌いとして知られており、自身でも「東京の笑いはレベルが低い」と語るなど、関西の笑いに徹底してこだわる姿勢を貫いていました。

ちなみに、70年代は横山やすし・きよしが東京でもブレイクしており、80年代には桂三枝、明石家さんまが全国区の人気になるなど、関西の笑いが東京でも受け入れられはじめた時代です。

「パペポTV」で関東でもブレイク!

若い頃から一貫して東京嫌いを公言していた上岡氏ですが、80年代後半になると風向きが一気に変わります。

1987年、笑福亭鶴瓶と共演した「パペポTV」がスタートすると、まず先に笑福亭鶴瓶が全国区の人気となります。ほどなくして上岡氏の魅力も全国に伝わり、知的な毒舌の言える司会者として名前が売れていきます。

それでもなお東京進出を渋っていた上岡氏ですが、笑福亭鶴瓶ら後輩芸人に説得され仕事の幅を拡大し、全国ネットのバラエティ番組でも看板タレントとして活躍するようになります。

絶頂期の上岡龍太郎氏

「パペポTV」時代の上岡龍太郎氏です。やっぱりオールバックが印象的で、シャープな形のメガネが知性と教養を感じさせます。

「探偵ナイトスクープ」の初代局長に就任

「パペポTV」で全国区の人気を手に入れた上岡氏は、88年より「探偵ナイトスクープ」の初代局長に就任します。

「探偵ナイトスクープ」といえば現在までつづく関西エリアの名物番組で、上岡氏の時代にはやわらかいネタだけでなく、社会派の話題も積極的に掘り下げるなど、独自のカラーをうちだしています。

上岡氏が番組を降板した後も番組はつづき、西田敏行氏、ダウンタウン・松本人志と局長のポストが受け継がれています。

上岡龍太郎は2000年に引退

上岡氏は2000年、芸能界を引退しています。病気や不祥事が理由ではなく、かねてより2000年を節目に第一線を退くと公言しており、言ってみれば公約を厳守した、ということになります。

引退当時も全国区のバラエティ番組をいくつも抱えていた上岡氏。芸人として絶頂期にあったタイミングでの引退劇だっただけに惜しむ声も多かったのですが、それでも上岡氏はきれいに勇退してしまいました。

上岡氏としては引退の数年前から「僕の時代はもう終わった」と感じていたようで、芸能界への未練は一切なかったようです。

引退後の上岡龍太郎氏

こちらは芸能界引退から数年後の画像です。絶頂期よりも若干痩せたようにも見えますが、病的な印象はなく、画像からも暮らしのゆとりがうかがえます。

2016年、弟子の大空テントが死去

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芸能界引退後、カメラの前からきれいに姿を消した上岡龍太郎氏ですが、現在までにたった一度だけ死亡説が流れたことがあります。

もちろん、上岡龍太郎氏が死亡したわけではありませんが、2016年に弟子にあたる大空テントが交通事故により死亡しており、上岡氏も師匠として弔辞を寄せています。

大空テントは独特な口調が特徴の漫談芸人で、若い頃はとんねるず、爆笑問題、ダウンタウンのバラエティ番組に出演したこともあります。

現在も名言の宝庫?上岡龍太郎感動エピソード!

若い頃から言葉の天才で、番組や著書でも名言を連発している上岡龍太郎氏。ここでは上岡氏の過去の名言についてエピソードとともに御紹介していきましょう。

上岡龍太郎が島田紳助に残した名言

上岡龍太郎氏の芸能界引退を真っ先にとめたのは、島田紳助氏でした。紳助氏と上岡氏は師弟関係に近いものがあり、紳助氏は絶えず上岡氏を手本にしつつ技術を磨いていたそうです。

「君はもう、僕よりもずっと先を歩いているよ」。芸能界での手本がなくなるから引退は考え直してほしいと説得する紳助氏に上岡龍太郎氏が言った名言です。

この一言で紳助氏は自分の芸風に自信を持ち、もう少しだけ芸能界で仕事をつづけようと思えたそうです。

横山ノックの弔辞が名言だと評判に

「あなたは太陽でした」。横山ノック氏の死に際して上岡龍太郎氏が寄せた弔辞です。ノック氏とは若い頃から芸を磨き合った戦友ということで、上岡氏の思いもひとしおだったのでしょう。

芸人として第一線を退いているにもかかわらず、理路整然と、淀みなく弔辞を述べる上岡龍太郎氏はまさしく言葉の天才であり、貴重な逸材でした。

上岡龍太郎の影響を受けた芸人たち

引退してもなお、上岡龍太郎氏の名前は後輩芸人たちに語り継がれています。

島田紳助

上岡龍太郎氏の直属の後継者と言えばやはり、島田紳助氏ということになるのではないでしょうか。上岡氏と同じく京都出身であり、漫才出身という点でも共通しています。

実際、紳助氏本人も「上岡龍太郎氏がいなければ芸人になっていなかった」と語っており、若手時代には漫才のイロハをゼロからたたきこまれた、とまで語っています。

笑福亭鶴瓶

80年代、「パペポTV」で上岡龍太郎氏と共演した笑福亭鶴瓶。「パペポTV」は笑福亭鶴瓶にとってもブレイクにつながった番組であり、思い入れも相当深かったようです。

日常の何気ない出来事を抱腹絶倒のトークに仕上げてしまう鶴瓶の卓越した話術は紛れもなく上岡龍太郎氏譲りであり、笑いのエッセンスは確実に受け継がれています。

松本人志

上岡龍太郎氏とはふた世代も違う松本人志ですが、2019年より「探偵ナイトスクープ」の3代目局長に就任した際、上岡氏へのリスペクトを堂々と語っています。

松本氏はもともと島田紳助氏を芸能界の師匠と仰いでおり、多くのものを吸収していることから、上岡氏を大師匠として意識しているのかもしれません。

タモリ

同世代でありながら、上岡龍太郎氏とタモリ氏の接点はあまりありません。

しかし、軽妙なアングラ芸を得意とするタモリ氏と知性を売りにした上岡龍太郎氏の芸風は共通するものがあり、タモリ氏こそ東の上岡龍太郎、といっても大げさではないでしょう。

知性と教養こそが芸人の武器になる、ということを体現した最後の世代なのかもしれません。

明石家さんま

ともに関西の大人気司会者でありながら、上岡龍太郎氏と明石家さんまは芸人としてのタイプがまったく異なります。

知性と教養を下敷きにし、上品な毒舌を心がけた上岡氏に対し、明石家さんまは等身大の司会を身上とし、お茶の間のレベルに自分を合わせることで人気を勝ち取ってきました。

ただ、軽妙さ、という点では共通しており、明石家さんまも「上岡龍太郎氏とは違う芸人増」を模索していたのかもしれません。

上岡龍太郎は現在も健在!甥っ子のミキも大活躍中!

60年代から漫才師として活躍し、2000年にきっぱりと芸能界から身を引いた上岡龍太郎氏。今は自宅で悠々自適の暮らしをエンジョイしているようです。

最近では甥っ子のミキも漫才師として活躍しており、上岡氏のお笑いのDNAは現在でも脈々と受け継がれています。

今でも笑いのセンスは抜群で、弔辞などでも感動の名言を数多く連発しているということです。芸能界復帰の日は訪れるのでしょうか?