銀ブラ事件とは?慶應ボーイが現上皇に声掛け?経緯や海外の反応も紹介!社会

銀ブラ事件とは?慶應ボーイが現上皇に声掛け?経緯や海外の反応も紹介!

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関係者その②・学習院ご学友「千家崇彦」

千家崇彦の千家家は、代々「出雲大社」の宮司に仕えた家系に当たります。千家の父は、國學院大學の教授であり、同大学の卒業生は神事にまつわる職に就く人が多いことで知られます。

千家崇彦自身も、出雲大社の宮司を勤めたことがあります。また、千家家の血脈から千家国麿という方が、2014年に高円宮家典子様と成婚し、皇室とのご縁が深くなっています。

関係者その③・東宮侍従

銀ブラ事件では、その騒動の「とばっちり」を最も多く被ったのが東宮侍従でしょう。東宮侍従とは氏名ではなく役職を示す名であり、皇太子殿下に使える「文官」のことです。

天皇陛下に侍従が仕えることの習わしの役職で、厳格な任期はありませんが交代はあります。「東宮」とは広義には、皇太子のお住まいのことを表し、転じてご本人を婉曲に指す言葉となりました。

東宮の最高位は「東宮大夫」であり、東宮侍従とは皇太子にとっては最も身近な存在だったと言えます。銀ブラ事件当時の東宮侍従は、まだ新任の浜尾実と記録されています。

銀ブラ事件の真相!実は「出来レース」だった!?

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銀座一帯を、ほんの一時期ですが騒然とさせた銀ブラ事件ですが、その裏事情があるとの噂もあります。銀ブラ事件そのもので、事前の「打合せ・話し合い」があったのではというのです。

それは一体どういうことなのでしょうか。また、なぜ、何のために大きな騒動間違いなしのこの事変が「出来レース」と言われるのでしょうか。

事の真偽・真相は実のところわかりませんが、この「一説」に関してを解説します。

実はご学友は事前に侍従に相談済だった!?

表向きの報道などでは、当時の皇太子殿下の「銀座に行ってみたい」は衝動的な流れとなっています。しかし実はそうではなく、先に相談を受けた、橋本明は東宮侍従に「報告・相談」したとの説があります。

確証のある記録や証言が残ってはいないのですが、一部で「エピソード」として伝わる内容なのです。もしもこの「事前相談説」が本当であれば、銀ブラ事件の様相はまた異なったものとなります。

実はその日の銀座は「私服警官」でいっぱいだった!?

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当時の殿下に相談を受けた橋本は、事の大きさからか機転を利かせ、東宮侍従に話をしていたのです。東宮侍従ならば、予め知りえたならば通常はそれを引き留めることでしょう。

しかしその意思と行動は尊重され、当日は予め銀座周辺に「私服刑事」を多数配備したとも言われます。殿下の我儘をご学友から聞き入れ、「出し抜かれた」のではなかったという事になります。

学生寮を抜け出し、最終的に銀座で包囲するまでの全てが「計画的」だったとするならどうでしょう。その可能性は「0」ではなさそうなニュアンスもあります。

侍従の「粋な計らい」!?知った上での配慮と覚悟

折しも世は戦争がやっと集結し、アメリカの進駐の影もやっと静まり出した矢先のことです。昭和天皇の「人間宣言」もあり、開かれた皇族というテーマが明瞭になった時期でした。

「もしも」、ご学友・橋本明が、殿下の密やかな思いを伝え、侍従が一計を案じたとするなら。そう考えると、なんとも「粋」な計らいに思える逸話となるのではないでしょうか。

強いて「計画外」な箇所があったとすれば、慶應ボーイからの挨拶ぐらいでしょう。

ご学友も侍従も「願いを叶えたかった」という感動物語!?

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あくまでも「仮説」の話でしたが、仮にそうでなかったとしても、現上皇陛下にとって銀ブラ事件は思い出深い1日だったでしょう。本来皇室の人間は、常に束縛がつきものなのですから。

そして殿下の話を聞き入れ協力を惜しまなかった、橋本・千家の両学友の友情は、非常に厚いものです。その「やり方」に問題があったことには、変わりないのですが。

そして結果として「銀座を満喫」するまで「知らずにいた」東宮侍従の真意はもはや誰にもわかりません。仮説のようにこれら一連が「一芝居」だったとするなら、何とも感動できるお話です。

銀ブラ事件に対する海外の反応は!?

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それでは国内を騒然とさせた銀ブラ事件は、海外ではどのように伝えられたでしょうか。これも当時の記録が残っていますので、改めて見ていきます。

1952年当時は海外では特に報道されず

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日本国内では、新聞の「第一面」紙上に大きく報じられた銀ブラ事件ですが、海外の反応はほとんどなく、報道はほぼ皆無でした。

今現在でこそ、日本の「皇室」は世界から注目されますが、当時は海外で話題になることはほとんどなかったのです。皇室外交が盛んになるのも、この頃よりかなり後になってからです。

まるで映画「ローマの休日」!?報じられていれば好感度抜群!?

しかしながら銀ブラ事件のその背景が、有名な映画「ローマの休日」に似ていると感じる人は数多くいます。ローマの休日では、自由を束縛された「アン王女」が巷へ抜出すストーリーです。

典雅な身分のお方が民間を新鮮な気分で闊歩するという点に、映画「ローマの休日」は銀ブラ事件に通じるものがあります。

仮にそのように、映画のローマの休日になぞらえて海外報道されていれば、その好感度は予測できます。王室を持つ国であれば、その「窮屈さ」は国民の理解の範囲内と思われるからです。

現代では国家元首が民間の電車とは「考えられない」と驚愕の声

いま現在の天皇家・皇室の「在り方」に関しては、むしろ海外の反応で驚きと称賛の声が上がります。というのも、海外から見れば皇室は「王家・王族」にあたる特権階級なはずだからです。

海外の反応の多くは、天皇陛下御自身が、民間の電車などを利用する姿に驚きを感じるのです。ブラジルを一例に挙げると、大統領や議員ですら飛行機を自己都合で遅らせるのが日常です。

他の各国からも「虚礼・虚飾」を一切排除するお姿を隠そうともしない皇室に、尊敬の念が集まるようです。これは日本国としては、誇るべき1つの事実と言えるでしょう。

銀ブラ事件のあの店は今!?

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では50年以上も経過した現在、現上皇陛下が訪問したお店は健在なのでしょうか。令和に入り、平成の天皇陛下の「若き日」にスポットが集まる今、若い人からの興味もあるようです。

そしてその中での、あの「名店」が今も営業を続けていることが判明しました。最初に訪れた「花馬車」は、もう存在しないのですが、もう1つのお店「コロンバン」は、今もまだあります。

銀ブラ事件がやや遠い過去の話となった今も、コロンバンのこだわりのフランス洋菓子は健在でした。

「コロンバン」は今もアップルパイを提供している!?

コロンバンは1952年当時は、新橋にほど近い銀座7丁目にありました。その後原宿方面へ移転し、ずっと「ケーキ」の老舗として、洋菓子通の人気を保持してきました。

フランスの洋菓子のお店として、オーソドックスなケーキをとり揃え、名物には「原宿ロール」があります。他、伝統を重んじつつ斬新な洋菓子を提供し続けた老舗の1店と評価されています。

現在ではイチゴショート、モンブラン、サバランなどが主力人気となっています。コロンバンの洋菓子には、クラシカルで上品なテイストがあり、格調高い趣きが定評のようです。

原宿本店は一時閉店!店舗移転した今でもりんごは「青森産・紅玉」を使用!

原宿本店は都市再開発地区等で、現在一時的に閉店しているようですが、東北から関西まで店舗展開しています。各店舗では洋菓子以外にも、ランチメニューなどを供給しています。

そしてあの「アップルパイ」は、銀ブラ事件当時と同じ素材の「青森産・紅玉」を使用しているとのことです。紅玉はりんご品種では酸味が強く、加熱作成のアップルパイには最適なりんごです。

その頃のアップルパイの価格は、直径15センチのホールのアップルパイを250円で販売をしていました。おそらく銀座店の喫茶ではカットをしてお出ししていたので推定で35円位、ご一緒に注文した紅茶は50円位だったと思われます。

(引用:おもてサンド)

価格に関しては上記引用の通り、1952年当時も高級なだったことが偲ばれます。現在アップルパイは、税別1600円での発売のようです。通販の扱いはありませんが、主に首都圏店舗で購入できます。

現上皇陛下のその他の逸話は?いくつかの足跡をご紹介!

現上皇陛下、平成の天皇陛下は、ご公務を通じて広く国民の平和と安寧を希望し続けました。そのお姿は、平成の美智子皇后陛下と共に、これまでにはなかった皇室の在り方を示すものでした。

平成の天皇陛下と皇后陛下が残した軌跡の中の、逸話をいくつか紹介しましょう。

生物学者としては「ハゼ」の研究で世界的な第一人者

皇室ご一家には、その道の第一人者と言うべき研究者の方が多くいらっしゃいます。昭和天皇のヒドロ虫類、いわゆるクラゲ研究や、秋篠宮皇嗣殿下のナマズの研究などが有名です。

平成天皇の研究テーマは「ハゼ」でした。魚類学者として学会に論文を寄稿されたこともあります。ハゼの分類学としては、新属種にご自身の名である「アキヒト属」を献名するほどの第一人者です。

キマダラハゼ:Astrabe flavimaculata Akihito et Meguro
シマシロクラハゼ:Astrabe fasciata Akihito et Meguro
ヒメトサカハゼ:Cristatogobius aurimaculatus Akihito et Meguro
コンジキハゼ:Glossogobius aureus Akihito et Meguro
クロオビハゼ:Myersina nigrivirgata Akihito et Meguro
ミツボシゴマハゼ:Pandaka trimaculata Akihito et Meguro

(引用:Wikipedia)

現上皇陛下が発見なさった、ハゼの新種は上記引用の通りです。皇族のお立場を離れても、学者としての国際的地位が高く、民俗学者の梅棹忠夫は皇太子時代をこう表しています。

民族学者である梅棹忠夫は、1971年(昭和46年)8月26日の仲間内の食事会にて「この前、皇太子殿下(=明仁親王)にご進講に行った。皇太子殿下の植物学に対する造詣はたいしたもの。立派に東大、京大教授が務まる。帝としてはどうか知らないが、学者としては一流だ。」と述べている。

(引用:Wikipedia)

当時の皇后陛下は身を挺して陛下を守った!?山形訪問で発煙筒投下に騒然!

1992年山形県での国体開会式ご列席の際、暴徒によって発煙筒が投げ込まれる事変がありました。この時、当時の皇后美智子様は、瞬間的に陛下の前に手を差し出し身を挺し庇いました。

幸い発煙筒は両陛下の元までは届かず、無事に終わりました。この時の詳しい様子は、引用で紹介しましょう。

平成4年10月、山形県での国体開会式で、両陛下に向けて発煙筒が投げつけられる事件が起きた。この時、異変を察知した皇后陛下は咄嗟に右手を差し出し、陛下を庇おうとした。しかし、大事に至らないと判断されるとすぐに手を下ろし、元の姿勢に。わずか数秒の出来事だったが、その毅然とした姿は全国に報じられた。

(引用:ライブドアニュース)

かつて皇太子時代にも、沖縄訪問の際、「ひめゆりの塔事件」がありました。美智子現上皇后陛下は、いつの日も陛下の身の安全のためには、身を挺するご覚悟があったと伝えられています。

大災害の慰問では歴代天皇が絶対にしなかった「あること」を!

この画像は、平成の両陛下が東日本大震災の被災地を慰問した際のものです。最近の若者には見慣れた光景かもしれませんが、歴代天皇が一般人の前で、膝まづくのは前代未聞だったのです。

そしてこの、目線を合わせる姿勢を取るのは、これが初めてではありませんでした。

それは1995年、平成7年の阪神淡路大震災の慰問の際に見られた光景なのです。このお姿がテレビ等に大々的に報道されると、多くは感動の声が寄せられ、両陛下のお人柄が偲ばれました。

しかし昭和の常識、天皇とは「現人神」という名残を持つ文化人等からの批判も一部ありました。しかし極めて国民と近い距離にいらっしゃる両陛下のお姿は、すぐに馴染んでいきました。

銀ブラ事件は、平成の天皇陛下の微笑ましい逸話

Olgaozik / Pixabay

長く平成の時代に国家の平和と繁栄に全ての祈りを捧げた、現上皇陛下の若き日の「銀ブラ事件」をご紹介しました。事実、現上皇陛下は幼い日にはやんちゃな子として広く知られていました。

しかし未曾有の大災害が日本を襲った際には、全国民の安寧を希望し、被災地においては感動的な慰問をしました。それらが決して上辺でないことは、広く国民は知っています。

ご存命のうちに退位を決意され、令和に時代を引継いだ歴史は今後も語られていきます。上皇后陛下と共に、いつまでもご健康でありますよう、お祈りしたいと思います。

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