銀ブラ事件とは?慶應ボーイが現上皇に声掛け?経緯や海外の反応も紹介!社会

銀ブラ事件とは?慶應ボーイが現上皇に声掛け?経緯や海外の反応も紹介!

銀ブラ事件とは1952年、平成の天皇陛下であった現上皇陛下が、ご学友と連れだってコロンバン等の高級喫茶店を巡り歩いた、学生寮抜出し事件です。銀座では慶應ボーイから声を掛けられるなど映画・ローマの休日を彷彿とさせます。銀ブラ事件の海外の反応にも触れます。

目次

[表示]

銀ブラ事件の概要

baroparo / Pixabay

銀ブラ事件とは一体何でしょうか。銀ブラ事件はそもそも犯罪性のある事件とは全く異なり、令和2年に退位(譲位)なされた「現上皇陛下」すなわち平成時代の天皇陛下の高校時代の出来事です。

時はまだ昭和の時代で、現上皇陛下は学習院高等部3年に在籍し、卒後に立太子の礼を待つ皇太子のお立場だった頃の逸話を指します。この出来事は、映画・ローマの休日を彷彿させるロマンです。

本記事ではこの銀ブラ事件を、時系列な面と、裏話的なエピソードを交えて解説します。なお、天皇家の呼称は陛下・殿下で統一し、登場する民間人は全て敬称を略させていただきます。

「銀ブラ」とはそもそも何のこと?

galdae79 / Pixabay

本論に入る前に、そもそも「銀ブラ」が現在ではほぼ死語にも近いため、簡単な解説をしておきます。この言葉は古くは大正時代に端を発する言い方で、銀座界隈広域を巡り歩くことを指します。

その語源は「銀座をぶらぶら歩く」から発祥したという説が最有力です。一部では銀座のとある喫茶店で「ブラジルコーヒー」を飲むことを指して、銀ブラと言う説もあるようです。

格別何かを「買い求める」ことではなく、歩き見て回ることから、慶應ボーイ等大学生や庶民にとっても束の間の贅沢と言えました。しかしそれはあくまでも「庶民」にとってという点が重要です。

それは現上皇陛下が高校3年の3学期のこと

それは現上皇陛下が高校3年生で、卒業を待つ1952年のことです。当時は民間から呼ばれていたように、この段落では呼称を「殿下」で統一します。ある日ご学友に持ち掛けた話が事の発端となります。

それは「銀座に行ってみたい」という、庶民からすれば他愛もないことでした。しかしこの当時に、護衛抜きで殿下がご学友とのみ街頭を闊歩するなど、あり得ない話でした。

しかしこの時の殿下は、この「企み」に、実に真剣だったと言われています。今でこそ偉大な天皇陛下だったと国民の尊敬を浴びる陛下ですが、若い時期は「やんちゃ」だったのです。

「チャブ」「ハチ」の間柄

いの一番に相談を受けたのは、当時の殿下の一番の親友であった「橋本明」でした。彼は殿下を「チャブ」、殿下は橋本を「ハチ」と、お互いをあだ名で呼び合う親密な仲良しでした。

いつになく真剣な殿下のご様子に、橋本は冗談でないことを察します。しかし自分一人では心許ないため、殿下に「もう一人誰か」を連れて行こうと打診したそうです。

その時殿下が即答されたご学友が「千家崇彦(せんげのりひこ)」でした。そうして後の天皇陛下を含む「3人パーティ」は、侍従の目を盗むがごとく銀座を目指しました。

ご学友を指名して東宮侍従へ報告せず銀座へ繰り出す!

指名された橋本明は、まず監視の肝である「東宮侍従」へウソの報告をします。今夜は殿下を「目白の方」に案内したいと告げます。この時の侍従・浜尾実は新任の侍従だったようです。

そして「なぜ抜出し」なのかと言うと、この当時殿下を含め、高等部の学生は「学生寮」住まいだったのです。寮を無断で抜出すなど、少なくとも殿下には許される行為ではありません。

侍従への報告で煙幕を張り、3人は目白駅でごく普通に切符を買い、殿下自ら「切符切り改札」を通過したそうです。地理的に言えば、学習院は幼稚園から大学まで全て目白駅が最寄り駅です。

生まれて初めての山手線!新橋駅で下車

無事に改札を通過し、殿下は「生まれて初めて」の山手線に乗り込みました。折しも混雑していて座ることが出来ませんでしたが、殿下は扉前に背もたれて笑顔を絶やさずにいたそうです。

目白から山手線ですとほぼ半周になる「新橋駅」で一行は下車しました。銀座と言っても「端から歩く」のであれば、新橋はスタートに相応しい立地なのです。

そして歩いて銀座4丁目に差し掛かる辺りで、1つ予期せぬ「面白い」ことが起きました。

慶應ボーイが「殿下、こんばんわ」と挨拶!?

ambroo / Pixabay

それは歩いてすれ違おうとした4人ほどの「慶應ボーイ」が、殿下を見つけて挨拶してきたのです。「殿下、こんばんわ」という、素っ気ない挨拶でしたが、殿下は手を振り応えたそうです。

このスマートさは、さすがに慶應ボーイと思わせるエピソードです。ほぼ同年代とはいえ、この当時に天皇家の男子が「普通に」銀座を歩いているとは通常想像もしないはずだからです。

片や学習院、片や慶應義塾の育ちの良さが滲むようなシーンと言えます。

銀座4丁目から歩いて高級喫茶店をはしご!?

StockSnap / Pixabay

そのままその足で、3人は高級喫茶店を「はしご」したのです。この経路は後述しますが、まず「花馬車」で、橋本明の彼女と合流しました。そこから鞍替えし「コロンバン」へと移動しました。

はしごせざるを得なかったのは「花馬車」で店主に殿下の素性がバレてしまったからです。

皇位継承権上位の男子が「出来るはず」もないこれは大冒険!?

Free-Photos / Pixabay

この銀ブラ事件当時の1952年(昭和32年)は、まだ戦後も間もない時期とも言える時代でした。昭和20年までは、天皇陛下は「現人神(あらひとがみ)」として神格化されていたのです。

そのご子息であり、かつ嫡男(長男)で、将来は「天皇陛下」として後を継ぐ宿命の方が護衛なしで散歩などあり得ません。その意味からこの銀ブラ事件は、大冒険と言って過言ではありません。

しかし天皇家・皇室を護衛し、あらゆる面で支える「宮内庁」にとっては、当然大騒動の事変でした。そして警察にとっても、その威信がかかる一大事であったことは間違いありません。

銀ブラ事件の背景にあったものとは?

ijmaki / Pixabay

現上皇陛下(平成の天皇陛下)が、高校卒業を間近に控えたこの時期に、銀ブラ事件を起こした背景を読み解きます。それは高校を卒業し、「成人」するまでに通過する「ある決め事」が理由でした。

当時皇太子殿下だった現上皇陛下には時間がなかった!?

厳密に言いますと、高3当時の現上皇陛下は、まだ正式な皇位継承順位を内外に表明した「皇太子殿下」ではありません。確定的な事柄なので、呼称も「殿下」とはなっていましたが。

つまり高校卒業の直後には、天皇家の「跡継ぎ」として公の立場の色合いが強くなります。どう考えても「自由気まま」に街を散歩するなど、叶わぬ夢と化すのです。橋本明へはこう告白しました。

「大学に入るといろいろむずかしいと思う。ボクは立太子式後はますます公的行事に時間をとられて身動きできなくなる。いまがいちばんのチャンスだと思うんだよ」

(引用:女性自身)

ここで登場する「立太子式」がキーワードとなります。現上皇陛下はこの当時の「やんちゃ」任せだけでなく、ご自身のこの先を想像され、事に及んだお気持ちが読み取れます。

NEXT:高3のこのチャンスを逃せば「立太子の礼」は間近!
1/4