開成高校生殺人事件とは?殺害した父親はいま?少年の名は? 社会

開成高校生殺人事件とは?殺害した父親はいま?少年の名は?

開成高校生殺人事件は、1977年当時16歳だった息子・佐藤健一が父親に殺害された衝撃的事件です。開成高校生殺人事件は息子の精神病が原因とも言われ、母親は自殺し父親はいまも消息不明なままです。本事件のドラマ・映画化や2chでの取り扱いも探っていきます。

目次

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開成高校生殺人事件の概要

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開成高校生殺人事件とは、現在でも「子殺し」の事件がある度、取り沙汰される衝撃的な事件です。開成高校と言えば、東大進学者数ナンバー1の超進学校であり、その高校に通う実の息子を殺した点が異色です。

この事件の実行犯である父親の心理と、殺された息子の当時の奇行ぶりなどが、開成高校生殺人事件の核心部分となります。単なる一時的な感情のもつれから生じた殺害でないことに大きな特徴があります。

息子を殺した父親はいま、どうなってしまったでしょうか。また、なぜ超エリートの王道を行く開成高校の生徒が、父親に殺されてしまったのか、経緯を詳しく見ていきます。

開成高校生殺人事件はいつ起きた事件?

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開成高校生殺人事件は1977年(昭和52年)10月30日の未明に起きた事件です。この日に至るまでのプロセスは、非常に熾烈な家庭内暴力の日々が背景にありました。

この1977年当時は、兵庫県の灘高校と開成高校が、東大進学者数でしのぎを削っていた時期です。都立名門校の台頭が終わり、このすぐ後、開成高校が連続38年東大進学数で1位を継続していきます。

世間でもこれほどの進学校に通う生徒が、肉親である父親に絞殺される事件に大きな衝撃を受けました。そして父親が最終的に、犯行に及んだ経緯に注目が集まりました。

殺された少年の名は「佐藤健一」

開成高校生殺人事件では、被害者となった高校生が、未成年ながら実名報道された点が異色です。報道の慣習としては、被害者であれ加害者であれ、実名は避けて「少年A」などと呼称されることが多いです。

しかしこの開成高校生殺人事件は、事件勃発の報道後も細かい取材が重ねられ、個別のルポルタージュが発表されました。必然性があったかどうかは別として、被害者の実名、佐藤健一は表に出ました。

この開成高校生殺人事件まで、超進学校に通う生徒が直接絡む殺人事件などは、そうそうなかったのです。その特異性から、この事件はルポの他にも、映画化・ドラマ化されたほど話題が過熱しました。

開成高校生殺人事件での家族の相関関係

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開成高校生殺人事件に関わる人物は、被害者・佐藤健一の直系の家族だけでほぼ閉じています。父親と母親は結婚後に、妻方の実家に身を寄せ、そこには佐藤健一の祖父・祖母も同居していました。

この一家で最も権威があり、佐藤健一が尊敬したのは祖父だったと言われます。その祖父の逝去によって、彼の両親や祖母への侮蔑的態度や発言が顕著になり、やがて暴力をふるうようになりました。

特に父親は事実上、最終学歴が小学校卒であり、職業は大衆酒場経営とのことで息子の軽蔑の対象となっていました。母親は息子を溺愛する一方で、過保護な育て方をしていました。

父親による殺害の方法について

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1976年(昭和51年)、佐藤健一が高1の5月頃から引きこもりがちになり、生活が乱れました。翌年には家庭内暴力が加速し始め、奇行が目立つようになり、8月には精神科を受診するまでになりました。

事件発生の数日前に、父親は皿で頭部を殴打され、出血のため救急搬送されました。殴った健一はパトカーにより、鍵付きの独房のある精神科病院へ運ばれますが、母親が憐みすぐに引き取ります。

その後も連日暴行は収まらず、父親はこのままでは息子がいつか殺人犯になってしまうと考えたそうです。そして眠っている健一の首に帯を通し交差させ、しばらく顔を眺めた後、絞殺を実行しました。

父親は母親と心中を図るも未遂で自首へ

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父親の犯行後すぐに母親が気付き、絶命した息子の前で泣き続けました。二人は共に自殺することを決意しました。祖母に犯行が露見しないように、息子の亡骸を押入れに隠して明け方家をあとにします。

父親と母親は死に場所にあてはなく、とりあえず東京駅から横浜方面へ出ました。浜松まで新幹線で移動し、自殺に適当な場所を探すも決めかね、市内のホテルで一泊しました。

父親と母親はホテルで夜通し話し合いました。殺してしまった息子のことや、残してきた祖母のことなどを。泣きはらし、話も尽した上で父親は自首を決意し、翌日妻同行で赤羽署へ自首しました。

裁判の判決は驚愕の「執行猶予」で結審し服役なし!

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開成高校生殺人事件の裁判は、翌年1978年(昭和53年)2月、東京地裁で判決が出ました。その内容は「懲役3年・執行猶予4年」という、求刑懲役8年に対し、相当な温情判決となりました。

自首であること、息子の家庭内暴力が度を越していたことが明確な点などから情状酌量されたと見なされています。検察は量刑不当として直ちに控訴するも、東京高裁はこれを棄却し結審しました。

「子殺し」への判決で、執行猶予が付くなどは前代未聞であり、事件への関心は増々高まりました。

開成高校生殺人事件で父親が佐藤健一を殺害した理由は?

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開成高校生殺人事件において、父親が息子の健一を殺すに及んだ原因と理由は何だったのでしょう。殺された佐藤健一が、精神病だったことが原因と片づけるのは早計なようです。

そこには家族内でのボタンの掛け違いのような、複雑な経緯があったことは間違いないのです。勉強好きな優等生、佐藤健一が辿った道を詳しく追っていきます。

小学校は常時クラス上位の成績だった佐藤健一

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佐藤健一は、小学校から私立のミッションスクールに通っていました。それは幼稚園から短大まである、星美学園小学校です。お受験の小学校としては中堅どころの学校です。

学校へは母親が毎日自家用車で送迎をしていました。健一はこの小学校で、常時クラスで最上位レベルの成績でした。5年生になり中学受験最大手塾の、四谷大塚に通い、家庭教師も付きました。

開成中学進学を強く希望し、勉学に励みますが、内向的で友達は少なかったようです。いわゆる「マザコン」で、母親に依存し父親を蔑視するような下地が、もうこの頃出来上がっていました。

開成中学入学試験では成績上位

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開成中学には、定員300名中「56番」の上位で合格し、中2の夏頃まではクラスで10番辺りをキープしていました。開成中学の席次で言うなら、これは東大合格圏内であり自他共に期待がありました。

徐々に低下する成績

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しかし中学2年の終盤辺りから、徐々に成績が落ち込んでいき、本人が気にするようになりました。中学3年に進級する時期には、学年300名中で236番まで落ち込んだのです。

この時期から父親へは無論、好きだった母親へも乱暴な言葉遣いや態度が現れ始めます。家族旅行の際には、その原因が全く不明ですが突然「殺してやる」と、母親を追い掛ける乱心が見られました。

高1で尊敬する祖父の死を境に両親への態度が急変

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開成中学から開成高校へと進学したばかりの5月、家族内で唯一尊敬していた祖父が亡くなりました。祖父の死は、佐藤健一には非常に大きなショックとなりました。

祖父の死を境に、佐藤健一は自室で夜に柱や壁を殴るなどして、騒音で家族の安眠妨害をし始めました。これに対し父親は、一切干渉せず口もきかない代わりに暴れるのを止めろと説きます。

しかし聞き入れることもなく、その後も自室で暴れることをやめませんでした。やがて祖母に対してまでも、乱暴な言葉遣いになっていきました。

成績低迷の他「鼻の低さ」が大きなコンプレックス

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佐藤健一には、成績不振と同じかそれ以上にコンプレックスがありました。それは自分の「鼻が低い」ということでした。鼻の低さは母親の遺伝だと恨むような物言いをするようになりました。

整形手術を希望するも、医師からは、18歳未満では成長過程なので出来ないと言われます。手術は諦めますが、執拗に「鼻の低さ」が両親のせいだと罵倒し続けました。

高校2年に進級する頃には、学校での授業中に一人笑いをするなどの奇行が目立つようになりました。修学旅行は学年で、ただ一人参加しませんでした。

難解な愛読書と破滅欲求

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成績不振に陥るのとほぼ同一時期から、佐藤健一は非常に難解な本に耽溺するようになりました。中3にしては難しい、スタンダールの「赤と黒」を皮切りに、難しい書物にのめり込みました。

健一はサルトルやフッサールなどの哲学書を愛読しました。鞄には仏文学のノーベル文学賞受賞者、ル・クレジオの「発熱」という小説を携帯するほど熱中していたようです。

それらの影響もあってか、中学の卒業の寄せ書きには「死こそわが友」などという破滅的な言葉を書いていました。

凶暴化一途と家庭内暴力の過激化

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成績不振、鼻のコンプレックス、祖父の死などを通して、佐藤健一は凶暴化の一途を辿ります。当初は自室で騒音を起こし、安眠妨害する程度でしたが、次第に直接の暴力的行為に及びました。

金属バットで仏壇を破壊したり、声をかけた途端に暴れ出すなど歯止めが利かない状態でした。

精神病を疑い通院するも収まらない凶暴化

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父親は家庭医学書などを読み、我が子は精神病なのではないかと疑念を持ちました。そしていくつかの精神科で診察を受けるも、疑念した精神病の診断が下ることはありませんでした。

殺された佐藤健一の凶暴化は精神病が原因?

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開成高校生殺人事件において、佐藤健一の凶暴化は精神病ではなかったのでしょうか。実際に「殺されるかもしれない」と、肌で感じた両親や祖母は、自宅から避難するほどのものでした。

今現在と、この事件当時では、精神科での見解はかなり違いがあったことも事実です。何らかの有効な治療法などが無かったのでしょうか。

精神科を受診してもただの「わがまま病」扱い

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家族へ暴力をふるい、手当たり次第に家具を破壊する佐藤健一ですが、精神科の診断はほぼ一様に「わがまま病」でした。ある医師は、暴れたいだけさせておきなさいと言いました。

また別な医師へ、父親が治るかどうか尋ねると「私は予想屋ではない」とだけ告げています。医学的にわずかに有効であったのは、次に述べる「電気ショック療法」だけでした。

高2の9月に電気ショック療法で一時的に落ち着く

佐藤健一が高2の9月の頃、通った「N病院」では電気ショック療法が施されました。これは精神科では正確には「電気けいれん療法(ECT)」と呼ばれるもので、現在でも行われることはあります。

電気けいれん療法(でんきけいれんりょうほう、電気痙攣療法)は、頭部(両前頭葉上の皮膚に電極をあてる)に通電することで人為的にけいれん発作を誘発する治療法である。
元は精神分裂病(現在の統合失調症)に対する特殊療法として考案されたものである。日本では1939年(昭和14年)に、九州大学の安河内五郎と向笠広次によって創始された。その後、他の疾患にも広く応用されて急速に普及し、精神科領域における特殊療法中、最も一般化した治療法である。作用機序は不明である。

(引用:wikipedia)

この治療法を施術された佐藤健一は、ほんの一時的ではあるもののおとなしくなりました。

父親は殴られ救急搬送!健一は精神科独房で2晩過ごす

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事件発生の数日前の10月22日、電気ショック療法を施術した佐藤健一は、翌日その効能が切れて父親に暴力をふるいました。この時は包丁を取り出し、刺そうとしました。

父親は辛うじてこれをよけましたが、さらに皿で父親の脳天を殴打しました。流血はおびただしく、父親は救急搬送され、健一は警官によりパトカーで独房のある病院へ送致されました。

2晩過ごしたのち、面会に行った母親が息子を憐み、すぐに引き取りました。帰宅早々に佐藤健一は暴れ出し、二度睡眠薬を飲んだ後に殺害時刻前22時半に、力尽きて眠りに落ちました。

開成高校生殺人事件を起こした父親はいま?母親は?

当時世を震撼とさせた、開成高校生殺人事件の実行犯の父親はいまどうしているでしょう。そして母親はその後どのような道のりを歩んだでしょう。

この事件の顛末は、息子の殺害で終わるものではありませんでした。

裁判後母親は夫に憎しみを抱くように

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東京地裁での執行猶予付きの、極めて異例な温情判決で父親は懲役を免れました。しかし息子・健一を溺愛していた母親は、次第に殺した側の夫を強く憎むようになりました。

裁判係争中には、情状酌量を訴えていたのもこの母親自身ですが、現実に判決が出た後の母親は荒れました。

母親は毎日酒を浴びる程飲み夫を罵倒

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憎悪に満ちた感情で、母親は浴びるように酒を痛飲するようになりました。激しく慟哭しては、夫に対し攻撃的な罵声を浴びせるようになっていきます。当時の日記にはこうあります。

母は日記に
「死にたい」
「死ぬのは勇気がいることだ」
「健一のそばに行きたい」
と書く。母はアルコールを痛飲するようになる。

同時に、父に対し、攻撃的になる。
「健一を帰せ!」
「健一は私の生き甲斐だった。あなたより大切だった」
「あなたは私をめちゃめちゃにしてしまった。許せない。」
「みんなあなたが悪い。刑が軽すぎるんじゃないの」
「死んでやる」
「今は健一の気持ちがとてもよくわかる。だから同じ事をしてやるの」

(引用:NAVERまとめ)

息子が死んだ部屋で母親は首吊り自殺を遂げることに

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そして思い極まった母親は、息子が絞殺された、まさにその部屋で首吊り自殺を決行しました。直筆の遺書に「私の教育のせい」で息子は死んだとしたため、母親は息子の後を追っていきました。

父親は四国巡礼の旅へと出て現在の消息は不明のまま

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妻が自殺した同月7月に、父親は「お遍路さん」で知られる、四国巡礼の旅に出たと言います。その後も全国行脚を続けたという情報もありますが、定かではないようです。

父親がもしも生きていれば88歳

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もしも、父親はいま生きていたとするならば、年齢は88歳になっているはずです。お遍路修行の旅に出たとの報告から、その後の父親はいま、どうなったかは全く解りません。

しかしもしも生きているならば、その心の中はどんなものなのでしょう。普通に生きる市井の私たちには、想像もつかない生涯だったことは間違いないでしょう。

開成高校生殺人事件を扱ったドラマ・映画・2chなど

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このような、実に複雑な背景を持つ、開成高校生殺人事件は映画化・ドラマ化されています。どのような作品でどんな出演者なのか、紹介してみます。

ドラマ・映画化は?その出演者は?

映画化は1979年、新藤兼人監督による「絞殺」です。事件からわずかに2年弱でのこの映画は鮮烈な印象を与えました。配役は父親役に西村晃、母親役に乙羽信子がキャスティングされました。

ドラマ化は1983年、「子供たちの復讐・開成高校生殺人事件」のタイトルで放送されました。佐藤健一役には坂上忍、父親役は石橋蓮司、母親役に宮本信子というキャスティングです。

上記映画「絞殺」では実際の事件にはない要素が脚色されています。それに対し、ドラマの方は本多勝一のルポが原作となっていて、開成高校生殺人事件をより鮮明に描いているようです。

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