大阪西成区あいりん地区出身の芸能人・有名人15選!治安がやばい? 社会

大阪西成区あいりん地区出身の芸能人・有名人15選!治安がやばい?

大阪西成区(あいりん地区)は別称・釜ヶ崎とも呼ばれ、ドヤ街が並ぶ治安の悪い街で、女性の一人歩きはご法度、結婚に響く、西成高校がヤバい等の噂があります。そんな大阪西成区(あいりん地区)出身の芸能人・有名人で、SHINGO☆西成やアーサー・ホーランド等を探ります。

目次

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大阪西成区(あいりん地区)とは?

路上生活者が非常に多いと言われる、大阪西成区ですが、その全体があいりん地区ではありません。西成区の北東部に位置する、天下茶屋付近の別称・釜ヶ崎エリアをあいりん地区と呼んでいます。

釜ヶ崎(かまがさき)は、かつて摂津国・大阪府西成郡今宮村(のちに今宮町)に存在した字、および現在においてその一帯を指す地域通称。現在では西日本旅客鉄道関西本線以南の西成区萩之茶屋一丁目・萩之茶屋二丁目の各一部を主に指すが、当初は同線以北の浪速区恵美須西三丁目・恵美須東三丁目・戎本町二丁目の各一部も含んでいた]。

いわゆるあいりん地区を含んでおり、同地区の通称としても使われる。

(引用:wikipedia)

全国的にも著名な高層タワー・あべのハルカスを擁する、大阪第3の繁華街「天王寺」と隣接します。また、串カツのメッカでもある「新世界」の通天閣も徒歩圏内の地域的利便性がある場所です。

現在もドヤ街が立ち並び、治安の悪さでは大阪でも屈指のエリアで、女性の一人歩きはご法度とされます。その中心部の「三角公園」に近づくほど、カオスな状況が色濃くなります。

大阪西成区(あいりん地区)出身の芸能人・有名人15選

そんなダークで危険な街のイメージを持つ、大阪西成区(あいりん地区)出身の芸能人・有名人はたくさんいます。生まれも育ちも西成という芸能人もいますし、一時的に暮らした有名人もいます。

西成区出身を明確にしている芸能人・有名人もいる反面、あまりはっきりと公認しない人もいます。ここでは比較的精度の高い大阪西成区(あいりん地区)出身の芸能人・有名人をピックアップします。

①やしきたかじん(歌手、タレント)

2014年に惜しまれつつ逝去したやしきたかじんは、西成区出身であることが知られています。関西では圧倒的な知名度を誇り、番組MCでの豪快かつ痛快なしゃべりで多数のレギュラーを持ちました。

また歌手としての側面では、普段の声からは想像を絶する程の甘い美声と圧倒的な歌唱力で知られています。平素はその傍若無人ぶりと強面から野卑なイメージでしたが、非常に神経質でした。

やしきたかじんは気配りも抜群で多くの芸能人から愛されました。「矜持」を持った芸能人であり、酒絡み、音楽絡みでの伝説的エピソードを数多く持った生涯関西人を通した鬼才の一人です。

②赤井英和(元・プロボクサー、タレント)

元・プロボクサーの赤井英和は、大阪西成区出身で、中学高校時代には喧嘩上等で大阪中にその名を知られる存在でした。高校は通称「浪高」の浪速高校に進学し、ボクシング部に所属します。

インターハイ優勝等の実績で近畿大学ボクシング部に進み、当初は五輪出場を目指しました。しかし機会に恵まれず、プロ転向すると新人王をKOで奪取し、破竹の12連勝で「浪速のロッキー」と呼ばれました。

世界戦へ挑むも敗戦に終わり、引退後に俳優へと転身します。映画「どついたるねん」で主役を演じた後もドラマ出演は多数ありました。バラエティやCMにも多く出演するマルチタレントとして愛されています。

③亀田3兄弟(プロボクサー)

ボクシング界では何かと話題の多かった亀田3兄弟は、大阪西成区の天下茶屋の出身であいりん地区のお膝元の小中学校を卒業しています。3人とも高校へは進学せず、ボクシング一筋の道を歩みました。

現在は末っ子の和毅だけがフリーのボクサーで、上2人は引退しています。父親・史郎の熱血指導等でマスコミから常に注目されつつ、3兄弟で世界チャンピオンに輝くギネス世界記録に認定されました。

言動・行動共に野蛮なイメージを発していますが、パフォーマンスの要素も強いと言われます。WBCフライ級の元世界王者・内藤大助との因縁試合など、ダーティなイメージには賛否両論があります。

④豊川悦司(俳優)

クールな2枚目と、関西弁でお茶目の両面を持つ豊川悦司は、公式発表では大阪は八尾市が出身となっています。しかし彼の父親は、あいりん地区で靴職人をしていた事実があるようです。

日系韓国人3世であることも知られ、その出自は謎に包まれています。平素はきれいな標準語ながら、インタビューなどでつられて関西弁になることが多くあります。

豊川悦司は、俳優として1995年の「愛していると言ってくれ」で大ブレイクしました。その後1997年「青い鳥」では、TBSが破格の予算を投じた日本縦断ロケを敢行し、彼の代表作の1つとなりました。

⑤六代 桂文枝(落語家、元・桂三枝)

昭和から「桂三枝」としてTVの全国ネットで、その知名度が圧倒的であった六代桂文枝も大阪西成区に縁がありました。自身は堺市の出身ですが、師匠の桂小文枝が西成に住んでいた関係です。

その縁から2012年より、西成PR大使に任命され西成区のHP上に挨拶分が記載されています。活躍ぶりは「新婚さんいらっしゃい」での、同一司会者トーク番組最長記録で、世界ギネス認定されています。

現時点では、上方落語会の最高峰の地位にあり、吉本興業へも強い影響力を持つ重鎮として存在感があります。明石家さんま、ダウンタウン等からも師匠筋として一目置かれる存在です。

⑥桂ざこば(落語家)

落語家・二代目桂ざこばは、大阪西成区の出身であることを公言しています。師匠は上方落語会でも頂点の存在の、桂米朝一門として知られます。全国区ではTV番組・ウィークエンダーの語りで有名です。

落語家としては「朴訥」を信条とし、演目「子は鎹(かすがい)」を演じさせれば、右に出るものはいない名手です。また「枕」の巧さには定評があり、他の落語家から絶賛されています。

米朝一門としては、同門の桂南光と共に一家を支えました。2017年に脳塞栓を患い、TV出演が途絶えましたが、コメンテーターとして純粋さが光る一流のしゃべりは健在と言える存在です。

⑦柏原芳恵(アイドル歌手)

柏原芳恵は、1982年の空前のアイドルブームの先駆けとして、1980年デビューでのアイドルとして大成功した1人です。15歳でデビューし、「ハローグッバイ」で大ブレイクしました。

抜群のルックスと確かな歌唱力は定評があり、当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)がファンであったことが有名です。ポップな曲も勿論、中島みゆき作曲の楽曲で、表現力も確かな歌手です。

80年デビューとして、松田聖子、河合奈保子と共に3人で、アイドル歌手ブームを牽引した第一人者です。

⑧立花理佐(アイドル歌手、タレント)

立花理佐は1987年デビューのアイドル歌手で、大阪西成区出身をオープンにしています。中山美穂の出世作ドラマ「毎度おさわがせします」のシリーズ3で、主演デビューを飾りました。

同年デビューの酒井法子、坂本冬美らを抑え、第29回レコード大賞の最優秀新人賞を獲得しました。正統派アイドルとして順風満帆な活動でしたが、2年目にして事務所トラブル等から出番が激減します。

翌年デビューの「本田理沙」と混同されることも多く、本田理沙のデビュー曲「Lesson2」が持ち歌と錯誤されることがあります。

⑨内場勝則(吉本興業・お笑いタレント)

吉本興業所属のお笑いタレント・内場勝則も大阪西成区の出身です。妻は同じく吉本興業の、未知やすえです。吉本のスクール「NSC」の第一期生で、同期にダウンタウンやトミーズがいます。

吉本内部では早くにその才能を見出され、活躍の場を得ました。吉本新喜劇では座長も務め、特定単一のギャグに囚われないお笑いの芸風から「スーパー座長」の異名を取るほどの才覚でした。

芸人仲間の内でも、稀代の読書家として知られる側面も持つ、いぶし銀芸人として関西ではその名を知られます。

⑩はるき悦巳(漫画家)

漫画家のはるき悦巳は、代表作「じゃりン子チエ」の作家として知られる、大阪西成区の出身です。じゃりン子チエの舞台設定そのものが、あいりん地区を想起させる内容となっています。

漫画家としては、誰のアシスタント経験も持たず、ほぼ独学での作画を貫いたことで知られます。その独特の世界観に関しては、そうした経緯が大きく影響するとの評価が大きいようです。

⑪香川伸行(元・プロ野球選手)

元・プロ野球選手の香川伸行は、浪商高校時代に甲子園に出場し、後の中日ドラゴンズの抑えの切り札・牛島和彦とバッテリーを組んでいました。生まれは徳島県ですが小学生から大阪住まいです。

水島新司の漫画「ドカベン」の主人公と似通った所があるため、ドカベン香川の愛称で親しまれました。出自は大阪西成区と異なりますが、プロ引退後に、鶴見商店街近くに住んでいたことで知られます。

ドカベン香川は、大きな体格と屈託のない笑顔で親しまれましたが、52歳の若さで急逝しました。

⑫日高晤郎(ラジオパーソナリティ、芸人)

日高晤郎は北海道の放送局を主戦場にした、伝説的ラジオパーソナリティです。その出生は、現在の大阪西成区で、極貧の母子家庭育ちであったことが知られています。

若くして市川雷蔵や勝新太郎の目に留まり、役者として歌手として活躍しました。のち、STVラジオの番組へ出演し、知的な毒舌家として広く支持されるようになりました。

ラジオ放送の長時間記録を数々持ち、しゃべりの世界では多くの尊敬を集めた、マルチな才能の持主でした。2018年4月、悪性肉腫により74歳で逝去されました。

⑬SHINGO☆西成(ヒップホップMC)

SHINGO☆西成は、その名に刻む通り大阪西成区のあいりん地区でも、ど真ん中の三角公園近くの長屋で生まれました。家は貧しく、中学生の頃にバイト先の西成の朝市でヒップホップに出会ったそうです。

SHINGO☆西成は、府立今宮高校から天理大学に進み、卒業年度に阪神・淡路大震災に遭遇しました。この時の体験からボランティアに目覚め、高齢者福祉施設に就職します。就職後もライブを続けました。

生れ故郷の西成・釜ヶ崎への情愛を込めたラップを信条とし、2006年にメジャーデビューしました。通天閣真下や、なんば花月にてワンマンライブを開催したことがあります。

⑭アーサー・ホーランド(牧師、宣教師)

アーサー・ホーランドは全身タトゥーだらけの「不良牧師」として知られます。1951年、大阪西成区で米国海兵隊員の父と、寿司屋の娘の間に長男として生まれました。

その半生は、宗教と国籍の狭間で波乱万丈の中にあり、宣教師・牧師への道を歩みます。刺青に対しての世の偏見に真っ向から立ち向かう姿勢は一貫し、異色の牧師として現在も布教活動中です。

アーサー・ホーランドは、69歳現在でも、引き締まった肉体に数多くのタトゥーを入れた姿をメディアで公開し続けています。

⑮眉村卓(小説家)

SF・ジュブナイル小説家の眉村卓は、1934年に大阪西成区で生まれました。府立住吉高校を経て、大阪大学経済学部を卒業します。卒後就職しますがSF小説を書き続け、1965年に専業作家へと転身しました。

ジュブナイル小説では、「ねらわれた学園」が1980年代に薬師丸ひろ子、原田知世等の映画・ドラマの原作になりました。国内のSF小説家としては、その草創期にあり、パイオニア的存在でした。

1967年に刊行された「なぞの転校生」は、1975年にNHKでドラマ化され、学園モノSFドラマとして人気を博しました。同作は2014年には岩井俊二による脚本化で再ドラマ化され、高い評価を得ています。

大阪西成区(あいりん地区)とゆかりのある著名人?知名度抜群の3人!

vleyva / Pixabay

大阪西成区の出身とは言えないまでも、西成に縁(ゆかり)のある著名人もいます。ここではその中でも、非常に知名度のある3人をピックアップし、西成とどのような繋がりがあるのか探ります。

①沢田研二(歌手、俳優)

「キネマの神様」で、亡くなった志村けんの代役に抜擢された沢田研二は鳥取生まれの京都出身です。1960年代中盤にグループサウンズの大ブームが訪れる前に、沢田研二は西成に居たことがあるそうです。

それは一体、どういうことなのでしょうか。沢田研二がGSの頂点とも言える「タイガース」で、世に出る前の頃まで遡ります。

ファニーズ時代西成に半年住んでいた

沢田研二は京都の高校を中退し、17歳でダンス喫茶のアルバイトをしていました。その頃のちにタイガースのまとめ役となる、岸辺一徳に声を掛けられボーカルとしてバンド加入しました。

そのバンドはファニーズと言い、テレビでメジャーデビューする少し前のことでした。この頃西成の岸里のアパート「明月荘」には、音楽で成功を夢見る若者が多く集っていたそうです。

当時は萩之茶屋から天下茶屋、岸里あたりはミュージシャン、玉出、住吉あたりはお笑い芸人が多く住んでました。当時は安アパートがいっぱいあったから夢を追う若者が集まっていたんですね。
(中略)
振り返れば明月荘にいたあの時代こそが青春だったんだと思います。自分がこれからどうなるのかわからない中、不安と希望の中で過ごしていました。沢田研二が何時間も部屋の中でずっとひざをかかえて過ごしていた光景が印象に残っています。

(引用:EXCITEニュース)

当時を語ったのは、同じ音楽仲間でもあった宇野山和夫でした。

GSの聖地「明月荘」が取壊しに

上記当時からおよそ50年以上、明月荘は健在でしたが、とうとう2019年に解体工事が施行されました。当時を知るGSファンの間で話題となり、現地の様子を撮影する人が大勢いたようです。

そして沢田研二ファンなら垂涎ものの「サイン入り鴨居」は、解体前に持ち出され、ある筋で保管されているそうです。昭和の大スター沢田研二と西成には、こうした縁があったのです。

②西川きよし(タレント、芸人)

お笑いコンビ「やすきよ」で一世を風靡し、のちに政治家としても活躍した西川きよしも、西成に一時期住んでいたそうです。それは21歳の若さで結婚したばかりの頃のことだそうです。

お相手はお馴染みの西川ヘレンで、この当時は吉本興業の看板女優だったのだそうです。駆け出しの芸人ですからお金もなく、苦労の連続だったことが伝えられています。

新婚時代に西成の古アパート暮らし

西川きよしが暮らしたのは、西成の古アパート「熱海荘」でした。この頃同じく、まだ売れる前で貧しかった親友、坂田利夫が転がり込んで3人での暮らしが続いたそうです。

西川きよしは、この時代の大スター・白木みのるの付き人をしていました。一流料亭へお供すると、小柄で小食な師匠が食べきれなったごちそうを食べたそうです。

極貧生活には愛妻のおからハンバーグ

いつか自分の力で料亭にもどこにも行けるようにと、西川きよしは発奮したそうです。しかし現実にはお金もなく、ヘレン夫人は苦心して、肉なしおからハンバーグを作ったのだそうです。

ヘレン夫人のお手製ソースは絶品だったらしく、西川きよしと坂田利夫は争うように食べたと言われています。そんな西成での極貧生活をバネにして、今日の地位があるというわけです。

③橋下徹(政治評論家タレント、弁護士、元政治家)

大阪府知事・市長を歴任し、大阪の政治を大きく動かした橋下徹も、西成とは深い縁を持っています。西成への在住経験は一切ないのですが、本業の弁護士としての関わりは今も話題になるようです。

飛田新地の顧問弁護士を務めていた

それは政治家にうって出る遥か以前、茶髪の風雲児などと称された頃の話です。西成の中でも極めて特殊な地域である「飛田新地」の組合の顧問弁護士を、若い頃に請け負っていたのです。

まず、飛田新地というのは、大阪市西成区にある「色街」で、「約160軒の店が軒をつらねている」という。店の中には客引きのおばさんと、派手な照明に照らされた女性が鎮座。客として入店した男性たちの発言によると、その2階の部屋で女性と“本番行為”を行っているようだ。これらの店は「料亭」として登録されており、その組合が、橋下が顧問弁護士を務めていた「飛田新地料理組合」というわけだ。

(引用:ダ・ヴィンチニュース)

橋下徹弁護士は、組合の顧問を数年に渡り務めていたようです。反社会的勢力と、全く無縁だったと言い切りにくい面も残ります。

弁護士がどこの顧問になるのも自由ですが、のちに知事・市長の立場になって糾弾された内容です。

料理組合に売春はなかった?

橋下徹は、この件を認めつつも、料理組合は売春組織ではないと反論しています。しかし、違法と隣り合わせの組合の顧問弁護士であったことを問題視する向きもあるようです。

現在は政治活動を停止し、評論家タレントとして活躍する橋下徹にアンチも多いのはこの件も無関係ではないのかもしれません。市長時代には西成区の現状にも触れた立場でした。

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