
忍野八海事故はなぜ起きた?死亡したダイバーや池に纏わる怖い話
かつては地底湖であり今は観光スポットの忍野八海で水難事故がりました。時に怖い話として語られるダイバーが死亡した忍野八海事故はなぜ発生したのか。水温や深さ等含め忍野八海事故を調査・解説すると共に落ちた人等他の事故についてや美しい水中映像なども紹介致します。
目次
[表示]- 01.
恐怖の水難事故「忍野八海事故」とは?事故の概要は?
- 01.1.
忍野八海事故とは?
- 01.2.
なぜダイバーは死亡した?忍野八海事故の原因は?
- 01.3.
遺体の回収は難航を極めた
- 01.4.
忍野八海事故で死亡したダイバーは忠告を無視していた!
- 02.
事故が起きた忍野八海とはどんな場所?
- 02.1.
忍野八海の水温は?深さはどの程度?巨大な地底湖の噂も!
- 02.2.
神秘的な忍野八海の水中映像
- 03.
忍野八海事故のその後は?
- 03.1.
忍野八海事故のその後
- 03.2.
忍野八海事故は怖い話として語られる事も
- 03.3.
その他の事故は?落ちた人はいる?
- 03.4.
落ちた人がいる等の情報はなし?ただしiphoneが落ちている
- 03.5.
近年忍野八海では硬貨の投げ入れ等が問題に
- 04.
忍野八海に伝わる逸話・民話
- 04.1.
出口池に纏わる民話
- 04.2.
御釜池伝わる民話
- 04.3.
底無池に伝わる民話
- 04.4.
銚子池に伝わる民話
- 04.5.
涌池に伝わる民話
- 04.6.
濁池に伝わる民話
- 04.7.
鏡池に伝わる民話
- 04.8.
菖蒲池に伝わる民話
- 05.
世界各地で起こる怖すぎる水難事故
- 05.1.
死亡した仲間を回収する筈が
- 05.2.
あるダイバーの最期
- 05.3.
ボルニカ湾洞窟の水死体
- 05.4.
中河原海岸水難事故
- 05.5.
17年の時を経て回収された遺体
- 05.6.
水中の迷路
- 05.7.
玄倉川水難事故
- 06.
忍野八海事故を忘れてはならない
恐怖の水難事故「忍野八海事故」とは?事故の概要は?
2名の死者を出した忍野八海事故。痛ましいこの事故はなぜ起こったのでしょうか。忍野八海事故の詳細や発生原因を当時の証言をもとに解説して参ります。
忍野八海事故とは?
忍野八海事故が発生したのは1987年7月16日の事。当時テレビ朝日で放映されていた「新アフタヌーンショー」の富士山特集の撮影の為、忍野八海の1つである湧池に潜っていました。
ダイバーはメインとアシスタントの2人。潜水の予定時間の30分でしたが、1時間が経過しても一向にあがって来なかった為に同行していたテレビ朝日のスタッフが警察に通報しています。
結果としてダイバーは2名とも死亡。メインのダイバーはダイビング歴25年のベテランであり、彼の撮った映像はしばしばテレビで放映されており、アシスタントも8年のダイビング歴を持っていました。
なぜダイバーは死亡した?忍野八海事故の原因は?
湧池は大きさほど然程ではないものの、横穴が存在し内部は入り組んでいてさながら水中迷路のような作りになっています。ダイバーはこの横穴に入り、出口が分からなくなった為死亡したと推測されます。
同時にダイバーは撮影の為自然美を求めるあまり奥に入り過ぎたのではないかとの推測もなされています。
また水自体は澄んでいるものの、足ヒレによって喪や溶岩砂が舞い上がる為に視界が直ぐに悪くなります。そう言った水中の環境も事故発生の要因の1つです。
遺体の回収は難航を極めた
アシスタントの遺体の発見は早かったようですが、もう1人のベテランダイバーの遺体を回収は日立造船からリモコンロボットを借りてくるなどしたものの難航を極めました。
探索に関わった人曰く、当初はアシスタントとベテランダイバーは常に行動を共にしていた為、アシスタントの遺体の発見場所付近を重点的に捜索していたそうです。
最終的にベテランダイバーの遺体も発見・回収されたものの、事故発生から2週間もの時間を要しました。
忍野八海事故で死亡したダイバーは忠告を無視していた!
俗にケーブダイビングと呼ばれる水中洞窟の探索においては、命綱をつけた上でダイビング経験のある人がガイドロープを持ち引っ張たり緩めたりしてダイバーの動向を知るのが通常です。
事故当時、潜水を見物していた地元のダイバーが命綱をつけないと危険だと忠告していました。しかし、2人は入口付近を覗いて来るだけと忠告を聞き入れる事なく潜水を行いました。
ダイビング経験が長くても複雑に入り組んだ水中洞窟に命綱無しで入れば、という意見や地元ダイバーは命綱無しでは決して潜らなかったという情報も存在します。
事故が起きた忍野八海とはどんな場所?
痛ましい事故の現場である忍野八海ですが、観光名所としても知られています。一体何故観光名所となりえているのでしょうか。
忍野八海の水温は?深さはどの程度?巨大な地底湖の噂も!
忍野八海とは山梨県南都留郡忍野村にあり、全部で湧水郡であり国の天然記念物に指定されている他富士山の構成資産の1つとして世界遺産にも登録されています。
長い年月をかけてろ過された富士山の雪解け水が湧水となり出来上がった忍野八海は以下8つの池で構成されており、各池にはそれぞれ八台竜王が祀られています。
- 第一霊場・出口池
- 第二霊場・御釜池
- 第三霊場・底無池
- 第四霊場・銚子池
- 第五霊場・涌池
- 第六霊場・濁池
- 第七霊場・鏡池
- 第八霊場・菖蒲池
忍野八海事故は第五霊場の涌池で発生しています。涌池は水温が年間通じて13℃程と低く、直径12m程度、深さは8m程度。水深凡そ5mのところに水が湧きだす横穴が伸びています。
横穴の長さは約160m。前述の通り、内部は複雑に入り組んでおり、行きついた先には巨大な地底湖が存在すると言われています。
神秘的な忍野八海の水中映像
忍野八海の水は非常に透明度が高い事で有名であり、池を泳ぐ魚、揺らぐ水草も相俟って非常に神秘的な雰囲気を醸し出しています。
Youtubeにも幾つか忍野八海の水中映像が投降されており、忍野八海の持つ幻想的な雰囲気に触れる事が可能です。
忍野八海事故のその後は?
2名の死者が発生した忍野八海事故。事故後何かしたの対策は取られたのでしょうか。また現在の忍野八海はどうなっているのでしょうか。
忍野八海事故のその後
忍野八海事故の現場となった涌池。事故を受けて涌池への潜水は禁止となりました。
また忍野八海事故の後も観光名所としての人気を博し、現在でも涌池を訪れる観光客は後を絶ちません。中には事故の事を知らない方もいらっしゃいます。
忍野八海事故は怖い話として語られる事も
忍野八海事故は事故そのものを怖いと感じる人も多数居る中で、ホラー的な要素を加味した怖い話として扱われる事もあります。
概要としては、忍野八海事故で亡くなったダイバーは水中洞窟で迷ったのではなく、何者かに掴まれて出て来れなくなったのではというものです。
しかしながら、忍野八海に民話の類はあれど幽霊の目撃情報などは無く、怖い話として取り扱われることはあれど漠然としたもののようです。
その他の事故は?落ちた人はいる?
涌池で発生した忍野八海事故以外で発生した事故についてですが、これと言った報告やニュースはなく落ちた人が溺死したなど報道されるような重篤な事故については発生していないようです。
落ちた人がいる等の情報はなし?ただしiphoneが落ちている
忍野八海事故以外では、池に落ちた人がいるといった情報はないものの、実際に現地を訪れた人が池の底にIphoneが沈んでいるのを目撃していました。
これは撮影中に手が滑り落としたのではと予想されています。当該のIphoneの表面には藻のようなものが付着している事から、落とされてからそれ相応の月日が経過している事がうかがえます。
なまじ透明度が高い故にはっきりと確認する事が出来、ネット上には忍野八海にIphoneが落ちてたと複数の報告があがっています。
近年忍野八海では硬貨の投げ入れ等が問題に
忍野八海には現在でも多数の観光客が押し寄せていますが、同時に幾つかの問題が発生しています。その1つが忍野八海の各池への硬貨投げ入れです。
現地には硬貨投げ入れ禁止と書かれているおり、投げ入れは文化財保護法違反ですが投げ入れが後を絶たず、数が多過ぎて注意も追い付いていません。
2018年には涌池で投げ入れられた硬貨の回収作業が行われました。しかし、回収作業にあたったダイバー曰く3ヶ月程度で元の状態に戻ってしまうそうです。
忍野八海に伝わる逸話・民話
現在では人口池が幾つも出来ていますが、忍野八海に含まれるのは前述の8つのみです。忍野八海に数えられる8つの池には、それぞれなんとも不思議な逸話が存在していました。
出口池に纏わる民話
かつて出口池の畔には3匹の古狐が住んでおり、民家の鶏を襲ったり、人を化かしたりと人々を困らせていました。何とかしなければと信心者に祈りを捧げました。
すると、古狐を神として祀れば納まるとのお告げが下りました。1925年、お告げに従って出口稲荷大明神を建立したところ、古狐による被害はピタリと止みました。
この神社は今も現存しており、池の南側にある小高い場所に存在します。
御釜池伝わる民話
かつて御釜池の畔に百姓の父親と美しい姉妹が暮らしていました。ある日、妹が池で選択をしていたところ、突如大蟇が現れて水中に引きずり込みました。
事態を知った姉は泣き叫び、周囲に助けを求めました。父親も加わり妹を助けようと姿を探しましたが、遺体さえあがることはありませんでした。
以後残された父と姉は家に留まり続け、妹の冥福を祈り続けたと伝えられます。
底無池に伝わる民話
底無池で食器などを洗い、誤って落としてしまうと底に沈んだはずのそれが姿を消し、池の底にある穴を通って御釜池に浮かび上がってくるという民話があります。
これは底無池の神様が池で洗い物をされるの嫌がっている為と言い伝えられています。
銚子池に伝わる民話
花嫁は祝言の席で近所の人にお酌をして回っていました。しかし、その途中で屁が出てしまいます。花嫁はこれを大層恥ずかしがり、その場を抜け出すと底無し池に身を投げました。
池には手に持っていた銚子と草履が浮かんできました。この民話の存在により、銚子池は縁結びの池として語り継がれているそうです。
涌池に伝わる民話
かつて富士山が噴火した際、人々は喉の渇きを潤す為や消火の為に水を求めて声を上げていました。すると、天から美しい声で永久に信仰し敬うのならば水を授けると声が響きました。
その後程無くして地面より水が噴き出し池となり、天の声の主は木花開耶姫でした。
濁池に伝わる民話
元々は飲料水として用いられる澄んだ水でしたが、池の持ち主の家の前に汚れた身なりの者が訪れ水を一杯貰えるように頼みました。
しかし、その家の老婆が邪険に扱った為池の水は濁ってしまいました。またこの水は器で掬うと澄んだ水に変化すると言い伝えられます。
鏡池に伝わる民話
鏡池は水面が穏やかな際、逆さ富士が綺麗に映る事になぞられて鏡池と名付けられたと言います。
また鏡池の水にはあらゆる事の善悪を見分ける霊力が宿っているといい、争いが起きて収拾がつかなくなった場合はもめている方が水を被り身を清め祈願したと言い伝えられています。
菖蒲池に伝わる民話
かつて池の畔に夫婦が住んでいましたが、夫が肺病を患いました。妻は献身的に看病しましたが、一向によくなる気配はありません。
妻は神仏を頼り、池の水で身を清めながら祈りを捧げました。すると37日目に池の菖蒲を夫に身に巻けば病魔は退散するとお告げがありました。
お告げに従って夫の身に菖蒲を巻いたところ、みるみる体長は回復し1ヶ月後には全快したとの言い伝えられています。
世界各地で起こる怖すぎる水難事故
忍野八海事故のような水難による死亡事故は日本国内のみならず、世界各地で発生しています。そこで本項では身の毛もよだつ恐ろしい水難事故をピックアップし紹介・解説を行います。
死亡した仲間を回収する筈が
2005年1月、10年前南アフリカのブッシュマンズホールの海底270mに沈んだ仲間の遺骨の回収の為デイヴはダイビングを行いました。
難なく仲間の遺骨を発見。回収作業を開始しますが、途中遺体の首が折れた為浮遊し始めた骨を回収しようとしてもがいたところ、ボンベから供給される筈の酸素量が追い付かなくなりました。
5分程度格闘は続き、結局デイブは諦めて浮上を試みますが遺体に取り付けたロープがデイヴの体に絡みついた為浮上できずパニックに陥った結果仲間の遺骨の横でデイヴは死亡しました。
あるダイバーの最期
2000年4月28日、世界的に有名なダイバーであるユーリ・リプスキーはエジプトのブルーホールというダイブスポットでダイビングを行い、水深90mの地点で死亡しました。
ユーリの事故の様子は所持していたビデオカメラに納められており、突如としてパニックに陥ったユーリがものの数分で水深90mまで潜水する様が記録されています。
事故後ユーリの遺体は無傷の状態で回収されましたが、大型魚をサメに見間違えたのではないか等の予想はされているものの真相については現在も分かっていません。
ボルニカ湾洞窟の水死体
クロアチアのボルニカ湾の水深54mにある水中洞窟内にてナイフが胸に刺さり、ダイビングマスクが剥がされた状態の遺体をケーブダイビングに訪れていたダイバーたちが発見しました。
当初ダイバーの中の1人による殺人及び死体遺棄が疑われたものの、解剖の結果真相が判明しています。結果的に言えば、他殺ではなく自殺でしたが、原因は水中洞窟で迷ってしまった事でした。
迷っている最中でボンベの酸素が無くなり、岩の間に気泡があるのを発見。浮上するも地上に戻るには到底酸素が足りない事を知り、溺死の苦しさから逃れる為自らの胸をナイフで突き刺しました。
中河原海岸水難事故
1955年7月28日に発生した中河原海岸水難事故は、水泳訓練のため同地を訪れていた津市立橋北中学校の女子生徒が溺死した事件であり、死者数は36人にものぼりました。
急激に水位が上昇した事や泳げる筈なのにこの日は全く泳げず、溺れるしかなかった。流れがキツかったなど数々の証言がありますが、はっきりした原因は未だに分かっていません。
また生き残った女生徒が防空頭巾を被った何十人という女性の姿を見たと証言しており、この証言はアンビリバボーなどでも取り上げられました。
17年の時を経て回収された遺体
2015年7月23日、アメリカ・カリフォルニア州のタホ湖で男性の遺体が発見されました。発見された遺体は17年前ダイビング中に行方不明になった男性のものでした。
同月27日に遠隔操作で稼働する小型潜水艇で引き揚げられた遺体はほぼ完璧な状態で引き揚げられ、歯形から身元が特定し遺体は遺族の元へと届けられました。
遺体が完璧な状態であったのはタホ湖の水温の低さと適度な水圧が関係していると予測されています。尚タホ湖には発見されたものの他に4人のダイバーの遺体が眠っていると言われています。