
八鹿高校事件の概要!解放同盟=暴力集団?部落差別が原因?真相は?
八鹿高校事件をご存知でしょうか?部落差別が原因で、高校教師が暴力を振るわれた事件で、特に女教師はひどい目にあったと話題でした。民族差別もあったと言われています。事件の真相は?警察の対応は?映画化もしている?八鹿高校事件の概要を詳しくご紹介します。
目次
[表示]- 01.
八鹿高校事件の概要まとめ!部落差別が関係していた?
- 01.1.
八鹿高校事件の概要は?部落差別によって起こった事件?
- 01.2.
八鹿高校事件で話題に!解放同盟=暴力集団は違う?
- 01.3.
八鹿高校事件で起こったこととは?事件の概要は?
- 01.4.
事件の発端は部落生徒との交際を生徒の父親が反対したこと
- 01.5.
部落開放研究会の結成
- 01.6.
開放研の生徒が職員室前に座り込み・ハンストを開始
- 01.7.
1974年11月22日、教師が集団下校するも連れ戻される
- 01.8.
リンチの内容は?女教師はタイツを脱がされた?
- 02.
八鹿高校事件の詳細は?
- 02.1.
事件が起こった当時の高校の同和教育とは?
- 02.2.
部落解放研究会の結成が認められなかった理由は?
- 02.3.
既にあった部落研の中身とは
- 02.4.
共産党の赤旗による事件の報道はデマばかり?
- 02.5.
八鹿高校事件では部落解放同盟のメンバーが逮捕へ
- 02.6.
八鹿高校事件後の裁判は?
- 02.7.
部落解放同盟のメンバーの裁判の判決は?
- 02.8.
八鹿高校事件では部落解放同盟が民族差別をやっていた?
- 03.
八鹿高校事件の真相!結局悪かったのはどっち?
- 03.1.
八鹿高校事件で悪かったのは部落解放同盟?学校側?
- 03.2.
八鹿高校事件の真相は部落解放同盟と共産党の対立にあった!?
- 03.3.
八鹿高校事件では警察の対応も不適切だった?
- 03.4.
日本共産党はその後も赤旗で部落解放同盟と対立する記事を出している
- 04.
八鹿高校事件の関係者たちの現在は?
- 05.
八鹿高校事件は映画化した?
- 05.1.
八鹿高校事件原告団「映画・八鹿高校事件」
- 05.2.
「八鹿高校事件・朝来暴力事件」
- 06.
八鹿高校事件の概要と真相!部落問題の解決が重要!
八鹿高校事件の概要まとめ!部落差別が関係していた?
八鹿高校事件とは、一体どんな事件だったのでしょうか?八鹿高校事件は1974年11月22日に、兵庫県立八鹿高等学校で起こった事件です。集団下校中の教職員を部落解放同盟のメンバーが学校に連れ戻しました。
連れ戻された教職員達は監禁・暴行を受け、刑事事件に発展しました。一体その日、八鹿高校事件で何があったのでしょうか?事件の原因や背景はどうだったのでしょうか?概要をご紹介します。
八鹿高校事件の概要は?部落差別によって起こった事件?
これから、八鹿高校事件の概要をご紹介していきたいと思いますが、八鹿高校事件を端的に説明すると、部落差別が原因となって起こった事件と言えます。部落差別という言葉をご存知でしょうか?
部落差別とは、対象の地域に住んでいるだけで差別することを言い、部落とは差別される地域のことを指します。部落がどのようにして決まっているかというと、明治維新より前にさかのぼります。
昔、まだ身分制度が横行していた時代に、穢多・非人と呼ばれ差別されてきた人々がいました。彼らは明治維新の折に、穢多・非人とされてきた賤民制度の廃止により平民とすると定められ、平民となりました。
しかしながら元々平民であった人々が元賤民を差別する風潮は残り、現在においても元賤民が住んでいた地域について部落、あるいは同和地区と呼び、社会問題として根強く残っています。
八鹿高校事件はこの部落問題の当事者であった部落と呼ばれる生徒達と八鹿高校側の対応が原因となり、暴行へと発展してしまった事件です。
八鹿高校で部落解放研究会を立ち上げた生徒と学校の教職員の対立により、保護者も含む地域の部落解放同盟が最終的に教員側に手を挙げてしまったことから刑事事件へと発展しました。
八鹿高校事件で話題に!解放同盟=暴力集団は違う?
八鹿高校事件では、最終的に部落解放同盟側が、集団下校している教員たちに抗議するも全く聞き入れてもらえずに我慢できず暴行を加えたことから刑事事件へと発展しています。
事件について共産党の赤旗等の報道媒体が、「部落解放同盟は暴力集団である」というようなことを匂わせる報道を繰り返したため、部落は危険だ、暴力集団なんだというようなイメージが蔓延しました。
しかし、実際には部落解放同盟が暴力集団だということはありません。現在では、当時の報道は共産党よりのものばかりであり、また誇張した表現やデマも多く疑問視する見方もあります。
八鹿高校事件で本当に起こったことはなんだったのか、真相はどうなのか?詳しく検証する前に、まずは事件で起こったことの概要からご紹介したいと思います。
八鹿高校事件で起こったこととは?事件の概要は?
まずは、事件当日の概要からご紹介したいと思います。事件が起こった1974年11月22日の朝、八鹿高校の教職員たちは身の危険を感じて集団登校することにしました。すると2台の解放車がついてきました。
開放車は「教師たちの笑顔はいつまで続くんでしょうか」などと放送をし、また部落解放同盟員に脅されたりしたそうです。高校に到着すると、校内には既に部落解放同盟員が糾弾会の準備をしていました。
このことから、職員会議が開かれ22日の授業は中止して教職員たちは集団下校することにし、年休届を出して生徒に今日は授業はないと告げ、三列縦隊スクラムを組んで集団下校を開始しました。
それに対し、解放同盟側は教職員の集団下校を止めようとしましたが教職員は止まろうとしませんでした。この時、校長や教育委員会、育友会関係者等も教職員を止めようとしたものの止まらなかったそうです。
我慢できなかった部落解放同盟側は教職員たちを暴力混じりで校内に連れ戻し、糾弾をしました。それでも教員たちは聞き入れることをしませんでした。そのため部落解放同盟側が暴力を振るいました。
こうして教職員側には負傷者が出て刑事事件へと発展しました。その後生徒を先頭に開かれた大規模な町民抗議集会には18000人もが参加し、教職員側が支持されました。
事件の発端は部落生徒との交際を生徒の父親が反対したこと
そもそも八鹿高校事件でこれほどまでに、高校の教職員側と部落解放同盟側の対立が深まってしまった原因は、なんだったのでしょうか?きっかけは1974年1月の兵庫県幹部職員の言動でした。
この幹部職員は同和行政を推進する立場だったのにもかかわらず、自分の息子が部落出身の女子生徒と交際していることを知り、女子生徒とは交際を辞めるよう説得しました。
幹部職員は「同和行政を口に唱えても本当にそれをやる人はいない。」などと文書に書いていました。この問題の後、隣町の生野高校の女子生徒が部落を理由に交際を断ち切られ、自殺する事件がありました。
これにより、兵庫県但馬地方の部落が立ち上がり、その影響は子供たちにも広がって行きました。
部落開放研究会の結成
部落が立ち上がり、各地で部落解放同盟が結成されていきました。このような流れの中で、八鹿高校でも部落の生徒たちにより部落解放研究会が結成されようとしていました。
しかしながら、八鹿高校での部落解放研究会の結成は教師たちにより認められませんでした。半年間話し合いすらなされず、生徒たちには不満が広がって行きました。
開放研の生徒が職員室前に座り込み・ハンストを開始
とうとう耐えかねた生徒たちは、話し合いを求めて職員室前に座り込みを始めました。11月18日のことです。そのことを知った保護者や部落の人々は教師に抗議しました。
しかし、教職員側は頑なに聞き入れず集団登下校を開始しました。11月20日には旅館に集団宿泊まで開始します。11月21日から、生徒は何も食べず学校に泊まり込むハンストを開始しました。
1974年11月22日、教師が集団下校するも連れ戻される
こうして11月22日、ついに事件は起こりました。教師たちは集団宿泊をしている旅館から集団登校をし、学校に来ました。職員室前には、前日からハンストをしている生徒がいます。
年休届を出した教職員は生徒たちに授業はないと伝え、3列縦隊になってスクラムを組んで下校します。こうして事件へと発展しました。
リンチの内容は?女教師はタイツを脱がされた?
こうして、八鹿高校事件では「血ぬられた高校体育館」「水をかけられてずぶぬれになった男女の教師をむりやり裸に」などと赤旗で報じられました。
リンチの内容は凄惨で、最年少の女教師に至っては「やってしまえ」という声とともにタイツを脱がされかけたとも言われています。
しかし先にご説明したとおり、この報道に対しては事実ではないとも言われています。報道では凄惨なリンチの内容が報じられましたが、実際には暴力行為はなかったという見解まであり、事実は謎のままです。
八鹿高校事件の詳細は?
ここまで八鹿高校事件の概要をご紹介してきました。ここからは八鹿高校事件の真相に近づくために、もっと詳しい事件の背景や当時の状況について、注目していきます。
事件が起こった当時の高校の同和教育とは?
まず最初に、事件が起こった当時の八鹿高校も同和教育はどうなっていたのでしょうか?予想はつきますが、八鹿高校の同和教育は適切ではなかったと言われています。
部落の生徒がもっとちゃんと部落の授業をしてほしいと言っても聞いてもらえず、生徒たちも授業中にお菓子を食べたり、授業をサボったりして真面目に受ける人はいなかったそうです。
部落の生徒は、生徒が教師のおかしい点を指摘しても笑ったり、プリントを配って話を真剣に聞かないような状況だったと語っています。
部落解放研究会の結成が認められなかった理由は?
続いて、八鹿高校で部落解放研究会の結成が教師たちに認められなかった理由について、注目します。なぜ八鹿高校では部落解放研究会の結成が認められなかったのでしょうか?
八鹿高校には当時すでに「部落問題研究会」が作られていました。そのことを理由に、部落解放研究会の結成は話も聞いてもらえなかったのです。
既にあった部落研の中身とは
それではなぜ、生徒たちは新たに部落解放研究会を結成しようとしたのでしょうか。教師たちはこの研究会を、「民主的に部落問題を考えることができるよう指導してきた」と主張していたそうです。
しかしながら、部落問題研究会の生徒たちは、11月22日に部落の生徒の保護者たちが教師たちを説得している現場で「エッタ帰れ」「四つ帰れ」とシュプレヒコールをやったそうです。
部落問題研究会の中身は、とても部落問題を真剣に考えるサークルではなかったようです。
共産党の赤旗による事件の報道はデマばかり?
先の概要でもご紹介したとおり、共産党の赤旗で報じられた事件の報道は、部落解放同盟側の暴力行為が誇張、もしくは捏造された記事ばかりでした。
実は、八鹿高校事件自体、共産党が事件が起こるように誘導していたという噂さえあります。教師の行動は共産党が指示したものであり、赤旗記者や病院まで事前に手配していたと言われています!
そう言える根拠は、裁判の判決にもありました。「教諭らの態度はやはり生徒を抜きにし、政治的観点にとらわれすぎた硬直した態度であるとの非難は免れがたい」とされています。
裁判の判決では教師たちの頑なな態度を批判していますが、これは背後に部落解放同盟と共産党の対立があることを明確に述べています。
八鹿高校事件では部落解放同盟のメンバーが逮捕へ
八鹿高校事件後、部落解放同盟のメンバーは多数逮捕され、八鹿高校校長に八鹿警察署署長、兵庫県教育委員会同和教育指導室主任社会教育主事らが逮捕監禁・強要罪などの容疑により送検されています。
多数の逮捕者に対し、実際に起訴されたのは部落同盟員13人でした。校長や同和教育指導室主任は神戸地検の判断により起訴猶予、警察署署長は容疑不十分で不起訴となり、不起訴者は177名にも及びました。
八鹿高校事件後の裁判は?
それでは、八鹿高校事件での裁判の判決はどのようになったのでしょうか?
部落解放同盟のメンバーの裁判の判決は?
一審、二審でも、先にご紹介したとおり教職員たの対応は差別的で不適切だと判断されたものの、起訴された部落解放同盟員全員が執行猶予付きの有罪判決となり、一番重い人は 懲役3年、執行猶予4年でした。
八鹿高校事件では部落解放同盟が民族差別をやっていた?
一方で裁判の中では、部落解放同盟側の民族差別についても話題になりました。朝鮮民族出身の教員に対し、部落解放同盟側は「○○チョウー」と呼んでいたそうです。
このことについては、指摘された部落解放同盟側は反論できなかったようです。
八鹿高校事件の真相!結局悪かったのはどっち?
それでは、ここまでを踏まえて八鹿高校事件の真相に迫りたいと思います。結局、八鹿高校事件で悪かったのは学校側でしょうか?部落解放同盟側でしょうか?
八鹿高校事件で悪かったのは部落解放同盟?学校側?
八鹿高校事件については、現在では共産党よりの学校側が悪かったのだという意見も多く上がっています。確かに、政治的な背景に従い生徒たちを軽視した教職員たちの非は認められると思います。
そうはいっても、例え仕組まれていたとしても最終的に手を挙げてしまった部落解放同盟側は、法に触れる暴力行為があり実際に裁かれているので、悪くなかったとは言えないでしょう。
しかし、部落解放同盟側は仕組まれたものとわかっていながら、どうしようもなく暴力に至った、もしくは暴力行為そのものがなかったという意見もあります。
八鹿高校事件の真相は部落解放同盟と共産党の対立にあった!?
やはり事件の真相は、部落解放同盟と共産党の対立にあったということではないでしょうか。政治的な背景が大きく影響した事件と言えそうです。
八鹿高校事件では警察の対応も不適切だった?
また、八鹿高校事件では警察の対応も不適切だったという見方があります。地元の警察が部落解放同盟による集団暴力行為をわかっていながら傍観していたという指摘があります。
実際に八鹿警察署長は戸地検検事正あてに公務員職権濫用罪、保護責任者遺棄致傷、犯人隠避で告発を受けています。結果的には容疑不十分で不起訴処分となりました。
その後神戸検察審査会に不服申立てをした結果、公務員職権濫用罪と保護責任者遺棄致傷について1975年11月7日に不起訴不当の裁決が出たものの、検察はその後再度不起訴処分を決定しています。
日本共産党はその後も赤旗で部落解放同盟と対立する記事を出している
また共産党については、当時の報道が嘘ばかりだと話題になりましたが、その後も赤旗で部落解放同盟に対し暴力的な運動をやっているという趣旨の報道をしています。
八鹿高校事件の関係者たちの現在は?
八鹿高校事件の関係者たちは現在、どうなっているのでしょう?調べてみましたが一般の方々なので、現在どうしているかという情報はありませんでした。
八鹿高校事件は映画化した?
八鹿高校事件について詳しくご紹介してきましたが、八鹿高校事件は映画化もしていますのでご紹介します。