太宰治の死因は自殺?他殺?愛人との入水自殺説の不可解点や遺書の謎 タレント

太宰治の死因は自殺?他殺?愛人との入水自殺説の不可解点や遺書の謎

小説家の太宰治さん。死因は愛人との入水自殺。実際は山崎富栄さんの無理心中に巻き込まれたのではないかと言われています。遺書が公開された?太田静子さんは愛人?自殺未遂を4回?恩人の井伏鱒二さんを悪人扱いしていた?など、こちらでは太宰治さんについて紹介していきます。

目次

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太宰治の死因は自殺!愛人との入水自殺だった?

有名小説家であり、数々の名作を生み出した太宰治さん。教科書にも載るほどの文豪ですが、最期は愛人との入水自殺にて生涯を終えています。

有名な文豪であるため、彼の最期が自殺であることを知っている方は多いかもしれませんね。こちらでは、太宰治さんの死因について、詳しく紹介していきます。

太宰治の死因は?1948年6月13日に入水自殺

太宰治さんの死因は、入水自殺と言われています。1984年6月13日に入水自殺をしています。

38歳という若さで亡くなりました。太宰治さんを自殺にまで追い込んだものは一体なんだったのでしょうか。

太宰治は当時の愛人とともに玉川上水で心中

太宰治さんは、当時の愛人であった山崎富栄さんと共に、玉川上水で心中をしました。太宰治さんは愛人がたくさん居た事でも有名です。

山崎富栄さんは現代でも通用するほどに美人であり、美容師であったと言われています。

太宰治の遺体は太宰治の誕生日に発見された

太宰治さんの遺体は、入水自殺をした6日後の6月19日に発見されています。その日は、奇しくも太宰治さんの誕生日でした。

そうなることを意図してやっていた訳ではなく、偶然のようです。6月19日に産まれ、6月19日に遺体が発見される、人生とは不思議なものですね。

太宰治の遺体は愛人の山崎富栄と帯で固く結ばれていた?

太宰治さんの遺体は、共に入水自殺をした愛人の山崎富栄さんと帯で固く結ばれていたと言われています。

入水自殺のため、川の流れでお互いが離れ離れにならないように帯で固く結ばれていたのでしょうか。その帯が、山崎富栄さんと太宰治さんの絆のようにも感じられます。

自殺の原因は自身の体調を憂慮していたから?

自殺の原因は色々と説が飛び交っていますが、自身の体調不良を憂慮したからではないかとも言われています。肺結核が進行し、喀血をしていたようです。

また、出版社とのやり取りなどにもストレスを感じており、太宰治さんは心身共にとても疲労していたようです。

太宰治は一人息子がダウン症で苦しんでいた?

太宰治さんは、一人息子がダウン症であり、知能に障害を持っていました。そのことも、少なからず太宰治さんの心の疲弊に繋がっていたともされています。

太宰治さんの妻である石原美知子さんとの長男、正樹さんがダウン症であったと言われています。正樹さんは、15歳の頃に肺炎で亡くなられています。

太宰治には他にも愛人がいた?子供も?

太宰治さんは女癖が悪いことでも有名ですが、山崎富栄さん以外にも、太田静子さんという愛人がいました。太田静子さんは「斜陽」に出てくる女性のモデルになった方です。

「斜陽」が完成する頃、太田静子さんとの間の太田治子が産まれ、太宰治さんは認知しました。

太宰治は想定外の多額の課税通知に苦しんでいた?

太宰治さんは「斜陽」にてベストセラー作家となりますが、自身が想像していたより多額である課税通知に苦しんでいたとされています。

それも太宰治さんの精神疲労にも繋がっており、太宰治さんは心身ともに限界であったのでしょうか。

太宰治は心の病気だった?

太宰治さんは、現代の精神医学によると、境界性人格障害であった可能性が高いようです。境界性人格障害というのは、神経症と統合失調症の境界であることからその病名がつきました。

境界性人格障害は、感情において不安定であることが1番の特徴で、人間関係にトラブルがずっと続いており、リストカットなどの自傷行為、また、自殺をほのめかしたり、自殺を企てたりするということです。

太宰治の死因は自殺ではなかった!?

太宰治さんの死因は自殺ではない説というものも世には出回っています。自殺未遂を何度も繰り返している太宰治さんですが、そのことからも自殺というイメージがついています。

本当に太宰治さんの死因は自殺ではないのでしょうか。こちらでは、太宰治さんの死因について紹介していきます。

太宰治は実は死ぬ気はなかった?

太宰治さんは実は死ぬ気はなかったのではないかと言われています。

愛人の山崎富栄さんと共に入水自殺にて亡くなっていますが、実際は形だけ山崎富栄さんとの自殺に付き合おうとしていたというものです。

太宰治の自殺には不可解な点が多数

太宰治さんの自殺には、当時からも不可解な点が多数あったようです。太宰治さんと、山崎富栄さんが発見された時、山崎富栄さんは「激しく恐怖しているおそろしい相貌」だったようです。

けれど、太宰治さんの表情は非常に穏やかであり、ほとんど水を飲んでいなかったということでした。生きた状態で入水自殺など溺死すると、大抵、遺体の肺に水が入っています。

そのことから、太宰治さんは、入水自殺する前から亡くなられていたか、仮死状態であったと言われているようです。

太宰治は山崎富栄の無理心中に巻き込まれた?

太宰治さんの入水自殺の一説に、山崎富栄さんの無理心中に巻き込まれた説というものがあります。太宰治さんの遺体の表情が穏やかであり、水を一切飲んでいませんでした。

入水する前に既に亡くなっていたと言われているのと、また、入水の現場には、下駄を思い切り突っ張った跡があったこと、手をついて滑り落ちるのを止めようとした跡もありました。

一週間も経ち、雨も降っているというのに現場には痕跡が残っていたのです。太宰治さんが強く死を嫌がったためにこういった跡が残っていたとも言われています。

太宰治が青酸カリを飲んだという噂はデマ?

太宰治さんが青酸カリを飲んだという噂はデマだと言われています。

当時、太宰治さんの入水自殺を報道した三鷹署は、自殺と報道しながらも、実際は、絞殺、山崎富栄さんによる他殺と認定したと様々な方が語ったのです。

山崎富栄さんの力では首を絞めて太宰治さんを殺すことができず、青酸カリを飲ませたと言われるようになってしまったのです。けれど、遺体からも川からも毒物反応はありませんでした。

太宰治には書きかけの小説も?「グッド・バイ」が13話で絶筆に

太宰治さんは入水自殺をする直前までに、「グッド・バイ」という小説を「朝日新聞」と「朝日評論」に掲載していました。

この「グッド・バイ」が太宰治さんの未完の遺作となっており、13話でその小説は止まっています。

死の前日、太宰治さんは知人に「「グッド・バイ」が書けない」と漏らしていたようです。

太宰治の本当の死因!太宰治の遺書が公開された?

太宰治さんに死に関して様々な憶測が飛び交う中、太宰治さんの本物の遺書が遺族によって公開されたのです。

その太宰治さんの遺書には一体何が綴ってあったのでしょうか。こちらでは、太宰治さんの遺書について紹介していきます。

太宰治の遺書を遺族が公開!その内容は?

1998年5月23日に、太宰治さんの遺族は、太宰治さんの遺書を公開しました。遺書は全部で9枚となっています。

遺書はワラ半紙に毛筆で清書されていました。署名もあったことから、これまでの遺書は下書き原稿であったことがこれによって判明しました。

太宰治は小説を書くのが嫌になったから死を選んだ?

太宰治さんは、公開された遺書にて自殺の動機を綴っていました。

小説を書くのが嫌になったから死ぬのです(引用:太宰治 遺書)

また、山崎富栄さんと入水自殺をしましたが、妻である石原美知子さんに宛てて「誰よりも愛していました」とも綴っていたようです。

小説を書き続けたいけれど小説が書けないというのが、太宰治さんが生前に一番苦しんでいたことでした。

太宰治は恩人の井伏鱒二を悪人と述べていた?

太宰治さんは、恩人である井伏鱒二さんを悪人と遺書にて綴っていました。太宰治さんは井伏鱒二さんを尊敬し、東京帝国大学入学直後に弟子入りもしていました。

また、自殺未遂と離婚、薬物中毒で荒んでいた太宰治さんを救い、妻である石原美知子さんを紹介したのも井伏鱒二さんでした。なぜ恩人である井伏鱒二さんを悪人と述べたのでしょうか。

山崎富栄の遺書に書かれていた内容は?

山崎富栄さんの遺書にて「みんなして太宰治をいじめ殺す」と綴られており、井伏鱒二さんや文壇関係者らとの関わりに、太宰治さんがひどく悩んでいたことが見受けられます。

それによって追い詰められていた太宰治さんは、井伏鱒二さんを悪人と述べたのではないでしょうか。

太宰治は過去にも4回自殺未遂を起こしていた?

太宰治さんは、過去にも4回ほど自殺未遂を起こしています。なぜそんなに自殺未遂を起こしたのでしょうか。

こちらでは、太宰治さんの4回の自殺未遂について紹介していきます。

1回目は自らの階級に悩み自殺未遂

1929年、太宰治さんが20歳の頃にカルモチン自殺未遂をします。理由は、自らの階級に悩んでいたからとされています。

太宰治さんはこの頃、高等学生でありましたが、芸者遊びや義太夫に興じたため、金銭破綻しています。

2回目は前妻・初代との婚約中に愛人と

2回目の自殺未遂は、1930年、太宰治さんは21歳であり、前妻の芸子である小山初代さんとの婚約中に愛人と行われました。

銀座のバー「ホリウッド」の女給であり、18歳の田部シメ子さんと鎌倉・腰越の海にてカルモチンで自殺を図りました。けれど、田部シメ子さんが亡くなられ、太宰治さんは生き残ったのです。

太宰治さんは「東京八景」や「人間失格」などで入水自殺と語っていますが、当時の新聞では、二人は催眠剤を飲み、海岸で倒れていたところを発見されたと報道されていたようです。

3回目は首吊りで自殺未遂

3回目の自殺未遂は、1935年、太宰治さんが26歳の頃、首吊りによって自殺を図りました。自殺に及んだ理由としては、東京新聞社に入社失敗したからと言われています。

また、4月に腹膜炎の手術を受けた太宰治さん。入院中に鎮痛剤パビナールの注射を受け、その後パビナール中毒となってしまいます。

4回目は初代と自殺未遂

4回目の自殺未遂は、1937年、太宰治さんが28歳の頃、前妻である小山初代さんとのカルモチン自殺未遂です。

自殺を図った理由は、太宰治さんの入院中に、小山初代さんが浮気したことであり、その相手が太宰治さんの義弟であったことから、ひどくショックを受けています。

自殺未遂後には、小山初代さんとは離別しています。

太宰治は芥川賞に3度落選していた?

太宰治さんは、現在も有名な賞である芥川賞に3度落選しています。現在では文豪と称され、当時も「斜陽」にてベストセラー作家であった太宰治さん。

なぜ芥川賞に落選し続けたのでしょうか。こちらでは、太宰治さんと芥川賞の関係について紹介していきます。

太宰治は第1回の選考委員の川端康成に怒っていた?

太宰治さんは、第1回の選考委員であった川端康成さんに自身の作品を「作者、目下の生活に厭な雲あり」と酷評されてしまい、猛反発したようです。

小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか(引用:文藝通信10月号)

太宰治さんは、文藝通信10月号にて、川端康成さんに反撃しています。こういった皮肉めいた反撃の他にも、もっと過激な発言をしたとも言われています。

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