村下孝蔵の死因は高血圧性脳出血?天才の評価の理由や妻と娘の現在! タレント

村下孝蔵の死因は高血圧性脳出血?天才の評価の理由や妻と娘の現在!

『初恋』『ロマンスカー』『踊り子』と、名曲を生み出したシンガーソングライターの村下孝蔵さん。1999年に他界、若い頃には肝炎も患っていましたが、死因は脳出血と報じられました。天才と評される村下孝蔵さんの歌詞を動画で振り返りつ、死因について紹介していきます。

目次

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村下孝蔵の死因は?脳出血で亡くなった?

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1999年6月24日に46歳という若さで急逝した村下孝蔵さん。亡くなって20年が経つ現在でも追悼番組が作られるほど愛されている村下孝蔵さんですが、死因は高血圧性の脳出血と報じられています。

村下孝蔵さんの早すぎる死とその死因、そしてファンの声などを紹介していきます。

1999年6月24日、体調不良から4日で死去(享年46歳)

村下孝蔵さんが亡くなったのは1999年6月24日のことです。4日前の6月20日にコンサートのリハーサルを行っている最中に倒れ、急逝されました。

享年46歳。早すぎる死を嘆く声はファンのみならず、ミュージシャン仲間や親交のあった西田篤史さんらタレントからも数多くあがりました。

デビュー20周年の年でシングル「同窓会」やアルバムを発売予定だった

村下孝蔵さんは1980年に『月あかり』でメジャーデビューをしており、亡くなった1999年は活動20周年の年でした。

9月に発売予定のシングル『同窓会』も完成しており、年内には4枚目となるベストアルバムもリリースされる予定でした。

なお、『同窓会』は1999年9月8日に、ベストアルバム『しのびあるきのたそがれに』は同年12月18日に、それぞれ予定通りリリースされています。

村下孝蔵の死因は高血圧性脳出血!発症すると厄介な病気だった?

脳の血管が損傷して出血が起きた場合、その患者の4分の1は1年以内に死に至り、命を繋いだ4分の3の患者の半数が、要介護の状態になる可能性があると言われています。

村下孝蔵さんの死因となった高血圧性脳出血は、そのように危険な脳出血の中でも最も発症する頻度が高いとされ、頭蓋骨という堅い殻に守られた脳内の血管が圧迫されることで損傷は深刻なものになります。

そのため、脳出血の中でも致死率が高い危険なものと言われているのです。

村下孝蔵は健康に気を遣っていた?突発性の病気だった

村下孝蔵さんの所属事務所であるソニー・ミュージックアーティスツのスタッフからは、「散歩が趣味で、タバコも吸わない方でした。」「身体に気を遣われてました」との声が訃報に際してあがりました。

死因となった高血圧性脳出血を発症するような生活習慣は村下孝蔵さんにはなく、病気は突発性のもので対処ができなかったと見られています。

コンサートのリハーサルで体調不良に!診断直後昏睡状態となった

亡くなった翌月、7月8日に村下孝蔵さんは渋谷公会堂で毎年恒例となっている「七夕コンサート」を行う予定でした。

このコンサートのリハーサルを行っている最中に村下孝蔵さんは「気分が悪い」と不調を訴え、虎の門病院にスタッフに伴われて向かい、そのまま入院となったのです。

しかし、翌日の21には意識に混濁が見られるようになり昏睡状態に。そのまま意識が戻らず、家族に看取られて24日午前11時27分に他界されました。

村下孝蔵の最期の言葉は?

村下孝蔵さんの最期の言葉は「浜田くんが来ている」というものであったと言われています。

浜田省吾さんの名前を呟いているとマネージャーは感じたそうですが、「浜田くん」というのは村下孝蔵さんの古くからの友人のことなのだそうです。

この「浜田くん」という方は村下孝蔵さんのスタジオに遊びに来るほど仲が良く、亡くなる前に記憶を整理している最中に、村下孝蔵さんの脳内に現れたのではないかと考えられています。

村下孝蔵の死は早すぎる?ネット上で惜しむ声が上がる

享年46歳、今後も活躍が期待されていた村下孝蔵さんの死に対しては20年が経った現在でも「早すぎる」「もっと歌を聞かせて欲しかった」との声が多数寄せられています。

村下孝蔵さんがお亡くなりになられて20年を迎えます。ラジオのニュース速報で訃報を知りましたがあまりにも早すぎる死にビックリしました。

(引用:Twitter)

フォークソングと言うと年配の方が好んで聴く印象がありますが、CMで歌を聞いて興味を持ったという人も多く、村下孝蔵さんは世代を問わずに愛されていました。

村下孝蔵さんの初恋、いい曲だな~(*´ω`*) それだけに早すぎる死が残念でならない(ノД`)

(引用:Twitter)

また、村下孝蔵さんの曲を聴いた時に歌詞に心を揺さぶられた記憶、その頃の自分の思い出を、追悼コメントとともにSNSなどに綴っているファンも数多く見られます。

村下孝蔵の死後!ドキュメント本発売?ブログで姉が登場?娘や妻は?

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2008年7月15日、村下孝蔵さんのドキュメント『村下孝蔵STORY深き夢歌、淡き恋歌』という書籍が出版されました。

家族や古い友人らにインタビューをしてまとめたという『村下孝蔵STORY深き夢歌、淡き恋歌』と、村下孝蔵さんの家族について紹介していきます。

2008年ドキュメント本「村下孝蔵STORY 深き夢歌、淡き恋歌」発売

『村下孝蔵STORY深き夢歌、淡き恋歌』では緻密に重ねられた取材をベースに、村下孝蔵さんの幼少期からの亡くなるまでの足跡がまとめられています。

誠実で温厚な人柄が周囲から称賛されることも多い、村下孝蔵さん。飾らない人柄が偲ばれるエピソードも多数掲載されており、歌詞や曲名の由来についても紹介された1冊となっています。

村下孝蔵の死後、元妻の情報が神戸新聞に載って姉が激怒?

村下孝蔵さんは1985年に前妻である優子さんと離婚をしています。

その元妻であった副島優子さんがシンガーソングライターである娘の露菜さんを伴って2012年に神戸新聞の取材に応じたのですが、そこで語った内容に村下孝蔵さんの実の姉がブログで怒りを表明しました。

神戸新聞には「葬儀に呼んでもらえなかった」「家族として村下孝蔵の作品をカバーしてCDを出す」といったインタビューが載せられ、「連絡もなかったのに勝手すぎないか?」と実姉が不快感を露にしたのです。

村下孝蔵の死後、妻と娘の現在の画像は?

上の画像が、村下孝蔵さんの元妻の副島優子さんと娘の露菜さんの現在を写したものです。

元妻の福島裕子さんはアコーディオン奏者・絵本作家として活動しており、芸名は「ゆうこ」さん。現在は2人とも、神戸神戸の芦屋市で生活されているそうです。

村下孝蔵の経歴

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フォークソング全盛期が終わった頃にデビューを果たし、実力がありながらも不遇の時代が長かったと言われる村下孝蔵さん。天才と呼ばれる村下孝蔵さんの経歴を振り返っていきましょう。

熊本県水俣市出身!中学・高校時代は水泳選手だった

村下孝蔵さんは1953年に、熊本県水俣市で誕生しました。両親は映画館の興業を手掛けており、村下家は水俣市内でも有名な資産かであったと言います。

小学生の頃にはロカビリー、中学生になるとベンチャーズに夢中になってギターを自作する程の音楽少年だった一方で、高校卒業時には実業団からスカウトされる程、水泳でも頭角を現していたそうです。

通っていた鎮西高時には水泳の特待生として入学しており、両親の元を離れて寮生活を送っていました。

高校卒業後、社会人に!音楽活動のために会社を辞めて専門学校へ

1971年に鎮西高校を卒業した村下孝蔵さんは、新日本製鐵八幡製鐵所に水泳で実業団入りをしたものの、水泳では成績を残せずに「ギターが異常に上手い宴会部長」として親しまれるようになったそうです。

しかし音楽活動をしたかった村下孝蔵さんは入社1年目の秋には退社届を出して広島に移り、日本デザイナー学院に通ってインテリアデザインの勉強をする傍ら、ギターの練習を続けました。

そして専門学校在学中に『ひとりぽっちの雨の中』という自主製作盤をリリース。しかし、300枚しか売れなかったと言います。

なかなかデビューできなかった?ソニーのオーディションでグランプリに

専門学校を出た後の村下孝蔵さんはピアノの調律師を行いながら、ホテルなどで弾き語りの興業を行ってプロへの道を模索しました。

1979年には『それぞれの風』という自主製作盤を発表し、これが中国放送のディレクターの目に留まって、西田篤史さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『たむたむたいむ』に出演が決定。

同年に知人の勧めで応募したCBSソニーのオーディションに応募して、見事グランプリを獲得。この時、ソニーの内部でも「今更フォークシンガーを採るのか?」と賛否が分かれたのだそうです。

1979年にゆうこという女性と結婚!長女・露菜誕生!

1979年に村下孝蔵さんは日本画家の船田玉樹氏の娘、優子さんと結婚をしました。

2人の出会いは1978年で、まだデビューをしていなかった村下孝蔵さんのステージを見た優子さんが、彼の歌と演奏に惚れ込んで交際が始まったと言われています。

結婚をした後に、2人の間には長女が誕生。この長女が、上で画像を紹介したシンガーソングライターの露菜さんです。

子供の名前はさやかだった?村下孝蔵の姉が暴露?

村下孝蔵さんの実姉の絹代さんによると、離婚前の長女の名前は「さやか」さんであったそうです。現在名乗っている「露菜」という名前は芸名であるようです。

1980年にデビュー!「初恋」がオリコン3位に!

1980年に、ソニーミュージックからメジャーデビューを果たした村下孝蔵さん。この時、27歳になっていました。

現在ならば30歳を過ぎてメジャーデビューをする人も少なくありませんが、当時は「27歳で新人は無理では?」「これからかは実力よりルックスの時代」と難色を示す音楽関係者も多かったと言います。

しかしプロデューサーの須藤晃氏は「村下孝蔵は絶対売れる」と確信を持っていたそうで、1983年にリリースした『初恋』でその予感は見事的中。同曲はオリコンチャートで最高3位を記録するヒットとなりました。

1984年に肝炎を患い活動ができなくなる

村下孝蔵さんの死因となったのは脳出血でしたが、デビュー後、人気が出始めてきた1984年にも肝炎で入院を余儀なくされて活動を縮小していました。

この頃の村下孝蔵さんは飲酒量が多かったそうで、それが原因で肝炎を発症。TV番組に出るといった活動を制限することとなりました。

このことから健康に気を遣うようになったとされ、死因が脳出血であったことにも不思議がる声があがったのです。

1985年に親族トラブルで離婚

1982年には妻をモデルに『ゆうこ』という楽曲も発表した村下孝蔵さんでしたが、1985年には優子さんと離婚。

『ゆうこ』は7ヶ月半もの間、オリコンのチャートにランクインしている息の長い人気曲であり、名曲のモデルになった妻との生活は円満そのものと思われていました。

夫・妻の言い分が違う?真相は不明のまま?

離婚理由に対して、村下孝蔵さんサイドは『初恋』で入った印税を優子さんが遊興費に使い果たしてしまい、男遊びまで始めたためと語っています。

一方で2102年に神戸新聞の取材に答えた優子さんは、離婚理由を村下孝蔵さんの両親にいじめられ、家にいられなくなったためと明かしています。

村下孝蔵さんが亡くなってしまったことから真相は不明ですが、彼の実姉は優子さんの言い分に対して「嘘をつくな!」と不快感を示しています。

元妻が嘘をついていた?話し合いでの離婚だったとも

村下孝蔵さんの実姉は、ブログで弟夫婦の離婚に対して以下のように語っていました。

孝蔵と元妻で有った(ゆうこ)さんは、孝蔵と話し合い離婚したのに、、、、、

(引用:真っ赤なトマト)

優子さんは「家を追い出された」と語っていたことに対して、姉の絹代さんは「離婚は話し合って決めたこと」と、矛盾を指摘しています。

その後、裕子という女性と再婚!

時期は公表されていませんが、優子さんと離婚した後に村下孝蔵さんは裕子さんという女性と再婚しています。

奇しくも同じ「ゆうこ」という名前の女性と再婚したのですが、再婚相手の裕子さんは村下孝蔵さんを看取った後、その後を追うように他界されています。

1980年代後半は楽曲の売れ行きが落ちていった?

最も勢いが出てきた頃に肝炎で活動を縮小していた村下孝蔵さん。そのせいもあって1980年後半は楽曲の売り上げが思わしくなく、そんな中で発表されたのが『ロマンスカー』でした。

この曲を起死回生の自信作として送り出した村下孝蔵さんでしたが、売り上げはやはり伸びず。

しかし、これがきっかけとなって村下孝蔵さんは「時代はやってくるもの。追いかけても仕方ない」という境地に至り、吹っ切れたと言われています。

村下孝蔵は天才?村下孝蔵の代表的な楽曲の動画は?

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村下孝蔵さんは声の美しさとギターの上手さ、そして情感をとらえた素晴らしい歌詞が現在でも高く評価されています。

世代を超えて愛されている『初恋』や『ロマンスカー』といった村下孝蔵さんの代表作を、動画で振り返っていきましょう。

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