忌野清志郎の死因は癌性リンパ管症?がん?タバコの量や最期の姿 タレント

忌野清志郎の死因は癌性リンパ管症?がん?タバコの量や最期の姿

2009年に逝去した忌野清志郎さん。咽頭がんの闘病中で治療に専念するために活動休止しており、死因は癌性リンパ管症と報じられました。手術を拒否したという忌野清志郎さんの真意や取り入れていた代替医療、タバコと癌性リンパ管症の関係について紹介していきます。

目次

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忌野清志郎の死因は癌性リンパ管症?咽頭がん?

伝説のロックバンド・RCサクセションのボーカルとしてデビューし、カリスマ的な存在であった忌野清志郎さん。数多くのフォロワーを生んだ忌野清志郎さんの逝去が報じられたのは2009年5月のことでした。

逝去の3年前から咽頭がんを発症したことを公表、闘病生活を行っていましたが、死因となったのは癌性リンパ管症でした。

しかし、本当は咽頭がんが諸悪の根源だったのではないか?との意見もあります。忌野清志郎さんの体を蝕んだがんについて見ていきましょう。

2009年5月2日に忌野清志郎が死去

2009年5月2日の午前0時51分、忌野清志郎さんが都内の病院で息を引き取りました。亡くなる数日前から病状が悪化して、入院中に急逝したとのことです。

享年58歳。復帰が期待されていた最中の訃報であったため、ファンはもちろんのこと、ミュージシャン仲間からも戸惑いと悲しみの声があがりました。

忌野清志郎の死因は癌性リンパ管症?

忌野清志郎さんの死因として報じられたのは、癌性リンパ管症でした。癌性リンパ管症とはリンパ管に侵入したがん細胞が増殖してリンパ管を塞ぐという病気で、呼吸困難も引き起こす恐ろしい病気です。

転移のリスクも高く、2008年の夏には忌野清志郎さんの左腸骨も癌に侵されていたことが明らかになっています。

忌野清志郎は咽頭がんも患っていた

忌野清志郎さんは、2006年7月に咽頭がんに罹患していることを公表していました。このことは本人のブログで公開されたことで、治療のために一時期活動を休止することも併せて発表されました。

「何事も人生経験と考え、この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できれば。またいつか会いましょう。夢を忘れずに!

(引用:地味変)

上のようなメッセージもファンに送っており、復帰に対する意欲も見せていました。

日本人の咽頭がん発症率は低い!発症しやすいのはどんな人?

忌野清志郎さんだけではなく、立川談志さんや、つんくさんも苦しめられていた咽頭がん。芸能人に多いことから発症率が高い印象がありますが、欧米人に比べて日本人の咽頭がん発症率は低いと言われています。

咽頭がんの原因となるのが、タバコ、飲酒の他に喉の酷使などが挙げられます。男女別では男性の罹患率が高く、60代以上での発症が多いとされます。

忌野清志郎の死因となった咽頭がんはタバコが原因?喫煙量はどれくらい?

患者の96.5%が喫煙者と言われる程、咽頭がんと喫煙には因果関係が認められています。

忌野清志郎さんは近くにタバコがあれば銘柄を気にせずに吸ってしまうと言われる程のチェーンスモーカーで、咽頭がんになった原因には間違いなくタバコが関わっていると見られています。

そして喫煙習慣から咽頭がんが発病し、そこから死因となった癌性リンパ管症も引き起こされたのではないか?との見方もあります。

タバコが原因で亡くなった著名人は多い?

2011年には咽頭がんで落語界の重鎮、革命児であった立川談志さんも咽頭がんが死因で逝去しています。

立川談志さんは食道がん手術後の会見にタバコを吸いながら応じており、がんになっても「タバコも酒もやめない」と公言していました。

他にも1997年に下咽頭がんで他界した勝新太郎さんや、2018年に乳がんで他界したさくらももこさんも愛煙家であり、タバコが死を招いた可能性は否定できないと見られています。

忌野清志郎は咽頭がんで闘病していた!治療は拒否?最期の姿は?

咽頭がんは早期に手術をすれば予後も良く、がんの中では治療自体は決して難しくない部類に入ると言われています。

しかし忌野清志郎さんは手術を拒み、これによって死因の癌性リンパ管症が引き起こされたとも囁かれています。なぜ忌野清志郎さんは手術を拒否したのか、その真意と闘病生活を見ていきましょう。

2006年7月に咽頭がんの治療のため音楽活動を中止

2006年7月13日に自らのブログで咽頭がんに罹っていること、そのため予定されていたロックフェスなどの出演をキャンセルして治療に専念することを明かした忌野清志郎さん。

忌野清志郎さんは2005年に愛車の「オレンジ号」が盗まれて話題になったこともあるなど、ロードバイクが好きで健康的な印象がありました。

そのため病気を知ったファンからは、「若い頃ならいざ知れず、どうして今の清志郎ががんに?」との声もあがりました。

手術も拒否!放射線治療も途中で拒否して代替医療に

咽頭がんは早期に治療を行えば、生存率が9割を超えるとされています。忌野清志郎さんも入院時に手術を勧められたそうですが、声帯を除去することになるため手術を拒否していました。

そして化学放射線治療を開始したのですが、この治療も長引くと唾液の分泌量が減って声を出しづらくなることが発覚。

続けていては歌えなくなると判断したために、忌野清志郎さんは治療を辞めて代替医療に頼るようになったのだと言います。

忌野清志郎が行った代替医療は玄米菜食法

忌野清志郎さんは入院してから2週間後には、代替医療として玄米菜食と呼ばれる食事療法を開始していたそうです。

玄米菜食では玄米と野菜を中心に食事をとり、がんに罹る前からベジタリアンだった忌野清志郎さんにとっては、取り入れやすいものだったのでは?と考えられています。

忌野清志郎は声を守るために闘っていた!闘病中の姿の画像は?

上の画像が咽頭がんで闘病を開始して半年後に、スポニチのインタビューに応じた際の忌野清志郎さんの姿です。

抗がん剤で抜けた頭髪に対して「赤ちゃんみたい」と自ら語ってみたりと明るい姿が見られましたが、体力と筋力が衰えていることに不安ものぞかせていました。

そして闘病中も喉の周りの筋肉だけは落とさないように、歌い続けていたことを明かしました。

その後、音楽活動を再開しシークレットゲストとして参加

2007年1月21日には、渋谷BOXXで行われた石田長生さんの『Ishiyan』リリース記念のライブに、シークレットゲストとして登場した忌野清志郎さん。

その翌月には竹中直人さんがパーソナリティを務めるラジオにも出演、映画『たみおのしあわせ』の撮影にも参加し、シークレットゲストとして藤井裕さんらのライブにも登場しました。

癌が左腸骨に転移していることが発覚し再び活動休止

2007年年末に忌野清志郎さんは、シークレットゲストではなく前もって予告をする形で「ジョン・レノン・スーパーライヴ」に参加しました。

これは咽頭がん発症後初めてのことであったため、ファンからは忌野清志郎完全復活を喜ぶ声があがり、ライブパフォーマンスも入院前と全く変わらないものでした。

そして2008年2月には「忌野清志郎 完全復活祭」も武道館で行われたのですが、その年の7月14日に左腸骨がかんに侵されたことを公表。再び忌野清志郎さんは闘病生活に戻っていったのです。

通院にて治療しながらも音楽提供は続行

ライブ活動は休止した忌野清志郎さんでしたが、その後も原田郁子さんのアルバム『銀河』で作曲やハープ演奏を担当したりと、音楽活動は続けていました。

またこの時期に、前人未到の世界一周マラソンに挑む間寛平さんのために『RUN寛平RUN』といった楽曲も書き下ろし、レコーディングも行いました。

忌野清志郎は1983年頃にも肝臓の病気を患っていた

忌野清志郎さんはRCサクセションとして活動をしていた1983年の頃にも飲酒が原因で肝臓を壊し、医者からも匙を投げられたことがありました。

しかし、漢方やお灸を用いて1年がかりで肝臓の不調を完治させたと言います。

忌野清志郎の最期は家族と友人に見守れながらだった

忌野清志郎さんが危篤状態になった際、病院には連絡を受けた仲井戸麗市さんや三宅伸治さんらの盟友も駆けつけていたと言います。

そして家族と友人に看取られながら、忌野清志郎さんは5月2日の午前0時51分に息を引き取りました。

忌野清志郎の葬儀がロック!甲本ヒロトの弔辞が話題に!

忌野清志郎さんが亡くなった1週間後の2009年5月9日、青山葬儀所で告別式が行われました。ロック葬と呼ばれた告別式の様子や、話題となった甲本ヒロトさんの弔辞を紹介していきます。

2009年5月9日にロック葬が行われた

5月9日に行われた忌野清志郎さんの告別式には約1000人が足を運び、会場となった青山葬儀場の前には、ファンが弔問の列を作りました。

NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS plus 武田真治の演奏で幕を開けた、忌野清志郎さんの「ロック葬」。

コタツやウサギのバルーンなど、ファンには馴染み深い楽曲とアイテムで場内は飾られました。

甲本ヒロトが弔辞を読み伝説に

忌野清志郎さんの告別式では、大竹しのぶさんや竹中直人さん、そして甲本ヒロトさんが弔辞を読みました。

「キヨシローの真似をして、革ジャン着てきた」「そしたらなんか、浮いてるし」と甲本ヒロトさんは遺影に語りかけ、以下のように続けました。

今日はありがとうを言いに来たんです。数々の冗談をありがとう。いまいち笑えなかったけど。今日もそうだよ。ひどいよ、この冗談は。うん、でもなるべく笑うよ。キヨシロー、ありがとう

(引用:音楽ナタリー)

甲本ヒロトさんは最後にこれまで忌野清志郎さんを支えたスタッフや家族にお礼を言った後、「ファンにはありがとうは言わない。僕もあなたのファンだから」と弔辞を締めくくっています。

「自分もファンの1人だった」というこの言葉が多くのファンの胸に刺さり、共感と涙を誘いました。

忌野清志郎の死去に騒然!追悼コメントも

忌野清志郎さんの訃報を受けて、音楽関係者を中心に様々な著名人から追悼のコメントが寄せられました。ここでは、その一部を紹介していきます。

渋谷陽一「前向きな男だった」

ロッキング・オンの社長で音楽評論家の渋谷陽一さんは、訃報が届いた翌日の5月3日に自身のブログで忌野清志郎さんへ以下のような追悼のコメントを寄せていました。

とにかく、いろいろな事が悔しい。凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった

(引用:ロッキング・オン・ドットコム)

そして同じ時代を生きた盟友に恥じないように、自分もいつまでもセンチな気持ちを引きずっていないで闘わないといけない、と締めくくっていました。

サンボマスター山口隆「涙が止まりません」

かねてから「日本のロック界の神様は清志郎さん」と、忌野清志郎さんの大ファンであることを公表していた山口隆さん。

訃報の翌日、5月3日に自身のブログでどれだけ忌野清志郎さんに憧れていたか、その思いを綴っていました。

実際、僕自身、今は喪失感でいっぱいです。しかしながら僕は(そしてあなたも)忌野清志郎さんの音楽を<好きだった>と過去形にする必要はないはずです。音楽は残るんだ。

忌野清志郎さん、素晴らしい音楽を(過去形ではなく)どうもありがとう。

(引用:唄とギターと山口隆のブログ)

サンボマスターとは別のユニット、猪苗代湖ズに忌野清志郎さんが参加をした際には喜びを露にしていた山口隆さん。真摯なコメントに胸を打たれたファンも数多く存在しました。

音楽評論家の加藤普「死もメッセージ」

音楽評論家の加藤晋さんは、忌野清志郎さんの死に対して様々なコメントが寄せられていることに対して、以下のように分析をしていました。

闘病もそうですが、彼はいつも生に対して、真剣に向きあってきた。真面目だった。だから、私はその死さえメッセージではないかと思うのです。我々はそれを引き受けなくてはならないと思います

(引用:J-CAST)

忌野清志郎さんは個人的なものから社会的なものまで、メッセージ性の強い楽曲を多数生み出してきました。その姿勢が、人の心を強く惹きつけて動かすのだろうと加藤晋さんは語っています。

忌野清志郎は死後から10年たっても愛されている

2019年5月4日、忌野清志郎さんの追悼ライブ「忌野清志郎 ロックンロールショー」が日比谷公会堂で開催。没後10年となる今年は木村拓哉さんらが登場し、話題となりました。

さらに2019年4月には、渡辺大知さんやのんさんも寄稿した『I LIKE YOU忌野清志郎』が刊行され、5月2日には「天声人語」でも忌野清志郎さんが取り上げられました。

このように亡くなってから10年が経っても忌野清志郎さんは深く愛されており、SNSなどでも彼の楽曲を紹介するコメントは後を絶ちません。

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