芥川龍之介の死因は服毒自殺!?ぼんやりとした不安とは?心中を考察タレント

芥川龍之介の死因は服毒自殺!?ぼんやりとした不安とは?心中を考察

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龍之介が亡くなった年である、1927年の3月から4月に執筆したと言われる小説「歯車」では、主人公が半透明な”歯車”の幻覚を見た後に激しい頭痛に襲われます。

これは龍之介自身の体験でもあると考えられますが、片頭痛持ちの人は、実際に、幾何学模様の円形の光を見ることがあるそうです。

片頭痛持ちの人が見る、歯車のような円形の光のことを、”閃輝暗点(せんきあんてん)”というそうで、この画像ようなイメージということです。

しかし、医学も現在ほど発展していなかった時代なので、龍之介は、これも精神の病からくる幻覚だと感じていた可能性が高いです。

創作活動の限界を感じていた?

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心身の病以外に、執筆活動での行き詰まりも、芥川龍之介を苦しめていたようです。龍之介は短編は得意だったものの、長編小説が苦手だったようです。

題材が見つからないとか、良いものが書けないという危機感など、作品を生み出す作家ならではの苦しみが、龍之介を追い詰めていったのかもしれません。

人妻との不倫が関係していたとする説も

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芥川龍之介は、1919年3月、27歳の時に”文”という女性と結婚し、3人の男の子が生まれています。しかし、龍之介は結婚後も多くの女性と交際していたようです。

その中の一人に、既婚者のしげ子という女性がいましたが、しげ子の子供が龍之介に似ていると噂をされるなどして、次第に、しげ子は龍之介の悩みのたねとなります。

執着心の強いしげ子は、妻子のいる龍之介の家にまで押し掛けるようになり、このことも龍之介の”ぼんやりとした不安”の一つだったようです。

義兄が自殺し、借金や家族の面倒に追われてもいた

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芥川龍之介の姉・ヒサの旦那さんであった西川豊が、1927年の1月に保険金を狙った放火を疑われ、鉄道自殺をしてしまいました。

そのため龍之介は、事件の処理に加え、義兄の借金をかぶり、さらに残された西川の遺族の面倒を見なければいけなくなりました。

扶養人数が増え借金の返済もあるので、この時期、龍之介は、知人への手紙の中で”僕は多忙中むやみに書いている”と綴っています。がむしゃらに仕事をこなしていたようです。

実は死ぬ気はなかった?狂言だった可能性も

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借金に不倫、仕事に病気など色々と不安材料を抱えていた芥川龍之介ですが、実は自殺する気はなかったのではないか?という説もあるようです。

自殺直前に龍之介は、周囲の知人らに自殺を仄めかす言動を多く残していました。本当に死にたいのであれば、止められては困るので黙っているはず。

そのため、本当は誰かが早い時点で気づいてくれることを期待した、狂言自殺だったという見方をする人もいるようです。

芥川龍之介の自殺の要因は生い立ち・家族構成に?母親は狂人?

若くしてこの世を去ってしまった芥川龍之介とは、どのような家族の中でどのようにして育ったのでしょうか?

家族構成や生い立ちに自殺の要因となり得るようなことがあったのでしょうか?

芥川龍之介は捨て子扱いされていた!?

昔は、厄年に生まれた子供は縁起が悪いと言われていて、形式的に、一度神社や家の前などに捨てるふりをする、ということが行われていたようです。

すぐに近所の人などに拾ってもらい、両親の元に届けてもらうのですが、これで災いがなくなると思われていたということです。

もちろん形だけのことですが、自分の子供を拾ってきた子扱いするのは、お腹を痛めて産んだ母親としては、つらいことかもしれません。

芥川龍之介が7か月の時に母親が精神の病気に!原因は?

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芥川龍之介の母・フクは、芥川龍之介が生後7か月の頃から、精神に異常をきたし、精神分裂病(今でいう総合失調症)だったと言われています。

この病気は、元々の性格や遺伝も要因の一つではありますが、ストレスなどの環境も大きな要因になり得ます。

乳児の世話によるストレスや、激しい性格だったと言われる龍之介の父親の影響もあったのかもしれません。

芥川龍之介は伯母に育てられた

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母親・フクが精神病になり子育てが出来る状態ではなくなったため、芥川龍之介は母親の実家で、赤ちゃんの時から伯母のフキに育てられました。

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