芥川龍之介の死因は服毒自殺!?ぼんやりとした不安とは?心中を考察 タレント

芥川龍之介の死因は服毒自殺!?ぼんやりとした不安とは?心中を考察

死因が服毒自殺だったと言われている作家の芥川龍之介ですが、晩年は片頭痛や病気などに悩まされ、心中を図ったとか?そして彼の墓はどこに?”ぼんやりとした不安”があったと遺書に書き残し、「続西方の人」を書き終え自殺をした芥川龍之介についてまとめました。

目次

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芥川龍之介の死因は?服毒による自殺だった!?

35歳という若さで亡くなった芥川龍之介の死因とは一体何だったのでしょうか?服毒自殺だったと言われていますが本当でしょうか?

芥川龍之介が自殺したのはいつ?何歳の時?

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芥川龍之介が亡くなったのは1927年の7月24日で、龍之介はこの時まだ35歳でした。1927年といえば、1926年の12月に大正という時代が終わりを迎え、昭和が始まったばかりの年でした。

1920年代は、第一次世界大戦の大戦景気の反動による不況や、金融恐慌、1923年に発生した関東大震災など、日本に暗い影を落とした時代でもあります。

芥川龍之介の最後の作品『続西方の人』を書き終えてから自殺

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芥川龍之介は、自身最後の作品となった「続西方(ぞくせいほう又はさいほう)の人」というエッセイを書き終えてから自殺しています。

「続西方の人」は、キリストの一生と自身の一生を対置しながら書いた作品だと言われており、自殺前夜に書き終えたと言われています。

芥川龍之介は服毒自殺だった!

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芥川龍之介の死因についてですが、睡眠薬または青酸カリなどを使った服毒自殺だったと言われています。

芥川龍之介が飲んだ薬は睡眠薬?青酸カリ?

死因は青酸カリだったという説もあるようですが、睡眠薬を大量に飲んだという説が有力なようです。

芥川龍之介が亡くなる数日前に龍之介を訪ねた、親友で小説家の内田百閒によると、その時から龍之介は睡眠薬でベロベロで、寝たり起きたり‥という状態だったといいます。

自殺にむけて体を慣らしていたのではないかと言われています。

芥川龍之介の遺書に書かれていた内容は?『ぼんやりとした不安』?

自殺を図った芥川龍之介は何通かの遺書を残していますが、その中に、自殺の動機として”将来に対する唯ぼんやりとした不安”があったと書かれています。

『ぼんやりとした不安』とは何だった?

”ぼんやりとした不安”とは抽象的な表現ですが、一体どういったものだったのでしょう?龍之介の晩年の作品の中にそのヒントはあるのかもしれません。

  • 僕はもうこの先を書き続ける力をもっていない、僕の眠っている内にそっと絞め殺してくれるものはないか(歯車)
  • 僕は罪を犯した為に、地獄に落ちた1人に違いなかった(歯車)
  • 彼の前にあるものは発狂か自殺かだけだった(或阿呆の一生)
  • 死にたがっているよりも、生きることに飽きているのです(或阿呆の一生)

精神病や、創作に対する苦悩、借金、女性問題など、龍之介を苦しめるものが絡まりあって、”ぼんやりとした不安”になっていったのかもしれません。

芥川龍之介が自殺したのは、精神病のせい?

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芥川龍之介は精神病だったと言われていますが、それはどんな病気だったのでしょうか?

芥川龍之介は精神分裂病(統合失調症)だった?

芥川龍之介は、精神分裂病だったと言われていますが、これは、現在では”総合失調症”と呼ばれる病気です。

1921年に龍之介は、海外視察員として中国に訪れていますが、中国から帰国後、徐々に心身が衰え始めたと言われているようです。

精神分裂病(統合失調症)とは?

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総合失調症というのは、脳機能のバランスが崩れてしまうことで発症する病気で、まず不眠や焦り、音や光に過敏になるところから症状が始まることがおおいようです。

さらに進行すると、興奮、幻覚、妄想などに襲われて周囲とコミュニケーションが取りづらくなります。

次にそのような時期が過ぎると、無気力で何もしなくなる、感情の起伏が乏しくなる時期があるなど、精神的にとても不安定になる精神の病です。

芥川龍之介の母親も精神分裂病(統合失調症)だったと言われる

実は、芥川龍之介の母親・フクも総合失調症だったと言われており、龍之介が生後7か月頃からは精神に異常をきたしたフクの代わりに、伯母のフキ(フクの姉)が龍之介の世話をしていました。

フクは、龍之介が11歳の時に亡くなっており、その後龍之介はフクの兄の養子になりました。この時から龍之介は芥川性を名乗ることになりました。

芥川龍之介は精神分裂病(統合失調症)ではなかったという意見も

芥川龍之介は、母の病が自分にも遺伝することを恐れていたと言われており、幻を見た、幻聴が聞えたというような自身の体験は、晩年の作品にも多く描かれています。

しかし、治療をしていない本当の総合失調症の患者であれば、もっと暴力的になったり会話が支離滅裂になるはずで、何より物事を論理だてて考えるようなことは出来なくなるといいます。

その点、龍之介は死ぬ間際まで小説を書いているということもあり、龍之介は総合失調症ではなく、神経の衰弱と、多量の睡眠薬摂取による幻覚等だったのではないかという意見もあるようです。

芥川龍之介は問題を抱えすぎ?自殺の要因になったのは?

現在は東京都巣鴨の慈眼寺にあるお墓に眠る芥川龍之介ですが、自殺の原因とは何だったのでしょうか?精神が病んでいたということ以外にも、たくさんの問題が関係していたようです。

芥川龍之介の自殺は、体の衰えを自覚したせいだった?

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芥川龍之介は、胃潰瘍、片頭痛、不眠症なども抱えていたようなので、身体的にもつらかったといえるでしょう。

龍之介が亡くなった年である、1927年の3月から4月に執筆したと言われる小説「歯車」では、主人公が半透明な”歯車”の幻覚を見た後に激しい頭痛に襲われます。

これは龍之介自身の体験でもあると考えられますが、片頭痛持ちの人は、実際に、幾何学模様の円形の光を見ることがあるそうです。

片頭痛持ちの人が見る、歯車のような円形の光のことを、”閃輝暗点(せんきあんてん)”というそうで、この画像ようなイメージということです。

しかし、医学も現在ほど発展していなかった時代なので、龍之介は、これも精神の病からくる幻覚だと感じていた可能性が高いです。

創作活動の限界を感じていた?

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心身の病以外に、執筆活動での行き詰まりも、芥川龍之介を苦しめていたようです。龍之介は短編は得意だったものの、長編小説が苦手だったようです。

題材が見つからないとか、良いものが書けないという危機感など、作品を生み出す作家ならではの苦しみが、龍之介を追い詰めていったのかもしれません。

人妻との不倫が関係していたとする説も

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芥川龍之介は、1919年3月、27歳の時に”文”という女性と結婚し、3人の男の子が生まれています。しかし、龍之介は結婚後も多くの女性と交際していたようです。

その中の一人に、既婚者のしげ子という女性がいましたが、しげ子の子供が龍之介に似ていると噂をされるなどして、次第に、しげ子は龍之介の悩みのたねとなります。

執着心の強いしげ子は、妻子のいる龍之介の家にまで押し掛けるようになり、このことも龍之介の”ぼんやりとした不安”の一つだったようです。

義兄が自殺し、借金や家族の面倒に追われてもいた

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芥川龍之介の姉・ヒサの旦那さんであった西川豊が、1927年の1月に保険金を狙った放火を疑われ、鉄道自殺をしてしまいました。

そのため龍之介は、事件の処理に加え、義兄の借金をかぶり、さらに残された西川の遺族の面倒を見なければいけなくなりました。

扶養人数が増え借金の返済もあるので、この時期、龍之介は、知人への手紙の中で”僕は多忙中むやみに書いている”と綴っています。がむしゃらに仕事をこなしていたようです。

実は死ぬ気はなかった?狂言だった可能性も

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借金に不倫、仕事に病気など色々と不安材料を抱えていた芥川龍之介ですが、実は自殺する気はなかったのではないか?という説もあるようです。

自殺直前に龍之介は、周囲の知人らに自殺を仄めかす言動を多く残していました。本当に死にたいのであれば、止められては困るので黙っているはず。

そのため、本当は誰かが早い時点で気づいてくれることを期待した、狂言自殺だったという見方をする人もいるようです。

芥川龍之介の自殺の要因は生い立ち・家族構成に?母親は狂人?

若くしてこの世を去ってしまった芥川龍之介とは、どのような家族の中でどのようにして育ったのでしょうか?

家族構成や生い立ちに自殺の要因となり得るようなことがあったのでしょうか?

芥川龍之介は捨て子扱いされていた!?

昔は、厄年に生まれた子供は縁起が悪いと言われていて、形式的に、一度神社や家の前などに捨てるふりをする、ということが行われていたようです。

すぐに近所の人などに拾ってもらい、両親の元に届けてもらうのですが、これで災いがなくなると思われていたということです。

もちろん形だけのことですが、自分の子供を拾ってきた子扱いするのは、お腹を痛めて産んだ母親としては、つらいことかもしれません。

芥川龍之介が7か月の時に母親が精神の病気に!原因は?

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芥川龍之介の母・フクは、芥川龍之介が生後7か月の頃から、精神に異常をきたし、精神分裂病(今でいう総合失調症)だったと言われています。

この病気は、元々の性格や遺伝も要因の一つではありますが、ストレスなどの環境も大きな要因になり得ます。

乳児の世話によるストレスや、激しい性格だったと言われる龍之介の父親の影響もあったのかもしれません。

芥川龍之介は伯母に育てられた

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母親・フクが精神病になり子育てが出来る状態ではなくなったため、芥川龍之介は母親の実家で、赤ちゃんの時から伯母のフキに育てられました。

芥川龍之介には1歳で病死した姉がいた?

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芥川龍之介の母・フクが精神的に病んでしまったのにはもう一つ原因がありました。実は、龍之介が生まれる1年ほど前に、一番上の姉が亡くなっています。

まだ6歳だったそうですが、死因は病気だったようです。そのことも、フクの心が病んだ大きな原因になったことは疑いようがありません。

芥川龍之介は過去にも女性と心中しようとしていた!?

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芥川龍之介は、自殺をした年である1927年の4月と5月にも二度、ある女性と心中しようとしていたことが分かっています。

芥川龍之介の心中相手は平松麻素子!どんな人物?

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芥川龍之介が心中しようとしていた相手は、龍之介の妻・文の友人である”平松麻素子”という女性です。

麻素子は当時、龍之介の秘書を務めていたということですが、龍之介と麻素子はプラトニックな関係だったようです。

麻素子と文が友人だったこともあり、そこはけじめをつけていたのかもしれません。

心中しようとした場所は帝国ホテル!

心中しようとしたのは帝国ホテルだったようですが、二度とも、平松麻素子が直前に心変わりをして通報をしたことで、未遂に終わったということです。

『或阿呆の一生』には心中の様子が語られている?

芥川龍之介の自殺後に見つかった文章である「或阿呆の一生」には、心中未遂を起こした時の様子が詳しく語られています。

この中に、”死にたがっていらっしゃるのですね”、”いえ、死にたがっているというよりも、生きることに飽きているのです”という一文があります。

当時の龍之介は、死に執着しているというよりは、生きていることに本当に疲れてしまっていたのかもしれません。

芥川龍之介の結婚歴は?妻はどんな人物?

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芥川龍之介は1919年に結婚しその後三男をもうけていますが、龍之介の妻となった女性とは一体どのような人物だったのでしょうか?

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