沢田研二の若い頃は色気溢れる超イケメン!昔と現在は別人レベル? タレント

沢田研二の若い頃は色気溢れる超イケメン!昔と現在は別人レベル?

昨年、コンサートをドタキャンして物議を醸したジュリーこと沢田研二さん。若い頃の沢田研二さんは、今と違いスタイルも良く、色気溢れる超イケメンでした。そんな沢田研二さんの昔の画像から最近の画像を披露して、沢田研二さんの魅力に迫りたいと思います。

若い頃が超イケメン!沢田研二のプロフィール

1960年代から1970年代に大ブレイクしたグループサウンズ。その中でもジュリーこと沢田研二さんがボーカルを務めるザ・タイガースはトップの位置にありました。

ザ・タイガース解散後、ソロ歌手として大ヒットを連発した若い頃の沢田研二さんは、超イケメンで女性ファンを魅了しました。沢田研二さんのプロフィールは下記の通りです。

  • 出生地:鳥取県鳥取市生まれの京都府京都市育ち
  • 生年月日:1948年6月25日(71歳)
  • 身長:171㎝
  • 血液型:A型
  • 学歴:京都府立鴨沂高校中退
  • 所属事務所:渡辺プロダクション
  • デビュー:1967年2月5日ザ・タイガースでシングル曲「僕のマリー」
  • ソロデビュー:1971年11月沢田研二で「君をのせて」
  • 妻:田中裕子 前妻:ザ・ピーナッツ伊藤エミ
  • 売上:ソロのシングル総売上1,239万枚 アルバムも合わせた総売上1,570万枚
  • 日本レコード大賞・日本有線大賞・日本歌謡大賞など数多く受賞

【画像・動画】沢田研二の昔・若い頃がイケメンすぎる!

ジュリーこと沢田研二の若い頃の超イケメン画像をヒット曲と共に紹介します。

時の過ぎゆくままに

1975年8月21日に発売された沢田研二さんの14枚目シングル曲です。作詞:阿久悠、作曲:大野克夫で第6回日本歌謡大賞放送音楽賞・第4回FNS歌謡祭下期優秀歌唱賞を受賞しました。

勝手にしやがれ

1977年5月21日に発売された沢田研二さんの19枚目シングル曲、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫です。

第19回日本レコード大賞大賞、第8回の本歌謡大賞大賞、第10回日本有線大賞大賞、’77あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭ゴールデングランプリ、第6回東京音楽祭国内大会ゴールデンカナリー賞を受賞。

カサブランカ・ダンディ

1979年2月1日に発売された沢田研二さんの26枚目シングル曲、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫です。第21回日本レコード大賞金賞、第8回FNS歌謡祭優秀歌謡音楽賞を受賞しました。

危険なふたり

1973年4月21日に発売された沢田研二さんの6枚目のシングル曲、作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦です。第4回日本歌謡大賞大賞、第15回日本レコード大賞大衆賞、第6回日本有線大賞歌唱賞を受賞しました。

ヤマトより愛をこめて

1978年8月1日に発売された沢田研二さんの24枚目シングル曲、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫です。劇場用アニメ映画「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」のエンディング曲です。

ストリッパー

1981年9月21日に発売された沢田研二さんの34枚目のシングル曲、作詞:三浦徳子、作曲:沢田研二です。第23回日本レコード大賞金賞、第12回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞しました。

TOKIO

1980年1月1日に発売された沢田研二さんの29枚目シングル曲、作詞:糸井重里、作曲:加瀬邦彦です。第22回日本レコード大賞編曲賞を受賞しました。パラシュート衣装が印象的でした。

コバルトの季節の中で

1976年9月10日に発売された沢田研二さんの17枚目シングル曲、作詞:小谷夏、作曲:沢田研二です。

LOVE(抱きしめたい)

1978年9月10日発売の沢田研二さんの25枚目シングル曲、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫です。

第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞、第7回FNS歌謡祭グランプリ、第11回全日本有線放送大賞大賞、第9回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞しました。

サムライ

1978年1月21日発売の沢田研二さんの22枚目シングル曲、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫です。

ダーリング

1978年5月21日に発売された沢田研二さん23枚目シングル曲、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫です。第11回日本有線大賞大賞を2年連続で受賞しました。

追憶

1974年7月10日に発売された沢田研二さんの10枚目のシングル曲、作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦です。第16回の本レコード大賞歌唱賞を受賞しました。

憎みきれないろくでなし

1977年9月5日に発売された沢田研二さんの21枚目シングル曲、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫です。

コバルトの季節の中で

1976年9月10日に発売された沢田研二さんの17枚目のシングル曲、作詞:小谷夏、作曲:沢田研二です。

おまえにチェックイン

1982年5月1日に発売された沢田研二さんの36枚目のシングル曲、作詞:柳川英巳、作曲:大沢誉志幸です。

人気絶頂当時のヒットメドレー

1971年1月24日ザ・タイガースが解散した後、ショーケンこと萩原健一さんやザ・スパイダースの井上尭之さん等と新しいバンドPYGを結成し、ニューロックを目指しました。

1971年11月1日沢田研二さんは、「君をのせて」でソロデビューを果たします。その後、1972年3月「許されない愛」が初のソロとしてオリコンTOP10に入りました。

1973年4月に発売された「危険なふたり」が大ヒットし、ソロ歌手として有名になり、その後はヒット曲を連発し、毎年、日本歌謡大賞や日本レコード大賞などを受賞し、確固たる地位を築きました。

三枚目役でもカッコイイ!

1970年代~1980年代のコントと言えばザ・ドリフターズが全盛を極めました。TBS系放送の「8時だョ!全員集合」やフジテレビ系放送の「ドリフ大爆笑」は、視聴率で他の番組を大きく凌いでました。

そういったテレビ番組に当時のヒット曲を飛ばしたアイドル達も多く出演しました。沢田研二さんも例外ではありません。

沢田研二さんも何本ものコント番組に出演しましたが、3枚目の役を演じてもやはり超イケメンでカッコいい「ジュリー」で多くの女性ファンを魅了しました。

放送事故にも動じないジュリー

1977年5月23日にフジテレビ系で放送された「夜のヒットスタジオ」でジュリーこと沢田研二さんは「勝手にしやがれ」を歌いました。

歌っている最中に演出のドライアイスがあまりにも大量過ぎて、歌っている沢田研二さんが煙に包まれ、全く見えなくなりました。しかし、沢田研二さんは、何事もなかったかのように曲を全て歌い切りました。

放送事故にも動じない沢田研二さんは、トップスターの片鱗を感じさせます。

「おしゃれ」出演でのトーク

動画は、日本テレビ系で放送された「おしゃれ」に出演した沢田研二さんです。「おしゃれ」の司会者:久米宏さんが、普段のジュリーを上手く引き出しているトークが絶妙です。

特に、トップスターを演じるために今の自分の殻を打ち破ることにチャレンジすることを話す沢田研二さんは、彼の哲学が感じられて凄く魅力的です。

現在は昔の若い頃と別人並みの激太り!原因は病気?

最近の沢田研二さんは、昔の若い頃の細身の体型と違って、激太りの体型になっています。一説では、病気ではないかとの噂もささやかれていますが、真相に迫りたいと思います。

沢田研二の現在が太って別人すぎる!画像は?

沢田研二さんの現在は、画像にありますように激太りしています。

画像は50周年ライブの時ですが、沢田研二さんは、数年前から太っているとの噂があったみたいですが、ライブで現実を見たファンは、若い頃のイメージと違い、想像を超えたジュリーだったみたいです。

丸刈りにした理由は舞台だった?

沢田研二さんのファンが激太りにもビックリしたのですが、もっと驚いたのはジュリーの丸刈り姿でした。丸刈りした理由は、舞台で僧侶の役柄を演じていたからですが、一部のファンにとってかなり衝撃的でした。

激太りの理由は病気ではなく食べすぎ?

沢田研二さんの激太りは、病気のせいでないかと一部で噂されたのですが、元々、彼は太りやすい体質だったそうです。若い頃、ヒット曲を連発していた時は、体型を気にして食事を制限していたそうです。

体型を維持するために努力していたのは、もちろんですが、食事をしても直ぐに吐いてしまうなどメンタル的にも大変だったそうです。

現在は、体型を気にすることもなく、また、お酒も大好きで、普通に過ごしていたら一気に激太りしたそうです。ジュリーのファンにとって、病気が原因でなくて本当に良かったですね。

沢田研二の若い頃の活動は?バンド?ソロ?

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沢田研二さんは、若い頃、バンドで活躍したのでしょうか?或いはソロとして活躍したのでしょうか?若い頃の沢田研二さんにスポットライトを当てたいと思います。

17歳でリード・ボーカルとしてプレイボーイズに加入!

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沢田研二さんは、1965年高校生の時、プレイボーイズのボーカルとして引き抜かれました。その際、沢田研二さんは、高校を中退しています。

プレイボーイズは、後にファーニーズと名前を変え、大阪を中心にかなりの人気を集めるようになりました。その時のメンバーは、岸部修三、人見稔、森本太郎、加橋克己です。

1967年にザ・タイガーズとしてデビュー、「君だけに愛を」で一躍有名に!

1966年5月、ファーニーズは「全関西エレキ・バンド・コンテスト」で優勝し、内田裕也さんからスカウトされました。その後、渡辺プロダクションと契約して、1967年名前をザ・タイガースと改名しました。

「僕のマリー」でデビューし、「君だけに愛を」で一気にグループサウンズのトップに躍り出ました。1971年、解散するまで、ザ・タイガースは多くのヒット曲を世に出しています。

1971年に技巧派ロックバンド・PYGを結成

1971年2月1日、ザ・タイガースを解散した後、沢田研二さんは新しいバンド「PYG(ピッグ)」に参加しました。

「PYG」には、テンプターズから萩原健一さん、大口広司、スパイダースから井上尭之さん、大野克夫さん、タイガーズから岸部修三さんが参加しました。

「PYG」は、沢田研二さんと萩原健一さんのツインボーカルのバンドでしたが、世の中から広く受け入れられることはありませんでした。

1971年にソロ活動もスタートし沢田研二の全盛期に!

沢田研二さんは、1971年11月1日、「君をのせて」でソロデビューを果たします。1973年4月発売の「危険なふたり」で日本歌謡大賞などを受賞し、ソロとして不動の地位を築きました。

その後は、沢田研二さんは、ジュリーの愛称で他を寄せ付けない程の全盛を極めます。

沢田研二はかつて映画で公演やり直しを求める脅迫犯役を演じていた?

沢田研二さんは、1979年映画「太陽を盗んだ男」に主役で出演しました。沢田さんは、小型原爆を作り警察を脅迫する中学校の理科教師役でした。警察への要求の一つがローリングストーンズの日本公演の実現でした。

1973年ローリングストーンズは、日本公演が決まったものの、メンバーの麻薬問題があり、日本公演が中止になったという現実の出来事がありました。

この映画で沢田研二さんは、警察を脅かし、ローリングストーンズの日本公演のやり直しを求める犯人役を演じました。

日本のトップ・アイドルはジュリー

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現在、アイドルとして騒がれるミュージシャンは、たくさんいますが、沢田研二さんほどトップアイドルとして君臨したミュージシャンはいないと思います。

ザ・タイガースとしてグループサウンズの頂点に立ち、ソロ歌手としてこんなにも多くの音楽賞を受賞したミュージシャンは少ないと思います。

沢田研二さんの魅力は、トップミュージシャンとしてだけでなく、その時その時の演出を考えたエンターテインメント性にあります。ジュリーこそ、日本のトップアイドルと呼ぶに相応しいです。