
木梨憲武(とんねるず)が盲腸で死亡?追悼番組の内容と死亡説の真相
とんねるずで活躍していた木梨憲武ですが死亡したという説が存在しています。これはとんねるずの番組のドッキリで木梨憲武が盲腸で死亡したというものでした。企画を発案したのは石田弘プロデューサーで石橋貴明も怒られていたようです。この死亡説や偽追悼番組を紹介します。
目次
[表示]木梨憲武が盲腸で死亡?!急死?追悼番組の内容まとめ
木梨憲武が盲腸で死亡したのではないかという噂が存在します。盲腸とは下腹部にある蝶の先端のような部分がはれ上がり下腹部痛を伴う疾患です。
しかし盲腸で死亡するというケースはほとんどありません。実はこの木梨憲武が死亡したという噂は、木梨憲武の偽追悼番組によって死亡したという噂が広がりました。
このとんねるずのドッキリで行っていた番組のクオリティーが高すぎたため、視聴者が本当に木梨憲武が死んだのではないかという噂が広がりました。今回はそんな偽追悼番組について紹介します。
木梨憲武のプロフィール
- 名前:木梨憲武
- 生年月日1962年3月9日
- 出身地:東京都
- 身長:177cm
- 血液型:O型
- 活動期間:1980年~現在
- 所属事務所:アライバル
木梨憲武は芸能界にとんねるずとして1980年にデビューします。デビュー後はタレントとして多くのテレビ番組に出演します。
さらにバラエティー番組だけでなく、俳優や声優など幅広く活躍するようになりました。さらに所属している事務所のアライバルは社長が石橋貴明で副社長は木梨憲武ととんねるずの芸能事務所です。
死亡説の原因はとんねるずのみなさんのおかげですのドッキリだった!
木梨憲武が死亡したという説はとんねるずの皆さんのおかげでしたという番組内でおこなったどっきりが原因だと言われています。
これは1991年10月31日の放送の際に「木梨憲武さん追悼」というネタから入り追悼番組のように進行していきました。
クオリティが高すぎた追悼番組のどっきり動画
「とんねるずの皆さんのおかげでした」で行われた追悼番組のリアリティーが高すぎたため、視聴者の多くが本当に木梨憲武が死んだのではないかと考え、木梨憲武の死亡説が誕生しました。
この偽追悼番組は管理リアルに設定されており、石橋貴明も喪服を着たりしているなど番組自体の雰囲気や追悼番組の進行などがリアリティーの溢れる偽番組になっていました。
木梨憲武が盲腸で死亡?!追悼番組どっきりの流れ
まず最初に番組内容を特別番組の放送を行っていきますと視聴者に説明して番組が進んでいきます。その後は木梨憲武が死亡したということうや死因が盲腸であるということを説明します。
さらに急に木梨憲武が死んでしまって石橋貴明やその他芸能関係者も驚きを隠せないということを発言して番組が進んでいきました。
そのあと急遽石橋貴明とアナウンサーの後ろから木梨憲武が登場して、石橋貴明に対してツッコミを入れるというドッキリの流れになっていました。
相方石橋貴明が語る企画の理由とは?
この木梨憲武の追悼番組について相方である石橋貴明は普通にとんねるずとして復帰するのが面白くなかったからといった内容の発言をしています。
またこの番組での反響に対して、「あれくらい怒られたことはないよ」という発言もしています。
発案者は同番組プロデューサーの石田弘
木梨憲武の追悼番組の発案者はプロデューサーであった石田弘でした。彼は視聴者に対してどっきりを行いたいということで番組内で偽追悼番組を行ったということです。
木梨憲武の死亡ドッキリ企画は視聴率23%を叩き出している
このどっきりはフジテレビで30年間の間で最も苦情が寄せられたどっきりであったともいわれています。しかし、視聴率は高く、23パーセントの視聴率を出していました。
これは追悼番組という衝撃的な内容であったため、このように目を引く番組となり、高視聴率につながったのではないかと言われています。
木梨憲武のどっきりには元ネタがあった?
木梨憲武の追悼番組どっきりには元ネタがあったと言われています。このドッキリの元ネタであると言われるのが吉田拓郎のオールナイトニッポンです。
このオールナイトニッポンでも追悼番組風のラジオ放送をやっていたため、とんねるずでも同様のどっきりを行ったと言われて居間れています。
今回は木梨憲武の追悼番組の元ネタを紹介していきます。
元ネタと呼ばれるのは吉田拓郎のオールナイトニッポン
木梨憲武の追悼番組の元ネタになっていると言われているものが吉田拓郎のオールナイトニッポンです。このオールナイトニッポンでは「吉田拓郎死亡事件」というものが起きました。
吉田拓郎が1981年にオールナイトニッポンに急遽参加できなくなった際に、面白いことをやろうということで急遽吉田拓郎が死亡してしまったという内容の放送をしました。
その際もリスナーからの電話は鳴り続け、マスコミも誤ってしまうという緊急事態になりました。
吉田拓路が急遽出演出来なくなった為に企画された
オールナイトニッポンの場合は吉田拓郎がが急遽出れなくなり、それにうおって面白く話題性のあることができないかということで急遽死亡したということで番組を進めていました。
そのためそれ信じたマスコミやリスナーが駆けつけるという事態に発展しました。しかし30分後にはネタであったことを暴露しています。
結果リスナーからの問い合わせの他マスコミまでやって来る大騒ぎに
吉田拓郎がオールナイトニッポンで死亡したという様な内容でオールナイトニッポンは信仰していってしまいました。
そのためインターネットなどもない時代であったため、電話が殺到し、さらに収録現場にはリスナーや報道陣が駆けつけるという大きな騒ぎになってしまいました。
木梨憲武の死亡どっきりのその後は?批判やお叱りが多数!
木梨憲武の死亡ドッキリの後は様々な批判やお叱りがあった様です。これはインターネットが普及していないためテレビでの情報が大きかったということもありました。
そのためこの放送には様々なクレームやプロデューサーに対してお叱りがあったと言われています。
今回はこのどっきり企画のその後の影響を紹介していきます。
木梨憲武の追悼番組放送後は?フジテレビには大量のクレームが寄せられた
木梨憲武の追悼番組後にフジテレビには大量のクレームが寄せられました。クレームの数は800件以上のクレームがあったとも言われています。
これはこの番組を放送して30年間で最もクレームが寄せられたともいわれています。
SNSが普及していない当時は800件以上の電話クレームが殺到!
現在はSNSが普及しているため、すぐに調べたりすることができますが放送されている1991年はSNSは普及していませんでした。
そのためテレビからの情報が大きな情報であったため、この追悼番組に対してかなりのクレームが寄せられました。
クレーム数は800件以上のクレームがあり、その当時から30年間で最もクレームがあったと言われています。
発案者の石田弘は「あれほど怒られたことはない」と語る
プロデューサーである石田弘はこの番組の放送を行う際にただ復活するのでは面白くないと思い、このドッキリ企画を考案しました。
しかし800件以上のクレームも寄せられていたため、テレビ局の上層部からもかなり起こられていたようです。
そのため発案者の石田弘は「あれほど怒られたことはない」とも語っています。
石橋貴明の隣にいたアナウンサーは急遽呼び出された?
この追悼番組の際に石橋貴明の隣にいたアナウンサーである野崎昌一は急遽呼び出されました。これはもともと役員待遇であった露木茂に出演依頼をしました。
しかし出演できず、部長待遇の野間脩平にも断られ、急遽夜勤担当であった野崎アナが呼び出され出演するという形になりました。
木梨憲武は親戚にも叱られる
木梨憲武は親戚にも叱られました。これは自身の身内が死んでしまったと思い、親戚中がパニックになってしまったためです。
しかし、そのあと生きており、どっきりだったということをテレビで知り、親戚からもお叱りを受けていたようです。
木梨憲武の死亡どっきり企画に対するネットの反応は?
木梨憲武が死亡したというドッキリに対してネット上での反応は「今やったら大炎上しそう」ということや、「今だとやりにくくなったネタは多そう」などの発言があります。
また「不謹慎ていう割にはほかのコントでも死亡ネタをあつかっている」といった内容のコメントを見受けられます。
ネットが進みすぎて死亡ネタに限らずやりにくくなったネタは多そう
これ何がいかんのか分からん
信じたガキがいたっていうけどもし死んでたら番組より先にニュースになるだろ
不謹慎だっていうのなら他にも死亡ネタやってるコント番組なんかいくらでもあるだろ(引用:【悲報】木梨憲武さん、急死)
とんねるずの露出が減った事も原因の1つ
木梨憲武の死亡ドッキリはとんねるずのテレビ露出が減った原因の一つだと言われています。
これは、多くのクレームやテレビ局の上層部からプロデューサーが起こられるなどマイナスのイメージを与えてしまったため、とんねるずの番組露出が減った原因の一つであると考えられています。
企画の影響で現在も木梨憲武には盲腸で死亡説が浮上している
この脂肪企画の影響で現在も木梨憲武の死亡説が残っています。しかし、実際は木梨憲武は現在も活躍しており最近では「いぬやしき」などの映画でも活躍しています。
根本的に盲腸は死亡するリスクの低い病気です。盲腸は痛みは伴うものの、ほとんど死ぬケースがありません。
そのため、木梨憲武が盲腸で死亡するということはほとんどないです。
木梨憲武はまだまだ現役!死去はしておらず現在も活動中
木梨憲武は現在でもまだまだ活躍しています。現在は芸能界でタレントとして活躍するだけでなく、「いぬやしき」で俳優としても活躍しています。
さらに芸術家としても活躍しており、アート作品の展示会を行うなど幅広く活躍しています。
その他とんねるずのおかげです&おかげでしたの波紋を呼んだ事件
とんねるずの皆さんのおかげでしたは木梨憲武の死亡どっきり以外にも様々な問題が存在していると言われています。
これは死亡どっきり以外に樹海事件やセクハラ事件、保毛尾田保毛男事件など様々な事件があります。
今回はとんねるずが波紋を呼んだと言われる事件について紹介していきます。
樹海事件
とんねるずで波紋を呼んだ事件の一つに樹海事件と言われる事件が存在しています。これはロケ時にとんねるずが持ち込んだ発泡スチロールをばらまいて帰ってしまったという事件です。
これによって樹海周囲に住んでいる人からクレームがフジテレビに多く入ることになりました。それによって1994年4月から9月まで番組の放送休止につながりました。
セクハラ事件
1992年11月に当時56歳の稲村さち子から、石橋貴明とチーフディレクターがセクハラとして訴えられることがありました。
これは稲村さち子に対して石橋貴明がセクハラ発言をしたり不適切なテロップを入れるなどすることが原因で訴訟受けることになりました。
のちに稲村さち子対して謝罪して、示談することでお互いに和解しました。
保毛尾田保毛男事件
2017年9月にとんねるずのスペシャル番組内でのワンコーナーで「保毛尾田保毛男」を登場させたことでも話題になりました。
保毛尾田保毛男を復活させて同姓愛者をネタとして扱ったことに対して、LGBTの関連団体が声明を出して、謝罪を求めるなどの動きがありました。
木梨憲武の死亡の事実と現在
木梨憲武は実際に虫垂炎にかかっており番組を休んでいました。復帰する際にとんねるずの番組内で木梨憲武の追悼番組をし、死亡どっきりを行いまいした。
しかし番組内で木梨憲武が登場し、どっきりは終了という形で終わりました。しかし番組に対してクレームが殺到し、木梨憲武自身も親戚に怒られるということもありました。
そこから死亡したという噂が出てきました。しかし、実際木梨憲武は生きており現在は芸人やタレントとして活躍するだけでなく、芸術家としても活躍してからいます。