
前田敦子の全盛期が可愛い!オーラも凄い?センター伝説を紹介!
今や結婚し一児の母となった前田敦子さんですが、AKB48の全盛期でセンターを務めていた時のオーラのすごさは伝説となっています。秋元康さんのお気に入りでとても可愛い前田敦子さんの全盛期を追いかけていきます。そしてセンターを務めていた時の嫌われる理由も調べました。
目次
[表示]全盛期がヤバイ!前田敦子のプロフィールを紹介
まずは前田敦子さんのプロフィールを紹介します。
- 本名:勝地敦子
- 生年月日:1991年7月10日(28歳)
- 出身地:千葉県市川市
- 身長:161cm
- 血液型:A型
- 職業:女優、歌手
- ジャンル:テレビドラマ、映画、CM
- 事務所:太田プロダクション
2005年に行われたAKB48のオープニングメンバーのオーディションに見事合格し、アイドルとしての活動を始めた前田敦子さんは、AKB48劇場のグランドオープンの時の20名にも選抜され舞台に立ちます。
2007年には映画「あしたの私のつくり方」で女優デビューも果たします。同年AKB48としてNHK紅白歌合戦に出場するなど、知名度はどんどん上がっていきました。
AKB48選抜総選挙では2回も1位になるなど人気も頂点でしたが、2012年3月25日に行われたAKB48のコンサートのアンコールで卒業を発表し、8月27日の劇場公演でAKB48から卒業しました。
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前田敦子の全盛期が可愛すぎる!写真や動画は?
前田敦子さんがAKB48にいた時の全盛期が可愛いと評判です。その頃の写真や動画はあるのでしょうか?調べてまとめました。
前田敦子の全盛期の可愛い写真集!
全盛期の前田敦子さんの画像を集めました。今でも可愛い前田敦子さんですが、アイドルとして活躍していた時のオーラは別人のようです。すごさが垣間見えますね。
前田敦子の全盛期の可愛い映像も!
こちらは前田敦子さんの可愛い動画を集めたものです。プライベートのペットの映像などが見られます。
AKB時代のMVでも可愛すぎる!
前田敦子さんの全盛期のAKB48のMVを集めました。AKB48は制服風のコスチュームが多くてとても可愛いですね。また今では貴重な水着で撮影されたものもあり、見ごたえがあります。
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前田敦子は全盛期からオーラが凄かった!
前田敦子さんは全盛期からオーラが凄かったと話題になっています。前田敦子さんの魅力はどこから出てきて見出されたものなのでしょうか?調べてまとめました。
不動のセンターと呼ばれた前田敦子
前田敦子さんは不動のセンターと呼ばれていました。AKB48の振り付けを担当していた夏まゆみさんが始めに前田敦子さんのセンターとしての素質に気付き、抜擢したのです。
目立たなかった前田敦子さんの抜擢には皆が驚いたでしょう。しかし、前田敦子さんの軸がしっかりして長い手足を生かしたダンスを、夏まゆみさんは見抜いたのです。
また周りを引き立てつつ自分が中心で輝くという能力に長けていた事も、不動のセンターと言われてAKB48を引っ張ってきたゆえんでしょう。
センターになった曲は22曲!
インディーズの頃も含めて前田敦子さんが在籍していた間に発売されたシングルは28曲で、その内前田敦子さんがセンターを務めたシングル曲は22曲もあります。
それだけAKB48のセンターを務めてきた前田敦子さんは、本当に不動のセンターだったのでしょう。
秋元康も絶賛!前田敦子をセンターにした理由は?
AKB48のプロデューサーである秋元康さんは、前田敦子さんをセンターに推した人物の1人です。秋元康さんが前田敦子さんをセンターにした理由とは何だったのでしょうか?
それであるとき、何も分からない無垢な14歳の前田敦子に「君がAKB48のセンターで歌うんだよ」と言ったら、彼女は大声を上げて泣きながら「嫌だ」と言った。ほかの子たちはみんなセンターになりたいし、ソロ曲がほしいんです。僕のプロデュースで、その子がセンターに立つかソロ・デビューして“にんまり”しちゃうと、そこからはもうドラマが生まれないんです。だから前田敦子しかいない、というのがありました。
(引用:ITmediaビジネスONLiNE)
また秋元康さんは前田敦子さんが持っているオーラについても語っています。
オーラ。これは僕のなかでも、なかなか説明がつかないんですけど。まあ、イメージでいうと、アミノ酸みたいなものです。「このラーメン、なんでこんなにおいしいんだろう」と、地方の小さな屋台で思うことがある。一流ホテルがメニューに載せているラーメンを食べても、そんなふうには感じない。それにはアミノ酸なのかイノシン酸なのか知りませんけど、なにか特別なものが含まれているんですよ。前田敦子にも、そんな「なにか」がある。
(引用:ITmediaビジネスONLiNE)
秋元康さんには、前田敦子さんが持っているセンターの素質が見えていたようです。前田敦子さんが22曲ものセンターを務めた理由が分かりますね。
著名人からも前田敦子の評価は高い?
名だたる著名人の中にも前田敦子さんのオーラを感じた人はたくさんいるようです。演出家の蜷川幸雄さんは前田敦子さんを「アイドルという目線で見ないで欲しい」「女優さんとして見て欲しい」と語っています。
また映画監督の犬童一心さんは「くだらないことを躊躇や疑問なく挑戦する姿勢がいい」と前田敦子さんを女優として評価しています。同期の高橋みなみさんも「私は前田敦子にはなれない」と才能を認めています。
ベテラン俳優である渡部篤郎さんは共演して「逆に僕が引っ張ってもらえた」とコメントをしています。前田敦子さんはアイドルとしてだけではなく、女優としても伝説を数々作っているようです。
前田敦子の全盛期のすごさとは?数々の伝説を紹介!
前田敦子さんはAKB48に在籍していた全盛期時代に数々の伝説を残してきました。前田敦子さんの伝説やすごさとは何なのでしょうか?調べてまとめました。
前田敦子は「神7」と呼ばれたメンバー
前田敦子さんはAKB48の中でも初代の「神7」と呼ばれたメンバーの1人です。この言葉を聞いただけでもすごさが分かる気がしますね。
神7とは?メンバーは誰?
「神7」というのはAKB48で行われた選抜総選挙で7位までに入ったメンバーの事を指します。前田敦子さんは卒業するまでこの「神7」に選ばれていました。初代の「神7」のメンバーはこちらです。
- 前田敦子
- 大島優子
- 篠田麻里子
- 渡辺麻友
- 高橋みなみ
- 小嶋陽菜
- 板野友美
今では全員AKB48を卒業してしまいましたが、AKB48を人気絶頂に導いたメンバーです。
前田敦子がこれまでになかったアイドル像を作り出した!
前田敦子さんは自己否定型でマイペースな人間です。AKB48で4人組ユニットを作った時も「自分だけ目立ちたくない」と泣いたというエピソードがあります。
とてもマイペースなので誤解される事も多かったでしょう。しかし秋元康さんはそんな前田敦子さんだからこそセンターに推したといいます。その一方で前田敦子さんは一番センターに向いていないとも話しています。
そんな向いていない女の子が努力をして、栄光を掴み取っていく姿にファンは応援したくなるという心理を突いた戦略だったのです。同期の大島優子さんは「努力するストイックさ」が前田敦子さんの魅力と語っています。
選抜メンバーとして参加したシングル売上は100万枚を突破!
AKB48で行われている選抜総選挙で見事1位に返り咲いた前田敦子さんがセンターを務めた「フライングゲット」は162.5万枚を売り上げています。これは応募券が付いていないシングルとしては最高枚数です。
また「真夏のSounds good!」や「Everyday、カチューシャ」「風は吹いている」「GIVE ME FIVE!」など、前田敦子さんが選抜されているシングルは100万枚を突破しているのです。
前田敦子さんのオーラや伝説を感じられる数字ですね。
メンバーとの感動エピソードも
先ほど紹介した4人組ユニットでデビューするという話を聞いて、前田敦子さんが泣いたのには目立ちたくない以外にも理由がありました。4人組ユニットとは名ばかりで実質他の3人がバックダンサー扱いだったのです。
同年代で他のメンバーもこの構成を嫌がっていると聞いていた前田敦子さんは、他のメンバーの気持ちを考えて涙を見せたのです。この事はのちに他のユニットメンバーも知る事になります。
自分が前に出る事だけを考えずに仲間の事を考えられる前田敦子さんの優しさが分かるエピソードですね。
AKB時代の待遇もすごかった!
前田敦子さんがAKB48時代の待遇も高待遇だったそうです。家は高級マンションですが家賃は無料、送迎バスで家まで送ってもらえる、またはタクシーチケットがもらえて交通費は全く掛かりませんでした。
イベントやコンサートには豪華なケータリングが付いて、新幹線でもお弁当は必ず支給されました。また某系列店での飲食代が無料だったので食費にも困らない生活でした。
高級エステも無料で通わせてもらえたそうなので、本当に凄い待遇だったのですね。
前田敦子の全盛期は年収がヤバイ?
前田敦子さんの全盛期は年収も凄かったそうです。一番高い時で4000万円もの収入がありました。20歳の女の子が稼ぐ金額とは思えないような金額です。
全盛期の前田敦子は嫌われ者だった?
全盛期の前田敦子さんは人気も凄かったですが、嫌われている事でも有名でした。なぜ人気絶頂の最中に嫌われる理由があったのでしょうか?前田敦子さんの嫌われる理由を調べました。
2000年で最も嫌われたアイドルと呼ばれた前田敦子
2000年で最も嫌われたアイドルとまで言われている前田敦子さんですが、なぜそんなに嫌われていたのでしょうか?当時は何をしても前田敦子さんが叩かれるという風潮でした。