

樹木希林の娘・内田也哉子が母と最後の別れ!夫や子供との現在は?
樹木希林と内田裕也の一人娘である内田也哉子は、母ががんに侵され死に至るまで献身的に支え続けました。父の内田裕也が他界した時は独特のスピーチで周囲を驚かせました。母親とそっくりといわれた彼女の生活や、執筆した本や現在の夫や子供等についてご紹介いたします。
目次
[表示]- 01.
樹木希林の娘・内田也哉子とは?母親とそっくり!?
- 01.1.
樹木希林の娘・内田也哉子のプロフィールと画像
- 01.2.
2005年音楽プロジェクトSighBoatを結成
- 01.3.
内田也哉子の主な出演作品・著書は?
- 01.4.
内田也哉子は樹木希林の闘病生活を支えていた!
- 01.5.
内田也哉子が樹木希林から受け取ったバトンとは?
- 01.6.
内田也哉子は母親のことをどう思っていた?
- 02.
樹木希林の娘・内田也哉子は結婚してる?夫・本木雅弘との馴れ初めは?
- 02.1.
内田也哉子が15歳の時に本木雅弘と知りあう
- 02.2.
内田也哉子が17歳の時にプロポーズ!1995年に結婚
- 03.
樹木希林の娘・内田也哉子に子供はいる?
- 03.1.
1997年、長男の雅樂を出産!現在はモデルとして活躍中!
- 03.2.
1999年、長女・伽羅を出産!現在は女優として活動!
- 03.3.
2010年、次男・玄兎を出産!通っている学校は?
- 04.
樹木希林の娘・内田也哉子の生い立ちは?
- 04.1.
スイスのジュネーブのインターナショナルスクールへ留学
- 04.2.
幼少期は父親が家にいない生活を送る
- 04.3.
子供の頃は強烈な両親に育てられたことで苦悩していた!
- 04.4.
父・内田裕也のお別れ会でのスピーチに反響
- 05.
さよならロックンロール!!
樹木希林の娘・内田也哉子とは?母親とそっくり!?
樹木希林にそっくりだといわれる娘の内田也哉子とはどんな人物なのか、ご紹介してまいります。
樹木希林の娘・内田也哉子のプロフィールと画像
内田也哉子は、女優の樹木希林とロック歌手の内田裕也の一人娘として生れました。父親は家庭を顧みない人で、家にいないことが殆どだったといいます。
しかし、妻の樹木希林は夫が離婚を申し入れても断り、別居夫婦として生涯を遂げます。そんなことで、内田也哉子は母親の背中だけを見て育てられました。
- 芸名:内田也哉子
- 職業:日本のエッセイスト、歌手、女優
- 生年月日:1976年2月11日
- 出身地:東京都
- 両親:父・内田裕也、母・樹木希林
- 夫:本木雅弘
内田也哉子は、9歳までを都内のインターナショナルスクールに通い、1年間ニューヨークにホームステイした後に、帰国して都立高校で2年間学び、再びスイスに留学します。
学生時代をニューヨークやジュネーブ、パリなどで過ごし、東京ではインターナショナルスクールに通っていたため、語学は堪能で生活や趣味も海外の影響を大きく受けています。
日本の俳優である本木雅弘の通訳を務めた際に見初められ結婚し3人の子供をもうけます。母の影響もあり、女優や歌手活動も行い、エッセイストとしての活躍も有名です。
2005年音楽プロジェクトSighBoatを結成
内田也哉子は、2005年にユニット 『sighboat』を結成し、そのユニット名の名付け親ともなっています。ボーカルと作詞などを担当し結成した年にアルバムを出してデビューしました。
彼女の誌と歌が独自の世界を作り出し、渡邊琢磨や鈴木正人らと不思議な音楽観でファンを魅了しています。2010年に2枚目のアルバムも発表しています。
内田也哉子の主な出演作品・著書は?
内田也哉子は女優としても母親と同じように独特の演技で観る人たちに感動を与えてくれます。出演作品は多くはありませんが、記憶に残る作品が多いのも事実です。
2007年に公開された、映画『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』は、作者であるリリー・フランキーをモデルにした小説を映画化したものです。
この作品は、第31回日本アカデミー賞を総なめにした傑作で、母の樹木希林は最優秀主演女優賞を受賞し、内田也哉子は新人俳優賞を受賞しています。
2016年に公開させた、映画『わが母の記』は井上靖の自伝的小説の実写版で、この作品は第35回のモントリオール世界映画祭審査員特別グランプリを受賞した作品です。
この作品でも母の樹木希林は、第36回日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞しています。2つ作品で内田也哉子は、母の樹木希林が演じた役の若い時の姿を演じています。
内田也哉子は母の樹木希林と同じように、独特な演技で観る人を惹きこむ魅力があり、その後もドラマや映画、CMに出演しています。
彼女の本職ともいえるエッセイにも多くのファンがいます。1996年に出版された『ペーパームービー』は、彼女自身の生い立ちや、夫の本木雅弘との出会いや家族の生活を綴っています。
「吉本ばなな」の再来と絶賛された作品は、内田也哉子の独特の感性で描かれており、文章は読みづらいと評する人もいますが、彼女の素直で魅了的な内面が見えると人気です。
彼女は語学力に長けており、絵本の翻訳活動なども積極的に行っています。また幼児教育への活動も熱心で、地方講演なども精力的に行っているようです。
内田也哉子は樹木希林の闘病生活を支えていた!
内田也哉子の母である樹木希林は、2013年にアカデミー賞の授賞式で全身がんであることを、受賞スピーチで話しています。映画の撮影時から、一緒に出演した娘は付き添っていました。
その後も病気と闘いながら映画やテレビに出演していた樹木希林ですが、娘の也哉子は住居があるロンドンを離れて母親の闘病生活を見守っていました。
2015年には、内田也哉子の娘で樹木希林の孫である内田伽羅との久しぶりの共演となり、二人でそばにいましたが、最後まで母親を支え続けたのは、一人娘の内田也哉子でした。
内田也哉子が樹木希林から受け取ったバトンとは?
樹木希林は、若い人たちが死に急ぐ姿を見るのが耐えられなかったようです。そして、それを助けてあげられないもどかしさを「無力」であると嘆いていました。
彼女は、「9月1日」を特別な人考えていたといいます。最も若者の自殺者が発生する日がこの日で、夏休みの終わりとともに不登校となったり、命を絶つ手段をとるのです。
樹木希林娘の内田也哉子は、母親が病室で窓越しに外に向かって話しかけているのを聞いたと言っています。
「死なないで、ね……どうか、生きてください……」
(引用:withnews)
その日は9月1日でした。願いと祈りが届くように語りかけていたのだろうと話していました。生きづらいと考える子供たちメッセージを届けたいと思い、何度も声に出していたようです。
何も知らなかった内田也哉子は、母親の気が触れてしまったのかと思い、繰り返し外に向かって語りかけている母親に、何をしているのか尋ねたそうです。
「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」
「もったいない。あまりに命がもったいない……」
(引用:母からのバトン)
年と取り老いれば「がん」になったり、「脳卒中」で死ぬことも避けられないのに、これからどうにでもなる大事な命を自ら断ち切ってしまうなんて「もったいない」と言っています。
樹木希林は、窓から話しかけた日の2週間後に、この世を去りました。死の1ヶ月前からは何度も危篤状態に陥っており、小さな新しい命がかけがえのないものだと也哉子にも伝えたようです。
樹木希林が死んでから、内田也哉子のもとに、「母親の樹木希林について書いて欲しい」との依頼が何度もあったといいます。しかし、彼女はどう応えていいか悩んでいたそうです。
そこにある編集者から、不登校の子供たちへのメッセージとして、樹木希林が生前に行っていた不登校問題の講演や記事をまとめて本にしたいとの依頼があったそうです。
それを聞いた内田也哉子は、これこそが母親が自分に託し渡されたバトンだと感じとり、「母からのバトン」と題して執筆することを決めたのです。
「母からのバトン」という本を通して内田也哉子は、樹木希林から受け継いだ言葉や思いを、たくさんの子供たちに伝え続けています。
内田也哉子は母親のことをどう思っていた?
内田也哉子は、樹木希林のことを「人前で恥ずかしいことを平気で話す」厄介な母親であったと言っています。
また、父の内田裕也は、たまに帰ってくれば文句を言ったり暴力をふるうだけで、母親はなぜ離婚しないのかと思ったことも一度ではなかったようです。
しかし、若い時分に父が母に送った手紙を見つけ、母への思いも変わったといいます。その手紙には、いつもの父親からは想像できない思いの詰まった言葉が並んでいたそうです。
晩年の母親の繰り返す言葉は、「夫に何もしてあげられなかった」ことを後悔する言葉ばかりで、そんなキレイごとを言う母親が嫌いだったと言っています。
しかし、母の樹木希林は、いつも真顔で話しており、自分のせいで夫の一生を台無しにしてしまったとまで言っていたとそうです。
二人が亡くなった今は、少しづつその気持ちも理解できるようになり、特にいつもそばで教えてくれた母親の言葉を思い出し、かみしめるようになったといいます。
樹木希林の娘・内田也哉子は結婚してる?夫・本木雅弘との馴れ初めは?
内田也哉子と夫となった本木雅弘との馴れ初めや、結婚までを振り返ってみます。
内田也哉子が15歳の時に本木雅弘と知りあう
内田也哉子が現在の夫である本木雅弘と出会ったのは、彼女が15歳の時でした。。母の樹木希林に父である内田裕也と一緒に食事するようにいわれたそうです。
そのとき父の内田裕也は本木雅弘と映画で共演しており、食事の席に本木雅弘もいて一緒に食事をしたそうです。この時にはお互いに特別な感情はなかったといいます。
その翌年に本木雅弘は、アカデミー賞の授賞式でのナレーターの仕事を受けてアメリカに行くことになり、16歳で留学中だった内田也哉子が通訳をしてくれることになったそうです。
内田也哉子が17歳の時にプロポーズ!1995年に結婚
留学を終えた内田也哉子は日本に帰国しました。帰国してからも本木雅弘とは文通していたそうです。特に交際などはしていませんが、本木雅弘の方が夢中になったようです。
内田也哉子がまだ17歳の時、正式な交際もしないまま10歳年下の彼女に、本木雅弘はプロポーズしたそうです。
「私には白髪のあなたが想像できるし、そういうあなたが愛おしいと思える気がする。 今すぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」
(引用:entertainment-topics)
この素敵な言葉をもらった内田也哉子は、2年後の1995年に求婚を受け入れて、19歳で本木雅弘と結婚しました。
樹木希林の娘・内田也哉子に子供はいる?
二人の結婚の際に、母親の樹木希林の方から申し出があり、「内田」の姓を残したいとのことで本木の婿養子を願い出たそうです。
そして、結婚から5年のうちに二人の子供に恵まれた二人は、また母親である樹木希林から同居の提案があり、子供のためにも一緒に住むことが良いと考えて二世帯住宅での生活を始めます。
それから、約10年後にも第三子を授かった内田雅弘夫妻は5人家族となり、祖父母と合せて7人の大所帯となりました。
1997年、長男の雅樂を出産!現在はモデルとして活躍中!
最初に生まれたのは長男の雅楽(うた)で、内田家の遺伝なのか今では195cmを超える身長で、バスケットのプロを目指して頑張っているようです。
彼は幼少の時より母の也哉子と同じようにインターナショナルスクールに通っていたため、語学には堪能でした。
祖母の樹木希林も雅楽を可愛がっていて、樹木希林が出演した映画『わが母の記』が、カナダのモントリオールで行われた世界映画祭には内田雅楽を通訳として同行させています。
雅楽は祖母とともに試写会でカメラの前にも樹木希林と立ち、「映画が大好きな13歳の孫」と紹介されています。
彼は父親に負けないイケメンであり、父親以上の長身であったため、モデルのスカウトの目にとまりました。彼はバスケットに夢中だったので、モデルの仕事は悩みました。
しかし、祖母・樹木希林の助言により、広く世界を見たり、モデルという仕事で自分を客観視してみるのも良いのではと言われ、モデルにチャレンジする事を決心します。
2018年には、あの「パリコレ」にモデルデビューして話題となり、以降も得意のバスケットボールとモデルの二つをこなしていましたが、現在はバスケットに集中しているようです。
1999年、長女・伽羅を出産!現在は女優として活動!
1999年に生まれた長女の伽羅(きゃら)は、兄の雅楽と同じようにインターナショナルスクールに通い、その後はイギリスに留学しました。
彼女が幼少期の2009年には、ドキュメント映画「eatrip」に、母の内田也哉子ととともに出演しています。そして本格的なデビューとなったのは2010年になります。
『FURUSATO‐宇宙からみた世界遺産‐』で女優デビューした後に、2011年に公開された映画「奇跡」に出演し、初めて祖母の樹木希林との共演が実現します。
このあとに彼女はロンドンに留学しますが、2015年に祖母の樹木希林が主役を務める、映画「あん」に出演する事になり、イギリスと往復しながらの撮影となりました。
もう、既に体調を崩していた樹木希林ですが、役者の意地をみせて孫との共演で演技指導もしたようです。指導というよりは本物の演技を見せつけたといった感じです。
映画『奇跡』では、高崎映画祭最優秀新人賞を受賞し、そのまま女優の道を歩むかと思われましたが、現在は学業に専念するため、ロンドンに戻っているようです。
2010年、次男・玄兎を出産!通っている学校は?
内田雅弘一家は、現在ロンドンに在住のようで、次男の玄兎(げんと)は、日本人学校へは通わずに兄や姉と同じようにインターナショナルスクールに通っているそうです。
樹木希林の娘・内田也哉子の生い立ちは?
樹木希林と内田裕也の唯一の子供である、内田也哉子の生い立ちや、それにまつまるエピソードなどをご紹介します。
スイスのジュネーブのインターナショナルスクールへ留学
内田也哉子は、8歳までを都内のインターナショナルスクールに通い、9歳になると1年間だけニューヨークに行きホームステイした後に帰国しています。
その際に、幼少期に通っていたインターナショナルスクールが無認可であったことが発覚します。役所からは、無認可であるため日本の義務教育を再履修する必要があると言われました。
驚いた也哉子は、母親がてっきり抗議するものと思っていたようですが、全く違う反応だったのです。
「そうですか、ではそのようにいたします」
「今まで自分たちが勝手に、決まりを守らないでいて、今度も勝手に戻りたいとわがままを言っているのだから、相手のルールにしたがうのが当たり前」
(引用:entertainment-topics)
この件については、樹木希林が一切反論せず自分たちの非を認めたため、普通に進学できたそうです。
また、インターナショナルスクールから都内の高校に入学した際には、也哉子は周囲に馴染めずに泣いていたこともあったと言います。
「よほど自分がかわいいのね」
「そんなに自分が可哀そうなの?」
(引用:entertainment-topics)
こんな風に泣いている也哉子に向って、樹木希林は呆れ顔で嫌味のように言ったそうです。
樹木希林の潔さと強さ、そして曲げない信念には驚く人も多かったようです。
その後に、スイスのジュネーブにあるンターナショナルスクールに留学しました。
幼少期は父親が家にいない生活を送る
内田也哉子は、幼少の頃から父親が家にいることが殆どなかったため、母親と二人で暮らす毎日でした。
本木雅弘と結婚したあとも、どう接していいか分からなかった事もあったといいます。初めての体験で、彼女には大きなカルチャーショックだったといいます。
子供の頃は強烈な両親に育てられたことで苦悩していた!
父の内田裕也は強烈な伝説をいくつも残していますが、娘の也哉子にとっては母親の樹木希林の考え方や行動も強烈だったようです。也哉子の幼少期の話です。
「学生の頃、周囲と同じように女の子が好きそうなキャラクターの文房具が欲しいとせがんでも、シンプルな文房具しか買ってもらえなかった」
(引用:thetv)
芸能人であり、金銭的にもそれほど困っていたわけではないようですが、樹木希林の考え方は違いました。みんなが持っているとかいう価値観は、彼女には通用しないのです。
内田也哉子が言っていますが、「人と同じ事に価値観を見出さない」という独特のものでした。そこから也哉子の独特な価値観も育っていきました。
しかし、幼少期の「みんなと同じものがいい」という子供心は、傷ついて途方にくれたこともあると話しています。
父・内田裕也のお別れ会でのスピーチに反響
内田裕也のお別れ会の挨拶を誰がするのかも注目されましたが、やはり一人娘である内田也哉子がスピーチし、その内容についても大きな反響がありました。
母親の樹木希林は、夫の内田裕也を「内田裕也には純な部分がある」偽りがないのが魅力だと言い、次のようにも表現しています。
「こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない」
(引用:entertainment-topic)
内田也哉子はこの言葉を理解し、世の中の矛盾の全てが父親である「内田裕也」であったと話していました。
そして娘の内田也哉子は、父親に最後の言葉を捧げました。
2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。
79年という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。
Fuckin\’ Yuya Uchida,
don\’t rest in peace
just Rock\’nRoll!!(引用:jisin)
全てを受け入れて楽しんでいる、もはや樹木希林とソックリです。彼女のスピーチは悲しみを楽しんでいるかと思える表現さえ見受けられます。
そして、これを聞いた多くの人からは、彼女への賛辞や感動のコメントが多く寄せられました。
『内田裕也さん 樹木希林さん このお2人の娘さんだからこそ伝えられる、伝わってくるんだろう…… 何故かじんわり涙が流れてくる感じだった』
『言葉を仕事にする人に読んで欲しい。詩的であり、論理的であり、当事者的であり、第三者的。締めを別次元に飛ばす感性。才能という言葉でしか説明がつかない言葉選びと言葉運びがただ、すごい』
『これはちょっと、すさまじいな。名文ではなかろうか、ロックンロールではなかろうか』
(引用:jisin)
こんな喪主の挨拶は聞いたこともありませんし、二度と聞けない言葉でしょう。
『内田裕也 Rock’n Roll葬』というフェスティバルで見事に二人を主役に祭り上げた娘は、二人のDNAを受け継いだ大物アーティストでした。
さよならロックンロール!!
樹木希林と内田裕也の一人娘である内田也哉子は、俳優の本木雅弘と結婚し3人の子供の母親となりました。
子供たちは、也哉子と同じようにインターナショナルスクールに通い、それぞれの道を歩もうとしています。
生活をともにすることが殆ど無かった父親の葬儀で、娘の也哉子は父親に負けないくらいの強烈な「ロックンロール魂」を見せてくれました。
今度は、母親に負けないくらいの破天荒な子育て術を見せてくれるに違いありません!!