宮沢りえと貴乃花の婚約破断の理由・真相は⁈気になる現在の関係性も・・・ 女優

宮沢りえと貴乃花の婚約破断の理由・真相は⁈気になる現在の関係性も・・・

現在、日本を代表する実力派女優として知られる宮沢りえさん。最近はV6の森田剛さんとの再婚が話題になっていましたが、過去に貴乃花と婚約していたことがあります。しかしたった2か月で破談になっています。一体何があったのか、その真相にせまります。

世紀のカップル!宮沢りえと貴乃花の婚約会見

1992年11月27日、貴乃花(当時は貴花田)と宮沢りえの電撃婚約会見が行われました。国民的人気を持つ二人のスーパースターの婚約にマスコミは連日のようにこぞって報道を繰り返し、世間は祝福モードいっぱいで大変話題になりました。

まだ当時宮沢りえは19歳、紅白での中継出演やカレンダーでのふんどしルック・ヌード写真集「Santa Fe」などが話題になったり、また歌手・女優としても順調でこれからもっと活躍を期待されていました。

相手の貴乃花は20歳、花田家の次男として子供のころから注目を浴び、お兄さんの若乃花と共に相撲界入りし、相撲ファンの枠を超えた大変な人気を誇っていました。力士をしてもこれからという大関昇進前の大事な時でした。

宮沢りえの芸能界引退が結婚の条件?

婚約会見の前相撲協会主導で婚約の話が具体的に進む中、結婚の条件として宮沢りえの芸能界引退の話が出ました。将来を有望視され、未来の横綱・親方の期待の高かった貴乃花ですから当然のことでしょう。宮沢りえ、そして宮沢りえの母・光子も了承をしたということです。

貴乃花と宮沢りえの衝撃の婚約会見から2か月後の婚約破断会見!

人気絶頂の若い二人のとても幸せそうな婚約会見に世間もお祝いムード一色でしたがそのたった2ヶ月後の1993年1月、なぜか婚約破談の発表がありました。当時、世間に与えた衝撃は婚約発表より強かったかもしれません。

貴乃花と宮沢りえの婚約破断の理由は?

婚約破断の会見は貴乃花が大関昇進を決めた日に行われました。会見で貴乃花からでた言葉は「連絡もとってないし、会ってもいません」「彼女への愛情がなくなりました」でした。その2日後、宮沢りえが「残念です」と破局の会見でこたえています。

貴乃花・宮沢りえの婚約破断の裏にりえママこと宮沢光子の影?

当時、宮沢りえの母・宮沢光子が宮沢りえの仕事の一切を取り仕切っており、世間にもりえママとしてかなりの知名度を持っていました。この母・光子が婚約破断の理由なのではという話も当時浮上しています。

母・光子と貴乃花の不仲?宮沢りえの芸能界引退に反対?

婚約後、母・光子は娘・宮沢りえを引退させる気はないと言い出しました。婚約によって注目を浴びもったいなく思ったのか、もともとその気がなかったのか真意は不明ですがこれにより事態は変わっていきました。

当時の週刊誌などには、貴乃花が「娘を商品としか見ていない」と母・光子を非難したとか、母・光子が貴乃花に「横綱になってないのにりえと結婚はさせられない」というようなことを言ったなどいろいろ書かれています。

美川憲一から明かされた貴乃花・宮沢りえの婚約破断の真相!

結局、母・光子が原因なのか、まだまだ若い二人の気まぐれなのか、無責任な男の行動なのかなどさまざまな憶測や意見が世間を駆け回りました。しかしこの婚約破断の真相は20年以上たった1994年、美川憲一によって明かされました。

母・光子は娘・りえをどうしても女優にしたかった

一度は宮沢りえの引退を承諾したようですが、宮沢りえは女優としてまだこれからという時、母・光子はどうしても宮沢りえを女優にしたかったのでしょう。貴乃花と結婚して引退、将来は女将になるという道はどうしても阻みたかったのです。

そこで母・光子は親しかった美川憲一へ宮沢りえの結婚について相談しました。母・光子から結婚を考え直すように説得を頼まれた美川憲一は宮沢りえの説得へ乗り出し婚約をぶっ壊したというのが真相だったのです。

美川憲一は宮沢りえをどう説得したのか・・・

美川憲一は当時ロサンゼルスに滞在していたため、宮沢りえと電話で1時間ほど話し込んだようです。美川憲一が「本当にお嫁に行きたいの?」と聞くと、宮沢りえはもちろん「行きたい」ときっぱり答えました。

そんな宮沢りえに美川憲一は「あんたは背負ってるものが重すぎる。あんたも母一人子一人。私も2人の母(生みの母と育ての母)を背負ってきた。そういう家庭に生まれたらしょうがない、運命だから。おかみさんになったら、お母さんどうするの?ずっと面倒みていかないといけないのよ」と語りかけます。

宮沢りえは、電話の向こうで泣いていたそうです。それでも、美川憲一は「あんたもここで、好きだから、って一緒になるんじゃなくて。もう一回考え直して。女優として大成するんだから」と説得したことを明かしています。この説得で宮沢りえは貴乃花よりも母・光子をとったのです。

母・光子の異常なまでのプロデュース

母・光子の宮沢りえの女優としての成功へのこだわりはすごいものがありました。娘へ自分の夢を託した母という単純なものではありませんでした。ヘアヌード写真集の発売に関しても母・光子の独断で決められ宮沢りえ本人の気持ちは二の次だったようです。

また女優としての地位を築いていくために、まだ若い自分の娘にプロデューサーや共演相手の芸能人に枕営業さながらのことを勧めていたという話もあります。婚約破断にはそんな母・光子の力が大きく働いていても何の不思議もありません。

婚約破断後の宮沢りえ

婚約破断後、宮沢りえは女優として映画やドラマそして舞台やCMなど日本の作品だけでなく海外作品にも出演し活躍しています。しかしその反面私生活では、数々の有名人と恋愛遍歴を重ね恋多き女としてマスコミに取り上げられることもありました。

マスコミからのバッシングなどの影響か一時拒食症によってか激やせになり、アメリカへ移住し芸能活動を休止していた時期もありましたが、2002年激やせを克服し本格的に芸能活動を再開し現在にいたります。

貴乃花・宮沢りえの婚約破断後、現在の関係性は??

この世間を大きく騒がせた婚約破断のニュースから25年が過ぎ、宮沢りえは現在45歳、数々の恋愛遍歴や結婚・離婚を経験してきましたが、2018年V6の森田剛と再婚し幸せに暮らしています。

かたや貴乃花も婚約破断騒動後関取として大活躍、平成の大横綱として強い人気を誇っていました。元女子アナウンサーの河野景子と結婚し、引退後は親方として尽力していますが最近は相撲協会との問題で何かと話題になっています。

最後に一度あっていたふたり

現在はもう接点のないふたりですが、実は破局が決まった一度だけ宮沢りえと貴乃花はあっていました。その時宮沢りえが貴乃花に「強い横綱になってください」と最後につたえました。それがふたりの最後でした。

宮沢りえプロフィール

1973年4月6日生まれの45歳、本名は森田りえ(旧姓:宮沢)、母は日本人・父はオランダ人のハーフで東京都練馬区出身です。エムツー企画に所属するタレントで女優、歌手、ファッションモデルとして活躍しています。

幼少時代からモデルとして活動していたことや、母・光子の影響などで同年代のタレントやビートたけしや桃井かおりなど年の離れた芸能人とも仲が良くその交友関係は政財界から芸能界の大物まで幅広いものとなっています。

主な芸能活動

1985年小学6年生の時に「チャルメラ」のCMで芸能界デビューしています。1987年には初代リハウスガールとして話題を集め、翌年「ぼくらの七日間戦争」で主演を務め新人賞を受賞、この作品で女優デビューを果たしています。

その後ヘアヌード写真集や母・光子の存在、婚約破断などさまざまな話題でマスコミの注目を集めています。2002年以降、映画「たそがれ清兵衛」の成功などで女優の活動の幅がひろがり、実力派女優としての地位を築いています。また最近は「ヨルタモリ」で司会を務めるなど活動の幅を広げています。

貴乃花プロフィール

1972年8月12日生まれの45歳、四股名は貴乃花光司(婚約時は貴花田光司、本名は花田光司)で現在は貴乃花部屋の親方をしています。身長185センチ、体重は現役時代は161キロ、2016年現在は73キロです。

1988年3月場所で初土俵を踏み、2003年1月場所で引退しています。昭和の大横網千代の富士の引退のきっかけを作り、第65代横綱として生涯戦歴は794勝262敗201休(90場所)、幕内最高優勝22回(歴代6位)また数々の最年少記録を残し平成の大横綱として大変な人気を誇っていました。

人物像と引退後の活躍

父は貴乃花利彰、兄は若乃花勝(3代目若乃花)、伯父は初代若乃花、義理のいとこは2代目若乃花と相撲一家で育っています。妻は河野景子(元アナウンサー)で1男2女の子供に恵まれ、長男の花田優一は現在、有名な靴職人として知られています。

現役引退後、相撲協会の改革を目指し2010年に一門から離脱し最年少で理事に立候補しマスコミに「貴の乱」と称され話題になりました。その後もさまざまな相撲協会に対し動きを起こし「相撲協会の風雲児」と報道されたこともあります。現在は理事は解任されています。

若い二人を引き裂いたものは・・・

]

確かにまだ19歳、20歳ととても若い二人の結婚は周りの大人たちのさまざまな意見や思惑などがどうしても絡んできます。将来が有望視されていた二人は特にその影響が大きかったでしょう。結果、宮沢りえと貴乃花は婚約破断という道になってしまいました。

実際のところはわかりませんが、婚約破断の真相を知ると婚約破断の会見での貴乃花の言葉は宮沢りえを守る精一杯の言葉だったのではと思えてしまいます。自分が悪者になることが貴乃花の愛情だったように感じます。現在はお互い改定を持ち幸せにに暮らしいる二人ですがこの婚約破断は忘れられない思い出でしょう。