

上原浩治の年俸は?一時は10億を突破したことも!?生涯年俸は?
読売ジャイアンツのエースとして活躍し、米メジャーリーグでも活躍した上原浩治さん。日本時代は巨人で、米大リーグではレンジャースやレッドソックスなど様々な球団を渡り歩きました。2018年に引退した上原さんはその生涯でいったいどれほどの年棒を稼いだのでしょうか。
目次
[表示]- 01.
雑草魂・上原浩治の年俸が気になる!
- 02.
年度別に見る上原浩治の年俸推移【日本編】
- 02.1.
1998年にプロ入り!1999年の年俸は1300万で20勝をあげる
- 02.2.
2000年、年俸6000万!怪我や事故で9勝7敗
- 02.3.
2001年・年俸7600万!怪我の影響で規定未到達?
- 02.4.
2002年・年俸1億600万!1億の大台を突破!
- 02.5.
2003年、年俸2億1千万!最多奪三振を獲得!
- 02.6.
2004年、最優秀防御率を獲得!年俸は3億に達する
- 02.7.
2005年、3億5千万!自身初の負け越し
- 02.8.
2006年、3億4千万!WBCなどで活躍するも2年連続で負け越し
- 02.9.
2007年、3億1千万!リリーフとして活躍
- 02.10.
2008年、4億に到達!北京五輪にも出場でメジャー挑戦へ
- 03.
年度別に見る上原浩治の年俸推移【メジャー編】
- 03.1.
2009年、年俸6億でオリオーズに移籍!故障で12登板に終わる
- 03.2.
2010年、年俸6億!リリーフで起用され活躍
- 03.3.
2011年、年俸5億!トレードでレンジャーズに移籍
- 03.4.
2012年、年俸5億!故障し一時離脱?復帰後は抜群の安定感を発揮
- 03.5.
2013年、争奪戦の末レッドソックスに移籍!年俸は5億
- 03.6.
2014年、年俸6億!クローザーに定着するも後半は乱調に
- 03.7.
2015年、年俸10億!日米通算100Sを達成
- 03.8.
2016年、年俸10億!カブスに移籍
- 03.9.
2017年、年俸7億!メジャー最後の年に
- 04.
年度別に見る上原浩治の年俸推移【日本帰国編】
- 04.1.
2018年、年俸2億!古巣である巨人に復帰
- 04.2.
巨人と年俸5千万で再契約?5月20日には引退を表明
- 05.
上原浩治の生涯年俸は?
- 06.
高年俸だからこそ!上原浩治の持ち物がすごい⁉︎
- 07.
上原浩治は球史に残る名投手
雑草魂・上原浩治の年俸が気になる!
上原浩治さんは東京読売ジャイアンツ(巨人)でエースとして活躍し、メジャーリーグに移籍してからもその活躍は目覚ましいものでした。そんな上原さんの年棒や、生涯に稼いだ金額はどれほどだったのでしょうか。
日本プロ野球界でも屈指の年棒を誇り、メジャーでもかなりの額を貰っていたと考えられる上原さん。ではまず、上原さんのプロフィールを見ていきましょう。
- 生年月日:1975年4月3日
- 出身地:大阪府
- 身長:187cm
- 体重:87kg
- ポジション:投手
上原さんは投手として大阪体育大学を卒業し、1998年に逆指名によって読売ジャイアンツに入団しました。その後はジャイアンツでエースとして活躍し、メジャーリーグに挑戦し成功をおさめます。
年度別に見る上原浩治の年俸推移【日本編】
日本プロ野球、メジャーリーグで活躍した上原さんですが、まずは日本でプレーした間の年棒の推移を見てみましょう。
1年目 | 1999年 | 1300万円 |
2年目 | 2000年 | 6600万円 |
3年目 | 2001年 | 7600万円 |
4年目 | 2002年 | 1億600万円 |
5年目 | 2003年 | 2億1000万円 |
6年目 | 2004年 | 3億円 |
7年目 | 2005年 | 3億5000万円 |
8年目 | 2006年 | 3億4000万円 |
9年目 | 2007年 | 3億1000万円 |
10年目 | 2008年 | 4億円 |
上原さんが日本プロ野球の読売ジャイアンツに所属していた10年間の年棒推移です。年棒には前年の成績が大きく影響するので、次に上原さんの成績やシーズンでの貢献を細かく見ていきましょう。
1998年にプロ入り!1999年の年俸は1300万で20勝をあげる
上原さんは1999年に逆指名による1位指名で読売ジャイアンツに入団します。その年の年棒は1300万円で、シーズン1年目の新人にしていきなり20勝を挙げ新人王になります。
この年は松坂大輔さんも入団した年だったためセ・リーグの上原さん、パ・リーグの松坂さんと新人投手がかなり活躍した年となりました。
2000年、年俸6000万!怪我や事故で9勝7敗
プロ1年目の活躍により年棒は約4倍の6000万円になりました。しかし、プロ2年目は怪我や事故などに悩まされ、2桁勝利とはならず前年ほどの活躍ができませんでした。
2001年・年俸7600万!怪我の影響で規定未到達?
プロ3年目となった2001年ですが、上原さんはまたもや怪我に泣きます。なんとか10勝に到達したものの、規定投球回に達せず防御率も4点台と思ったほどの結果は残せませんでした。
2002年・年俸1億600万!1億の大台を突破!
プロ4年目となる2002年は17勝5敗、防御率2.60と好成績を収めます。この年の契約では、初めて1億円の大台を突破しました。
2003年、年俸2億1千万!最多奪三振を獲得!
プロ5年目の2003年も上原さんは16勝5敗、防御率3.17と安定した成績を残します。この年は最多奪三振のタイトルを取ったこともあり、年棒は一気に2億円を突破しました。
2004年、最優秀防御率を獲得!年俸は3億に達する
プロ6年目となる2004年には13勝5敗、防御率2.60という申し分ない成績を残し、最多奪三振賞にも輝きました。この年にも年棒は跳ね上がり、3億円となります。
2005年、3億5千万!自身初の負け越し
しかしプロ7年目には9勝と2ケタ勝利にも届かず、黒星も12記録してキャリア初の負け越しを喫します。それでも前年までの活躍もあり年棒はアップし3億5000万円になります。
2006年、3億4千万!WBCなどで活躍するも2年連続で負け越し
プロ8年目となる2006年にも、上原さんは8勝9敗で負け越しを喫します。しかしこの年は第1回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が開催され、エース級として活躍します。
WBCでは活躍し、日本の優勝に貢献しましたがシーズン中の不振が響いて年棒は少し下がって3億4000万円となります。
2007年、3億1千万!リリーフとして活躍
読売ジャイアンツの先発のエースとして活躍してきた上原さんでしたが、ここ2年の不振からの脱却のためこの年は主に抑え投手として起用されます。
その起用に見事に応えた上原さんは抑え投手として好成績を収め、年棒は3億1000万円となりました。
2008年、4億に到達!北京五輪にも出場でメジャー挑戦へ
前年にリリーフとして活躍した上原投手の年棒は4億円に達します。そしてプロ10年目の2008年にもリリーフとして大車輪の活躍を見せた上原投手は、次の年からメジャーリーグに挑戦を表明しました。
年度別に見る上原浩治の年俸推移【メジャー編】
日本プロ野球の巨人に所属していた時の上原さんの年棒推移を見てきましたが、上原さんは2009年より米メジャーリーグに挑戦しています。メジャーリーグでの上原さんの年棒推移を見てみましょう。
11年目 | 2009年 | 6億円 |
12年目 | 2010年 | 6億円 |
13年目 | 2011年 | 5億円 |
14年目 | 2012年 | 5億円 |
15年目 | 2013年 | 5億円 |
16年目 | 2014年 | 6億円 |
17年目 | 2015年 | 10億円 |
18年目 | 2016年 | 10億円 |
19年目 | 2017年 | 7億円 |
上原さんがメジャーリーグに挑戦したプロ11年目から19年目までの年棒推移です。メジャーリーグでの上原さんの活躍はどういったものだったのか細かく見ていきます。
2009年、年俸6億でオリオーズに移籍!故障で12登板に終わる
上原さんは2009年からメジャーリーグに挑戦し、オリオールズに入団します。年棒は6億円となりますが、怪我の影響もあり年間で12回の登板になりました。
2010年、年俸6億!リリーフで起用され活躍
前年は故障で12登板に終わり、現状維持の6億円になった上原さんですが、この年はリリーフとして起用され活躍することができました。次第にメジャーリーグでの知名度も上がってきます。
2011年、年俸5億!トレードでレンジャーズに移籍
2011年には年棒は5億円となり、シーズン中にオリオールズからテキサス・レンジャーズへ移籍します。この年にもリリーフとして活躍し、22H、防御率2.35の好成績を収めます。
2012年、年俸5億!故障し一時離脱?復帰後は抜群の安定感を発揮
2012年にも年棒は5億円のままでした。この年のシーズン中には故障もあり、試合に出られない時期もありましたが復帰後は抜群の安定感を示します。
上原さんはこの年、最終的に防御率1.75という好成績を収め、メジャーリーグでも有数のリリーフ投手へと成長しました。
2013年、争奪戦の末レッドソックスに移籍!年俸は5億
そして2013年には、争奪戦の末にメジャーリーグでも歴史ある有数の名門、そして松坂大輔さんや岡島秀樹さんなど多数の日本人投手が活躍したことでも有名なボストン・レッドソックスに入団します。
この年には抑えとしても活躍し、最終的には26Sと好成績を収めます。防御率も2.23と安定感抜群でした。
2014年、年俸6億!クローザーに定着するも後半は乱調に
2014年には上原さんはすっかりレッドソックスの抑えに定着し、シーズン序盤は安定した成績を収めます。しかしシーズン後半は乱調で打ち込まれることも多々見られました。
2015年、年俸10億!日米通算100Sを達成
この年には抑えなどのリリーフ投手として起用され、日米通算100Sも達成しています。リリーフとして定着したこの年には年棒は10億円を超え、上原さんのキャリアの中でも最高額の年棒でした。
2016年、年俸10億!カブスに移籍
2016年にはレッドソックスでリリーフとして2勝3敗7S18Hと大車輪の活躍を見せます。この年のオフにはシカゴ・カブスへの移籍も決定しました。
2017年、年俸7億!メジャー最後の年に
2017年に年棒7億円でカブスへ移籍した上原さんは、新天地で3勝4敗2S14Hと申し分ない活躍を見せます。しかし年齢の問題もあり、この年がメジャーリーグ最後の年となりました。
年度別に見る上原浩治の年俸推移【日本帰国編】
2009年から2017年まで、米メジャーリーグで活躍した上原さんですが、その後2018年には日本に帰国し古巣である読売ジャイアンツに入団しています。
上原さんの帰国後の年棒はどのくらいで、成績はどうだったのでしょうか。
2018年、年俸2億!古巣である巨人に復帰
上原さんは帰国後、日本プロ野球時代10年間過ごした古巣巨人に再入団します。その帰国には巨人ファンのみならずプロ野球ファンが歓迎し、年棒は2億円となりました。
巨人と年俸5千万で再契約?5月20日には引退を表明
2018年には日米通算で100勝・100H・100Sを記録した上原さんですが、シーズン中に引退を表明しています。涙ながらに引退会見を開いた上原さんに、労いの言葉や称賛の言葉が多くかけられました。
上原浩治の生涯年俸は?
上原さんの生涯年棒ですが、推定で84億円以上をプロ21年で稼いでいます。
また、上原さんはその他にもテレビやCMなどへの出演もあったので、100億円以上稼いだのではないかとも考えられています。
高年俸だからこそ!上原浩治の持ち物がすごい⁉︎
かなりの高年棒だった上原さんは、その持ち物の豪華さも話題になりました。メジャーリーグ時代に住んでいた家はボルティモアにあったそうですが、番組で紹介されかなりの豪邸だったようです。
また、時計はフランクミュラーの高級腕時計、愛車はレンジローパーに乗っていたそうです。このようにプロ野球選手はかなり夢のある職業だといえます。