
和田アキ子は在日韓国人である事を自らカミングアウト!生い立ちは?
皆さんは和田アキ子さんが日本人ではなく在日韓国人として生まれ、日本に帰化されていることをご存知でしょうか。このことを噂ではなく本人の口からカミングアウトしています。このお話にはどんなエピソードがあるのでしょうか。確認してみましょう。
目次
[表示]芸能界のご意見番・和田アキ子は韓国人?
芸能界のご意見番と言えば、和田アキ子さんもその一人であります。しかしそんな彼女が韓国人であるという噂は昔からささやかれていました。
しかし、ある雑誌の取材にアキ子さん自身が韓国人であることを答えたことで現実味がましています。それでは一つ一つ確認してみましょう。
和田アキ子のプロフィール
それでは和田アキ子のプロフィールを確認してみましょう。
- 本名(帰化前)金海福子 (出生名 金 福子)
- 本名(帰化後)飯塚現子(旧姓和田)
- 出身地 大阪府大阪市天王寺区
- 誕生日 1950年4月10日
- 血液型 O型
- 身長 174㎝
本人が在日であることをインタビューで告白!
和田アキ子さんは週刊誌のインタビューで自身が日本人ではないことを知ったのは、中学の頃に役所に行って確認して知ったことを語っています。
最初は戸惑ったこともあったようですが、生まれ育ったのは日本なので日本人ですと言われていることを見るとまああまり本人も気にしていないと思われます。
本名は金福子、通名は金海福子
和田アキ子の本名は帰化される前は金福子さんで読み方は「キム ポクジャ」といいます。また通名としては金海福子さんです。
現在は帰化?本名は飯塚現子
芸能界デビュー時に在日韓国人だとまずいと思った父親が思案されました。そして和田アキ子さんの叔父はすでに帰化していて和田姓を名乗っていました。
そのため、叔父に頼んでアキ子を養子にしてもらい、同時に名前も現子(あきこ)に改名したそうです。
芸名であるアキ子はホリプロ社長による提案だった
和田アキ子さんのアキはなぜカタカナなのでしょうか。では和田現子では読めるでしょうか。やはりそこはうまくいくか行かないかの大事な芸名です。
当時できたばかりの小さな芸能事務所の社長であった堀社長がアキ子でいこうと提案されました。そこには、広く子供から大人まで名前を覚えてもらえるという思いを託しアキ子とされました。
現に日本人なら誰でも和田アキ子さんを知らない人はいないぐらい有名な人になりました。
和田アキ子の韓国関連のエピソード・噂
それでは、和田アキ子さんに対する韓国との関係を示す噂を検証してみようと思います。その中には数々のエピソードがありそうです。
和田アキ子は在日企業に優遇されている?
この噂は和田アキ子さんが出演するCMの協賛企業が在日系企業もあるようで、優遇されているのではないかということなのです。
しかし、バラエティ番組では和田アキ子さん自身が韓国企業に対してダメなものはダメとはっきりとした態度を示していました。
ですから優遇されているということはないようですね。
和田アキ子の叔父も帰化しており、ミナミの帝王のモデル?
和田アキ子さんの叔父の和田忠信さんが先に帰化されています。その時の官報は以下の通りです。
官報 第 10660 号
昭和 37年 7月 3日 火曜日
法務省 告示 第七百八十五号
左記の者の申請にかかる日本国に帰化の件は、これを許可する。
昭和三十七年七月三日
法務大臣 植木庚子郎
国 籍 朝鮮
出生地 朝鮮全羅南道済州島済州邑吾羅里以下不詳
住 所 大阪府大阪市東区東坂町四百五十四番地金 和淑(和田忠浩)
昭和六年六月二十五日生(引用:東京新報バックナンバーサイト)
またこの和田忠信さんは金貸し業や不動産業を営んでいたそうで、漫画「ミナミの帝王」の主人公の萬田銀次郎のモデルになった人だそうです。
和田アキ子自身は在日に対してびしっと言うタイプ
和田アキ子さんは在日韓国人ということがわかりましたが、在日韓国関連の企業や人物に対して寛大な受け止めされているでしょうか。
バラエティ番組でもダメなものはダメとビシッと言われていました。ですから、和田さんは在日だからと言って分け隔てなくきちんとするというスタンスがファンを多く持たれているところなのでしょう。
和田アキ子は韓国語を話した事はない
和田アキ子さんは在日韓国人二世にあたるわけですが、生まれたのは大阪市生野区でした。生まれてから中学まで自分が韓国人であることを知らなかったと言われています。
つまり言葉は日本語をしゃべっていたわけですから、自分は当然日本人だと思っていました。ですから韓国語をしゃべれなかったのでしょう。
またご両親は厳格な方というイメージがありますが、その裏には日本人であることを貫こうとされていたこともあったのかもしれません。
和田アキ子は金正日の奥さんと幼馴染?
和田アキ子さんのお父さんが開いていた「金海道場」には意外な人物が通っていました。現在の北朝鮮労働党委員長の金正恩氏の母親で金正日の妻の高英姫とその父親の大同山又道というプロレスラーが通っていました。
当時アキ子さんは12歳、高英姫は9歳でした。お父様が稽古の間高英姫の面倒を見ていたのがアキ子さんだったそうです。
これは北朝鮮国内では極秘事項にあたるそうです。
和田アキ子の経歴や生い立ち
それでは和田アキ子さんの今まで歩まれてきた波乱万丈な生い立ちやデビューしてから色々な経歴をご紹介しましょう。
1950年、済州島出身の父と朝鮮半島出身者の母の間に生まれる
和田アキ子さんのご両親は在日韓国人で、父は韓国済州島、母親は朝鮮半島で慶尚南道出身となっています。
二人は大阪の鶴橋に移住しました。父親は料亭を経営し、自宅では「金海道場」という柔道場を開いていました。母親は、鶴橋の国際市場で米屋を営んでいたそうです。
中学生の頃、自身が在日であることを知る
週刊誌の取材で和田アキ子さんの在日であることを告白した際、中学の時に用事があって大阪の生野区の区役所に行った際に、初めて自分が韓国人であることを知ったとカミングアウトしています。
ただ、どんな用事があったのかは明確ではありませんが、本人の認識としては中学時代に初めて知ったそうです。
15歳の頃からジャズ喫茶などで歌唱しホリプロの社長からスカウトを受ける
幼少期から長女である彼女に父親は厳しくしつけ、また道場でも厳しく稽古をつけたそうです。そのため柔道も初段の腕前となっていました。
厳しい父に反発し、中学二年生の頃には不良番長となり、子分を従えて今の難波駅周辺を練り歩いて喧嘩三昧の日々で「ミナミのアコ」と呼ばれていました。
そんな折にジャズ喫茶やゴーゴークラブなどで歌っていたところ、現在のホリプロ社長の堀さんの目に留まり、堀社長自らスカウトされてデビューに至りました。
1968年、星空の孤独でレコードデビュー
デビュー当時芸名を「マーガレット和田」にしようという話があった。これにも和田は乗り気であったようですが、結果的に「和田アキ子」でデビューされました。
和田アキ子さんレコードジャケットの上のほうにリズムアンドブルースの女王とされていて、当時から女王の風格があったのですね。
ちなみにコーラスは中島啓江さんと森公美子さんが務められましたがヒットには至りませんでした。
1969年にリリーズした「どしゃぶりの雨の中で」が17万枚のヒット!
その後1年後に「どしゃぶりの雨の中」を2枚目のリリースをしたところ、17万枚のヒットとなり、オリコンチャートも19位に浮上しました。
この曲のおかげで和田アキ子さんの出世街道を歩み始めることになります。
1971年、日本に帰化
和田アキ子さんが帰化されたのはデビュー後の1971年に父親が在日韓国人だとばれないようにするために帰化されました。詳しくは以下の通りです。
法務省告示 第百五十四号
左記の者の申請にかかる日本国に帰化の件は、これを許可する。
昭和四十六年七月二十三日
法務大臣 前尾繁三郎住所 東京都新宿区四谷四丁目二十四番地
金福子(和田アキ子、和田現子、金海福子)昭和二十四年四月十日生大阪府大阪市生野区鶴橋出身
(引用:東京新報バックナンバーサイト)
1972年には代表曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」をリリース
この曲は和田アキ子さんにとっては17枚目の楽曲で、堀社長は「ケ・サラ」のようなイメージで阿久悠氏に依頼しました。
しかし、出来上がったのは人生、時代、孤独をテーマにして作詞した楽曲が見事に大ヒットしました。今でも和田アキ子さんの代表曲になっています。
1977年、一度目の結婚
1977年10月にマネージャの小林さんと結婚されました。しかし、8か月ほどで離婚されてしまったそうです。
離婚の理由は生活のすれ違いが原因だったようです。ただ、後に小林さんについて聞かれるといい人だったと答えているので、嫌いで別れたのではないと推測されます。
1981年、現在の夫と結婚
主演ドラマのスタッフであったカメラマンの飯塚さんは「キレイに撮れる角度」を研究していたところアコさんが「私に惚れている」と勘違いされて飯塚さんにアプローチされました。
以外にも結婚に至ったので、飯塚さんもまんざらではなかったのですね。
二人はそれ以後現在までも仲良く夫婦生活を過ごされています。
32歳の頃、子宮がんにより子宮を摘出
32歳の時に子宮筋腫の検査をしていたところ、子宮がんを発見、一番最初に旦那さんに告知されました。その際迅速に子宮全摘手術の同意書にサインをして、その後アッコさんに旦那さんから伝えました。
もちろんアッコさんは子供が大好きで、子供を作って楽しい家庭を作るのが夢でした。
諦められない気持ちがいっぱいだったそうですが、旦那さんからアッコさんの命が大事と言われたことを聞いて手術を受けられました。
1985年、アッコにおまかせがスタート!現在まで続く人気番組に
1986年10月6日から日曜日12時からテレビ朝日系列で「アッコにおまかせ」がスタートしました。現在も続く長寿番組で、司会も峰隆太が4代目ながら26年務めています。
番組の形態も時代に合わせ変えており、現在はワイドショー形式を兼ねたバラエティ番組となっています。
2018年には目がおかしいと話題に?病気を抱えつつ現在も精力的に活動
実は和田さんは以前からドライアイの影響で目の瞼が下がって視野が狭くなる眼瞼下垂という病気になっていて以前から手術をしたほうがいいと言われていたそうです。
しかし、テレビで露出が多いので断ってきたそうですが、視野が狭くなるのと、目を異常に広げようとするため頭痛がひどくなってきた。
そのため手術を受けました。そのおかげで視野が広がったようです。しばらくは見慣れないのですが今年いっぱい様子見てあまり見栄えが悪かったら成形も考えると周囲には語っているそうです。
今後のアッコさんに期待
現在69歳になる和田アキ子さんですが、ハスキーボイスやブルースを唄わせたら右に出るものはいないほど素晴らしいです。
それこそ日本では最初にアポロシアターで歌われた人なわけです。そんな彼女ですから今後もますますマルチな活躍に目が離せません。
また、いつか隠してきた過去をうまく踏襲した活躍も期待したいです。