デヴィ夫人の若い頃は美人!ハーフではなく日本人だった?娘や孫は? エンタメ

デヴィ夫人の若い頃は美人!ハーフではなく日本人だった?娘や孫は?

22歳のときにインドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人になり、若い頃は「東洋の真珠」と称された社交界の花「デヴィ夫人」こと「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」は、今もその美しさは健在ですが、若い頃の驚くほど美しい姿の画像を集めてみました。

目次

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若い頃が美人すぎる!デヴィ夫人のプロフィールと現在の画像

  • 本名:根本七保子
  • 生年月日:1940年2月6日
  • 出身地:東京都港区西麻布
  • 血液型:A型
  • 国籍:インドネシア
  • インドネシアの元スカルノ大統領の第3夫人

今やバラエティーに引っ張りだこのデヴィ夫人ですが、その正体は一体何者なのでしょう。御年80歳を迎えるようですが驚くことにその若さに陰りが見られません。

若干22歳のときに、インドネシアの元スカルノ大統領の愛人となり、やがて第3夫人にまでなったデヴィ夫人は若い頃が美人すぎると話題になっています。

壮絶な人生を歩んできたデヴィ夫人ですが、若い頃はその美貌で多くの男性と数々の浮名を流していたようです。

デヴィ夫人が美人すぎる昔の画像集

その若さと美貌、気品と知性など淑女が持つべきアイデンティティーを全て自分のものにしたデヴィ夫人ですが、その苦労は並大抵のものではなかったようです。

普通の人では考えられないような数奇な運命に翻弄されながら、社交界の中心となるまでに人生の階段を登りつめていけたのは誰もがため息をつくほどの美しさを持っていたからでした。

若い頃の面影を残し今でも十分美しいデビィ夫人、若い頃の社交界ではその類稀なる美しい容姿に「東洋の真珠」と称えられていたそうです。

学生の頃のデビィ夫人

画像を見ると学生時代からも美しさが際立っていたデビィ夫人は、貧乏であることを感じさせないほど自ら身なりを整え、どこかのお嬢様のような雰囲気だったそうです。

実際は、わずか16歳で高級クラブに身を置き、家族を養うために頑張っていたようです。実家は裕福とは言えず、父も早くに亡くなったことから、デヴィ夫人が家計を助けていました。

残された母親と2つ下の弟の生活を支えるために、手っ取り早くお金を手に入れようと、18歳と偽って高級クラブで働いていたそうです。

東洋の真珠

若い頃から羨望の的となった美しいデヴィ夫人ですが、大統領夫人になってからは、その美しさにますます磨きがかかりました。

フランスパリで社交界にデビューすると、「東洋の真珠」と称えられ社交界の華となりますが、多くの男性から見染められる美しさだったそうです

娘とデビィ夫人

軍事クーデターによりインドネシアを追われたデヴィ夫人はたった1人日本でスカルノ元大統領の娘を出産することになりました。生まれた娘にはカリナと名付けられました。

デヴィ夫人とスカルノ元大統領との画像

22歳の時にスカルノ元大統領の第3夫人となったデヴィ夫人ですが、この時のスカルノ元大統領は61歳でした。

デヴィ夫人はハーフ?両親は日本人で顔は整形?

デヴィ夫人は、その名称と見た目から日本人ではないと誤解されています。確かにインドネシアの本スカルノ大統領と結婚したことにより国籍はインドネシアですが実際は生まれも育ちも純粋な日本人です。

デヴィ夫人の両親は日本人?本名は?

デヴィ夫人の名称から、日本人ではなく外国の人ではないかと思われがちですが、以前の両親は純粋な日本人で大工の父親と内職をする母親、2つ下の弟の4人家族だったそうです。

デビィ夫人の本名は「根本七保子」と言うそうですが、現在はインドネシア国籍を持つ「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」が正式名称です。

父親が病気がちでデヴィ夫人が16歳のときに亡くなってしまい、それまでも余裕がなかった生活が、たちまち困窮することになったようです。

デヴィ夫人は日本人だった!ハーフ顔は整形?

デヴィ夫人の名前と見た目からよくハーフと間違えられるそうですが、純粋な日本人であり根本七保子と言う本名を持っています。

また、あまりに若過ぎる容姿に整形を疑う人もいるようですが、整形したという事実は不明です。

若かりし頃から整った顔の超美人ですから、整形をするまでもないようですが、現在、アンチエイジングには努力をしているようです。

若い頃から歯も整形?入れ歯だった?

kreatikar / Pixabay

デヴィ夫人がインドネシアにスカルノ元大統領の愛人として渡る以前にも、日本の女性が同じ境遇で宮殿に入ったことがあるようです。

ですがスカルノ元大統領の夫人たちや愛人たちの壮絶な嫌がらせに自殺してしまったそうです。その中にあってメンタルの強いデヴィ夫人はスカルノ元大統領の心をつかむため必死の努力をしたようです。

その一つに夜の営みで男性を喜ばせるため、総入れ歯にしたと言う噂もあります。

デヴィ夫人の経歴は?昔はコールガールだった?娘や孫は?

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東京都の港区西麻布で生まれたデヴィ夫人は、大工だった父と母弟の4人家族でした。その暮らしは決して裕福ではなく父親も仕事で目が見えず病気がちだったそうです。

一家の収入は足を悪くした母親が行う内職だけが頼りの生活でした。とても貧しくその日の食事にも困るほどだったそうです。

デヴィ夫人は、中学を卒業して高校の定時制に入学しますが、生活のために現在のジブラルタ生命保険にも入社します。当時は150倍の倍率だったそうですからデヴィ夫人が優秀な生徒だったことが伺えます。

デヴィ夫人は父・母・弟を相次いで亡くす

1956年に父親が病気で亡くなったことをきっかけにデヴィ夫人は、高校中退し赤坂にある高級クラブ「コパカバーナ」で働くことになります。

デヴィ夫人はその後、様々な運命のいたずらにより母親が体調崩しなくなり、たった1人の弟もその2日後に自ら命を絶ってしまうと言う痛ましい経験をしています。

高校中退後に高級クラブで働いていた

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結局高校も中退し、生命保険会社も退社して、高級クラブでホステスとして働き家計を助けるデヴィ夫人でしたが、そこで懇意にしていた客にインドネシアの元スカルノ大統領を紹介されることになるようです。

コールガールとしても働いていた?

27soon / Pixabay

デビィ夫人が、コールガールだったとする噂もありますが、真偽のほどは定かではありません。当時の日本は戦後の混乱、敗戦国と言うこともあり国際的にとても苦慮していたようです。

デヴィ夫人が当時先進国であったインドネシアに渡り.日本外交との橋渡しになったのも事実であり、悪い言い方をすればインドネシアへの人身御供だったとも言えます。

スカルノ元大統領の愛人から第3夫人となる

19歳のときに貿易会社の秘書と言う名目でインドネシアのスカルノ大統領のもとに送り込まれたそうです。当時スカルノ大統領は日本との外交を非常に重要視していました。

4年間は、スカルノ元大統領の愛人の1人として使えていましたが、1962年に第3夫人として正式にスカルノ大統領と結婚したそうです。

結婚して3年後にインドネシアは軍事クーデターによりスカルノ元大統領が失脚します。

1967年3月に娘を出産も夫・スカルノ元大統領が死去

1167年3月にたった1人で日本に帰国したデヴィ夫人は、一人娘カリナさんを出産します。スカルノ元大統領にとって、8番目の子供となりますが娘と対面する事は叶いませんでした。

そしてその3年後、デヴィ夫人の夫であったスカルノ元大統領は、その人生に幕を閉じました。

娘に拒絶されるも孫が生まれ良好な関係に

Pexels / Pixabay

デヴィ夫人は、インドネシアの元大統領の夫人として財産を受け取るためにインドネシアに移住することを決めますが、情勢が不安定であるため11歳であった一人娘カリナさんはそのままパリに残します。

たった11歳の女の子であるカリナさんは母親に見捨てられたと嘆き、デビィ夫人を恨んでいたそうです。

やがて成長し大手銀行のCEOであるフレデリック・シーガスと結婚したカリナさんは、母親との確執を捨て良好な関係になったそうです。

孫・キランがイケメン!画像は?

デヴィ夫人の一人娘カリナさんが結婚して男の子を設けたそうですが、デヴィ夫人の孫に当たります。

キランと言う名前はサンスクリット語の「光の輝きの意味を持ちます。英語はもちろんオランダ語、フランス語、そしてインドネシア語の4カ国語を話せる頭脳明晰な男の子だそうです。

ご意見番のデビィ夫人

2020年には80歳になるデヴィ夫人ですが、若さと美しさが健在する見た目からは想像がつきません。そのアグレッシブな姿は、世の中の高齢者の見本といっても過言ではないかもしれません

一国の元首のトップレディーであった「東洋の真珠」デヴィ夫人は、今やバラエティーなどでお茶の間を楽しませてくれる人気タレントになりました。

テレビでお茶目な顔をのぞかせてくれるデヴィ夫人からは、今後ますます目が離せません。