小田和正は結婚している?奥さんはどんな人?子供はいるのか徹底調査 エンタメ

小田和正は結婚している?奥さんはどんな人?子供はいるのか徹底調査

アーティストの中でもずば抜けて美しい声でファンを魅了し続けている小田和正さん。プライベートは不明な点が多いですが、結婚はしているのでしょうか?奥さんは?馴れ初めは?お子さんはいるのでしょうか?オフコース時代も含めて追いかけてみます。

目次

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小田和正は結婚してる?家族との現在の仲は?

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誰でも聞いたことのある名曲を多数、世に送り出している小田和正さんですが、果たして結婚はしているのでしょうか?

現在の家族との仲はどうなのでしょうか?併せて検証してみます。

小田和正のプロフィール

  • 生年月日 1947年9月20日
  • 出身地 神奈川県横浜市金沢区
  • 身長 172cm
  • 血液型 A型
  • 趣味 ゴルフ・絵画・散歩
  • 最終学歴 東北大学工学部、早稲田大学理工学部建築科修士課程卒業

オフコースとして一世を風靡し、ソロ活動でも数々の大ヒット曲を世に送り出してきた小田和正さん。

美しい歌声で泣かせる名曲が多いのも小田和正さんらしさかもしれません。

私生活に謎の多い小田和正

70歳を超えてなお、ミュージシャンとして最前線で活躍し続けている小田和正さん。

その私生活については自ら語ることはなく、プライベートは謎に包まれています。

1982年に一般女生徒の結婚を発表している

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謎に包まれた小田和正さんですが、1982年に一般人女性との結婚を発表しています。

お相手のお名前は「恵子さん」で、お2人は中学生時代からの知り合いなのだそうです。

結婚相手である「恵子さん」について!画像はある?

先述のように中学生時代からの知り合いですので、恵子さんも横浜出身だそうです。

恵子さんの現在の写真はありませんが、当時の週刊誌の記事画像がありました。

1953年5月24日生まれで、小田和正さんより6歳年下のようです。

2人の馴れ初めはファンクラブ結成

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1970年から1989年まで活動したオフコース。2人の馴れ初めは、そのファンクラブの初代スタッフの友人が、のちの奥様となる恵子さんだったことのようです。

スタッフの友人が会報を作成する担当だったようで、そのお手伝いをするためにちょくちょく顔を出していたそうです。

もともと知り合いだったので、接近するのにも障害は少なかったのかもしれません。

妻とは一緒にゴルフに行くくらい仲が良い

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小田和正さんはゴルフがお好きなようですが、恵子さんと一緒にラウンドするほど仲が良いそうです。

ゴルフは長時間一緒にいるスポーツなので、夫婦仲が良くないと一緒には回れないこともあるそうです。

オフコース時代の楽曲「I LOVE YOU」は恵子さんに向けた楽曲?

このオフコースの「I LOVE YOU」という曲は、恵子さんの為に作られた曲と言われています。

歌詞の「9月になれば」という箇所がありますが、小田和正さんは9月に入籍されたので、そのことだろうと考えられています。

2人に子供はいない!理由は子供の泣き声が苦手だから?

小田和正さんは子供が嫌いだというのはよく知られているそうです。特に大声で街中ではしゃぐ子供が嫌いだそうです。

もし自分に子供が出来た時に、そんな街中で大声ではしゃがない子にちゃんと育てられるか自信がないので、子供はいらないという考え方だそうです。

「生まれ来る子どもたちのために」という曲を作っていますので、もしかしたらもっと深いお2人だけの理由があるのかも知れません。

小田和正の生い立ち・経歴

結婚やお子さんのことについて調べましたが、では生い立ちや経歴にはあの美声を生んだ秘密があるのでしょうか。調べてみました。

薬局を営む家庭に生まれ、幼少期からバイオリンを習う

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小田和正さんは横浜の有名な「小田薬局」の次男として生まれました。小学校3年生の時に、母親にバイオリンを習いたいとお願いし、わざわざ横浜から横須賀の教室に通っていたそうです。

しかし、その教室では他人と比較され、注意され、楽しさよりも厳しさを知ってしまい、習うのはやめたそうです。

この頃から音楽の楽しさを大切にしているから、今の心に響く歌声があるのかもしれません。

小学3年の頃、オフコースのオリジナルメンバー・鈴木康博と出会う

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小田和正さんは全国でも有数の有名進学校「聖光学院」という中学校に入学しています。

進学校に進むということはもちろん、中学受験があります。当然のように受験対策の為に塾へ通っていました。

その中学受験対策の通塾中に運命の出会いが待っていました。

塾へ行くための京浜急行の車内で、なんとオフコースメンバーの鈴木康博さんと出会ったのです。

小田和正さんと鈴木康博さんは2人ともが第1希望の栄光学園中学に合格できず、受かっていた聖光学院に入学したそうです。

第1希望の失敗は当人には小学生時代の苦い思い出かもしれませんが、後の成功を考えると運命だったのかもしれません。

1969年のコンテスト出場がプロの道へ進むきっかけに

高校3年時の学園祭にて、小田和正さんと鈴木康博さんに加え須藤尊史さん、地主道夫さんというオフコース結成メンバーが揃って初演奏を行いました。

それぞれ大学に進学後もアマチュア音楽活動を続けていましたが、1969年に転機が訪れます。「ヤマハライトミュージックコンテスト」の東北地区大会に出場し、なんと1位通過で全国大会に進出したのです。

優勝して音楽活動のけじめにするぞと意気込んで臨んだ全国大会で、結果は惜しくも2位となります。

しかしこの結果が「このままじゃ終われない」と、プロの道に進むきっかけとなったようです。

もし優勝していたらオフコースは無かったと考えると、この結果もまた当人には辛く悔しい結果でしょうが、ファンからするとうれしい敗北でしょう。

オフコースは数々のヒットを飛ばすも、鈴木康博が脱退

オフコースには「さよなら」「言葉にできない」「愛を止めないで」など名曲が非常に多くあります。

当時はテレビに出て人気を獲得するのが主流でしたが、オフコースはテレビの音楽番組には出ませんでした。レコードとコンサートにとことん注力することを頑なに貫いたバンドだったのです。

1982年には運命の出会いを果たした鈴木康博さんが脱退し、メンバーの入れ替えを行いながらも、変わらず数々の名曲を世に出していきました。

1989年、オフコースが解散!ソロ活動が本格化

1989年にはついにオフコースは解散となります。解散時に結成メンバーとして残っていたのは小田和正さんだけでした。

東京ドームで行われた解散コンサートは、集まった5万人が涙を流すファンには忘れられないシーンとなったようです。

ファンにとっては悲しい解散でしたが、小田和正さんはその後はオフコース時代にもしていたソロ活動を本格化させ、精力的に動きだします。

1991年「ラブストーリーは突然に」が大ヒット!

そして1991年、月9ドラマの「東京ラブストーリー」の主題歌「ラブストーリーは突然に」がリリースされます。

日本全国が「ラブストーリーは突然に」を聞き、誰もが「東京ラブストーリー」に感化されるような一時代を築きました。

この「ラブストーリーは突然に」で、オフコース時代には成しえなかった「オリコンシングル1位」「ミリオンセラー突破」を遂に達成します。

この結果で小田和正さんはヒットメーカーとして認められ、「伝えたいことがあるんだ」や「キラキラ」など次々とヒット曲を生み出していきます。

1998年、自損事故を起こし重傷を負う

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1998年、小田和正さんは愛車のセルシオを運転してゴルフコンペに向かう最中に高速道路で雨のためスリップしての自損事故を起こします。

左側のガードレールにぶつかり、そのまま追い越し車線にまで弾かれるほどの衝撃で、車の右前後がぐちゃぐちゃに破損していたようです。

路肩に植えられた木もなぎ倒され、鉄柱や標識も折れ曲がっているほどの惨状だったそうです。

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全治1ヶ月の重症を負い、入院初日は痛くて眠れず、幻覚すら見たと小田和正さん本人が語っています。

その病床で、小田和正さんはものすごい量のファンからの手紙を貰います。その手紙の多くは「生きていてくれただけで良かった」というものだったそうです。

ファンレターはたくさん貰ってきましたが、それは当然、曲を作った小田和正さんに対してのものでした。しかし今回は作品に対してではなく、生きていたことに対しての想いの手紙でした。

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自分の不注意で自分がしたいゴルフをするための移動中に事故を起こした自分に対して、身内でもないのにここまで心配してくれる人がいると分かったその時、味わったことのない感情が湧いてきたそうです。

そして小田和正さんは大事故のほんの2ヶ月後には完治していない体でありながら歌手活動に復帰し、スターダストレビューとのジョイントコンサートに登場しました。

かなり早く復帰した一因としては、ファンの想いを知り、音楽への新たなモチベーションが生まれたからかも知れません。

2008年には実父を亡くしている

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小田和正さんは2008年に父親を亡くしています。享年94歳でした。

小田和正さんと父親とは、週刊誌に確執が報じられるような間柄だったとも言われています。

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父親の危篤を聞いた小田和正さんは、アルバムで史上最年長オリコン1位を獲得し、半年に渡るライブツアーの真っ最中でしたが、ちょうど東京にいたこともあり、急いで父親の元へ向かいました。

小田和正さんが病室に着いたときには、呼吸はしているが意識はない状態だったそうです。

お兄さんは「和正が来たのが分かったのか、一瞬微笑んでうなずいたように見えた。」と語り、父親は小田和正さんの到着を待っていたかのように息を引き取ったそうです。

小田和正の代表曲

小田和正さんは書ききれないほどの名曲を作り出していますが、その中でも何点かご紹介します。

ラブストーリーは突然に

1991年2月6日発売のソロでの6枚目のシングルCD「Oh! Yeah!」に収録され、フジテレビ系の月9ドラマ『東京ラブストーリー』に主題歌として起用されました。

ダブルミリオンを超え、小田和正史上ナンバーワンの売上を誇っています。説明の必要のないほどの名曲です。

たしかなこと

2005年5月25日発売の小田和正さんにとって通算23枚目のシングルです。

明治安田生命のCMソングとして作成されましたが、ドキュメンタリーの挿入歌やセレモニー、ドラマでも使われるなど、心に響く名曲です。

キラキラ

2002年2月27日発売のソロとして通算21枚目のシングルCDです。フジテレビ系のテレビドラマ『恋ノチカラ』の主題歌として発表されました。

実は「ラブ・ストーリーは突然に」以来のドラマ主題歌であり、小田和正さんの発売したCDの中で、21世紀では一番の売上を記録しています。

小田和正は子供はいないが奥さんとは仲良し

小田和正さんは奥さんとは付き合いも長く、子供はいませんが、それもお2人の決められたことのようですし、今も仲良くされているようです。

運命的なオフコースの結成や解散、大事故や実父を亡くすなどのトラブルも超えて、今も美しい歌声を聞かせてくれる小田和正さん。

これからもたくさんの心を震わせる名曲を生み出してことをファンも心待ちにしていることでしょう。