1951年生まれの芸能人・有名人は?俳優から歌手まで総まとめ! エンタメ

1951年生まれの芸能人・有名人は?俳優から歌手まで総まとめ!

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桂南光(12月8日)

桂南光さんは落語家、司会者として活動されている方です。なんこうやんの愛称で親しまれていました。

初めは漫画化を目指されていましたが、桂枝雀さんと知り合ったことがきっかけとなり落語家の道へ進まれました。

笑福亭鶴瓶(12月23日)

笑福亭 鶴瓶さんは上方落語の名跡で、落語家、タレントとして活動されている方です。ご出身は大阪府中河内郡長吉村で、デンナーシステムズという事務所に所属されています。

テレビでも大変活躍されていて、レギュラー番組を多数お持ちです。日本テレビで放送されているザ!世界仰天ニュースという番組では 中居正広さんとレギュラー出演されています。

そのほかにも、NHK総合で放送されている鶴瓶の家族に乾杯という番組などで活躍されています。また、第58回NHK紅白歌合戦では白組の司会を務められていました。

演技力も評価されている

トークだけでなく演技も高く評価されており、キネマ旬報賞主演男優賞やブルーリボン賞主演男優賞を受賞されたこともあります。

1951年生まれの芸能人・有名人一覧【スポーツ選手編】

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1951年うまれのスポーツ選手を紹介します。プロレスラーの方が多い印象です。

プロレスラー:ジャンボ鶴田(3月25日)

ジャンボ 鶴田さんはプロレスラーとして活動されていた方です。ご出身は山梨県東山梨郡牧丘町です。中央大学法学部政治学科を卒業されています。

初めて日本人でAWA世界ヘビー級王者となった方で、三冠ヘビー級王座の初代王座でもいらっしゃいます。

主に1980年代にトップレスラーとして活躍されていましたが、B型肝炎を発症したことにより第一線を退かれました。

師匠はジャイアント馬場さん

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レスラーとしての活動以外に教育にも情熱を注ぎ、桐蔭横浜大学、慶應義塾大学など多くの大学で非常勤講師のお仕事もされていました。

プロレスラーのジャイアント馬場さんがジャンボ鶴田さんのプロレスの師匠であり、以下のように語っていました。

「人生はチャレンジだ、チャンスは掴め」という座右の銘を受け継いでいます。

(引用元 Love Wine)

プロレスラー:長州力(12月3日)

長州 力さんはプロレスラーとして活動された方です。ご出身は山口県徳山市です。2016年に日本へ帰化されていますが、元は韓国系日本人で郭 光雄という韓国名をお持ちでした。

学生時代から野球と柔道をされていて、山口県桜ケ丘高校にはレスリング部の特待生として進学されました。

国内のインターハイや、国体で準優勝 優勝をされていましたが、日本に帰化される前は国籍の関係でオリンピックに日本代表として出場できず、韓国代表として出場されたこともありました。

ゴルフ選手:岡本綾子(4月2日)

岡本 綾子さんはプロゴルファーとして活動されているかたです。ご出身は広島県豊田郡安芸津です。日本人の女子選手で初めてアメリカのLPGAツアーに参加されたことで有名です。

ゴルフを始める前は、ソフトボールの優秀な選手でした。愛媛県今治明徳高校にソフトボールの特待生として進学され、ソフトボール部のある大和紡績福井工場に就職されました。

アメリカへの強いあこがれがゴルフを始めるきっかけに

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そして、和歌山国体で優勝されました。その後、ゴルフを始めるキッカケになったのは、アメリカに強い憧れを抱いており、アメリカに行きたいだめでした。

ゴルフでもソフトボールで鍛えた身体のつよさで、男子プロに並ぶ飛距離の記録をだし、活躍されました。

バレー選手:柳本晶一(6月5日)

柳本 晶一さんはバレーボール選手・指導者として活動されている方です。バレーボール全日本女子チームの監督を務められたこともあります。ご出身は大阪府大阪市です。

帝人三原に入団され、モントリオールオリンピックに出場された際には4位に入賞し、大変活躍されました。

現在はバレーボールの試合の中継の解説者を務められています。2013年には大阪市立桜宮高等学校のスポーツ指導を改善するために桜宮高校学校改革担当を務められました。

野球選手:加藤博一(10月9日)

加藤 博一さんは外野手のプロ野球選手、タレント、野球解説者として活動されている方です。ご出身は佐賀県多久市です。

所属されていた球団は、初めは、西鉄ライオンズドラフト外で入団されました。その後トレードによって片岡新之介さんと一緒に阪神タイガースへ移籍されました。

さらに、横浜大洋ホエールズへ移籍もされました。現役選手を引退された後は、フジテレビの野球解説者のお仕事をされていました。

肺がんの診断後

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2006年に肺ガンと診断されて以降は治療のために入退院を繰り返し、2007年には摘出手術も受けられました。その後は転移もみられ、2008年1月に亡くなりました。

1951年生まれの芸能人・有名人一覧【政治家編】

1951年生まれの政治家の方を紹介します。なじみのない方もいらっしゃるかもしれませんが政治に貢献された方が多数いらっしゃるのでこの機会に見てみてください。

竹中平蔵(3月3日)

竹中 平蔵さんは経済学者や政治家、実業家として活動されている方です。教育にも注力されていて、東洋大学教授と、慶應義塾大学名誉教授を務められていました。

大学時代にはマンドリンクラブに所属してプロの音楽家を目指していらしたと言われています。政治家としての実績は多くあり、参議院議員の経験をお持ちです。

また経済の知識を生かして内閣府特命担当大臣や総務大臣などを務められました。また、政治家としての活動だけでなくRIZAPグループ経営諮問委員会委員も務められています。

太田房江(6月26日)

太田 房江さんは、政治家、タレントとして活動される方です。通商官僚をされていたこともありました。ご出身は広島県呉市です。

大阪府知事を務められていた際、大相撲の優勝力士に贈る大阪府知事賞を贈呈するために、土俵に上がってご自身で渡したいと主張されました。

しかし、土俵は女性が上がることの禁止されている場所なので 日本相撲協会に拒まれ、社会的に話題となりました。

1951年生まれの芸能人・有名人一覧【声優編】

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現在は声優さんがアイドルのような活動をされていることが多くなってきましたが、この時代の方でそのような活動をされている方は少ない様子です。

国民的アニメに出演されている方もたくさんいらっしゃるので紹介させていただきます。

中尾隆聖(2月5日)

中尾 隆聖さんは声優、歌手、ナレーター、演出家としても活動されている方です。ご出身は東京都で現在は81プロデュースという事務所に所属されています。

国民的アニメのキャラクターの声優をいくつも担当されています。それいけ!アンパンマン ではばいきんまん役、楽しいムーミン一家ではムーミントロールの友人、スニフ役でした。

ドラゴンボールZのフリーザ役、ガラスの仮面、ハイキュー、銀魂などでも活躍されています。

窪田等(3月27日)

窪田 等さんはナレーター、声優として活動されている方です。ご出身は山梨県で、現在はシグマ・セブンという事務所に所属されています。

情熱大陸やF1グランプリ関連番組などとても有名な番組でナレーションのお仕事をされています。

大変人気なので、日本で最も忙しいナレーターと言われることもあります。プロ意識が大変高く、月に100本以上のお仕事をされることもあるのに、体調不良になったことがないと言われています。

徹底した姿勢

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仕事に対する姿勢も徹底されていて、ナレーターは番組の主役となる映像などを上手に引き立たせるための脇役だと考えいらっしゃいます。

目立ちすぎないように、声で感情を表現することは抑得るようにされています。

しかし、その範囲内でバラエティ、深夜番組、情報番組などそれぞれの特性に合わせた距離感を適切に保つことを大切にされています。

石塚運昇(5月16日)

石塚 運昇さんは声優、ナレーター、俳優、演出家として活動されている方です。ご出身は福池行き勝山市で、現在ら青二プロダクションという事務所に所属されています。

舞台での演技経験もお持ちなので朗読や演技の指導もされています。 声質が渋く低めだったので、壮年以上の役をよく演じられていました。

海外ドラマの吹き替えの作品も多く残されています。

田中和実(8月11日)

田中和実さんは声優、俳優、ナレーターとして活動されていた方です。ご出身は東京都杉並区で、青二プロダクションという事務所に所属されていました。

お兄様の田中亮一さんも声優として活動されていました。競艇を好まれていた時期もありました。

日本テレビで放送されていた「ザ・ワイド」という番組のナレーションを担当されていました。

稲葉実(11月8日)

稲葉 実さんは声優、俳優、ナレーターとして活動されている方です。ご出身は静岡県で、現在は賢プロダクション所属されています。

吹き替えのお仕事を多く担当されています。有名な役としては、ディズニー作品の『チップとデール』のデール役があります。

ディズニー作品への出演は映画以外にも多くあります。「トイ・ストーリーシリーズ」のバズ・ライトイヤーの役を東京ディズニーリゾートのアトラクションで務められています。

松尾銀三(12月26日)

松尾 銀さんは俳優、声優、として活動された方です。また、ナレーター銀プロダクションという事務所で初代社長をされています。

若手声優の面倒見の良さも評判でした。大人気アニメの「おジャ魔女どれみ」や「忍たま乱太郎」など多くの出演されていました。

その他には、東映が製作した作品に出演される機会を多くありました。

1951年生まれの芸能人・有名人一覧【その他編】

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主に作家や漫画家の方が多いですがここまでで紹介しきれなかった職業の方を紹介します。

作家:高橋源一郎(1月1日)

高橋 源一郎さんは、小説家、文芸評論家として活動されている方です。明治学院大学で教授をされていた時期もありました。

小説の作風は、ハイカルチャーからマンガやテレビのような大衆文化までさまざまな分野から引用した、パロディを多く取り入れられていてとても前衛的です。

横浜国立大学経済学部に入学しましたが、興味が持てなかったためと、大学紛争に巻き込まれたため、十分な教育を受けることができませんでした。

小説を書くきっかけは

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時代の流れもあり、ご自身も学生運動に参加されたり、肉体労働のお仕事をされたりしたあと小説家になるきっかけの出来事がおきました。

そのきっかけは、「松山千春のオールナイトニッポン」というラジオ番組を聞いたことでした。もともと文章を書くことは好まれていましたがこの時小説を書こうと決心されました。

漫画家:あだち充(2月9日)

あだち 充さんは、漫画家として活動される方です。ご出身は群馬県伊勢崎市です。少年時代からお兄様のあだち勉さんと一緒に漫画の読者投稿コーナーの常連でした。

その後も活躍をつづけ、ナインという作品で少女漫画の雰囲気を少年漫画に持ち込んだ、と好評価を得られました。

ナインに引き続き「みゆき」や「タッチ」が大ヒットとなりました。その実力が評価されたため第28回小学館漫画賞少年少女部門を受賞されました。

作家:桐野夏生(10月7日)

桐野 夏生さんは小説家として活動されている方です。ご出身は石川県金沢市で、ペンネームは桐野夏生さんのほかに、野原 野枝実など、いくつかお持ちです。

小説を書き始められたころは、ロマンス小説やレディースコミックの原作などの作品を多く書かれていました。その後ミステリー小説に挑戦されました。

初めて制作されたミステリー小説の「顔に降りかかる雨」で第39回江戸川乱歩賞を受賞されました。さらに、その評価は海外でもとても高く、米国エドガー賞にノミネートされました。

向田邦子さんへのあこがれの影響

2015年に紫綬褒章も受賞されています。ご本人は脚本家である、向田邦子さんのファンでした。そのため、彼女の生き様になぞらえて、経済的自立を目指されました。

お子様をご出産したあとも、家でできるお仕事として、ライターの仕事を選択され、文章を書き続けています。

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